北レナグに、”ガイ・マタン・ゴムチエー(薪で傾いた)”という古い言葉がある。
これは「考えが足りない」、わかりやすく言えばボンクラ、間抜けを示すものだ。
また”ゴムチャク・ヒンゼ(薪足らず)”という言葉もある。
こちらは怠け者という意味。
どうして薪で傾くと阿呆呼ばわりされ、薪が足りないと怠け者なのか。
これは雪国ならではの表現で、かの言語学者イズグンシも感心したという。
というのも、理由はこうだ。
高地や雪国では、寒季に備えて大量の薪を用意する。
乾燥した薪は家の中に貯蔵するが、それだけでは長い寒季を越せない。足りない分はどうしたかというと、屋外の壁際に積んでいた。
とうぜん雪と雨で湿るが、屋内に少しずつ持ち込んで乾いた物から順繰りに使った。外に積んでおくのは、風除けと、雪下ろしで屋根に上がる階段も兼ねていたらしい。
寒い国ほど大量の燃料を使うから、薪はたいへんな量になる。屋外の薪を、人々は家を巻くように積んでいく。何十段も、梁に届くまで積み重ねる。そしてついには、扉と通風口以外の全てが薪に覆い尽くされる・・・・
壁一面を隠すほどの薪となれば、非常に重くなる。また、集める手間も大変なものだ。
重さが垂直にかかればいいが、まず大抵は家屋の壁に押しつける形になる(そのほうが積みやすい)。だから家を巻くように置いて、重さの釣り合いを保っているわけ。
扉の辺りから手当たり次第に薪を使うと、釣り合いが崩れて壁がたわみ、柱が曲がって家が傾くことになる。
”ガイ・マタン・ゴムチエー”とはそういう事だ。
薪足らずとは、厳しい寒季を越すのに不可欠な薪集めを怠ること。
間抜けや怠け者が一人でもいると、家屋にすきま風が入ったり、薪が無くなったりして、家族全体がつらい思いをすることになる。
現代の我々は時に、過去の人々の無知を嘲笑し、その後進性を貶める。
しかし過去には過去の、雪国には雪国の生活形態があり、人々は限られた知識と資源を活用して精一杯に生きてきた。
薪にまつわる二つの言葉は、文明と無縁の暮らしを送っていた者が、手抜きと怠惰を戒めていたこと。長期的な視点を重視していたことの、証拠である。
人間の知恵は生まれ持った才能ではなく、環境と修養から身につける。
出自の貴賤と貧富は、才知を決定する要素ではないのである。
「だから、タジー」
土間に腰を下ろした薬売りは、重々しく説いた。
「お前はもっと研鑽に勉めねばならん」
「何が”だから”なの、ししょー?」
「つまり」
テッカンは傍らの薪を取り、手首の力を働かせて飛ばした。
「はうっ!?」
駄獣の尻尾を三つ編みにしていた小妖種に、みごと命中。
「仕事をしろということだ」
「いったぁ〜・・・・」
頭を抱えてうずくまる弟子を見捨て、男は手元に目を戻した。
左右の膝の前に、二つの小山ができている。
山をつくっているのは、アルモ・ハンカと呼ばれる山の木の実だ。熟れ頃には鮮やかな茜色だった果皮が、えんじ色にくすんでいる。たち上る酒精の匂いで、漬けられていた物と察せられた。
薬師は左の山から一粒取り上げ、右手の小刀を突き立てる。手首を捻って種を刳りだし、右の山へ放る。
その時間、わずか数秒。
全く無駄のない所作が、長い経験を感じさせた。
「アイが働いているのに、弟子のお前が怠けるなど言語道断」
暖炉の傍にいる細身の女が、振り向いた。
「や、あたしゃヒマ潰しだし」
のんびりした口調で言うと、炎にかけた手鍋を揺する。気の抜けた欠伸をする姿には、緊張感がまるで無い。
手鍋の中では、薬師が種を抜いたばかりの木の実が、じりじりと音を立てて転がっていた。
「こんなモンを薬にするなんざ、薬師ってのはイイ商売だねえ」
アイが皮肉った。
アルモ・ハンカは、収季(秋)の山へ行けば何処でも採れる。
苦みが強いため、飢饉となれば口にするが、好んで食べようとはしないものだった。
「それは違うぞ、アイ」
しかしテッカンは力強く首を振る。
「私は、どうすればアルモ・ハンカが薬になり、どんな薬効があるかを知っている」
薬師に見据えられ、女の顔から薄笑いが消える。
「間違えるな。私は木の実を売っているんじゃない。薬を売っているんだ」
「ただ同然のモンを売りつけてるのは本当だろ?」
アイが憮然として言い返した。
「それが商売だ」
反論は、一言で切って捨てられた。
「それに、アルモ・ハンカはお前の薬にも入ってるんだぞ」
「あんだって!?」
「薬の全てではないが、重要な一部だ」
女が目を剥く。
薬師はアイの反応を見て鼻を鳴らし、手仕事を再開した。
「こんなモンのために、あたしゃ命をはってんのかい・・・」
なかばあ然としながら、女護衛が手元でくすぶる木の実を見下ろす。
「自分で作れると思うか? それなら、作ってみることだ」
どこか笑いを含んだ声で、薬師が言う。
師匠の横に戻った弟子が、仕事(球根の皮剥き)をしながら言い足した。
「姉ちゃん、良かったじゃん。そしたら晴れて自由の身だよ」
「っく・・・!」
意地の悪い笑顔の小妖種へ、アイが忌々しげな視線を送る。
持病を治す薬と引き替えに薬師を守る、というのが彼女の建前だ。
その裏にある、決して言えない本音を、タジーは突いていた。
テッカンがちらりとアイを見て言った。
「何なら薬師の基本から教えてやろうか」
「いっそボクに弟子入りする〜?」
タジーはニヤニヤ笑いを隠そうとしない。
「て、てめーら・・・っ」
アイが、言い募る師弟をきっと睨み付けた。
「人をダシにすんのも、いいかげんにしやがれーっ!」
怒声と笑声が離れ小屋に弾ける。
これもまた、長い寒季を過ごす者達の一風景であった。