炎が揺れている。
大きな暖炉で。
時おり煉瓦の隙間から煙が噴くのは、暖炉の造りが粗いせいだろう。
赤々と燃える薪。
その上に掛けられた、無骨な鉄の鍋。
ぐつぐつ煮える汁の中、とりどりの具材が踊っている。
柄の長い杓で鍋底を掻いていた子供が、頬を火照らせて振り返った。
「ししょー。煮えたよ〜」
「ご苦労」
短く労(ねぎら)い、男は商売道具を手早く片付けた。
「鍋は私が取ろう。アイ、湯を立ててくれないか」
「あいよ」
テッカンが袖を巻くって暖炉に向かい、女は片隅に据えられた水瓶に歩み寄る。
タジーは暖炉脇の瓶から水を汲み、鍋を置く三脚の下に振りかけた。食事中に埃が立たないようにだ。ついでに手も洗う。
角の欠けた三つの椀に、とろりとした煮汁が注がれる。
いそいそと椀に匙を差し込んだ小妖種に拳骨を落としてから、薬師が食前の祈りを唱えた。
「大神の守護とギュネーの温もり、バイシューの恵みに感謝を・・・いただきます」
「「いただきます」」
三人が唱和し、感謝の印をきる。
ちなみにギュネーは火の女神、バイシュー(バイシー)は穀物の神だ。
タジーはひとしきり頭を擦ってから、ようやく匙と椀を取り上げた。
「痛いよ、ししょー」
「父祖の習いを守れ」
「だってえ〜」
「礼儀知らずの薬師は客に信用されんぞ」
「うぅ〜・・・・ふぁ〜い」
匙を咥えたまま、しぶしぶ頷く小妖種。
女はそんな会話をいつもの事と見切って、黙々と匙を動かしている。
この時代、まだ麺や餅は普及していない。
食事は雑炊が主流だった。
穀物は殻を取って搗(つ)き、具材は適当に切って鍋に放り込む。味付けは塩のみ。
実に単純だ。
調理道具と食器の少なさ、食料保存法の拙さ、また衛生面からも、これが最も一般的であり、また合理的な調理法だったと言える。
もちろん果実や葉野菜、漬け物は生食したが、おかげで寄生虫が住処に困ることはなかった。支配階級でも”腹が破れて”(寄生虫による器官損壊で)の死亡例が珍しくなかったらいだ。
地方によっては焼肉、焼魚も見られるが、一般的ではなかった。これが異風と見られていたのは、”肉を焼く者”が阿呆の代名詞にされていた事からわかる。
まことに貧相な食生活であった。
とはいえ、人類は近代に至るまで、常に生存のため食事をしてきたのであり、味を云々できる状況になかった。
その日の食物にも困る中で、どうして美味いだの不味いだのと贅沢が言えようか。
文明の機械化で失われた旧習を惜しむ声は多いが、そのような人々は、過去の暮らしの暗部にも目を向けるべきだろう。
片付け当番のアイが食器を濯いでいると、テッカンが腰を上げた。
燃えさしを摘み上げ、壁に縦線を引く。横には五本ずつ束ねられた、計17本の黒い筋が引かれていた。
小妖種の弟子が、ぷくりと膨れた腹を撫でながら言った。
「あと二日だねえ、ししょー」
「ああ」
薬師は暖炉の傍に戻った。燃えさしを暖炉に投げ入れる。
「二日ねえ・・・ここから出てくのかい? ダンナ」
言葉には離れ家から出て行くのと、村から出て行くのと、二つの意味が込められていた。
「交渉次第だな」
薬師が腰を下ろすと、弟子が椀を差し出した。洗い終わった椀には、新たに白湯(さゆ)が注いである。この辺は阿吽(あうん)の呼吸だ。
男は薬籠から木の皮を取り出した。一欠け割って、椀に浸す。
食後のお茶代わりの薬湯だ。
「検疫が終わっても居残るというなら、薪の代金を取られるだろう。村の者に宿を借りてもいい。割りに合わなければ山を下りる」
「いつもみたいに薬と相殺(そうさい)すればいいじゃないか」
布巾で手を拭ったアイが、テッカンの脇に腰を下ろした。
「無理だな。信用がない」
男は首を振った。黄色く染まった湯で口を漱ぎ、そのまま呑み込む。
「村人からすれば、我々は望まざる客人(まれびと)だ。通い慣れた村のようにはいかん」
「面倒だねえ・・・・ちょいと、あたしにもお呉れよ」
「構わんが、少しにしておけ」
「はいよ」
肩をすくめた護衛へ、薬師が椀を突き出した。アイも無造作に取り上げ薬湯を啜る。
口にした途端、女は顔をしかめた。
「ぐぇ〜。いつものより苦いな、コレ」
「胃の薬に使うものだからな」
嗄(か)れたような声で感想を言うアイに、テッカンは平然と応じる。
「ししょー、ボクも味見していい?」
「湯を足して飲め。お前には強すぎる」
「ねーちゃんが飲めるなら、ボクだって」
アイから受け取った椀に、そのまま口を付ける。
吹き出した。
「し、ししょー!? 何これ何これ何これーっ!?」
口から汁を飛ばして弟子が喚く。
「ジレの皮だ」
薬師の口元が僅かに弛んでいた。どうやら弟子の反応を予想していたようだ。
「強すぎると言ったろう。使い道は多いが、ジレの入った処方は体の弱い者、妊婦に与えてはならんぞ」
「ガキにも無理だろうねえ」
くくく、と愉快そうに笑って、アイが言い足す。
タジーは唸ったが反論を思いつかず、椀をテッカンに返した。洗ったばかりの自分の椀を取り出し、口を洗う。
「くぅ〜・・・ねーちゃん、覚えてろ〜」
「はいはい。ガキはお湯でも嘗めてな」
女が掌をぱたぱたと振るのを、タジーは悔しそうに睨んだ。
「うぅ・・・・・・・うん?」
小妖種の丸い眼(まなこ)が細められた。小さな体から、弛んだ雰囲気がすとんと落ちる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
弟子の変調に気付いた薬師が腰を上げた時には、護衛は戸口の死角に移動していた。
「大人ひとり・・・男だよ、ししょー」
「敵意は出してないね、今ン所」
「うん」
「・・・・ふむ」
アイが外套を取り、タジーは寝そべる駄獣の陰に入る。
横目で二人の動きを確かめ、テッカンは扉を開けた。
ごうっ。
高山の突き刺すような冷気が、暖かな部屋にどっとなだれ込む。
冥府の口の如く、ぽっかりと開いた闇。
そこから吹き込む寒風に混じって、ひどく慌てた声が届いた。
「おい、薬屋! 助けてくれ!」