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 巷(ちまた)の本に、「封建領主は隷従民を土地に縛り付け、所有物として酷使した」とある。


 ウソである。


 クレルヴやキッシュボーならいざ知らず、少なくともこの時代、この大陸に関して言うならウソっぱちだ。

 武力で領地を支配した豪族の中に、傲慢で唾棄すべき人物がいたのは事実。

 だが領主という領主がみんな、そんなバカモノ揃いだったはずがない。それでは人が居着かない。自動化機械の存在しない時代、人的資本がなければ何事も成し得なかった。

 人食いシャラカーや貪婪(どんらん)のリホンごとき極道が歴史に名を残したのは、それが例外だったからだ。


 この当時、諸国は開かれていた。

 旅行許可を取るのに二旬も三旬も待つ必要はなく、滞在許可証もいらなかった。国境を塞ぐ長大な鉄条網もなく、国民総背番号制などという窮屈な制度もなかった。そもそも制度を建てる主体が確立していない。そのかわり、何があっても当局は関知しなかった(もちろん疫病の流行時は別である)。 

 見方によっては大らかというか、呑気な時代といえよう。

 本人が望み、才気があれば、大陸を端から端まで渡り歩くこともできた。”幸運児”と呼ばれた大放浪者シゥアヘンは有名だ。

 ただしこれは通行権の保障と言うより放置、放任であって、完全なる自己責任だった。

 先にも述べたが、治安組織は存在しない。野盗山賊は全域に蟠踞(ばんきょ)しており・・・というか領主階級がそもそも山賊上がりだったり、盗人の元締めみたいな連中だから、法秩序など生まれようはずもない。

 旅人は悪党どもの脅威におびえながら、コソコソと移動するのが常だった。

 性質(たち)の悪い領主か追い剥ぎにでも目を付けられたら、もうお終いだ。

 身ぐるみ剥がされ、舌を割かれ、両足の腱を切られて街道に置き去りにされる。運がよければ通りすがりの旅人が喉を掻き切って楽にしてくれるが、最悪の場合、死ぬまでえんえんとのたうち回る羽目になる。

 今でも田舎を通ると、道端に苔むした石塔がずらっと並ぶのを見かける。これは境界石でも里程標でもない。

 古来よりこの世界には、無縁仏がいくらか集まったら(地方により五から百まで多寡は異なる)まとめて供養するしきたりがあった。石塔はそのしるしなのである。

 そんな不吉な石柱が、見えない所まで続いている・・・・

 旅は、本当に命がけだったのだ。

 何とも暗澹(あんたん)たる気分にさせられる時代背景だが、それとても人々には慣れ親しんだ状況に過ぎない。

 それに本当の意味で孤立した町が存続しえないのと同様、旅人は皆、必ずと言っていいほど旅先の人々と縁を結んでいた。

 顔見知りがいなければ、来訪した町や村は受け入れてくれないかもしれない。そうなったら野宿だ。その頃の野宿は危険が大きかったから、みんな嫌がった。

 だから行商人も旅客も、あちこちで顔を売り、知り合いを作ろうと必死だった。名乗りを交わせばもう友達で、並んで食事をすれば親友で、一日旅程を同じくすれば生涯の友とまで呼んだ。

 もちろん本気で言ってるわけがないけれども、必要が彼らをそうさせていた。今では「顔の広さ」を示す慣用句になっている”ルキ・トホギ・アイナールゥ(知友千人)”という言葉は、この頃に生まれた。

 人間一人の世界は狭く、村から出ることなく老いる者も珍しくなかったが、一方において人も物も、ゆっくりではあるが着実に動いていた。

 テッカンたちが生きているのは、そういう時代である。











 

 ガラブの日の出は遅い。

 山間にあるため、どうしても東方の峰々がジャマになる。村人は最もしぶとく陽光を遮る岩山を、シヨシと呼ぶ。「のっぽ」という意味だ。

 薄ぼんやりした陽光が、頼りなげな明かりを地上に届ける頃。

 凍り付いた寒村の一角で、ほふほふと熱い息を吐き、体から湯気を立てる者達がいた。


「ししょー、また来てる〜」


「放っておけ」


「は〜い・・・」


 どこか現実離れした光景だった。

 寒季の高地だ。気温が氷点下を上回る朝など、まずない。じっさい、出歩いてる村人を見て欲しい。毛皮の外套に毛織の上下を何枚も着込んでなお、骨まで鳴らして震えてる。

 なのに柵の中では、肌着一枚で鼻頭に汗まで浮かべているのだ。

 薬師を名乗る男と若い女、小妖種の子供。さすがに女は外套を羽織っているが、額の汗を見ると、寒いわけではないだろう。

 彼らが何をしてるのかというと、ただ手足を揺らめかしてふらふらしているだけ。

 三人揃って手足を突き出し、また曲げ伸ばし、腰を捻り、首を振る。

 いちおう踊りのたぐいに見えるが、珍妙なことこの上ない。


「続けるぞ。集中しろ」


「う、うんっ」


「アイ、肘が重いんじゃないか」


「少しね。あとで見とくれよ」


「わかった」


「ダンナは肩かね」


「む」


「夜にでも揉んでやるか?」


「それは弟子のボクの仕事だよっ」


「チビスケにゃ、手に余るさね」


「うぅ・・・」


 部外者には暗号みたいな会話の断片。

 耳鳴りがするほど冷え切った青空の下。

 見ているほうが苛々するほど、ゆったりと舞う三人の他所者。

 ここ数日の間に、村人のほとんどが目にした新奇な景色だった。


「なんつーか、ケッタイな踊りだわなあ」


「んだ」


「ムムタスで見たバイシー(穀神)様の踊りより変だわな」


「おめえ、毎日それ言っとるな」


 柵から数歩はなれた場所で、不躾な視線を投げかけながら、村人が勝手な寸評をする。

 とはいえ、薬師たちにも慣れた事だ。

 新たに赴いた村では、まず同じような見物客が沸く。

 見てるだけなら無害だし、飽きればいなくなるから、放っとくに限る。


「ありゃあ、ナニしとるだ?」


「おう、おはようさん」


「寝呆助のセヘム爺さんかい。よく出てこれたの」


「おっかあに追い立てられたでなあ」


 薄くなった白髪をかく老人に、村人たちは声を立てて笑う。


「んで、あいつら何の踊りしとるだ」


「薬師の舞の稽古だとよ」


「ほ?」


「スワライ(薬神)様に奉納する踊りっちゅうたの」


「んだ」


「ほ〜」


 ・・・・彼らは知るよしもない。

 ただの踊りなら、護衛の女が付き合うはずがない。

 何の目的も利益もなく、「薬師の稽古」を倣い覚える道理がない。

 そんな酔狂な性質ではないのだ。

 風になびくチャンチュ草に似た、ゆったり風味の踊りに、どんな意味があるか。

 それを知るのは舞い続ける三人。

 そして、彼らを襲った悪党どもだけなのである。

 




















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