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 天から降りかかる雪片。

 地から這い上がる冷気。

 前方から放たれる視線。

 陽気な歌声の途絶えた森は、居心地の悪い空間へ急速に変化した。


「・・・・・・・」


 鋭い矢尻を向けられた男は、木の枝を手放した。両腕をゆっくりと上げ、頭巾を後ろに落とす。


「私はマツカゲのテッカン。薬師(くすし)を生業としている」


「マツカゲ? 聞き慣れぬ土地だが」


「遠い、とても遠い場所だ」


 おいそれと帰ることが出来ない、帰り方すらわからない故地。


「他の者は」


「私の弟子と護衛だ」


「クア統ンディペナ族のタジー。ししょーの弟子だ」


 駄獣の陰から小妖種が続ける。

 さらに後を追う女の物言いは短く、詮索を拒絶していた。


「アイ。こいつらの護衛」


 矢をつがえた女は冬の冷気を凝縮したような眼差しになった。


「流れ者にコソドロ紛いに前科者か」


 テッカンは軽く肩をすくめた。タジーは口をへの字に曲げたが、いつもの軽口は封印している。アイは目を細めたまま聞き流す。

 身元の怪しい他所者に対して、この程度の反応は常識の範囲内だ。


「どこから来て、どこへ向かう。目的は」


「シエシオからマラダ峠を越えてきた。冬を越えたらシエシオに戻る」


「薬を売りに来たのか」


「いや。ここには道を誤って来ただけだ。冬営だけさせてもらいたい」


 明快に否定した男をジロリと見て、女代官は訝しげに顎を引いた。


「長逗留するのに商売気がないのか、薬屋」


「紹介状もない流れ者の薬など、誰も欲しがらないだろう」


「・・・・その通りだ」


 女はつがえた矢を外した。


「一応訊いておくが、我が村に逗留できなかったらどうするつもりだった。


「もっと下の村に行くだけだ」


「それは許可できない。ガーイーの峰を越えて来た者は例外なく、離れ小屋で二旬(二十日)を過ごしてもらう」


「アクリモオッズバリ・ク・トンガンか」


「そうだ」


 長ったらしい専門用語で聞き返したテッカンに、女は視線を鋭くして応じた。

 アイが眉に皺を寄せて薬師に顔を向ける。


「あー・・・アクリモ何だって?」


「隔離検疫。他所者が悪い病気を持ちこまないように、しばらく隔離しておく事だ」


「ふぅん」


「つまり、山の向こうで死病が出たということか」


「ケザルだ」


「「!!」」


 薬売り一行の顔に緊張が走った。

 ケザルは”白い顔の死”で知られる伝染病だ。この時代は治療法がなかった。

 罹患したら、神々に祈るしかない。


「我が村で二旬の間、耐えるか。ケザルの沸いた山向こうへ戻るか。お前達が選べるのは二つに一つだ」


「三つだろ」


「なに?」


「三つ目の選択肢がそこらに転がってるじゃないか」


 アイが顎をしゃくって地面を示す。


「お前達が”それ”を望むなら、な」


 いちど手から放した矢を、代官はゆっくりとつがえなおす。


「アイ、やめろ」


「・・・・・・・」


 肩をすくめた護衛を一睨みして、テッカンは代官に軽く頭を下げた。


「隔離検疫を受け入れよう。入村を希望する」


「・・・・村の入り口は、こっちだ」


 女代官が一行に背を向けて歩き出す。

 薬売りたちはほっとする暇もなく代官を追った。 


















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