時の流れが急速になった今では想像もつかないが、かつては、世界のあらゆるものが停滞する時間が存在した。
寒季(冬)である。
空はくすみ地は枯れ果て、川は痩せ細り獣も隠れる。昂ぶるものは、ただシーダーの海とホージャーの山と、タイッナが歌っている。
当時の人々にとって、寒季はおそろしく単調な季節だった。何しろする事が三つしかなかったのである。すなわち、飯を食い、手仕事をし、寝る。それを花季(春)まで延々と繰り返す。
この寒く長く重苦しい忍耐の期間があってこそ、人は花季の訪れに欣喜雀躍できた。
見よ、辛い寒季を知らぬ人々の、キーシェ(花冠)祭のしらけぶりを。かつての祭に見られた熱狂は、現代人に想像し難い。
干しレンガで組まれた粗末な暖炉が、室内をほのかに照らしている。
部屋の天井は低く、土壁は厚く、窓は小さい。これは高地式の建物に共通の、暖かさを逃さない造りだ。
今の時期は窓も閉め切り。雪除けに、外から板で打ち付けられた窓もある。明かり取りの用は全く為さず、揺らめく炎がほぼ唯一の光源だ。ガラス窓などという便利な代物は、もっとずっと未来にならないと登場しない。
その部屋の一隅。
大振りの椅子が二つ、暖炉を囲んで据えられている。
一つに少女が座り、一つは空いている。
伝説の四つ腕巨人(ユゴリット)でも座れそうな椅子は、明らかに小柄な少女の身に余る。真っ直ぐ座ったら、背もたれに首が曲がって苦しいことになるだろう。実際、その少女は、右の肘掛けにすがりつくようにして、何とか椅子に体を預けていた。
薪が弾ける。
揺れる炎に、少女は目を瞬かせた。傍らに積まれた皮紙の山へ、手元の書巻を放り出す。軽く首を振り、書巻を支えていた手首をくりくりと回す。
小机に置かれた水差しに腕を伸ばす。指先まで隠れる長い袖から、薄闇の暗さをまとった手が覗いた。
「失礼します、トゥーラ様。おそれながら、またしばらく席を外させていただきます」
扉が叩かれると同時に開き、冷えた空気と冷めた言葉が流れ込んできた。
「何事か、ヤナ。えい、冷えるわ。そこを閉めよ」
「は」
入室した女性は背筋を伸ばし、軍人略礼をした。
「それで、どうしたのじゃ」
「ガーイーの峰から人が降りてくるの見たと、村の者が申しています。村に入る前に、身元を検(あらた)めねばなりません」
「ほう?」
気怠げに女を眺めていた少女が、しなやかに背を伸ばして姿勢を正した。
「ガーイーとな。寒季の山越えとは、酔狂よのう」
「子連れの夫婦らしいと」
「なんと、この季節に。はてさて、何をしに来た者か」
「何をしてきたかを尋ねるべきやもしれませぬ」
「・・・・ふむ」
少女はすっと目を閉じた。一呼吸おいて立ち上がる。
「カイジャを呼べ。外套を出させよ。我が直々に検分してやろう」
「おそれながら」
予期していたように素早く、女が右の掌を少女へ向けた。
「彼奴らが何者であれ、トゥーラ様のお手を煩わせるほどとは考えられませぬ。私めが参りますゆえ、お心安らかにお待ち下さいませ」
女の口調は丁寧だが、そこらの男なら裸足で逃げ出す迫力を伴っていた。さらに言うなら、彼女の雰囲気は上っ面だけではない。ヤナは国一番の剣士なのだ。
しかし少女も負けていなかった。
「家族連れのガーイー越えなど尋常ではあるまい。万が一にも悪い病など持ち込まれては、領主の恥ぞ」
「今日は特に冷えまする。領主の権は健やかであってこそ。トゥーラ様が悪い病などを召されては、陛下にご迷惑となりましょう」
「いざという時に外にも出られぬとあっては、それこそ迷惑千万な領主であろう。権は剣より出でる・・・我は剣を持たぬが、陛下より預かりし封土を守る覚悟はかたいぞ」
「・・・・・・」
少女は気がつくと肩をいからせ両手を握り、女は女で腕組みして少女を睨め付けていた。
やがて二人は相手の様子に気がつく。すぐにそれぞれ、自分の姿勢を省みて正した。
「つまりだ、ヤナ」
少女は空咳をすると、相手にクセのある笑みを投げかけた。
「我は退屈なのじゃ」
「・・・・・お好きになさって下さい」
女は投げやりに応じて、隠す素振りも見せずにため息を吐いた。