鉛色の川面に、歪んだ太陽が映る。
曇天をようやく貫いて届いた光は、不景気にくすんで見える。
花季の日差しが待ち遠しい。川べりに座り込んだ女は素直にそう思う。
彼女は頬杖ついて待つことに耐えていたが、あくびは我慢できなかった。都会娘だったら、二度と人前に出られないような大あくびをする。
”ウフ〜”
「はいはい」
唸り声に催促され、アイは空いている腕を動かす。
頑丈なツアン樹でつくられた櫛が、剛毛に引っかかってガリガリと鳴った。
森の王と畏れられる猛獣が、女の傍らですっかりくつろいでいる。
何かが間違ってる、ゼッタイおかしい・・・牙獣の背を梳きながら、アイは違和感を拭えなかった。
神にも擬せられる災厄の象徴が、身重の毛獣よろしくごろんと寝転がっている姿は、長年の先入観を覆すに十分だった。
振り向けば、毛氈(もうせん)に野草を並べる薬師(くすし)の師弟がいる。
樹林から採集してきた薬種を、明るい場所で選別にかけているのだ。
ふと顔を上げた弟子と目が合う。
小妖種のタジーが小首を傾げた。
「ししょー。ここんトコ、ウルルってすっごい眠そうじゃない?」
「冬眠が近いんだ」
薬師は手を動かしながら、短く答えた。密に並べられた草から、赤茶けた葉を摘み出しては捨てている。
「私たちもそろそろ、寒季の居場所を決める必要があるだろうな」
「町はやめよーね」
「・・・・ああ」
素早く反応した弟子を、テッカンは横目で見た。
小妖種は南方渡来の異人種だが、当時は黒妖種や赤妖種と同様に「異人類」と見なされていた。流入の歴史的経緯、そして大陸全体の知的水準の低さのため、白黄種以外の人々は長きにわたって恒常的な差別を受け続けた。そもそも白黄種同士であっても、民族が違えば差別が当たり前だった時代である。
タジーは薬師の見習いとして身なりを整えているが、偏見に満ちた都会では、いわれのない暴言、暴行を受ける事があった。今でも時々、白黄種の子供に石を投げられる。
田舎の村々でも偏見はあるし、むしろ農村のほうが住民の目は厳しい。しかし小さな村では来訪者の情報がすぐに行き渡るし、腕利きの薬師は貴重な存在だから、問題が起こる可能性はずっと低かった。
「んで、どこに冬篭りするんだい」
「”彼女”に聞け」
薬師は顎をしゃくった。
「巣の母の決めることだ。私たちはその近くに泊まるしかない」
「・・・・・・」
アイは傍らの大きな毛玉を見下ろした。
「おっかさん、か・・・・コイツがね。しっくり来ないったらまあ」
背を掻かれて目を細める牙獣が、耳をひくつかせた。
「今さら何を言ってる」
テッカンが顔を上げた。ずっと曲げていた腰に手を当て、背筋を伸ばす。
「ウルルが雄だったら、私たちはとっくに腹の中だ」
”ウ〜フ”
「そそ。子供を食べる母親なんて、そーそーいないでしょ」
「自分のガキを売るロクデナシは、いくらでもいるけどな」
「・・・・・・・・・・・・・」
吐き捨てるようなアイの台詞に、タジーを喉を詰まらせる。何の気なしに漏らした言葉が、彼女の過去をかすめたと気付いたからだ。
テッカンは二人の顔を交互に見て、何も言わず自分の仕事に戻った。
過去と対峙する手助けはできても、過去を変えることはできない。
重くなった空気に気まずさを感じて、アイが視線を遠くへ向ける。
牙獣が長く息を吐いた。耳が震え、剛毛が波打つ。
”ウフ〜・・・・”
アイはウルルの唸り声に目を丸くし、すぐに頬へ血を上らせた。
「余計なお世話だっての」
”ウフ〜フフッ”
「だーっ! オマエは何でそんなに偉そーなんだーっ?」
「ねーちゃん、頼むから人間の会話をしてくんない?」
「ウルルに言えよう!」
「牙獣が人の言葉を話せるわけないじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
返す言葉が見つからない女の横で、ウルルが喉を鳴らした。