前へ 次へ
Top 目次









「見送りに感謝する。世話になった」


 褐色の頭巾を取らぬまま、野太い声が感謝の言葉を綴る。簡潔だが、押し殺すような語り口に複雑な感情が滲んでいた。


「こちらこそ。再戦の機まで、お互い一層の精進を」


 よく通る声が、これまた簡潔な返礼をする。こちらは裏を感じさせない澄んだ響きだ。


「・・・・・・・・さらば」


 ごろごろと喉に当たる声で別離の挨拶を終え、客人が背を向ける。

来訪時に威勢良く張っていた胸は、見る影もなく萎んでいた。肩も落ち、十歳も年をとったように見える。凍りついた道を踏みしめる足は、ひどく重そうだった。

 ちらちらと白いものが舞い落ち、外套を斑(まだら)に彩る。

 雪降る空を見上げれば、正面にチャンデルナゴルの高峰。

 曇天に屹立する孤高の山は白雲に霞み、背筋に冷たいものが走るほどの峻厳さを漂わせていた。

 遠来の客人を見送る麗人は、村を抱く霊山と、どこか似た空気をまとっている。

 女は氷柱(つらら)のような美貌を冷気に晒したまま、去り行く影が木立に隠れるまで身じろぎもしなかった。








 隔絶された僻遠の村、ガラブ。

 集落から少し距離をとった場所に、小さな館がある。

 いい加減な木の柵に仕切られた平屋だが、堀っ建て小屋に毛がはえた程度の家並の中、唯一「建築物」と呼べるものだ。

 見送りを終えた女は、村落を軽く巡回してから館に戻った。見回りは仕事の一つだ。なぜなら、彼女はガラブの代官だから。

 この時代には珍しい女の行政官。名をヒナンヤーナと云う。親しい者からは単にヤナと呼ばれる。

 その女代官ことヤナが館の扉を開けると、ウワハイの鈴のような高い声に迎えられた。


「客人は帰ったか」


 相手はいつも奥の部屋にいるが、小さな建物だから、声と音がよく通る。


「はい」


 ヤナは返事をしながら肩にかかった雪を払う。外套を廊下にかけると、朱塗りの革鎧が露になった。奥の部屋に入り、中の人物に一礼する。実戦用の細剣が揺れ、金具がかちんと鳴った。


「長く外しました。トゥーラ様」


「構わぬ。礼を守り、顔をつないでおくのは大切なことじゃ。ご苦労であった」


「ありがとうございます」


「ユンドウの大隊長、か。なかなかの仁であったな」


「はい」


 ヤナの話し相手は、まだ大人と呼ぶには早い娘だった。黄昏に溶け込むような薄闇の肌から、純粋な白黄種でないことが見て取れる。

 少女の名はトゥリチャラ(トゥーラ)。ガラブの領主であり、ヤナの唯一の上司でもある。

 暖炉の火を頼りに書巻を読んでいたトゥーラは、部下にちらりと目を遣り、訝しげに首を傾げた。


「なんじゃ、鎧なんぞ着おって」


「念のために」


「ふん・・・キザンの愚か者のせいじゃな。先ず着替えるがよい」


「は」


 退出するヤナを眺めて、トゥーラは溜め息を押し殺した。

 半年ほど前のことだ。ヤナに破れた異国の剣士が、別れ際に斬撃を放って意趣返しを図った。とっさの攻撃にヤナは手加減できず、その阿呆は利き腕を失うことになった。

 彼女の革鎧は、同じ失敗を繰り返すまいという気持ちを示していた。


「贅沢よのう。相手など選り取りみどりであろうに」


 少女は暖炉に向かって呟いた。











 ガラブの代官ヒナンヤーナは、領主と並んでよく知られている。

 ただし、若くして”悪名”を轟かせるトゥーラとは、その方向性が大いに違う。

 ヤナはまず(当時の旧弊であるが)「女だてらに」剣を握ることで有名であり、次にその流麗かつ卓抜な剣技で有名であり、さらに結婚しない美女として有名であった。

 というのも、ヤナは王家を守り続けてきた守護戦士の家系に連なっていた。そして武を司る一族の後継者として、結婚相手に「自分より強い殿方を」という条件を挙げていたのである。

 残念な(?)ことに、国には彼女と対等に渡り合えるほどの戦士がいなかった。王の最高剣士カラーならばと言われていたが、カラーは妻帯者であり、しかも鴛鴦(おしどり)夫婦として有名のため、結婚は望めない。適齢期にあたる剣士はことごとく敗れ去り、彼女の親族に血統の断絶まで懸念させていた。

 そんな彼女の勇名を不動にしたのが、セイベ王子との対決である。武闘派で知られ、すでに結婚していたが、側室でもよかろうという話だった(政略結婚の正妻と仲が悪かったと言われる)。

 守護戦士の一族が王家に入った例はない。皆がヤナに八百長試合を要求した。「ちゃんと負ければ」、平民に毛が生えた程度の武士階級が、愛人とはいえ王族に仲間入りできるのだ。


 しかし結果は・・・・言うまでもないだろう。


 彼女は未だ独身であり、守護戦士の任を解かれてガラブ(どん詰まり)の村に居る。









 この狭い国で彼女が強すぎるのか、それとも男が弱いのか、それはわからない。ただ、傍迷惑な彼女の振る舞いにも、わずかながら利益があった。

 マドヤシュクの美剣士の名は、「決闘で勝てば彼女を手に入れられる」という無責任な噂を添えて、国境を超えて広まっている。近隣諸国から腕に覚えのある猛者が訪れるようになり、何の特徴もない貧乏集落に、ささやかな賑わいと貴重な外貨をもたらしていた。


「のう、ヤナ」


「何でしょうか、トゥーラ様」


「そなた、本当に結婚したいと考えておるのか」


「もちろんです。私とて女。これぞという殿御に身を委ねたい気持ちは持っています」


「なれど、そなたが決闘した相手を数えてみよ。居並ぶ豪傑を前にして、一人として胸ときめかなかったというのか?」


「残念ながら。仮にそのような事があったとしても、私を超える器を示して頂かねば」


「やれやれ・・・・」


 小さな領主はひどく大人びた苦笑を表した。


「ほんに、ヤナは不器用じゃの」


「それはお互いさまかと存じます」


「・・・・・・・黙りや」












前へ 次へ
Top 目次