国と時代に関わらず、旅人は何かと問題に巻き込まれやすい。
女性は尚更のこと。
社会文化に由来する性差別とか、治安制度の不備とか、教養の欠如とか、原因はいくらでもあろう。
だがそんなことを議論するのは、しょせん第三者の暇潰しだ。生きている者は、差し迫った現実の脅威に対処しなければならない。
「だとしても、だ・・・・・」
男が唸った。
「これはやりすぎじゃないか。アイ」
返事は言葉でなく、鼻を鳴らす音だった。
「自業自得さね。センセーだって見てたろ、あたしは何度も忠告してやったんだ」
「・・・・まあな」
溜め息を零す薬師の足元に、白目を剥いた男が転がっている。ここと、あっちと、さらにその向こうにも。
「ほら、突っ立ってないで、手伝っとくれよ。このゴミを掃うんだ」
アイが軽く手を打ち合わせた。
今日は比較的大きな村での泊まりとなったため、ちゃんとした宿屋が見つかった。
ちなみに「ちゃんとした」と言ってもこの時代、この地方の話であって、我々の考えるところの「ちゃんとした宿泊施設」とは大いに異なる。
そもそも宿屋とは「安心して眠れる空間」に過ぎない。基本は、民家より少し広い土間で、壁際の暖炉を半円に囲んで雑魚寝(ざこね)である。食事を自分で作るのは言うまでもない。
え、個室? そんな無駄なものはない。
土間に寝るのだから寝台もない。あったらあったで追加料金を取られるし、板張りの硬い寝床では土間に寝るのと大差ない。それに下敷きと上掛けの毛布だって別料金だ。
もちろん浴室もない。体を流したいなどと言ったら、風邪を引くからやめろと止められるだろう。
ちなみに便所は、都市なら各所に公衆便所(タベイ)があり、田舎は・・・・そこらに都合の良さそうな茂みがいくらでもある。
これが「ちゃんとした宿屋」である。つまり風雨を避けられて野盗や獣の心配をせずに済む、というの程度のものなのだ。
もちろん建物がちゃんとしていても、泊り客がちゃんとしている保証はない。
だからアイの足元に男達が転がっているのだ。
「ったく、せっかくマトモな宿屋に泊まれるってのにさ。けったくそ悪い」
アイが悪口を吐き捨てながら、正体を失った中年男を壁際に押しやる。
「ねーちゃんがそんなカッコだからじゃーん」
炎の傍でうずくまる小妖種の子供が、首だけを女に向けた。
「しょうがないだろ。もう寝るだけだったんだから」
体の線が露になった藍色の上下を見下ろして、アイが長い息を吐いた。
鋭い眼差しときつめの口調で中性的な印象を与えるアイだが、外套を脱ぐと女性を強調するような姿になる。
アイは護衛という役割上、どうしても身動きのしやすさが優先される。体にピッタリした服装なのは、そのためだ。
いつもはヒダの多い厚手の外套で体形を隠し、余計な揉め事を免れているが、今日は運が悪かったらしい。アイの姿を見て商売女と勘違いした愚か者が、強引に同衾しようと持ちかけて、痛い目にあったわけだ。
この時代はどこの国でも、女性はゆったりした服を着て、肌と体のかたちを隠すのが通例だった。緯度の高さからくる気候対策もあったが、主因は異性関係の自衛だ。非常に性犯罪が多かったわけで、アイのような軽装は、誤解されたとしても仕方ない面があった。
ゴタゴタが収まり、他の同宿者もようやく落ち着いた様子に見える。
テッカンは薬籠によりかかって土間を見回す。そして欠伸しながら言った。
「ともかく、これで寝込みを襲おうなんて考える者もいなくなったろう」
弟子のタジーが答える。
「そりゃ、今の立ち回りを見ちゃったらねえ」
二人の言葉に、女の腰周りを盗み見ていた連中が、さっと視線を外した。
「やれやれ、センセーは甲斐性がないねえ」
自分の毛布を取って師弟の間に腰を下ろしながら、アイはテッカンのつむじに皮肉を落とした。
「そこで”安心して寝ろ。私が守ってやる”くらい言えば、少しはモテるようになるだろうさ」
「一介の薬師が、腕利きの護衛に向かってか?」
なにしろ大の男三人を、瞬きする間に気絶させる女である。
「だから甲斐性なしって言うのさ。要は気持ちだよ、キ・モ・チ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
アイの軽口に、反応はなかった。
見ると、テッカンは毛布に顔を埋めて瞳を閉じている。無駄な会話は終わりだ、と態度で示しているようだった。
「ったく・・・・・」
ぶつぶつと呟きながら、アイも目を閉じる。薬師の肩に体を預けて。
(「一介の薬師」が、どうしてマシュ・キラトンの針に勝てるのさ・・・・)
そんな思いを呑み込みながら。
翌朝−
薬師を押し倒す形で熟睡していた女が、目覚めた途端に真っ赤な顔で相手を張り飛ばすことになるのだが、それはまた別の話。