前へ 次へ
Top 目次






「神意に人心の敵わぬこと、斯くの如し


 昨日に英雄と称えられた身が


 今日は芥(あくた)と混ぜて棄てられる」


ナルキエン作 歌劇”マーバンサの失脚”















 王城は、国家の中枢である。

 もちろん例外はある。長い歴史を持つ国なら、時には宰相府や軍務庁が国の要となることもあろう。交易都市では、どこぞの商館が事実上の政府ということも珍しくない。

 しかし、ここはカーネだ。現国王が居る限り、王城が国家経営の根幹であることに、何人も異存はなかった。

 年季を重ねた城にありがちだが、カーネの王城もまた独特の造りとなっている。幾度かの焼失と崩壊、再建と拡張を経て、新旧の様式が不可分に入り混じってしまった奇態な構造物。これをツォンクル(キマイラ)建築と呼んだのがハコヤラだ。

 新旧の各施設は不可分ではあるが、管理の便宜上、旧城と新城に分けられている。比較的構造が単純で、移動の容易な区域が新城だ。迷路のように複雑で天井の低い旧城は、王城が激戦地の要害だった時代の名残である。現在、生活と政務は大部分が新城で行われ、古い区域(旧城)は各種物資の貯蔵庫か緊急時の避難所と見なされている。

 余談だが、後世にカーネ城の遺構が調査された際のことだ。旧城の裏庭と思しき一隅から、犬歯を抜かれた大量の人骨が出土した。王城建設のために使役した捕虜(捕虜の犬歯を抜くのが旧時代の通例)を埋めたと推測される。発掘時の状態から埋葬したものでなく、折り重なるように放り捨てられたとわかっており、当時の人命の軽さがうかがえる。


 閑話休題。


 旧城は何度もの戦火を耐え抜いた要塞だった。そして言うまでもなく、要塞は防禦を最優先に構築されており、生活の利便性は二の次三の次である。不案内な者が入り込んだら、たちどころに迷って頭を抱える羽目になるだろう。

 その旧城の、暗く狭い通路。

 湿った石畳を、よく磨かれた革靴が踏みわたる。足運びは確かで、分岐点でも踏みとどまる様子はない。人影は腰をかがめて門をくぐり、いくつかの建物を抜け、やがて昼でも灯火の要るような半地下の通路にたどり着いた。

 いくつもの扉が並ぶ廊下。その中に、二人の番人に守られる部屋があった。


「私だ」


 氷柱のような声が番士に告げる。かがり火に顔を寄せた声の主は、まだ若く目付きの鋭い男だった。


「状態は」


「変化なしです」


「そうか。開けろ」


「はっ」


 番人の一人が遅滞なく錠を外し、道を開ける。軽く頷き、扉の前に進む青年。揺れる炎に、着衣がちらちらと反射した。この艶は、細心の注意をもってなめされた舐獣(ポウツ・マデイマ)の革特有のものだ。高級品である。


「失礼する」


 鉄板で補強された厚手の扉が、重々しい軋み音をたてて開かれる。

 肌に絡む湿気と鼻に障る臭気が青年を迎えた。 

 狭い部屋だった。

 ただでも天井が低い旧城で、ここはさらに低い。長身の青年は、首をすくめ腰をかがめなければ立っていられない。

 奥行きは寝台一つ分。幅は、大人の歩幅で二歩も歩けば壁にぶつかる。

 壁に備えられた鎖留めの鉄輪を見るまでもない。誰でも一見して、ここが牢屋だとわかる。

 ただ一本の灯火に照らされた牢内は、汗と吐瀉物と糞尿のまざりあう、凄まじい悪臭で満ちていた。鼻の効く者なら失神したかもしれない。

 明らかに場違いな青年は、顔をしかめつつも鼻を押さえようとはしなかった。貴公子然としているが、意外に強靭な精神の持ち主と思われる。

 彼の目は、腰掛とも寝台とも取れる横長の石に向けられていた。

 大柄の男が転がっている。

 何ともみじめな有様だ。

 伸びた髪と髭は自分の反吐でミゾレ混じり。痩せこけた頬は、鉛白を塗られたように不自然な白さ。どす黒く変色した唇はぶるぶると震え、呼吸は細く頼りない。

 着衣は薄いボロきれ一枚のみ。掛け布は汚物で斑に染め抜かれ、もはや雑巾と変わりない。


「気分はいかがかな」


 青年の声に、寝台の男がのろのろと首を動かす。その瞳は白内障の狗獣さながらに濁り、ハナンの火口のように落ち窪んでいた。

 男と目が合った青年はこめかみを引き攣らせたが、それも一瞬のことだった。拳を握り、わずかに口の端元を引き締めて感情の表出を食い止める。


「ごきげんよう、テッカン殿」


 返答は吐息に混じった低い唸り声だった。



 テッカン


 カーネの軍神。


 わずか一個軍団で両手に余る城市を陥落させたゲッハンセドーン(攻城者)


 魔神の使いと恐れられ、天下無敵を謳われた偉丈夫。


 荷車に満載された戦利品を背に、民衆の歓呼を浴びて凱旋した不敗の猛将。


 そのテッカンが、牢屋にいる。



「此度の不幸な事件に関する知らせと、軍務庁の判断を伝えに来た」


 青年は軍人の習性か、物を言うとき反射的に胸を張ろうとしたが、天井に頭を擦り付けるだけに終わった。


「恐れ多くも陛下の執り行われた祝賀会で、貴殿の杯に毒を盛った輩がいたわけだが・・・犯人は料理などを運ぶ下役に紛れ込んだ侵入者だった。だが、捕縛直前に自ら命を絶った」


 残念だ、と首を振る青年。

 病床の男は、無言で不規則に息を漏らしている。


「背後関係は不明だ。内務庁が調査を続行中だが、心当たりが多すぎて困っている。わかっている事は以上だ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


「次に、貴殿の処遇に関する件であるが」


 もったいをつけるように、青年が空咳をする。


「軍務長官ロヒ・カーヌ殿は、貴殿が軍務を続行する能力に欠けるとの判定を下された。よって本日の正中点(正午)を以って、テッカン殿は将軍職を解かれた。またこれと同時に退役を命じられた。今後、長官の許可なく軍関係者と接触を持ち、また庁舎を訪ねることは許されない」


「ただし貴殿は不幸な事件の被害者である。今までの功績を鑑みた陛下のお計らいにより、貴殿は今後も二旬の間、当室での療養を許される。退室の時まで快復に努められよ」


 青年は堅苦しい口ぶりで、身動きもままならない男に告げた。

 彼が言ったのは、つまりこういう事だ。


 一服盛られた瀕死の将軍なんて使いようがないからクビ。

 んで、目障りだから二度と顔を見せるな。

 ただし国王陛下のありがたーいお情けで、二十日間はここに居ていいよ。

 でも期限が過ぎたら、アンタがどんな状態だろうと放り出すからね、と。


 どうしようもなく酷薄で一方的だが、テッカンが傭兵である以上、正論というほかなかった。傭兵の処遇とは、古来よりこういうものなのである。


「貴殿には規定の退職慰労金が支給される。今後の生活に役立てると良いだろう」


 ちなみに将軍として退役するのと、将軍を解任されて辞めるのでは、慰労金の額に大きな違いがある。無論、前者のほうが高額だ。


「・・・・・・・・・・・・お・・・・」


 テッカンの、肉が落ちて皺の目立つ首が震えた。ひゅうと喉笛が鳴る。


「何か」


「お・・・れ・・・・の・・・・・ぐん・・・・だ・・・」


 瀕死の這い鳥より細い声が漏れた。


「テッカン殿の軍団? そんなもの」


 顎をしゃくろうとしたのか、青年が顔を上げた。しかし天井に頭を抑えられ、不快気に顔をしかめる。


「貴殿が指揮していた兵はハガリ人どもの反乱で全滅した。もはやこの地上にゲンジ軍団は存在しない」


「!!」


 テッカンの息が詰まった。乳白色に濁った目が大きく見開かれる。


「占領地を失落するなど、本来なら許されざる失態。だが貴殿の状況を酌まれた長官のお目こぼしで、解任と退職だけで済ませてやるのだ。感謝してもらいたい」


 寝台に臥した男が、ごろごろと喉を鳴らした。言葉を紡いでいるつもりだが、力が足りないのだ。


「かん・・・じ・・・・・て・・・・・め・・・・ぇ」


 辛うじて単語となったものすら、かなり聞き取りづらい。しかし青年は正確に理解し、そして返答した。


「気安く話しかけるな。もはや貴殿はカーネ人でも、カーネの軍人でもない。ただの流れ者にすぎん。この私と対等に話せる身分か」


「・・・・・・!」


 どんな感情によるものか、まなじりを朱に染めてテッカンが唸る。


「話は以上だ。邪魔をした」


 青年が体を翻す。澱んだ空気が波打ち、細い灯火を揺らした。 


「二度と会うことはないだろう。タヤ・ワカン・ルスン(戦神の誉れあれ)


 軍人独特の言い回しで別れを告げる青年。そのまま振り返らず退出する。

 厚く頑丈な扉が、耳障りな残響を上げて閉ざされた。


「・・・・ふーっ・・・・・・・ふーっ」


 狭い牢屋に残ったのは、荒い息遣い。

 乾いた唇を舌で湿らせ、悪臭の染み付いた掛け布を握り締め。


「・・・・ふーっ・・・・・・・ふーっ」


 男は濁った瞳を、唯一の明かりに向ける。

 窪んだ目の奥でぎらぎらと燃えているものは、ともし火の反射と呼ぶには強烈すぎるように見えた。   


 











前へ 次へ
Top 目次