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 駅の外は、陽光と蝉の声のシャワーだった。


 猛暑だ。


 皆、暑い時間帯は外出を控えているのか、往来は乏しい。

 がらんとしたロータリーに、少女が現れた。

 熱気のシャワーを浴びて、恨めしそうに天を睨む。

 短く切り詰めた髪と勝ち気そうな瞳の色。ノースリーブのチューブトップとホットパンツが、活発な雰囲気をさらに強調する。

 少女が駅前に降り立つと同時に、ロータリーでも動きがあった。

 黒塗りの乗用車がほとんど音もなく、少女の目の前に滑り込む。

 白手袋を着けた運転手が後席のドアを開けると、小さな靴が強い日差しに晒された。

 すかさず運転手が白い傘を拡げる。


「日差しが強うございます、お嬢様」


「ありがとう」


 細い手が日傘の柄を取った。

 焼けたアスファルトの上に降り立ったのは、小さな女性。

 涼やかで繊細な仕立てのブラウスに、膝丈のフレアスカート。

 整った顔立ちと、卵のようにつるりとした肌。

 姿勢も良く、上流階級の一員であることは、誰の目にも明らかだ。

 手に持った重厚な革の書類入れが、少し違和感を感じさせる。

 さらに瞳の中に強い光があって、箱入り娘という印象をはねつけていた。


「根岸、帰りも頼めるかい」


「承知いたしました。近くでお待ちしております」


「頼む」


 運転手は頭を下げ、信じられないほど静かで速やかに、重厚な黒塗りセダンをロータリーから運び去っていった。


「ごきげんよう。小川ミオさん」


「・・・・よ」


 「お嬢様」の挨拶に、少女が応える。しかし眼差しは相手と自動車の間を往復していた。


「こんちゃ。オジョーサン」


「お呼びだてしてすまないね」


 軽くお辞儀したのは、惣右衛門あきら嬢。この辺りではまず一番の名家に属している。


「や、いいけど」


 対するは庶民代表、小川ミオ。目を細め、用心深そうに軽く頭を下げる。


「すぐ近くに良い店があると聞いている。お付き合いいただけないだろうか」


 そういいながら、すでに足が店へ向っている。


「・・・・なんだかな〜」


 後を追うミオの脳裏に、ありありと一場の情景が浮かんだ。

 どこまでもマイペースな彼女を追いかける、お人好しの従兄の姿が。
















− ナットクできない Side M −

幕間劇






<作者注>

 これは、真章1011の間にあった出来事です。















 表通りから一歩離れた、落ち着いた佇まいの珈琲店。

 扉を開けた二人を、深い香りが迎えた。

 カウンターに並んだコーヒー豆のガラスケースと、【お好みの焙煎をご指定ください】の張り紙に、専門店のプライドが垣間見える。

 客は少ない。

 ウェイトレスの案内に従って、ほどよい堅さのシートに腰を下ろした。


「ご注文はございますか」


(訊く前にメニュー出せよ)


 小川ミオは反射的に思ったが、ウェイトレスが小脇に抱えたメニューリストを見るだけに留めた。

 飲食店でのアルバイトは、短気な少女に最低限の自制力を備え付けるという、目的と異なる効用もあったらしい。

 惣右衛門あきらは口の端をかすかに動かし、ウェイトレスを通り越してカウンターに目を送った。


「店主が最も美味と思うものを」


 その一言で、焙煎機に向かっていた初老の男が振り返る。

 穏やかな眼差しと、挑発的な視線がぶつかった。


「・・・・煎る所から始めますので、少々お時間をいただきますが、よろしいでしょうか」


「もちろん」


「かしこまりました」


 鷹揚に頷くあきら嬢に、店主が頭を下げる。

 再び焙煎機に向う店主の背中から、見えない何かがたち上っていた。


「ミオさん、メニューは見なくていいのかい」


「え、あー・・・メニュー、メニュー見せて」


「あ、はい。失礼しました」


 あきら嬢の指摘で、石のようになっていたその他二人の時間が、流れ出した。

 ミオがぎこちなくアメリカンを注文し、ウエイトレスがカウンターに戻る。

 少女がぐったりと体を前に投げ出した。


「お嬢サマはこの店に来慣れてんの?」


「あきらでいいよ、ミオさん」


「あいよ・・・・なんか肩凝るカンジ」


「こちらは客だよ。リラックスしたまえ」


 アンタに言われても、とミオは思った。

 相手がしゃっきり背筋を伸ばしたままでは、説得力がない。


「店の場所は教えて貰ったが、来るのは初めてだ」


「ふーん」


「ミオさん、あまり喫茶店に入らないのかい?」


「あたしゃ、マックかファミレスのドリンクバーが専門でね。コーヒーとか、良くわかんねーし」


「そうか」


 手をパタパタ振るミオに、惣右衛門あきらは特に感慨もなさそうに頷く。

 と、口元を弛めた。


「そういえば、ユウも初めは落ち着かない様子だった」


「裕が?」


「壱ヶ谷(いちがや)にも良い店があってね。何度か通ったよ」


「・・・・ふ〜ん」


 意識を澄ませる芳香が店内に漂い始めた。

 カウンターの奥から囁き声が漏れ聞こえてくる。

 客席に背を向けているオーナーの肩に、無言の迫力を感じる。それを見つめるウエイトレスの表情も興味深い。

 一杯に一生を賭ける・・・職人の気迫が漂う。


「なあ、あきらさん」


「何かね」


 注文したコーヒーが完成へ近づいていく姿を眺めていた惣右衛門あきらは、不意の呼びかけにも遅滞なく応じた。

 正面は顔を戻すと、頬肘をついている少女と目が合う。


「あんた、マジ?」


 質問は短すぎたが、答えもまた明快そのものだった。


「本気だ」


「なんで」


「理由が?」


「できない」


 それは部外者に意味不明の、会話・・・というより単語の投げ合い。


「楽しい」


「遊び?」


「違う」


「そりゃコッチ」


「わかってる」


「それでも?」


「無論だ」


 まったく視線を揺らがさず、あきらが頷く。

 ミオは頬肘をやめた。だが、こちらも目はそらさないまま、背もたれに体を預ける。


「わっかんねーなあ」


「私たちの事だ」


「や、言い切られても」


 会話してる当人がわからないのだ。第三者には完全に理解不能だろう。


「なんつかさあ・・・裕ってさ、上から下まで人並みじゃん?」


 ミオが再び身を乗り出し、両手をテーブルに置く。


「異論はないでもないが、それで?」


「いいトコのお嬢ちゃんが、どんなヤローと遊んでもさ? ま、どーでもいいけどさ。

 相手が身内じゃ、話は別なんよね」


「それは理解できる」


「でもやっぱさぁ、ナットクできないわけ」


「そうかもしれないな。だから、私たちがこうして顔を合わせたのは良い機会だと思うよ」


 ニコリともしないあきらを、ミオはテーブルに乗り出したまま、無言で見据える。

 ミオの従兄が「先輩」と呼んでいたのだから、ミオからすれば二歳は年上。

 体格はちみっこいが、たしかに年上らしい落ち着きが認められた。


「それでは本題に入ろう」


「コーヒー、待たなくていいわけ?」


「時間がかかりそうだからね」


 惣右衛門あきらは傍らの書類入れに手を置いた。


「病院では色々とお世話になった。感謝している・・・・それから、済まなかった」


「なにがさ」


「見舞いの時、少し感情的になってしまった。ユウの体のことを知らなかったから」


「いいよ、そんなの。教えなかったのは裕じゃんか」


「そうだがね。けじめとして、だ」


 あきらが軽く頭を下げた。


「おかたいねえ・・・っと、ゴメン」


 ミオは後ろのポケットからラメ入りのケータイを引き出すと、さっと液晶を眺めて電源を切った。


「お待たせ。もうジャマさせないから」


「助かる」


 ミオのケータイが、軽い音を立ててガラステーブルに置かれた。

 あきらはキラキラした外装を少しだけ見て、視線を戻す。


「実はユウの事で、いくつか調べさせてもらったんだ」


「へ?」


「大まかな所は掴んだのだが、やはり細部までは難しい・・・・ああいうデリケートな案件では、特にね」


 惣右衛門あきらは、口の前で小さな手を組み合わせた。


「だからこそ、君に訊きたい」


 惣右衛門の令嬢は、吸い付くように小川ミオの前に顔を寄せた。


「ミオさん。なぜ、ユウと話せるんだ?」


 



















「ミオさん。なぜ、ユウと話せるんだ?」


 惣右衛門あきらの言葉は、はじめ、ミオの耳をすり抜けたようだった。

 しかし近すぎた両者の顔の間で視線が交わり、ミオの瞳で焦点が結ばれると、眼に強い力が沸き上がった。

 眼差しに、警戒心と敵意がほの見える。


「あんた・・・アレを調べやがったな」


 低いが強い語調は、明確に相手を詰(なじ)っていた。


「探偵でも使って嗅ぎ回ったのかよ?」


「ちゃんとした興信所だ」


「おんなじだろ。趣味ワリぃなぁ」


「気分を害したなら謝罪する。しかし今後の私たちのために、いずれ知らねばならなかったと思う」


「今後のねえ・・・・んで、何よ?」


 ガラステーブルがこつこつと叩かれた。ガラスを叩いているのと反対側の拳は、小さく握られている。


「調査では、ユウが犯人というのが衆目の一致するところだ」


「・・・っ!」


 あきらは書類入れからバインダーを引き出し、パラパラとめくった。


「しかし起訴も書類送検もなく、拘留されたわけでもない・・・・いかなる物証も発見されなかったからだ。

 にもかかわらず、ユウは加害者と目され、根拠のない非難を一身に浴びるところとなった」


「・・・・・・・」


 ミオは反射的に俯いた。

 従兄を痛めつけた旗頭は、実の父だった。


「私は世間知らずかもしれない。とはいえ、世の人がどこまで残酷になれるかくらい、少しは知っているつもりだ」


 ふいにバインダーの表紙が音を立てて歪んだ。

「それでも、この一方的な不法行為の数々は、さすがに腹に据えかねたよ。ユウが血を吐いたのも・・・・」


 そこであきらの言葉が途絶えた。

 ミオが顔を上げると、暗い眼差しを資料に注いでいる。

 しかし焦点の合っていない瞳から、あきらが見ているのは別のものと想像できた。

 ほどなく、あきらの口からため息が漏れた。


「あきら先輩、だいじょーぶ?」


「問題ない。少し・・・思いだしてしまった」


 目を閉じて呟く相手に、ミオは何も言えなかった。


「失礼した。話が逸れたな」


「や、いいから」


「うん・・・ともかく、一時期のユウは世界全てが敵と言っていい状態だった。

 けれど、被害者・・・と呼べるかどうかわからないが、その人物の最も近い肉親が、ユウに味方した。

 それがユウにどれほど大きな救いとなったか」


 あきらは真っ直ぐにミオを見つめ、頭を下げた。

 ミオがそのお辞儀の意味を悟ると同時に、話が続く。


「調査報告は中立の立場で書かれているが、状況証拠は全てユウに不利なものだ。

 正直この私とて、ユウの人となりを知らなければ非難の合唱に加わらない自信はない」


 惣右衛門あきらはバインダーを閉じた。


「だから、君と話したかった。肉親を失ったミオさんが、ユウを信じた事。あんな事があったのに、今も傍に居られる事の」


「別に、従兄だし」


「君の信頼の、根拠を知りたい」


 そうして二人の間に、沈黙の幕が下りた。

















 カップが二つ、湯気を立てていた。

 上流階級と思しき令嬢が、優雅にカップを摘み上げ、たゆたう芳香を嗜む。

 砂糖もミルクもない、そのままを口に含んだ。


「・・・・・ふむ」


 音もなく、艶やかな磁器がソーサーに戻される。

 小さな口元に浮かんだ微細な笑みは、表情を注視していた者にしかわかるまい。


「よくブラックなんて飲めんなあ」


「コーヒーが好きだからね」


 あきらの対面では、ミオが砂糖とミルクを入れるだけ入れている。

 優雅と対極にある挙動は、むしろ「砂糖をぶち込む」と表現したいくらいだ。


「へーへー・・・どうせあたしゃコドモ舌ですよぅ」


「気にすることはない。美味しく飲めれば、それでいいのさ」


 ふーふーとカップに息を吹きかける姿を、あきらは微笑ましそうに見ていた。

 マナーと無縁の仕草だが、何か彼女の琴線に触れる所があったのかもしれない。

 淹れたて熱々のコーヒーと格闘するミオを横目に、あきらは縦長の窓から外を眺めた。

 目が眩む強い日差し。

 地面から陽炎が立っている。

 道路を進む人々は、いつもよりゆっくり歩いているようだ。

 空調の効いたほの暗い店内から見た景色は、異世界を切り取って窓に貼り付けたようにも思えた。

 しばらく外を見ていると、磁器の打ち合う澄んだ響きが耳に届いた。


「んで、さっきの話?」


 小川ミオが半身を乗り出し、テーブルに片肘をついた。


「ああ」


 あきらは片手でカップを取り、もう片手はソーサーに添える。


「ハッキリ言うけどさ、根拠なんて無いんよ」


「・・・・まさか」


 あきらは口に含んだ液体を喉に流し込み、1クッション置いて応じる。


「そりゃね、姉貴の事だ。アタシだって一生懸命調べたさ。みんな裕が犯人だって言いやがったけど。

 でもさ・・・目を見てさ、『僕じゃない』って言われたら、信じるしかないじゃん」


「それだけで、かい」


「それで十分」


 ミオは顎をしゃくった。


「証拠だの何だのっても、そりゃ信じられない奴らが勝手に騒いでるだけだし?」


「しかし、何の根拠もなく大事な判断を」


「おいおい。オジョーチャンよぅ」


 現役女子高生というより、チンピラそのものの格好で、少女は顎を突き出した。


「あたしらはさ、オムツしてーの、おねしょしてーの、子供プールに素っ裸で入ってーのって、そーゆー仲なんよ?

 下手な嘘こいたって一発でわかんだよ」


「・・・・・・・・・・・・・・」


「もしもだぜ? 絶対ありえねーけどさ、あのニブチンが姉貴を無理にどうこうなんて下手なマネしやがったら、どうなったと思うよ?

 新聞沙汰になったのはボンクラ兄貴じゃなくて、アタシだったね。間違いなく」


 親指で自分を示すミオに、あきらは小首を傾げた。

 ミオはしばらくの間、あきらを睨んでいたが、体を椅子に戻した。


「まぁいいさ。他人にゃわかんねーだろーよ。

 理屈じゃねーの。アイツが違うって言ったら違う、それだけさ」


 ミオが口を閉ざす。

 相手の長広舌をじっと見つめていたあきらは、さらにじっくりと観察を続けた。

 その瞳には、何の感情も伺えない。

 ミオが自分のコーヒーを飲み終える頃。

 ようやく惣右衛門あきらは口を開いた。


「では・・・ミオさんは『犯人』が誰だと思ってるんだい?」


「知んね」


 ミオは吐き捨てた。


「知ってたら、アタシはここに居ねーよ」


「ほう・・・?」


「とっくにヒトゴロシでトクショー(特別少年院)に入ってら」


 ミオが鼻を鳴らして顔を背ける。


「・・・・・・・・そうか」


 返答は、聞き取れないほど小さなもの。

 少女の目元に水滴が浮かんでいるのを、あきらはたしかに認めた。

 これ以上の追求はできない。そう判断して視線を手元に落とす。


「嫌な事を訊いて済まない」


「いいよ。慣れてる」


 ミオの返事は、あきらの胸を締め付けた。

 返答そのものが、痛烈な非難となっていたからだ。 

 あきらの腕の中にあるバインダーが、音をたてて歪んだ。


「そんで? 裕の過去を調べてどうすんだ?」


 先ほどより強い反感を滲ませて、ミオが問い質した。


「私は、特には」


「そりゃねーだろ。高いカネ払って探偵なんか使ってさ」


「ああ・・・正確に言うと、調べさせたのは私じゃないんだ。私の身内がね」


「ははぁ〜」


 ミオの口の端が、いじわる気につり上がった。


「名家のお嬢のお相手を、こそこそ調べたお節介がいたわけ?」


「そんなところだ」


「やだやだ。お偉いさんちってな、面倒で嫌だ」


「そうかもしれないな」


 ミオの言葉を受け流し、あきらはバインダーを書類入れに押し込んだ。


「今日はありがとう。とても・・・勉強になった」


「や、別に」


 二人が揃って腰を上げる。


「お礼とお詫びを兼ねて、今日の支払いは私が持とう」


「ん」


 伝票を取るあきらに、ミオが軽く手を上げた。

 外へ出て行く細い背中を見送り、長い黒髪が振り返る。


「店主」


 小さいが、よく通る声がカウンターの奥まで届いた。

 下ごしらえをしていたのか、ペティナイフを持った初老の男が顔を上げる。


「芸術的な一杯だった」


 ただ一言。それだけを告げて、あきらはレジスターへ向う。

 店主はしばらく小さな後ろ姿を見ていたが、黙礼して自分の仕事に戻った。



















「ただいま、勝次」


「お疲れ。あきら、どうだった」


「収穫はあった。が、決定打はなし。そんなところだ」


「このままだと、長老会に出す経歴としては厳しいんじゃないか」


「どんな立派な経歴でも同じ事さ。言い掛かりをつけるのが老人方の仕事だからな」


「しかし性犯罪はまずい。情報が出回れば、どこの会社も受け入れない可能性があるぞ」


「それは良い。私の会社に入れる口実になる」


「おいおい。そんな事をしたら枯れ野に火を放つようなもんだ。噂だけで致命傷になりかねん」


「なおさら都合がいい」


「何だと?」


「いいかい、勝次。ユウと私は立場が違う。だから、四六時中行動を共にするわけにはいかない」


「当然だな」


「そこでだ。たとえ無実でも、ユウにそういう容疑があれば、近づく女はあるまい?

 誰にも言い寄られないなんて、最高の浮気防止策だと思わないか」


「浮気より前に、業務に支障をきたすと思うが」


「望むところだ。監視という名目で、目の届く所に置ける」


「なあ、あきら・・・・お前、少しは仁科の気持ちになって考えてみないか?」


「もちろん考えているとも。

 二十四時間、愛する人の側にいられるんだぞ。最高の幸せじゃないか。

 これこそ真の職住接近だな」←用法間違い


「・・・何だか、アイツが可哀想になってきた」


「妬くな妬くな。いずれ叔父上にも似合いの相手が見つかるさ」


「叔父上いうな」







<キリがないので終了>











 




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