目次に戻る トップに戻る
前へ 次へ











 小川マオ。




 僕が好きだった女の子。




 彼女は、憎悪の残響と真紅の残像を道連れに、跳んだ。




 そして。




 僕は、僕らは、取り残された。




 彼女のいない世界に。




 冥々とした疑惑の渦中に。























 心を患った少女。


 高校入学を目前に自殺。


 妊娠の判明。


 告別式で親族の少年を殴る父親。





 いかにも衆目を集めそうな出来事だけど、マスコミの取り上げ方は小さかった。それは同じ頃、日本各地で事件や災害が続発したからで、「幸いに」とは言い難かったけれど。

 地元では、それなりに噂になった。

 吾郎叔父さん(マオとミオのお父さんだ)の猛り狂う姿を近隣の誰もが目撃した。罵り声は葬祭場の外まで届いたという。

 僕は何度か警察に呼び出され、事情聴取を受けた。

 内容は彼女との関係、特に性的な関係について、詳しく(これは検死解剖の結果を聞いた叔父さんが、僕を刑事告発できないか警察に相談したためと判った)。

 言うまでもなく、僕は周囲に疑われるような事なんてしてない。マオが妊娠していたと聞いて、富子叔母さんが昏倒するほど衝撃を受けてたけど、僕だって頭が真っ白になった。

 受け入れられなかったんだ。

 現実を。

























 春。

 その時、社会の多くが一新される。

 マオがいなくなった、春。

 僕の周囲も全てが一変した。

 ・・・・・悪いほうへ。




 新学期−

 学校は悪意をもって僕を迎えた。

 異常行動で知られた卒業生の自殺。その葬式で、父親に殴り倒された親戚の男子。

 ”犯人”は明らかだったのだろう・・・・それが真実でなくても。

 兆候は、友達の変化だった。

 仲の良かった友達と会話が途絶えた。ただの知り合いは、挨拶をしなくなった。

 やがて私物が盗まれるようになった。

 教科書、ノート、文房具、体操服、カバン、制服。ありとあらゆる物が狙われる。一瞬も油断できない学校生活に、僕はヘトヘトになった。 

 はじめ隠れて行われていた行為は、すぐに表面化した。

 最初はノートへの落書き・・・だったけど、どうせ盗まれるから無意味とわかったのだろう。次は机と椅子がターゲットになった。マジックで汚され、ナイフでずたずたに傷つけられて。間違いなく、学校で一番汚い机は僕のだった。

 教室で一番汚かったのも、僕の机の周りだった。そこにゴミを集めるようになっていたから。それで僕の呼び名は「ゴミ」になった。

 一連の行為の中心にいたのは、クラスの女子生徒だった。マオと特に仲良しだった後輩で、マオが心を病んだ後も付き合いを続けてくれた、数少ない女の子。

 葬式の直後から、彼女は”敵”になった。

 いや、むしろ僕のほうが彼女の敵・・・マオを死に追いやった張本人になったというべきかな。

 どっちでもいい。結果は同じだ。

 掃除で汚い水をかけられる。

 朝持ってきた体操服が、体育の授業時間までに無くなる。

 音楽の授業中に、机の中身をぜんぶ取られる。

 廊下で足を引っ掛けられたり、階段で突き飛ばされたりするのは日常茶飯事だ。

 ある時は鞄ごと持ってかれた。それは見つかったけど、校外でブチ撒けられていて。

 車に潰され、泥にまみれたノートや鉛筆を拾い集める惨めさは、言葉にできない・・・・・

 女子のイジメは男子と違い、表に出にくい。

 もちろん表立った暴力もあった。主に言葉の暴力が。

 ぶつけられた罵声の中には、二度と思い出したくない事もある。

 悪意は着実に僕を取り囲み、逃げ場はなかった。周囲みんなが敵だった。敵に見えた。

 毎日が必死のサバイバル。

 ・・・・あの時期、誰かと話した記憶はない。

 ただひたすら、心の中で「どうして僕が」と回答のない問いを繰り返して。

 針の筵(むしろ)に座り続ける生活の中で、僕は恐怖と嫌悪、不信感を募らせ続けた。






















 マオの死から数ヶ月。

 夏休みまであと少しの初夏の日。

 僕は学校で倒れた。


 しばらく前から胸焼けが酷かったけど、無理をして弁当を食べたら吐き出してしまった。血と一緒に。

 鼻と口から噴出した血が止まらず、弁当も服も机も赤く染まった。

 同級生が椅子を蹴立て、ギャーギャーと騒ぎ立てる中、僕は意識を失った。

 担ぎこまれた病院の診断は、「心因性潰瘍」並びに「胃穿孔」。

 この一件で親が転校を決め、中学校もそれを認めた。夏休み中に手続きが終わったから、僕は倒れた日以降、元の学校を見ていない。見たくも、ない。

 視界が闇に落ちる寸前に聞こえた、「やだーっ! このゴミきったなーい!」という甲高い声は、今も耳に染みついている。

 それが、あの学校で聞いた最後の言葉だった。










 これで話は終わり・・・


 だったら良かったんだけど。




 マオは僕たちの家族だ。家族だった。

 その陰は、心の奥の奥まで深く根付いていて、転校した程度で消えるわけがない。

 僕がそのことを思い知らされたのは、秋だ。

 マオのいなくなった、秋。

 文化祭でクラスメートに面倒な役を押しつけられながら、淡い微笑を浮かべて仕事をこなす姿は、もう見られない。

 秋祭りで屋台の食い倒れに挑戦するミオを、マオと僕の二人がかりで止めることもない。

 体育祭でトラックを爆走するミオへ、細い腕を振って応援する彼女の姿も、もう見られない。

 胸の中で疼く、どうしようもない喪失感と虚無感。

 だけど、時は止まらない。

 新しい学校での生活に、少しずつ慣れていく日々。

 そんなある秋の放課後。

 校庭で失神した。

 くじ引きで男女混合リレーの選手になって、練習に参加していた時だ。

 姉御肌というか、クラスに一人はいる面倒見のいい女子が、みんなの肩を叩いて発破をかけていたところ、いきなり僕が崩れ落ちたという。

 自分じゃわからないうちに大騒ぎになって、気がついたら救急車で運ばれていた。

 送り込まれた主水の救急病院で、簡単な検査を受けさせられた。

 レントゲン撮影の結果は、異常なし。当然だけど。

 駆けつけた母さんに、壮年の医者は「若い人にはたまにあるんですよ」と穏やかに説明して、念のため血液検査を勧めた。

 成長に取られる栄養分と体調維持に必要な栄養素のバランスが崩れて、軽い貧血になる人は少なくないらしい。

 胸をなで下ろす母さんに謝りながら、血液検査をする部屋に移動。

 で。

 採血のため女性看護師に腕を取られた瞬間だ。

 視界が真っ暗になった。







 
 

 




 僕が「 対人恐怖症 (女性を対象とする) 」と診断されるのは、幾度かの精密検査とカウンセリングを受けた後のことになる。










 これが、僕の呪い。







 彼女の苦悩に気づけなかった僕の。





 彼女を救えなかった僕の。





 彼女とともに死ねなかった僕の。





 僕の。





 彼女の。





 呪いだ。









目次に戻る トップに戻る
前へ 次へ