朝。
通学路で、マサ(片岡将司)とばったり会った。
「帰れ」
「・・・・・・・・・・・え?」
「帰れ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・おーい」
いきなりそれですか。
「帰れよ、ユウ」
「朝イチでそれはないんじゃない?」
苦笑した(つもりでいた)ら、マサに睨まれた。
「お前さ。朝、鏡見たか?」
「見たら鏡が割れた」
笑顔の仮面を付けて返事すると、溜め息を吐かれた。
「・・・・・・・・・・・・・・ツマラン。つか、帰れ、マジで」
「大丈夫だよ」
「そー見えねえから言ってんの」
「・・・・・・」
うーん。
今日の仮面は脆いな。
もうヒビが入ってる。
不自然に見えないように、ゆっくりと視線を外した。
「実はさ、風邪気味っぽい。アタマ痛いし」
「・・・・・・・・・・・・・・・ふん」
額に手を当てる仕草で、顔を隠す。
「でも、休むほどじゃないから。ホント」
「無理せんで休みゃいいのに。試験終わったし」
「それ、親にも言われた。マジでヤバ気なら帰るよ」
帰らないけど。
「そうしろ」
マサがどんな顔で言ったのかは、わからない。
そのまま離れる気配がしたから顔を上げると、マサは学校へ歩き出していた。
長身の友達がどんどん歩いていくのを、僕は自分のペースで追う。
・・・・・・・・休む?
冗談じゃない。
休んだら、寝ていろって言われる。
寝たら、あの続きを見るかもしれない。
あんなのを見せられるくらいなら、頭痛を抱えても学校に行ったほうがマシだ。
脳裏に浮かんだ真紅の映像を、僕は首を振って払いのけた。
校門が近づくと、あちこちに立ち止まってる生徒がいた。
各々、Yシャツのボタンを留めたり、ズボンを上げたり、バッグからキーホルダーを外したり。
(風紀がいるんだ)
わかったけど、特に直すような所はない。
僕の特徴は「特徴がない」ところだ(と、同級生に言われた)。風紀委員に指摘されるようなカッコはしないし、目をつけられるようなマネもしない。
いちおう上から下まで確認して、そのまま進む。
角を曲がればすぐ校門という所に、挙動不審な男子がいた。電信柱の陰にいて、校門を覗きながら動こうとしない。よく見ると、派手な紫のTシャツをインナーにしてるのがわかった。
見せびらかすなら休みの日にすればよかったのに。
単色ならギリだけど、模様はまずいよ。
背中に鉤十字を背負って途方に暮れる男子を素通りし、校門へ。
ざっと見回すと、みんなマジメっぽい格好をしてる。新鮮というか、違和感があるというか・・・・再放送の学園ドラマみたいな光景。落ち着かない。
まあ、関所を抜けたら元通りだけどね。
校門に、「これが制服の見本です」と言わんばかりに身奇麗な男女がいた。通称「貧乏くじ」と呼ばれる風紀委員だ。学校の内申は上がるけど、友達の評価はガタ落ちとゆー、ある意味カワイソーな方々。
以前よりずっと校則がぬるくなった(そうじゃないと生徒が入らない)から、茶髪も部分パーマもOKなんだけど、ピアスはまずいらしい。先輩らしき女子が、校門脇で風紀に耳を指摘されてる。
別にやましい所のない僕は、その日も風紀の前を素通り・・・・
できなかった。
「ユウ」
「!」
この声・・・・・・・
迂闊だった。
どうやら本当に調子が悪いらしい。
”風紀がいる”ことの意味に気付かなかったなんて。
風紀が動く時は生徒会も動く・・・・公平さを確保するためだ。生徒会役員が見ていれば、知り合いを見逃したりしないだろってわけ。
そして、彼女は全校生徒を代表する生徒会長だった。
シャツの袖が、細い手に掴まれていた。その手を追いかけると、然るべき顔にたどり着く。それが誰かはもちろんわかっていた。わかっていたから、相手の顔は見なかった。
「おはようございます、あきらさん」
多少不自然なのは仕方ない。できるだけ笑顔を浮かべてお辞儀する。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
返事が無い。
いつも、きっちり返礼するあきらさんが。
拍子抜けした気持ちで頭を上げると、彼女と目が合ってしまった。
束の間、声を失った。
・・・・・・・・・・・誰?
一瞬、人違いかと思った。
改めて見直して、やっぱりあきらさんだと納得する。
そんな手間をかけなきゃいけないくらい、今朝のあきらさんは別人だった。
血色が悪い。灰色に淀んだ瞳は魚のよう。こんなに具合の悪そうなあきらさんは初めてだ。
無意識のうちに口が開いていた。
「あきらさん、大丈夫ですか?」
「ユウ、気分が悪いのか?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「問題ない」
「平気です」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
同時に声をかけ、答え、黙り込む。
練習を重ねた舞台劇のように、全く狂いがない。
・・・・僕たち、何をしてるんだろう。
意味もなく見つめ合ってる事に気付き、視線を外す。
いや。
このままでいるほうが、不自然だ。
やっぱり何か話を・・・・
「「えっと」」
「「!」」
まるで時間を計っていたみたいにシンクロした。
あきらさんを見ると、彼女も口元を押さえて目を丸くしてる。珍しい光景だ。
ふっ・・・と。
腹の中からおかしみが沸いてきた。
手振りで彼女に、お先にどうぞと促す。
頷く会長は、少しだけ柔らかな表情になっていた。
「ユウ、昨日は済まなかった」
「?」
あれ?
何か謝るような事、されたっけ。
「従妹殿に伝えて欲しい。礼儀を失して申し訳ないと」
ああ、その事か。
「大丈夫ですよ。むしろあいつが失礼だったと思いますし。後で話をしましたけど、普通でしたよ」
「そうか」
あ、普通じゃまずいか。悪いのはアイツなのに。
幸い、あきらさんはその箇所を気にすることなく、流してくれた。
「ともかく悪かった」
「いえいえ」
律儀に頭を下げていた会長が、顔を上げる。さっきよりずっとマシに見えた。
少しほっとする。
「ユウ、君は・・・具合が悪いんじゃないか?」
眉根を寄せて訊かれたけど、さっきより自然に返事することができた。
「友達にも言われました。でも少し風邪気味なくらいで、大丈夫です」
「そうか。くれぐれも無理はしないで欲しい」
「わかりました」
素直に頷いておく。僕も無理する気はないし、反論したって堂々巡りになるだけだもの。
「ユウ」
「はい?」
彼女が袖を離した。
そのまま別れるのかと思いきや、さらに一歩近づいてくる。
「・・・・何でしょうか」
そろそろ周りの視線が気になってきた。
生徒会長が朝の校門で、いろいろ噂のある下級生とくっついて話してれば・・・・誰だって気になるよね。
「できれば・・・・・その・・・・」
「はい?」
「わ、ワガママなのはわかってるが・・・・つまり、だな」
「・・・・・・・」
「あんまり、他の子と・・・・・ベタベタしないで・・・・・欲しい・・・・・」
「はあ・・・・」
僕が?
誰かと?
ベタベタ?
・・・・・・・・アリエナイ。
意味不明だけど、ともかく先輩の依頼は受けることにした。
ここで晒し者になり続けるのは勘弁だし。
「わかりました。先輩の言うとおりにしますよ」
「・・・・ありがとう」
先輩が今日はじめて笑った。
少し頬に朱を乗せたその笑顔は、さっきまでの強張りが抜けていて。100人が見て100人とも「可愛い」と認めるだろう、魅力的な表情だった。
僕は−
「・・・・・・・・・・それじゃ、行きますね。お仕事がんばってください」
「ありがとう。うん、今日もがんばろう」
「はい」
あきらさんが小さく手を振って仕事に戻った。
風紀の列に近づくと、親しそうな女子に耳打ちされる。
「・・・・・・・・?」
「・・・!」
「・・・・・♪」
「!!」
あきらさんは急に真っ赤になって僕を見ると、ぶんぶん首を振った。
・・・・何を話してるのやら。
用が無いのに校門で突っ立ってるのも変だから、まだこっちを見てるあきらさんに軽く頭を下げて、玄関へ向かった。
教室に入ると、とっくに学校に来ていたマサが僕の顔をじっと見た。
何となく目を逸らしてしまう。
マサは遠慮なしに僕の顔を覗き込む。
すごく居心地が悪いんだけど・・・・
「ユウ、いい事あっただろ」
「別にないけど。何でさ?」
「さっきより顔色が良くなった」
「そう・・・・?」
「ああ。さっきは死人の顔だったが、今は”死にそうな顔”だな」
「どこがいいんだよ」
てゆーか、違いが判らないぞ。
口を尖らせると、マサはしかつめらしい表情を崩した。
「ま、あれだ。俺に手間かけさせんなよ?」
「ははは。気をつける」
「他人(ひと)に」じゃなく「俺に」っていうのがマサらしいや。こんなコト言ってたって、人を見捨てられないクセに。
一年の授業で参加した身障者援助のボランティアを、内緒で続けてるのを僕は知ってる。
自分の席に落ち着くと、他の同級生も次々に入ってくる。
友達と挨拶したり、テスト結果でジュースを賭けたりしてるうちに、真紅のイメージが遠ざかっていくのを自覚する。
まだ僕を観察してるマサに、だいじょーぶと合図する。
やっぱり、学校に来て良かった。
・・・・・・・そういえば。
あきらさんはどうしたんだろう?
今朝はずいぶん暗い顔をしていた。
話しているうちに顔色が良くなったから、何も訊かなかったけど。
あきらさん、生徒会長だし、惣右衛門のお嬢さんだし・・・・
色々と考え事が多いだろうなあ。
たまには僕から悩みを訊いてみようか。
・・・・・よし。
そうしよう。
人に話せないような悩みだったら、どうしようもないけど。
訊ねるくらいなら、大丈夫だよね。
「友達」だし。
考えてるうちに、担任の並木先生が来ていた。
わずか二ヶ月でワンパターンになりつつある朝の講話を聞き流しながら、僕は悩み事相談のシミュレーションを始めた。
それからわずか三時間後、
僕の想像は、あるゆる意味で打ち砕かれた。