四時限目は休講になった。
クラスメートが、オーラルの河上先生が校外へ飛び出していくのを見たそうだ。よほどの急用だったんだろう。
見るからに急ごしらえのプリント二枚を終わらせると、自動的に長めの昼休みになった。
さっそく弁当箱を取り出す人や、早めに学食へ行く人、ジュース片手にダベってる連中・・・みんな好き好きにしてる。
僕も弁当を開けかけて、止めた。
最近はあきらさんと屋上で食べることが多い。雨だったり彼女に用事があれば別だけど、たいていは三時限後の休み時間にメールが飛んでくる。今日もそのパターン。
先に食べてお茶を付き合うだけでもいいだろうけど、何となく彼女が拗ねるような気がする。そんなにお腹も空いてないしね。
珍しく学食へ行くというマサを見送って、僕も席を立った。
今日は良い加減に雲がかかって、外で過ごしやすい天気だ。屋上で本を読んでいれば、すぐ昼休みになるだろう。
階段を上がっていくと、屋上の扉が開いていた。先客がいるらしい。
ウチの高校にヤンキーや不良はいないけど、半分くらい足を突っ込んだ奴はいる。今朝の鉤十字シャツみたいにね。生徒間の暴力沙汰もないわけじゃない。
絡んできそうな相手だったら場所を変えよう。
そう思い、忍び足で扉に近寄った。
「・・・いつまで茶番劇を続けるつもりだ」
(?)
聞き覚えのある声だった。
「計画通り、婚約話は向こうから断ってきた。もう続ける理由はない」
「そうだな。二度とあの間抜け面に愛想笑いをしないで済むと思うと、せいせいする」
(あれは−)
聞き慣れた・・・・・今では百人の中からでも聞き分けられるくらい、耳に馴染んだ声がした。
あきらさんの声。
「だったら恋人ゴッコなどやめて、さっさと切れ。あきら、お前だってヒマじゃないだろ」
・・・・あきら、だって。
うん、やっぱり彼女だ。
でも相手は誰だ。
何の話だろ・・・・
盗み聞きはよくないと知っていても、体がその場から離れない。
むしろ、もっとよく聞こえるように耳をそばだてた。
「もちろん私は多忙の身だが、そう急かせることもないだろう、勝次(しょうじ)」
(勝次・・・・)
ようやく相手がわかった。
生徒会の副会長、恩田勝次(おんだ しょうじ)先輩だ。
あきらさん。僕の前じゃ副会長って言ってたのに・・・・
ホントは、名前で呼びあうほど仲が良かったんだ。
ん・・・?
何か−
何か変だな・・・
「何故だ。長引けば面倒の種が増えるだけだ。メリットもない、デメリットだけだろ」
「メリット? デメリット? そんな利害計算など、どうでもいいじゃないか」
「おい、何だそりゃ。どうでもいいなんてお前らしくない。説明しろ」
「ふふふふ・・・・」
甲高い含み笑いが届いた。彼女の笑う様子が目に浮かぶようだ。
「いいだろう、説明してやる。私はいま、人生最高と言えるほどの遊びをしているんだ。他の何事も霞んでしまうほどの遊びをな」
「なんだと?」
「惣右衛門に属する私は、小さな頃から人間を動かす術を学ばされた。父には到底およばないが、この学校を動かす程度には、力をつけたつもりだ。
同年代の連中で、私に動かせない相手はないと慢心すらしていた。だが、その自信を台無しにしてくれた者がいた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それがユウだ」
(・・・・・・・・・・・・・・・え?)
「あんな奴は初めてだった。私の言葉に呑まれない。常に予想に従わない。それでいて確たる信念があるわけでもなく、突発的な行動に弱い。作戦を練り手間をかけても操れず、逆に思いつきの行動で思わぬ反応を見せてくれる。なんていう天邪鬼ぶりだ」
「あきら、声が大きいぞ」
「今は授業中だ。それに階段を上がってくれば勝次の耳に入るだろう」
「・・・・・・・まあな」
僕は扉の陰で身をすくめた。
「それより聞け、勝次。アレは・・・・ユウは面白いぞ。最近になって、ようやくコントロールできるようになったが、まだ飽きが来ない。反応が楽しくてね。
例えば、少し体を寄せただけで赤面する。手を握ればガマガエルのように汗を流す。腕を組んだら・・・・ドラムを乱打したような、あの心臓の鼓動! 発作でも起こすんじゃないかと、ちょっと心配になったくらいだ」
あははははは!
抑えきれない笑いが彼女の口から噴き出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おまけに結婚話をした時の反応に至っては、傑作というしかないな! 結婚できる年齢になってない事も忘れて、真っ赤になるやら真っ青になるやら! アレは最高のオモチャだよ!」
「・・・・・趣味が悪いぞ、生徒会長」
「ふふふ・・・・キサマとて同類だろうに。恋人役を仕立てて婚約解消に持ち込むシナリオは、キサマのものだぞ」
(!!??)
「それは俺が相手役になる事を考えてだ。あんな馬の骨が出てくるなど、聞いてなかった」
「勝次が相手役? 冗談も休み休み言え。キサマでは誰一人として騙されまい。私たちの関係は、身内の皆が知っている。筋が通らないしインパクトもない。あのボンボンも納得しない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・むう」
「それに比べてユウは完璧だった。出会いのドラマがあり、理由があり、空気のように存在感が希薄で、それゆえにインパクトがあり、哀れなほど愚かで・・・・・まさに”運命の相手”だったんだ」
「で、お前は恩を仇で返したわけか」
「そんな事はない。ユウはユウで楽しんでるし、私は私なりに楽しんでいる。公平で良好な関係と思うが?」
「お前の話を聞いてると、美人局(つつもたせ)や結婚詐欺も真っ当なビジネスに思えてくるな」
「人聞きが悪いぞ、勝次。もう一度言うが、アレは”恋愛している”という状況を楽しみ、私は”恋愛させている”状況を楽しんでいるんだ。それで二人とも満足している。金銭が関わるわけじゃないし、非難される筋合いはない」
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
「バレたらどうする。非難どころで済まない」
「バレる? 私の演技は完璧だ! 賢(さか)しい風紀の若林ですら、露ほども疑っていない」
「恐ろしいヤツ・・・・・・やっぱ、俺が恋人役じゃなくて良かったぜ」
「それは同感だ。キサマと腕を組んで歩くなど、三文芝居もいい所だ」
「ふん。それで、その三文芝居とやらをいつまで続ける気だ。あまり延ばすと、それこそ想定外の事態が起こるぞ」
「わかってる。だが・・・・・そうだな、夏休みまではいいだろう? 受験勉強が別れる理由になるし、生徒会の交代で私も表舞台から身を引く。九月には噂も静まるだろう」
「好きにしろ。俺は言うべきことを言ったまでだ」
「好きにするとも。ふふふ、今日はどんな手で遊ぼうか・・・・・」
「・・・・窮鼠に噛まれんようにな」
ジリリリリ!
古風なケータイ着信音で会話が中断される。
二人が動く気配を感じて、その場を離れた。
・・・・・おかしい。
おかしいよ。
さっきの話・・・・
体がふわふわする。
変だよ・・・・・・・
世界が白い。
ワケわからない・・・・
足元が覚束ない。
どうして・・・・・・
手に力がはいらない。
あきらさんは・・・・・・・
耳が鳴る。
僕は−
視界が乳白色に染まる。