− 中篇 −
生徒会室は本館の西の外れにある。
関係者以外は寄り付かない校舎の一隅。それが今日に限って通勤ラッシュさながらの大混雑だった。
過呼吸で顔を真っ赤にしたり、死人のように青ざめたり、楽しそうに目をキラキラさせたり・・・・有象無象の大群が、生徒会室の入り口を取り巻いている。
野次馬の多さだけでも腰が引けるのに、輪の中心にまた剣呑な存在が聳えていた。
副会長だ。
一度見たら忘れない筋肉の塊。レスリング部のレギュラーで運動選手としても優秀な人だ。
ただでも厳つい顔に、眉間の深い皺を上乗せして扉を塞ぐように立っている。
冥府の門番を勤める鬼のよう。
「いつまで見てんだ。とっとと行けよ」
「わっ」
後ろからついてきたマサに、輪の中へ押し出された。
副会長が素早く反応し、僕を捕捉する。
鷲のような目付きだ。
怖いです、かなり。
「あ、あの−」
「・・・・ふん」
副会長は僕を見下ろし、鼻を鳴らした。
視線が上から下まで精査(スキャン)する。
わずか二呼吸ほどの時間が、プレッシャーが重くていやに長く感じた。
「合言葉は」
は?
合言葉?
低い声で問いただされ、少し言葉を失う。
押し黙ってると、副会長にジロリと睨まれた。
正直に答えることにする。
「・・・・・知りません」
「良し」
いいのか。
門番は腕を解いた。
「入れ」
「え・・・えっ!?」
副会長は体格に似合わない素早さで僕の肩を掴むと、生徒会室のドアをわずかに開け、隙間から中へ放り込んだ。
たたらを踏む僕に、背中から声が届く。
「次の者、合言葉は」
「「「知りませーん!」」」
「なら入室は許さん」
「「「えー!?」」」
い い の か。
すぐにドアが閉まって喧騒が断たれた。
生徒会室のドアって厚いんだ。教室のペラペラ扉と大違いだな・・・
「よく来てくれた」
「っ!」
はっとして顔を上げた。
細長い部屋の奥に、人がいる。
生徒会活動に興味がない僕でもすぐわかった。生徒会長の惣右衛門さんだ。
窓から入る光の粒子が、会長の髪で弾けて四方に跳ねている。髪は無脱色無着色の綺麗なショートヘア。
彼女のブレザーは折り目正しく、一分の乱れもなく整っていた。プリーツスカートはもちろん膝丈で、細いふくらはぎに純白無地のソックスが眩しい。
机に浅く腰掛けていた会長は、居心地悪そうにしてる僕を見て、落ち着きなさいと言いたげにくすりとする。
会長が腰を上げるのと、僕が挨拶するのは同時だった。
「あの・・・・こんにちは」
「うん、ごきげんよう。人間関係はなべて挨拶から始まる。良い心がけだね」
逆光の中で宗右衛門会長が頷いた。
「・・・・・・・・・・・・・あのぅ」
「こっちに来てくれたまえ」
「あ、はい」
とまどいつつ、部屋の真ん中へ進む。会長もしなやかな動きで僕に歩み寄ってきた。
・・・・・微笑している。
(こんな近くで会長を見たの、初めてだ)
ふっと−
違和感を感じた。
この人が本当に・・・・惣右衛門会長なのか。
いつものオーラはどこに隠したのだろう。僕を見つめる眼差しは柔らかく、張り詰めた雰囲気は欠片もない。切れ長の瞳は細められ、小さな口は三日月の弧を描いていた。
会長と目が合う。
それで、違和感の原因がわかった。
僕が会長を見下ろしていたからだ。
いつも壇上にいる所を見上げてるのと、彼女特有のオーラのせいで、もっと大柄な女性と思い込んでいた。
(肩、細いな)
意外や彼女の体は小さかった。身長169センチの僕(あと1センチ欲しい)の顎あたりに会長の目があるから・・・150センチちょっとかな?
「さて」
リップグロスを塗った・・・いや、生徒会長が校則違反の化粧するわけないか・・・・グロスを塗ったみたいに艶やかな唇が、薄く開いた。
自然に胸をはって後ろ手を組む会長さん。そんなところは、やっぱり生徒会長っぽい。
なお、そういう姿勢で彼女の胸に目がいかない理由については、女の子としての会長の名誉のために伏せておこう。
「仁科 裕くん」
「はい」
張りのある声で名前を呼ばれた。
思わず背筋を伸ばす。
「ユウと呼んでいいかな?」
「あー・・・・えっと、その・・・・はい。いいです」
「ユウ・・・♪」
「は、はい」
スピーカーごしの演説と違う、甘やかな響きのある呼び声だった。
僕の応答に、彼女は笑みを深くする。
「来てくれたという事は、期待していいんだね?」
「・・・・・えっと」
期待・・・?
言葉が見つからなかった僕は、しばし会長と見つめあっていた。
彼女の瞳にキラキラしたお星様が輝く。そして白皙の顔に浮かんだ鮮やかな朱色が、いやでも目に入る。
何となく見づらくなって、目を逸らした。
「えっとぉ」
横に流した視線が、壁のあちこちに張られた予定表や標語、会則一覧に飛ぶ。その中の一枚が目に焼きついた。
『生徒会役員 心得
役員は常に悠揚として泰然、如何なる事態においても冷静沈着たるべし』
冷静沈着たるべし・・・・
原因不明の困惑でくらくらしてた頭が、少しだけ冷えた。
冷静沈着、冷静沈着・・・・・
「あの、会長・・・・」
「あきら」
「え?」
「私の名前だ。あきらと呼びたまえ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いいね、ユウ?」
「わかりました」
念押ししてきたその時だけ、目が笑ってなかった。
「あの、あきら・・・会長」
「あきら」
「あきら・・・・先輩?」
「あきら」
「あきら・・・さん。すみません、勘弁してください」
「っ! ・・・・ま、まあ、今のところはそれで許容しよう」
降参した僕に、会長あらため、「あきらさん」は肩をすくめてみせた。さっきより頬が赤くなったのは謎だけど。
「ユウったら涙目になって・・・あんな顔をされたら許さないわけにいかないじゃないか」
「はい?」
「いや、独り言だ! ユウが気にする必要は全くないんだ!」
「は、はいっ」
いきなり怒られました。
(てゆーか、けっこう表情が多彩だよね。この人)
話し始めてからほんの数分しか経っていない。
それにもかかわらず、自分の抱いてた印象がどれほど実物と違っていたか、僕は思い知らされていた。
お高くとまった生徒会長というイメージが、どんどん修正されてる。
「あきら、さん」
「なんだい? ユウ♪」
歌うように答えて、あきらさんが更に僕に踏みよった。
近い。
手を伸ばせば届くどころか、袖擦り合うような距離。
(ちょっと・・・・近すぎない?)
シャンプーだろうか、控えめな香りが鼻をくすぐる。
潤んだ瞳が真っ直ぐに僕を見つめている。瑞々しい唇は何か言いたげな様子。
(かわいい)
不覚にも思った。思ってしまった。
その途端、顔が茹で上げられたように熱くなった。
「ユウ・・・?」
赤面した僕を見て何を思ったのか、あきらさんが嬉しそうに白い歯を見せる。
ちょっとだけ語尾を上げた声は、小鳥のさえずりのように耳に心地よくて。
「あきらさん・・・・」
僕は−
衝動的に、囁いていた。
「ご用件は、何ですか?」
すっぱぁぁぁぁん!!
「この痴れ者がーっ!!!」