− 後篇 −
首がぐるりと一回転しそうな、強烈なツッコミだった。
折れそうに傾いた頭のまま、あきらさんを見ると、ハリセンが陽光に燦然と輝いている。
どこから出したんだ、ハリセン。
「あ、あきらさん・・・・・痛いです」
「痛くしたんだ! この軟弱者」
吐き捨てた彼女が、憤怒に顔を染めて僕を睨む。
会長は風を切って白いハリセンを構え直す。ハリセンと左手が打ち合わされ、他人事なら爽快とも言える破裂音が生徒会室に響いた。
「思い出せ、ユウ。君はどうしてここに来た」
ハリセンが僕の喉元に突きつけられた。角があたってチクチクする。
切れ長なあきらさんの目付きが怖い。
でも「目を逸らしたら殺られる」という気がして、僕は仕方なく見返した。
「放送で呼び出されたから、です」
「その通りだ」
あきらさんは頷くと、ハリセンの切っ先を下げた。
「では、何と言って呼び出された?」
ハリセンが遠ざかってほっとしたのも束の間、かわりに彼女が迫ってくる。
鼻先10センチに、生徒会長の顔。
「それは・・・・」
「それは?」
『生徒会長に愛の告白をして下さい』
「あー・・・・」
「さあ、ユウ。はっきりと口にするがいい」
あきらさんが僕を急かす。
いや、ちょっと待て。
待ってほしい。
何ですか、この状況。
「あの・・・あきら、さん。参考までにお伺いしたいのですが」
「何だ?」
「また間違った解答をしたら、どうなりますか」
「漏れなくハリセンをプレゼントしよう」
笑顔で言ってのける、全校生徒の見本。
「それじゃ、正解だったら・・・・?」
「漏れなく私をプレゼントしよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわあ」
「嬉しいだろう?」
「って、何ですかそれーっ!?」
僕は背後に跳び下がった。
「どうした、ユウ」
「どうしたも何も・・・っ。何を言ったかわかってるんですか!」
後ろにあったパイプ椅子につまずきながら、彼女に言う。
(いま、「私をプレゼント」って言ったよね。言ったよね?)
正気の沙汰と思えない。
でも、誰もが憧れる学校のカリスマは、本当に不思議そうな顔で首を傾げた。
「私はもうすぐ18歳。君より年上とはいえ、ボケるには早いと思うが?」
「そういう意味じゃなくてっ・・・・・えっと、つまり、その・・・」
「・・・・・・ユ〜ウ♪」
言葉に悩んでいると、手を取られた。
細くて白くて、小さな手。
「あの・・・あきら・・・・さん」
「ユウは難しく考えすぎなんだ。もっとシンプルにいこうよ」
「え・・・?」
あきらさんが僕の手を取って言う。
物分りの悪い生徒を諭す先生のような、優しく明晰な口調。
僕は柔らかな手に引かれるように、オウム返しに呟いていた。
「シンプルに・・・」
「うん」
彼女は微笑して頷く。小さな両手が僕の拳を包み込んだ。
「ユウは私に”愛してる”と告げ、私が”はい”と応える・・・・簡単だろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なんで?」
すぱぁぁぁぁぁぁぁん!!
「だから痛いですって!」
「気合を注入してるんだ!」
「いつから生徒会は体育会になったんですか!?」
「細かいことは気にしない! もっと大事なことに頭を使うんだ!」
「そのハリセンにむちゃくちゃ命の危険を感じるんですがー!?」
「ユウは愛の告白が命より軽いというのか! 一生一度の大問題なんだぞ!」
「意味わかんないしー!」
「えーい、まどろっこしい! ユウ、そこになおりなさい!」
「ひゃあ!」
唐突にあきらさんが上半身を強く押し付けてきた。
バランスを崩した僕が後ろにあった椅子に腰を落とす。パイプが歪んで耳障りに鳴った。
彼女はそのまま僕にのしかかり、膝の上に横座りになる。
「か、会長ーっ」
「あ・き・ら!」
頬を膨らませて僕を睨む小柄な生徒会長。怖いんだか可愛いんだか、反応に困る。
「まったく・・・ユウったら、どうして素直になってくれないんだろう」
「お言葉ですが、心の底から素直に話してますですよ?」
「ただ一言、”あいしてる”と言えば終わりなのに・・・・もどかしいよ、私は」
「その一言で、色んな意味で終わっちゃう気がするんですが、どうですか」
「仕方ない。最初から手順を踏み直して、あらためて告白してもらうとしよう」
「結論は同意しかねますが、あらためて最初から説明してもらえると助かります」
噛み合ってるようで寸毫もかみ合ってない会話の後、あきらさんは僕をじっと見つめた。
「さあ、ユウ。私に言う言葉があるだろう」
「その前に、あきらさん」
「うん? 何だい」
「僕たち、話すの初めてですよね?」
「そうだね。ちゃんと話すのは・・・今日が初めてだ」
彼女はつと目をそらすと、どこか遠くを見る顔になった。
「ちゃんとって・・・前に会った事ありました?」
「ある。忘れもしない、去年のクリスマス・イブだ」
「クリスマス・・・」
「ああ。その日わたしは運命と出会ってしまった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(クリスマス・イブ・・・・?)
記憶を探る僕に、あきらさんは話し始めた。
もう半年前になるな・・・
あの暖かなクリスマス・イブの日、私は家の用事で隣町を訪れたんだ。
幸いなことに用はすぐ片付いたけど、時間をもて余してしまってね・・・当家主催のパーティーには間があったし、クリスマスで賑わう町を見ないのも惜しい。そう考えた私は、車を待たせて歩くことにした。
子供のためにケーキを選ぶ大人や、駅前で好きな音楽を熱心に語る若者たちがいた。きらびやかなアクセサリーを手に取る女子や、携帯電話をお揃いにして番号を交換しあう恋人たちもいたな。
私はそうした微笑ましい光景を見守りつつ、商店街を隅まで散策していた。最近は一人で歩く機会が減ったから、楽しかったよ。
それが良くなかったのかもしれない。その時の私は、日頃の注意力を欠いていた・・・
半年前か・・・
あの暖かな冬のイブの日。僕は、「彼女とラブラブ・クリスマスさー!」と浮かれる友達を鞄で叩いたあと、地元の街をぶらついていた。
子供に買うケーキを賞味期限の近い安売り品で済まそうする大人や、音楽の趣味が合わないだけで殴りあうアツイ奴らがいた。高額のアクセサリーを彼氏にせびる女の子や、前カノや前カレのナンバーを抹消するために携帯を新調させたカップルもいたな。
僕はそうした光景を生暖かい目で見守りつつ、商店街の隅まで来ていた。彼女のいない一人身だし、もの寂しかったよ。
それが良かったのか悪かったのか。僕はその後、いつもなら決してしない事をやったんだ・・・
疲れてはいなかったんだが、履き慣れない革靴が足に合わなくてね。私は繁華街の外れを流れる川の傍で休むことにした。
暖かい日だったから、川の近くでも寒くはなかった。水音が耳に心地よかったくらいだ。
しばらく休んでいると、私は川の中で何かが光ることに気づいた。
それは川魚だった。こんな街の川に魚がいるとは、水質管理がしっかりしてると感心したよ。
魚は詳しくないけど、どんな魚なのか確かめておきたくてね。よく見ようと柵から身を乗り出した。
そして手すりに体重を乗せた時・・・・・鈍い音がして、錆び付いた柵が倒れた。
私の体は宙を舞って−
いつもの散歩道だから疲れる事はないんだけど、一息いれたくてさ。僕は繁華街の外れにある川の傍でジュースを飲むことにした。
あったかい日だったから、川の近くで冷たいジュースを飲んでも寒くはなかった。水音はちょっとうるさかったけど。
ジュースを飲んで一服してると、僕は川の中で何かが蠢いてることに気づいた。
それは川魚だった。こんなドブ川に住めるなんて、タフな奴らだと感心したよ。
魚は詳しくないからそれっきり見なかったけど、気になることが別にあった。僕の近くで、熱心に川面を見つめる子がいたんだ。
そしてその子が柵に乗りかかった時・・・・鈍い音がして、錆び付いた柵が倒れた。
その子の体は宙を舞って−
「あ−」
僕は思わず声を上げていた。
「ふふ・・・思い出したかい?」
「はい」
思い出した。あのクリスマスの日。
たしかに僕は・・・・
「そう。川に落ちた私を助けてくれたのが・・・・ユウ、君だった。
我が身を省みず溺れかけた私を救い、そして親切にもお風呂と着替えまで貸してくれた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その通りだ。
僕は水に落ちた子を抱き上げると、濡れた服の冷たさに震えていたので家まで連れ帰った。たまたま母さんがいなかったから、僕が風呂を暖めて着替えも用意した。
その子は僕のスウェットを着て風呂から出ると、ウチの電話で家の人を呼び、すぐに帰ってしまった。迎えの車が立派な黒塗りの外車で、ビックリしたっけ。
「あの時はきちんと御礼も言わず失礼した。パーティーの時間が迫っていたせいだが。後日、当家の者がご家族にお礼をしたはずだ」
「あ、はい。母から聞きました」
「そうか」
今年のおせち料理が例年より豪華だったのは、その一件のおかげだったりする。
(まさか、こんな偶然があったなんて・・・)
目を細める彼女を、僕は複雑な気持ちで見ていた。
あの時はわからなかったけど、あきらさんだったんだ・・・
でも、本人には絶対に言えないなあ。
助けたのは小学生くらいの男の子だと思ってたなんて。
だってほら、顔はヘドロまみれだったし、髪が短かったし、ズボンを履いてたし、口調は男の子っぽいし、化粧っ気もなかったし、胸ペッタンコだし。
(・・・・・・・・・・・・・)
この事は誰にも言わず墓まで持っていこうと、僕は固く誓った。
「三学期が始まって・・・・君を校内で見つけた時、私は心臓が止まるかと思うほど驚いたよ。まさかクリスマスの恩人が、同じ学校に通っていたとは」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それからずっと、私は君を見てきた。朝の校門で、全校集会で、帰宅する時も・・・
自然と君を見つけ、目で追ってしまう。君は少しも気づいてくれなかったけど」
あきらさんは両手をきゅっと握り、俯いた。長い睫毛が震えている。
せつなそうな表情が僕の心を衝いた。
「ごめんなさい」
男の子だと思ってたんです。
「いや、いい。ユウに謝って欲しかったんじゃないんだ。ただ私は−」
複雑な思いで謝罪する僕に、複雑な顔で首を振るあきらさん。
「私を抱きあげてくれた、あの時から私は・・・・・・私は・・・・・っ」
「・・・・・・あきらさん」
まるで吸い付くように、僕とあきらさんの視線が重なった。
澄んだ瞳を見ていると、年上だとか生徒会長だとか、そういう事はどうでもよくなって・・・・この小柄な女の子に身も心も引き寄せられていくのがわかる。
3センチ。
僕たちの距離。
お互いにどんな囁きも聞き逃さず、どんな表情も見逃さない・・・・・
世界に僕たちしかいないような距離感覚。
「ユウ」
「はい」
「今だけでいい。嘘でもいいから・・・・好きって言って?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おねがい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あきらさん・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
< 五分経過 >
すっぱぁぁぁぁぁぁぁん!!
「いつまで待たせる気か、この腑抜けがー!」
「痛いですって! ハリセンは洒落になりませんから!」
「おだまり! 花も恥らう乙女にここまで言わせておいて、どうしてユウは”好き”の二文字も言えないのだ!?」
「花も恥らう乙女はハリセンでしばき倒したりしません!」
「反論無用!」
会長は右手でハリセンを構えたまま、左手で僕の襟元を掴んだ。
「さあ言え! いま言え! ただ一言だろう!?」
「お言葉ですけど、人に言わせる前にどーして自分から言わないんですか?!」
「っ!」
あきらさんは一瞬、息が詰まったような顔をした。
すぱぱーん!
「タワケ者! この私がそんな恥ずかしい事を言えるかー!?」
理不尽にもほどがあるーっ。
こうして意味不明の応酬が、午後の予鈴でタイムアウトになるまで続いたのだった・・・・
− エピローグ −
『まずはお友達から』
そういう条件で僕たちのお付き合いは始まった、はずだった。
「ユウ、イプサに夏の新色が並んでいた。見に行くぞ」
「ユウ、菊池屋の限定スイーツだが、今週はアパラッシュのメープルプディングだそうだ。食べに行くから付き合え」
「ユウ、RIOTS9の新盤が出たぞ。一緒に聴こう」
「ユウ、君のためにポテトサラダを作ってみた。味見してくれ」
「ユウ、聞いてくれたまえ!」
そして気がつけば、毎週のようにデート・・・・
いや、僕だって彼女の言いなりになってたわけじゃないよ?
「友達」と「彼女」は違うんだから、ちゃんと線引きはしてた。
してたつもりだった。
でも。
「一緒にお茶を飲んでもいいだろう? 友達なんだから」
「ファッションのアドバイスをして貰いたいんだ、我が友よ」
「友達なら、料理の味見をしてくれるね」
「手を繋ぐくらいいいじゃないか。友達だろう?」
「ユウ、大事な話があるんだ!」
そして気がつけば、全校公認のカップル・・・・・
どうしてこうなるんだろう。
マサに相談したら、黙って首を振った後、肩を叩かれた。
どういう意味だそれは。
「ユウ!」
「あ、はい!?」
「さっきから話しかけていたのだが・・・考え事か? 悩み事なら相談にのるぞ。君と私の仲だからな」
「えっと、そのー・・・ちょっとボーッとしてました」
「そうだったか。驚かせてすまない」
まさか当人に悩みの相談はできないよね・・・・
「いえ。それで話って何ですか? あきらさん」
「うん。いい知らせがあってね」
最近、髪を伸ばしはじめた彼女が微笑む。
学内では”会長は性格が丸くなった”と評判になってるらしい。あんまり変わってない気がするけど。
あ、強いて言うなら笑顔は変わったかな。
以前は作った笑顔だったけど、今は自然と笑えるそうだ。人の上に立つ者は表に出せない苦労が多くて、笑い方を忘れかけていたって。
笑顔を取り戻すのに僕の存在が役に立ったなら、少し誇らしい。
「実は昨日やっと父の許しが出たんだ」
「はあ・・・・・」
嬉しそうに報告するあきらさんへ、曖昧に頷く。
「父にはずいぶん粘られたが・・・最後にはわかってくれたよ」
「それは・・・良かった? ですね」
「ありがとう。ユウも喜んでくれるのはわかっていた」
彼女が僕の手を取った。
「親が勝手に決めた相手と結婚させられるなんて、とても耐えられないからね・・・・本当に嬉しい」
「・・・・え?」
「ユウのご両親に、予定を聞いておいて貰いたいんだ。
家によって考え方は違うものだし、よく話し合っておけば後々トラブルも少ないはずだから」
そうしてあきらさんは、満面の笑みを浮かべた。
「私の父母も同席する。六人で、式の日取りを決めよう」
えっ!?
< 終わる >