妹が帰ってこない。
 ここのところ夜間はふらふらと出歩いているのだが、今夜は特に遅い。
 何とはなしに、玄関の前で立ちすくみながら、ぼんやりと枯れた桜の樹を眺めてみたりする。
「…………」
 戦いに巻き込まれたか、あるいは、戦いに出向いたか。
 妹本人は好戦的な性格をしていないが、そのサーヴァントは別だ。
 敵と見れば、喜んで襲い掛かっても不思議ではない。
 いつ弾けるか分からない、風船のようなサーヴァント。
「よくもまあ、あんなのをサーヴァントにしていられるよ」
 正直に言えば、恐れている。
 第一印象も、その後の印象も最悪だ。
 しかし、妹との仲は良いらしい。
「不良娘め」
 心配をしていないわけではない。
 同じくらい、あのサーヴァント――アサシンの強さを認めているだけだ。
 そもそも二人で夜の散歩と言っても、サーヴァントが勝手に飛びまわっているのをマスターが探している、と言った方が適切だ。
 令呪は隠しているし、アサシンはスキルで気配を消している。
 あるとすれば、アサシンの単独戦闘だろう。
 サーヴァント同士は、本能として敵意を持つという。
 理性と狂気を危うい天秤に掛けているアサシンにとってその敵意は、ダムを穿つ針穴に等しい。
 サーヴァントを律する令呪すら、アサシンに通用するかは怪しい。
「なんで、宝具を使っただけで、令呪が一画消えたんだ」
 ……あのサーヴァントは、呼ばれてはいけないものだったのか。
 破壊という特性を持つ魔力は、近づくだけでも危険だ。
 魔力を豊富に持つ魔術師ならば、その抗魔力で“ある程度は”平気だろう。
 その点、妹ならばそう心配はない。今の彼女は憎たらしいほどの魔力量を誇る。
 それに令呪がある限り、危ういとはいえアサシンの手綱は存在する。
 宝具を使うに当たり、一つ令呪を使うのなら、残るは一回。
 二回使わせれば、マスターを失う、が、
「アイツ、そんなこと関係無しに使うだろうな」
 一応、妹には、戦いになったらアサシンを無視して逃げろ、と言いつけて置いた。
 守るかどうかは妹の勝手だが、今更間桐家の悲願とやらを遂げるほどのやる気はない。
 アサシンが宝具を連発して、マスターで無くなるのなら、それはそれで良いだろう。
「…………いや、拙いか?」
 あんなのを野放しにしたら、消滅までに巻き添えで街一つ消えかねない。
 罪の無い一般人――例えば自分――まで巻き込まれたら不幸すぎる。
「――って、当たり前じゃないか。それが聖杯戦争だ。そういうのは衛宮みたいな奴が考えればいいんだよ」
 もう関係のない話だ。
 今回の聖杯戦争はおかしいし、間桐の家も終わった。
 せいぜい巻き込まれないようにしておけばいい、のだが、



 ――――がさがさがさ、どさっ。



「――――――――」
 明らかに不審な物音。
 間桐家の高い塀を越えて、庭木に引っかかりながら落下したような音は、まさにその通りの出来事を物語っていた。
「厄介事ってのは……」
 向こうからやってくる。望もうと、望むまいと。
 そして、面倒臭い、と思いながらも、足は物音のしたほうへ向いていた。
 誰の影響なんだ、と愚痴りながらも、咄嗟に思い描いたパターンは軽く三十。それを思考フィルタに通して、七つに絞り込む。
 さらに自分の嗜好にそぐわない予想を除くと、不思議なことに頭の中は真っ白になった。
「簡単に言えば、物凄く嫌な予感がする、ってことなんだけど」
 うわー、行きたくねぇー、などと本気で嘆いているのに足は止まらない。踵を返して自室で眠ってしまえばいいものを。
「あー…………いきなり襲い掛かってくるなよ?」
 たっぷり十メートルは離れて、物音がした庭の一角に声を掛けた。
 ごそり、と声が聞こえた人影が反応する様子が伺える。
「すみません。薄いなりとも結界を感じたので――」
「はっ。結界にわざわざ入り込むなんて、大した奴だね。忍び込むにしちゃ、音を立てるのは三流のやることだけど」
 とはいえ、間桐の屋敷の結界は反応していない。
 臓硯が消えて結界も形ばかりになったが、魔力殺しや侵入者感知ぐらいの機能は残している。
 解呪したわけでもなく、それが反応しなかった、というのは中々のスキルだろう。
「結界をくぐるだけに意識を注ぎすぎたってところか」
「……その通りです」
 こちらに敵意がないことを認めてくれたのか、警戒姿勢を解いて、人影は庭木の陰から現われた。

「…………お前、サーヴァントだな?」
 その姿を見て、認めたくは無かったが、認めざるを得なかった。
「ええ」
 と答えるサーヴァント。

「マスターは?」
 問う。
「…………。……不在です」
 若干の逡巡と、後悔を滲ませる。
「クラスは?」
 問う。
「――アーチャー」
 手に持っていた幾本のナイフを、いつの間にか消しながら。
「真名は?」
 問う。
「――――十六夜、咲夜」
 月光の下、メイド服を着た銀髪のサーヴァントは、スカートを摘まみ、瀟洒に礼をしてみせた。







 東方Fate(仮)







 二月三日、日曜夜、十時手前。
 士郎、凛、セイバー、ライダーの四名は、深山町の分岐点である交差点へ戻ってきた。
 二時間ほど深山町を探索した後、何事もなく、戻ってきてしまっていた。
「――――」
 遠坂凛は訝しげに思案する。
 聖杯戦争が始まっており、令呪もサーヴァントも隠していない。
 魔術師である遠坂凛と、常に実体化しているセイバーは、餌として申し分ないはずなのだが、なんら手ごたえが無い。
 戦いの気配すらなく、辛うじて残滓があるのは、昨晩士郎たちが狙撃されたこの交差点ぐらいなのだ。
 霊体化しているライダーが、時折上空に昇って哨戒してみるが同様で、深山町は静かなものだった。
「…………」
 まだ夜になって間もないし、新都の方に集まってるのかもしれない。
 結論を出すには早い。そう、凛は判断した。
「新都へ行きましょう。深山町側にこれといった異常はないようだ」
 セイバーの提案に、士郎と凛は頷いた。






 交差点を下り、やはり何事もなく大橋に辿り着いた一行は、道路脇の歩道橋を渡る。
 終バスまで幾分の猶予があるこの時間帯、道路には時々車が走っているが、歩道橋に他の通行人は皆無だ。
「そういえば」
 新都の高層ビルの方を眺めていたセイバーが、思いついたように口を開いた。
 何か気づいたのか、と士郎と凛が注意を向けると、
「別段、大したことではありません。ちょっと気になったもので」
 何だ? とライダーが声だけ出して訊く。
「聞いたところ、ランサーは吸血鬼だそうですね。その弱点の中に“流水”がありますが、彼女はこの川を渡れるのでしょうか」
「橋が架かっているから平気だろ。橋以外のところだと失速するかもしれないが」
 割とアバウトな返答である。
 ライダーが補足するには、吸血鬼の癖に湖に近いところに館を構えているし、日中だろうと遊びに出かけるから、相当融通が利くんじゃないか、とのこと。
 なるほど、とあらかじめ話を聞いていた凛とセイバーは改めて納得して、初めて聞いた士郎は、へぇ、と感心した。
「日中でも出歩けるんだな」
「いやまあ、出歩けるって言っても、日傘片手だよ」
 直射日光を浴びれば気化してしまうし、強力な死徒が太陽を克服できることを考えると、致命的だ。
「確認しますが、ランサーが苦手とするのは日光なのですね?」
「直接的な弱点って意味なら、イエスだ。明るいのは嫌いだそうだがね」
 それを聞いて、セイバーはふむと頷き、
「通常の手段で完全に打倒するのは難しそうだ」
 そうだな、とライダーが同意。
 サーヴァントという枠組み故、首と心臓に霊核が当てられているはずだが、本来ならコウモリ一匹分でも残れば、そこから復活するほどの化け物だ。
 セイバーやライダーとは違い、核を潰されたとしても致命傷にはならないかもしれない。
 そんな話を交えながら橋を渡り終えると、
「じゃ、次は趣向を変えていきましょう」
 と、凛が言った。
 ライダーが実体化すると士郎の隣に立ち、凛はセイバーの手を取る。
 士郎とライダー、凛とセイバーの二手に分かれ、凛とライダーが念話で連絡し合い、ある程度見て回った後、中央公園で合流。
 そのプランでいいか、と凛が訊き、セイバーと士郎の了承を得て、二組は新都の探索を開始した。




 深夜に入る頃になっても、新都はまだ人が多い。
 聖杯戦争が始まっていると言えど、それは裏の話。
 駅前では若者がたむろし、ビルからは未だ仕事中であることを示す明かりが漏れている。
 凛とセイバーは適当にナンパをかわし、人群れから距離を置きながら、駅前からビル街へと歩いていた。
 人通りの無いビル街に至って、凛は呟いた。
「……空振るわね、これは」
「そうですね」
 セイバーが同意する。深山町と同じく、全く手ごたえがない。
「ここまで何も無いと、偵察用の使い魔を飛ばすのも躊躇するわ」
 少しは監視の目が光っているだろう、と予想していたが、そんな様子は感じ取れない。
 昨夜はあっさりと遭遇したので、こうも反応が無いのは想定外だ。
 不思議ですね、とセイバーが言った。そうねー、と凛は同意して、昨夜の、顔見知りだというのに本気の殺し合いをやったライダーとランサー戦いを思い返してみた。
 キャスターやアサシンのクラスのサーヴァントならともかく、ランサーは好戦的な上に直接の戦闘力も高い。
 セイバーに威圧されるような性質(たち)ではないはずだ。
「もしかすれば、彼らはあまりやる気ではないのかもしれません」
 彼ら、というのはライダーやランサーなどイレギュラーとして召喚された幻想郷の住人を示す。
 ライダーやランサーは攻性、好戦的だが、それは彼女たち二人だけで、他のサーヴァントは自ら打って出るといった積極性を持たないのではないか、とセイバーは口にした。
「一理あるけど、わたしもライダーを召喚した後、気になって訊いてみたの」
 貴方や、貴方たちは聖杯を求めるのか、と。
「なんて答えたと思う?」
「……あまり思いつきません。――貰える物なら貰っておく、とでも言ったのでしょうか」
「大正解」
 ぱちぱち、と笑いながら凛が拍手し、反応を窺うように続けた。
「オマエさんと同じだぜ、だってさ」
 聖杯に望む願いは無い。
 ただ、手に入るのなら手に入れるのだ、と。
「なるほど。貴方方らしい」
 くすくすとセイバーは笑った。
 サーヴァントはマスターに近い気質を持つ者が呼び出される。
 触媒を用いず召喚を行った凛と、呼び出されたライダーでは、特にそれが顕著なのだろう。
「……しかし、それではやはり、彼女たちは聖杯に興味が薄いのでは?」
「聖杯には、ね。でも、こうも言ったの。『ここまでお膳立てされてるんだ。躊躇する理由はないだろう?』ってね」
「聖杯戦争自体には乗り気だと」
 そう、と凛は首肯するが、
「……って、思ってたんだけど」
 どうなのかしら、と嘆息した。
 こうも反応がなければ疑わざるを得ない。






 夜の港に人気は無い。
 人気を避けるように士郎とライダーは海岸線に至っていた。
 夜も更けてきたが新都には人気が絶えず、そんな中を実体化したライダーが歩けば目立つ、と士郎が判断したのだ。
「そんなに目立つかね?」
 と、ライダーは首を傾げたが、黒主体にエプロンドレスの白が映える上に、箒こそ今は持っていないが、いかにもな帽子が季節外れのハロウィンを連想させる。
 そんな自分の格好に頓着しないライダーは、海の匂いや潮騒に触れていた。
「おー、海だなぁ」
 夜だと流石に真っ暗だな、と海面を覗き込むライダー。
「最初、でっかい湖だと思ったけど、全然違うな。こんな時じゃなければ、海釣りってのをやってみたいぜ」
「…………? 海、初めてなのか?」
 士郎の問いに、応、と答えて、ライダーは箒を手に持つと、釣竿に見立てて振りかぶった。
「幻想郷に海は無いからな。一応知識としては知ってたし、さっきの橋や公園とかからでも見えたんだが、海岸まで来たのは初めてだ」
 こんな港じゃ海岸って感じはしないがな、と対岸の磯の方を眺めながらライダー。
「海がない、って……。じゃあ、塩とか魚とかもないのか?」
「塩と魚? いや、あるぞ。そういえば最近は鰯が大漁で、鯨が減ってたな」
「…………ええ?」
 テンポの飛んだ台詞と因果関係を把握できずに混乱する士郎をよそに、ライダーは踵を返し、言った。
「――さて、マスターからの連絡だ。のんびりと歩いて、中央公園で合流だと」
 どうする? とライダー。
「じゃあ、しばらく行って、適当なところで街のほうへ曲がろう」
 二人で漁港を後にし、海岸沿いに、まだ足を運んでいなかった工場区域の方へ進んでいく。
「…………念のためとはいえ、やっぱり気配は無いか」
 歩きながら気配を探っていたライダーが、予想はしてたが拍子抜けだな、と無感動に呟いた。
 ライダーと凛の思惑としては、ランサーとの再戦か、あるいはキャスターの陣地の目星をつけたかった。
 ランサーとバゼットに対する策は当然立てていたし、そうでなくても、大抵のサーヴァントならセイバー単独で倒せるだろう。
 陣地作成のスキルを持つキャスターは時間を与えるほど魔力を溜め込み、強力になる危険性もあり、対魔力のスキルから相性の良いセイバーが今は味方側に居る。出来れば速攻で倒したいクラスのサーヴァントだ。
「――む」
 しかし、ライダーの発言を拾った士郎は口を尖らせた。
「何もなかったんだからいいじゃないか」
「――――…………」
 明かりと工業用機械の動作音が漏れる工場の様子を伺っていたライダーは振り返り、少しぽかん、とした表情をした後、苦笑を噛み殺して、意地悪く言った。
「なんだ。お前さんはこの戦争が長引いた方が良いのか?」
「――――え」
 士郎にとっては予想外の、ライダーの返しに言葉が詰まった。
 だってそうだろう? とライダーはにやりと笑う。
 平穏を望む、その心の動きは人として当然で、ライダーも分かっている。
 しかし現実に平穏の裏で異状が起きているのなら、それを解決しなければならない。少なくとも、士郎はそれを終わらせるべく動いているはずだ。
 聖杯戦争を終わらせるには自分で勝ち抜いたほうが手っ取り早い、と教会の神父は言い、聖杯戦争における被害と犠牲を無くすために、自分から戦うと、衛宮士郎は決めたのだから、戦いに対して消極的になってはいけないはず。
 しかし、そんなことを考える間もなく、何もない、ということに安堵していた。
「…………いや、それは」
 理由を言うならば、感情の先走り。
 しかしそうと説明するわけにもいかず、士郎は口を噤んだ。
 理由が無いのにムキになったその言い訳、言葉を搾り出そうと、回転する思考に、

『――――喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う』

 教会の神父、言峰綺礼の言葉が反響していた。
 考えないように、曖昧にしていた自己矛盾。
 ライダーの問いは、それを士郎は今一度突きつけるものだった。
(違う。そういうわけじゃない)
 正義の味方になりたければエゴイストになれ、と彼の父は言った。
 十ある内の一を捨てて九を助けよ、それが人の身の限界なのだ、と。
 だが、それに反発したのが衛宮士郎という人間であり、その折り合いは未だに、この期に及んですら付いていない。
「…………」
 故に、衛宮士郎は答えられない。
 話すべき理由が無い。立場が無い。
「まあ、本調子じゃないみたいだしな。戦いを避けるのも当然か」
 思考の袋小路に入った士郎に、ライダーが一人で合点がいったように頷いていた。





 そして内心では、なんとも言えないな、とライダーは呟いていた。
 もうここらで見るべきものは無い。先導するように公園へ、歩を進める。方向はマスターの位置からおおよそわかっていた。
 ちらりと士郎がついて来るのを確認しながら、こっそり嘆息する。
(危なっかしいとは思っていたが、ここまでとは……)
 自分とてイレギュラーのサーヴァントだが、彼はイレギュラーなマスターだ。
 どちらが聖杯戦争を知っているかと言えば、彼女に軍配が上がるだろう。
 理屈はともかくライダーには、サーヴァントとして召喚され聖杯から刷り込まれた情報がある。
 最初から戦うための存在、という位置付けがされている以上、既にライダーに迷いは無い。
(私は、聖杯戦争のサーヴァント・ライダーで、真名は霧雨 魔理沙)
 呟いた言葉は現実感が欠けていた。
 幻想郷ではないところに居る自分が、聖杯戦争という殺し合いに参加しているというのに、それに違和感を感じないという違和感。
 夢を見ている感覚。役を演じている気分。
 今の自分は、殺せるだろう。殺したい、とは思わないが。
 自分の“普通”がシフトし、ライダーとしての自分が確立していて、迷わない。
 そう考えるライダーとて、思うところが無いわけではない。
 しかしこれ以上考えても仕方の無いことだと、割り切ってしまっている。
 一方の彼は、それ以上に、酷く歪だ。
 戦いたくないくせに、自身に戦いを強要している。
(過程の問題かね?)
 唐突な舞台設定に、役作りが出来ていない。
 自分の立場を定めるに至る、段階を得られていないのか。
 目標が高すぎて、折り合いを付けられていないのかもしれない。
 その、妥協すべきところで出来ないことを、ライダーは指摘できない。
(私じゃなくて、アイツに似ていると思ったんだけどな)
 益体の無い思考に苦笑する。誰にだって似るところはあるのだ。
 端から見れば、ライダーとそのマスターの凛が似ているように。
(だったら、コイツとセイバーの似たところ……って、どこだ?)
 今は共闘中であるセイバーは思い描く。
 片や最強最優、聖杯戦争優勝候補と、片や素人同然の魔術師。
 スペックでは対極に位置する両者の類似点は、中々思い浮かばない。
(…………。まあ、いいか)
 頭を切り替え、適当に話を振ることにする。
 今すべきことは、別にあるのだ。





 新都中央公園で、二組は合流した。
 士郎とライダーが到着すると、凛はすぐにライダーを呼んだ。
 凛とライダーの二人はそのまま公園の奥へ入って行き、公園の木々や荒れた地面を検分し始めた。時折、断片的に話し声が聞こえてくる。
「――……だけど、どう? ――……」
「そうだな――……確かに、……――」
 樹の一本を念入りに調べ、さらに地面を撫でて感触を確かめている。
 なんとはなしに士郎はそれを眺めていると、セイバーがやってきて説明した。
「公園に着くと、すぐに凛は昨夜と様子が違っていると言っていました。微細な違和感だそうですが調べているうちに、ライダーの意見も聞きたい、と言い、待っていました」
 ここでランサーと戦ったと言っていたから、その時と違うのか。
 一箇所を見終えると、また少し離れた別の場所へ二人は移った。
 灯りを持っているように見えないが、なんらかの魔術が働いているようで、彼女らの周囲だけ影が消えるように隈なく照らされている。
 その明かりの中、ライダーと言葉を交わしていく凛の表情が変わっていくのが士郎にもわかった。
「…………」
 何故かその時、衛宮士郎は軽い衝撃を受けていた。
 衝撃を受けている自分に気づき、それでまた驚く。
 なんで、と戸惑い、気づく。
(遠坂たちはやる気なんだ……)
 真剣に、聖杯戦争を勝ち抜こうとしている、彼女たちの姿勢。それに士郎は気圧されていた。
 存外にライダーの台詞は自身の立ち位置を揺さぶっていたのか。彼女たちと一緒に居るということが場違いに思えたのだ。
「――――ふぅ」
 だからと言って戦いから逃げたりなんか出来ない。
 煮え切らない迷いを何とか吐き出して、士郎は思考を整えた。
「シロウ、体調が優れないのですか?」
 傍らに立っていたセイバーが案じてきた。
「いや、大丈夫。ぼんやりしていただけだ」
 実際、体のほうは問題なかった。
 火照りも夜の空気に適度に冷やされて、稽古や歩き回った今日一日分の疲労があるだけだ。
「ライダーとは、何か話しましたか?」
「――――」
 だから問題があるとすれば心のほうだ。
 ライダーのからかいの様な問いが、頭の中で空回りし続けている。
「いや、特には――」
 ぎくりとした士郎は、そう簡単に返そうとして、思いとどまった。
 こちらを覗き込むセイバーの眼が真っ直ぐだったことと、

『――私には、聖杯戦争にかける目的があります』

 衛宮邸の居間、夕食の席で、セイバーはそう切り出したことを思い出したからだった。
 その目的を、未だ衛宮士郎は聞かされていない。
 既に多くの、驚愕すべき事柄を聞かされていても、セイバーはマスターである士郎にさらに多くの隠し事をしていた。
 真名も目的も明かせない。その事をセイバーは申し訳なさそうに詫びた。
 別にそんなことはどうでもよかった。
 彼女に目的があるのなら、彼はそれを手助けするだけだ。
 彼には必要のない聖杯を、彼女が求めているのなら、聖杯戦争を勝ち抜いた末に手に入れればいいし、セイバーには聖杯戦争を勝ち抜くだけの強さがある。
 そこに何の問題も存在しない。衛宮士郎は、ただセイバーのマスターで居るだけで良い。

 ――しかし、だからこそ、衛宮士郎には問題となった。

 彼にとってこの聖杯戦争そのものが肯定できない“おかしなこと”なのだ。
 十年前の出来事を起こしたものを、繰り返すことなど許せない。
 出来得ることなら、全てのマスターに戦いを放棄させたい。
 でもそんなことは出来ないから、自ら戦うしかない。
 しかし実際に戦うのは彼ではなくセイバーだ。
 セイバーは強い。文句無く強い。それは身をもって教えられた。――衛宮士郎では戦力にならないということも。

 ――何かが足りない。

 致命的なほどに、ボタンを掛け違っている。
 そのことを感じながらも、衛宮士郎は気づけない。
「――身体と魔術の調子を訊かれた。それと……」
 故にあがく。
 自分のつまらないわだかまりで、セイバーの足を引っ張ってはいけない、と強く念じる。
 それぐらいしかできないのだからと、上の空で交わしたライダーとの会話を思い返す。
「……令呪の使い方も話したっけ」
 三回限りの絶対命令権。
 マスターとサーヴァントの魔力次第の奇跡を起こし、令呪の効果は強制。
 瞬間的、単一的な命令ほど効果が強く、長期的、抽象的な命令ほど効果が薄くなる。
「制限よりも、増幅として用途が重要なんだ、ってライダーは言ってたっけ」
 曰く、ちょっとした切り札になる、と。
 彼女たちは互いの素性が知れているため、手の内もある程度読まれてしまう。
 それを裏切らせるために、令呪の使いどころを見極めなければいけない。
「場合によっては宝具の応酬になるんだと」
「彼女たちは英霊ではないですから。宝具とされているものも、便宜上、宛がわれていると言っていい」
 弾幕ごっこ、スペルカードシステムと、ライダーは言っていたか。
 得意技を用いた決闘方式に於いて、スペルと呼ばれる攻撃は各々の得意技に名前をつけたもので、必ず宣言して使用しなければならない。
「宣言が必要、というところが宝具に似ていなくもありません」
 宝具の真価を発揮させるには、真名を以って開放させなければならない。
 英雄と宝具は代名詞のような関係で、使用することは正体を明かすことに等しいため、切り札として慎重を期す必要ある。
 もちろん、英雄であれば、だが。
「一方でスペルは唯一のものではないし、そもそも事故死はあっても殺すつもりで使うものではないそうです。宝具とスペルを同列に扱うのなら『宝具の応酬』と言えますが、一概にそうとは言えない」
 普通、宝具はサーヴァント一人に一つ。
 複数の宝具を持つ英雄とて、サーヴァントとして召喚された以上、宝具は制限される。
「じゃあ、ライダーたちの宝具ってどうなるんだ?」
「スペルの中からクラスに相応しいものが宝具として設定されている、と考えるべきでしょう。あるいは宝具に相応しい何かを持っているのなら、そのまま宝具として昇華されているかもしれません」
 クラスという器に召喚される英霊と違い、クラスいう役割に持ち上げられるカタチだ。
「ライダーは魔術師で、キャスターの適正があります。おそらくそちらのほうが適正が高いでしょう。ですが、ライダーとして召喚された以上、ライダーとしての宝具を持っている、と推測します」
 霧雨魔理沙という人間が、サーヴァント・ライダーという役を担うための補正。
「…………? えっと?」
 首を傾げる士郎に、例えばの話ですよ、と前置いて、
「シロウがアーチャー――いえ、セイバーのサーヴァントとして召喚されるとしましょう。その場合、セイバーとして、何らかの剣に関連する宝具が付与されるわけです。また、セイバーのクラスは単純なスペックでは最強ですから、能力値もそれに近づくように補正を受けると思われます」
 正常な聖杯戦争に於いてはありえない現象だが、ライダーによるとそう推理されるらしい。
「――もし、ライダーに、ライダーとして以外の確固とした宝具があれば、彼女の宝具は二つあることになります。もしこれが他のサーヴァントにも当て嵌まるのなら『宝具の応酬』という言い方も、あながち間違っていないのかもしれません」
 そうセイバーは言って、一度、凛達に目を向けた。
 二人は公園の奥で、何かなぞるように調査を続けているが、ゆっくりとこちらに向かってきているようでもある。
「シロウ。令呪の使い道ですが――」
 最後の確認、という風にセイバーが問う。
「私が言った――令呪の使用は一回に限る(ルビ部分)(・・・・・・・・・・・、という条件を漏らしてはいませんか?」
「――大丈夫、だと思う。……令呪は大事だから極力使わないようにする、っていう話はしたけど」
 最初にライダーに問われてから、ぼんやりとしていたため少し自信がないが、迂闊な事は言っていないはず、と士郎。
 そしてセイバーは小さく、すみません、と改めて謝った。
 隠し事が多く、秘密を強いていること。そしてその理由も今は話せないことを。
「……他に、ライダーと話したことはありませんか?」
 今度こそ、最後の確認だろう。
 セイバーの声はやや軽く、視線は士郎ではなく凛たちのほうへ向けていた。
「――――…………」
 だが士郎は口を噤んだ。肯定も否定もできなかった。
 最初に話し、衝撃を受けたことを、まだ伝えていない。
 わからない。自分が聖杯戦争に加わる意義を見出せない。
(こんなこと……セイバーに言ってもいいのか……?)
 でも言わないと。衛宮士郎は半端だと。
 決めたと思った覚悟は、軽い一言で揺らぐものだったのだと。
「セイバー、あのな――」




 そしてセイバーは、
「ふむ。なるほど」
 と、あっさりと頷くのであった。
 意を決して告げたことをあまりにも軽く受け止められたので士郎は逆に不安になったが、セイバーは泰然として言う。
「考えすぎ、とは言いませんが、シロウの情動は自然なことだと思います」
 衛宮士郎が魔術に触れていたとしても、今まで平穏に暮らしていたのだ。
 それがいきなり戦いに巻き込まれ、そのまま加わるという事態、容易には認められるはずがない。
 確かに彼は戦うと決めた。しかし、十年前の大火事を起こしたモノと、今現在の状況が結びつかないのだ。
 ――故にその覚悟が揺らぐ。
 街に異常は無い。魔術の気配がない。
 異常を異常として認識する要素に欠けていて、これでは本来の聖杯戦争の姿を認識し難くとも無理は無い。
 ……言ってしまえば、無関係の人間に被害が出ていれば、士郎の悩みは深くならなかった。
 サーヴァントは魂を食事とし、蓄えることで力をつけることが出来る。そして、聖杯戦争に於いて魔術行使は認められ、目的のために手段を問わないのが魔術師の在り方だ。足りないものを他から補うという行為は婉曲に肯定されている。
 聖杯戦争が穏便に終わることなどありえない。だが、今は場違いに平穏なのも事実。
「シロウ、もう一度教会に行きましょう」
 えっ、と神父への苦手意識から戸惑う士郎に、セイバーは言う。
「迷いを抱えたまま勝ち抜けるほど、この戦いは甘くありません。――アインツベルンのこともあります」
 あの神父ならば取るべき道を示唆してくれるだろう、と。
 士郎の迷いは既に通過済みのもの。彼自身が戦うと決めたときにとうに踏ん切りはつけたはず。
 明確な後押しさえあれば――たとえそれが毒を以って毒を制すという手段であっても――衛宮士郎はこの聖杯戦争のスタートを切ることが出来る。
(…………この程度は予想の範囲内ですが)
 衛宮士郎は戦う理由を一時見失うのだ。この戦いがいかなる展開を迎えても。
 すんなりと進行するはずがなかった。
 衛宮士郎という存在は歪過ぎて、どう賽が転がろうと、問題が噴出する。

 ――その程度、支え切れずして何がサーヴァントだ。

 そんなこと、とうに、セイバーは覚悟を決めていた。







 坂の上、海を望む高台の広場に教会がそびえる。
 昨夜の焼き直しのようにセイバーとライダーは広場で待機し、士郎と凛は礼拝堂に入っていた。
 深夜の礼拝堂は灯りこそ点いていたが監督役の神父は不在。
 昨夜同様に奥へ向かおうとするのかと士郎は思ったが、凛は少し考える時間が欲しいから、としばらくここで待つと言う。
 壁に寄りかかってぶつぶつと考え事をしている凛を、士郎は祭壇近くの椅子に腰を掛けて眺めていた。

 ――奇遇ね。わたしたちも教会に行こうって考えてたところ。

 セイバーと話していた士郎に、探査を終えてやって来た凛は硬い表情でそう言って、一息吐いた。
 何かあったのか、との問いに、まあいろいろ、と曖昧に返答した彼女は神経質になっているようで、何か気に障ることがあったのだろうか、と衛宮士郎は首を傾げる。
 公園を調べた後はあからさまだが、昨夜、衛宮邸に緊急退避して来た時点から、どこか苛立っている節があった。
 一体、何について考えているのだろう、と士郎はひとまず自分の悩みを棚に上げる。
「…………ん、なに?」
 そんな士郎の視線に気づいた凛が顔を上げる。
 考え込んでいた表情は消えて、涼しげないつもの顔になり、士郎はどぎまぎとしつつも、
「公園で何を調べてたんだ?」
 と、訊いてみた。
「んー? 魔力の形跡をわかる範囲でちょっとね」
「昨日、あそこで戦ったんだよな。ランサーと」
「そう。それで見覚えの無い形跡があったから、ちょっと調べてた。魔力の残滓で他のサーヴァントとか探れるかもしれなかったから」
 でもまあ、と凛は嘆息して言う。
「無駄になりそうな気がするけどね」
 なんでさ、と怪訝に首を傾げる士郎。
 そんなやり取りをした後、ようやく言峰綺礼が姿を見せた。
「早速、二人揃って棄権しに来たのかね」
「そんな無駄口を聞きに来たんじゃないわ」
 あっさりと切り返した凛に、苦笑気味に息を漏らして、じゃあ何用か、と神父は問う。
「昨夜、新都中央公園で戦いがあったのは把握してるわね」
 確信を持って凛は言った。
 何故わかるのかと士郎が疑問を抱く間も無く、ああ、と監督役は首肯した。
「後始末をしたんだから当然よね。そうでなくてもここからなら新都は丸見えなんだし、アンタは監督役なんだから」
「ああ。一部始終、とまではいかなかったがね」
「具体的に、どのあたりから見てたの?」
「ライダーのサーヴァントとマスターが戦域を離脱した後からだな」
 暗に、逃げたことを笑っているかのような言葉を意に介さず、
「――その後、どうなった?」
 端的に、凛は訊いた。
「…………」
 やれやれせっかちだな、と肩をすくめ言峰は、
「――昨夜、新都中央公園で、」
 それこそ笑みをかみ殺して、告げた。
「アーチャーとアサシンのサーヴァントの撃破が確認された」



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