突然の白昼夢に、
「は――――」
 呆然としていた士郎は慌てて我に返り、目の前の少女に焦点を合わせた。
「…………」
「…………」
 少女と士郎の目が合う。すると、
「こんにちは。お兄ちゃん」
 白い少女はにっこりと笑って言った。
 士郎は戸惑いながらも挨拶を返そうとする、が、その前に、
「よかった。ちゃんとセイバーを召喚出来たんだね」
「――――!」
 その言葉で、瞬時に士郎の思考が切り替わった。

 ――元々予感はあった。
 頭の片隅で、あれはもしかしたら、と思っていたのだ。
 あれは聖杯戦争絡みなのか、あの女の子はマスターなのか、と。

「お前は……」
 警戒も露に、士郎が声を絞り出す。
「――イリヤ」
「え?」
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。私の名前。長いからイリヤでいいよ」
 一息に言って、微笑む少女。
「――お兄ちゃんのお名前は?」
 名乗られ問われて、士郎も名乗り返す。
 明らかに外国人であるイリヤには日本の氏名は言いづらいのか、妙な発音の衛宮士郎を繰り返した。
 言いづらいのなら士郎でいい、と言うと、しっくり来たのかイリヤは、合格、と笑った。
「…………」
 その笑顔に、イリヤの敵意の無い態度に、士郎の警戒は薄れた。
 身体を硬くしていた緊張がやや緩む。
「イリヤは、その、聖杯戦争の……?」
 それでも流石に核心に迫るのには勇気を要した。
「マスターよ」
 と、少女は頷き、肯定する。
「――――」
 予想通りであるが、士郎は衝撃を受ける。
 こんな女の子がマスターで、殺し合いをするのか、と。
「やる気なの? でもお日様が出てる間は戦ったらダメなんだから」
「……いや、やる気はない。こんなところで戦おうってマスターがいたら、俺の方が止める」
 よろしい、と言わんばかりに微笑むイリヤ。
「…………凄い荷物だね。これ、全部食べるの?」
 ベンチにずらりと並んだ買い物袋が気になったのか、イリヤの問い。
「一度に、ってわけじゃないから。数日分をまとめて買ったんだ。……その、あんまり出歩くのは、無用心だろ」
「そうね。わたしならともかく、昼でも戦おうとするマスターが居てもおかしくない」
「イリヤは大丈夫なのか?」
 もしかしたらすぐ側に霊体化しているサーヴァントが居るのかも、と士郎は思う。
「平気よ。そう遠くには行ってないと思うし、いざとなったら令呪で呼べばいいもの」
 そういえばセイバーも何かあったら令呪で呼べ、と言っていたな、と士郎。
「お兄ちゃんこそ平気なの? こんな風にマスターを一人にしてたら、シロウは無防備なんだからさらわれちゃうよ?」
「ああ、一緒に買い物してたんだ。すぐ近くに――」
 噂をすれば影。
 公園の入り口のほうに、新たに紙袋を抱えたセイバーの姿が見え、セイバーも士郎たちを見つける――や否や、セイバーは風を巻き起こして士郎の側に駆けつけた。
「うわ!? なんだセイバー!?」
「――――無事ですね」
 突如疾風と化したセイバーに驚く士郎。
 それを見て、ふぅ、とセイバーは安堵の溜め息を吐いた。
「……それがシロウのサーヴァント?」
 いつの間にかイリヤは警戒するように、士郎たちから距離を取っていた。
「シロウ、彼女は? マスターではないのですか?」
 同じように警戒しているセイバーが問う。
「いや、その、イリヤは……」
 敵じゃないんだ、と言うわけにもいかず、説明に困る士郎を遮って、
「貴女、昼間からやりあうつもり?」
 イリヤは鋭く問い返した。
 その口調は、逸るセイバーを嘲る調子を含んでいて、
「む……」
 と、セイバーは鼻白んだ。
 そんなつもりはありませんが……、とセイバーは嘆息して一歩引いた。
「敵意は無い、と?」
 士郎とイリヤ、両方にセイバーは訊いた。
 頷く両者に、
「…………むぅ」
 セイバーはもう一度深く嘆息すると、抱えていた紙袋から大判焼きを取り出した。
「お詫びというわけではありませんが、二人とも話しをしていたのでしょう」
 イリヤに向かって差し出す。
「くれるの……?」
 差し出されるイリヤは戸惑いがちに訊いた。
「ええ。ここは冷える。冷めると美味しくなくなりますから、早く」
「……ありがとう」
 間合いを取っていたイリヤは、おずおずとセイバーに近づいて大判焼きを受け取った。
「シロウもどうぞ」
「あ、ああ」
 士郎に一つ渡し、自分も一つ取り出したセイバーは早速、ぱくり、と食べ始めた。
「…………」
 セイバーの様子を見て、イリヤも真似するように食べる。
 そして戸惑っていた表情が、
「……美味しい」
 と笑みに変わった。
 それを眺めながら、こっそりと士郎は傍らのセイバーに問う。
「…………いくつ買ったんだ?」
「十二個です」
 士郎、凛、セイバー、ライダーの四人かける三個の計算らしい。
(食べられないことはないだろうけど……流石に遠坂は三つも食わないだろうなぁ……)
 むしろ、イリヤにお裾分けしてちょうど良い数だった。
「ごちそうさま」
 しばらくして、イリヤが食べ終わる。
「さて、私は少し離れましょうか。マスター同士で話があるのでしょう」
「いいのか?」
 士郎が問う。
「構いません。近くにサーヴァントの気配はありませんし、今このマスターを倒すのはシロウの方針ではない。……もし私が彼女に斬りかかっていったら、マスターは令呪を使ってでも止めかねませんから」
 そう言って、セイバーは荷物をベンチに残したまま、公園の出入り口のほうへ歩いていった。
「…………えっと、何か用なのかイリヤ?」
「用なんてないよ。お話したかっただけだもん。……駄目なの?」
 そうして二人残された士郎とイリヤは、ぎこちなく話し始めた。



 二十分後、士郎とセイバーは衛宮邸の帰路に着き、坂道を上っていた。
 大荷物を抱え、イリヤスフィールとの話の内容を確認している。
「結局、話したことは他愛のないことばかりだったのですね」
「そうだなぁ。一応、昨日の狙撃はイリヤの仕業じゃないということは聞けたけど」
「誇り高い彼女なら、堂々と真正面に立ち塞がって来るのでしょう。――宣戦布告もされたということですし」
 会話の終わり際、イリヤはそれまでと変わらない笑顔で、

『それじゃ、シロウ。――夜に会ったら、殺してあげる』

 そう、宣言したのだった。
「よくわからない子だったなぁ……」
「同感です」
 衛宮邸に着いた。
 セイバーが玄関を開け、士郎も続く。
 台所に荷物を運び、士郎はそれらを整理しながら入れる。
 大量の食材を冷蔵庫一杯に入れる作業は、それなりの時間が掛かり、やることの無くなったセイバーは、途中で一言残して台所を離れた。
「…………これで、よし、と」
 しばらくして士郎が詰め込みを終えて振り返ると、居間には凛が立っていた。
「随分買い込んだのね」
「明後日ぐらいまでは持たせようと思って」
 その分鍛錬に当てたい、という士郎の意気込みに凛はへぇ、と頷いて、
「じゃ、早速、魔術講座と行きましょうか。準備は出来てるわ」



 士郎が、どこでするんだ? と訊くと、私の部屋、という凛の返事。
 衛宮邸の客間は、既に遠坂凛の所有物になったらしい。
 実際、客間は様変わりしていた。
 スケジュール表のようなものが張られたり、魔導書らしき本が積まれていたりと、ベッドと机程度しかなかった客間は一気に生活感のある部屋になっていた。
「あれ、ライダーは?」
 客間に入った士郎の問い。部屋の中にライダーの姿は無かった。
 なんとなく凛の部屋に居るのだろう、と士郎は思っていたのだ。
「準備を手伝ってもらってたけど、もう終わったから外してもらったわ。今回やることは、誰かの手を借りなくてもいいから。士郎の技量次第よ」
「む……。お手柔らかに頼む」
 畏まる士郎に、まあ座って、と凛はクッションを差し出した。
「って、言ってもね。今日やることはたった一つよ。――スイッチってわかる?」
「スイッチ?」
 首を傾げる士郎。
「やっぱりね……」
 呆れた、と言わんばかりに嘆息して、凛は鞄の中からアンティークなランプを取り出し、士郎に渡した。
「物凄く不安なんだけど、とりあえず、これを強化してみて」
 そう言われるとやりづらいな、と士郎は気圧されつつも、雑念を排除。
「同調開始――」
 集中し、魔術回路を作成――背骨に焼けた鉄の棒を入れていくイメージ。
 いつも通り、士郎は自身の魔術を行使し、
「――――あ」
 ぱりん、とランプのガラスは砕けたのだった。
 明らかな失敗だ。
「…………わかっちゃいたけど、目の当たりにするとぞっとするわね」
 凛は落胆から、次第に怒りへと感情をシフトさせていき、士郎の魔術、そして士郎の師への文句を吐いた。
 親父は関係ないだろ、と反論する士郎をよそに凛は荷物から、赤いドロップのような物を取り出した。
「はい、それ飲んで」
 士郎に渡し、飲ませる。
 言われたとおりに士郎は、口に入れ、無理やり飲み込んだ。
 なんだこれ、と訊く士郎に、宝石に決まってるじゃない、と凛は答えた。
 絶句して狼狽する士郎を、凛は落ち着かせ、そして気合いを入れさせた。
「――――!」
 どくん、と、士郎の中で鼓動が生まれる。
 体内で融け始めた魔力の塊が、彼の魔術回路を強制的に開いていく。
「…………っ、――――!」
 士郎にとっては魔術の失敗に似た感覚。それを必死になって抑える。
 呼吸を整え、意識を集中し、少しずつ消失した身体の感覚を取り戻す。
「…………ふぅん、自身のコントロールは上手いんだ」
 内界と格闘している士郎の様子に、魔術回路とスイッチについて語っていた凛が感心する。
 そして再び、失敗上等、と士郎にランプを手渡した。
「…………」
 身体の熱を持て余しながら、士郎はランプを強化し、ガラスを砕く。

 ……ぱりん、……ぱりん、……ぱりん。

 魔力の調整なんてできるはずもなく失敗が続き、いくつ持っているのか凛は十個目のランプを取り出し、渡す、と、
「――あ、そういえば」
 一度出したランプを引っ込ませて、机の上からペーパーナイフを取り寄せた。
「ちょっと、こっちを強化してみて」
 と言って、渡す。士郎の目には、そこらで売っているペーパーナイフに見えた。
「これも遠坂のなのか?」
「ううん。セイバーが買ってたみたい。士郎のことを相談したときに渡されたの」
「ああ、そういえば……」
 ついでにと生活雑貨の類を買うときに入っていた気がする。
「じゃあ、ほんとに量販物か」
 なら壊しても平気かな、と意識を集中し、構造を把握し、強化した。
「…………あれ?」
「――――あら? ちょっと貸して。……ふぅん?」
 凛はペーパーナイフをじろじろと調べ、試しに紙を切ってみると、すぱっと鋭い切れ味を見せた。
 士郎の強化が、成功しているのである。
 そのことを確信すると、凛は感嘆の溜め息を吐いて言った。
「セイバーって、凄いわね」
「? なんでセイバーが出てくるんだ?」
「士郎の属性を見抜いてたのよ。どういう仕組みか知らないけど、もしかしたら士郎は剣に関する属性かもしれない、って言って、ペーパーナイフを渡してきたんだから。まっ、聖別の手間が省けたからいっか」
 それにあれだけ魔力持ってるんだから魔術の知識がなかったら詐欺よねー、と凛は一人納得している。
 一方の士郎はよくわからず、どういうことなんだ? と訊いた。
「魔術師はそれぞれ属性を持ってるでしょう? 普通は火や風みたいな一元素を背負うけれど、中には分化した属性持ちが居て、士郎はその中の“剣”なのよ」
 だから剣の英霊たるセイバーを呼び出せたのかも、と凛。
「なるほど」
「……まあ、今回の成功はまぐれみたいだけど。成功率上げたいだけなら、木刀でも包丁でもなんでもいいから、剣や刃物を強化するといいんじゃないかしら。魔力を流す行程の難易度が随分変わるはずよ」
 ふむ、と士郎が頷いた。強化の鍛錬は壊していいものを使おうと思って鉄パイプで試していたっけ、と思い出す。
 その後、また二十個ほどランプの強化に挑戦し、ことごとく失敗した。



「……ふぅ、まさか全部壊されるとはね。……魔術スイッチを呼び起こせただけで充分か。体調はもう大分良い?」
「黙って座ってるだけならなんとか……」
「じゃ、今日の講義はおしまいよ」
 帰ってよし、と凛。
 そうは言うが、流石に身体に魔力の熱が溜まりまくっている士郎が自力で歩くのは困難だ。
 凛が士郎に肩を貸して、二人で部屋を出る。と、

 ――ぱしん! ぱしん! だんっ!

 竹刀の剣戟が響いてきた。
「……ライダーと、」
「――セイバーが?」
 二人で首を傾げる。客間と道場は近く、良く見える。
 道場の方に目を向けると、案の定セイバーとライダーが打ち合っていた。
 次第にヒートアップしていく打ち合いはかなり激しく、見れば二人とも魔力まで込めている。
 ずだんっ! だだんっ! と、板張りの床を踏み抜かんばかりに力が入った打ち込み。
「……一応、あれ、試合だよな?」
「……ええ。わたしは、何も命令してないし」
 もしかしてリベンジのつもりなのか。
 良く見れば、必死になって剣を振るっているのはライダーだけで、セイバーのほうはやはりと言うべきか、それなりの余裕を持っていた。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
「――――っ!」
 得物は同じ。故にスペックの差が如実に表れる。
 ライダーの竹刀に剣技なんてものはない。
 片手で握り、両手で叩き、逆手で振るう。
 弾き弾かれ、暴風のごとく、最速、最短、最大威力で叩きつける。
「……っ!」
「――――」
 そして、ばんっ! と大きな音を立てて、吹っ飛ばされたのは――ライダーだった。
「――ああ、やっぱり」
 どちらとも知れず呟きが漏れた。
 身体捌きは上手いと言えるライダーだが、その剣筋は力押しに過ぎない。
 セイバーもまた、力押しを主とする剣だが、そこは剣のサーヴァント。技量が違った。
 もとよりそんなことはライダーも分かっている。
 なによりライダーには、セイバーに優る物が、ない。
 魔力も、魔力で爆発させる筋力も、速力も。
 おそらくは宝具ですら、セイバーには敵わない、と予測している。
 故に彼女の敗北は予定調和に過ぎない。
「なにやってんだかね……」
 複雑そうな凛の呟き。
「どうする、士郎。部屋に行く?」
「――いや、興味が湧いた」
 道場へ向かう。
 再開した打ち合いの音を聞きながら扉を開け、そのタイミングでまたライダーが吹っ飛ばされていた。
「……派手ねぇ」
「やられてるのお前のサーヴァントだぞ、遠坂……」
 感心したような呆れたような凛に、苦笑いする士郎。


「――シロウ、凛」
 やってきた二人に気づいたセイバーが、正眼に構えていた竹刀を降ろす。
「……なんだ。もう終わったのか?」
 いたた、と腹を押さえながら起き上がるライダー。
 道場に上がり、熱のある士郎は腰を降ろした。
「どうでしたか、凛」
「まだ全然駄目ね。あいつ、才能無いんじゃない?」
 セイバーと凛は魔術講座の出来を話し合い始めた。
「…………」
 放って置かれた士郎は、ぼんやりとそれを眺めるしか出来ない。
「――――」
 そして気づいた。
 セイバーの額、僅かに浮かんだ汗に。
 ライダーは、士郎に出来なかったことを成していた。
「よう。辛そうだな」
 声を掛け、ライダーは、気楽にどかっ、と士郎の隣に座り込んだ。
「やっぱ、強いな。セイバーの名は伊達じゃない、ってか」
 汗を拭いながら、感嘆したようにライダーは言う。
 士郎から見れば、ライダーはかなりの健闘を見せていたのだが。
「俺よりもライダーのほうが強いのか……」
 女の子なのに、と士郎。
「ん? ……今の私はサーヴァントだしな。最初は自分でもちょっと違和感があったんだぜ」
 身体が軽く感じられて、身のこなしが全然違う。
 凛の魔力のおかげだろう、とライダーは言う。
「でも、それだけじゃセイバーとあそこまで打ち合えないだろ?」
 いくらライダーが魔力で強化しても、セイバーだって魔力で強化している。
「そう言われてもな。土台の差は歴然だし……。あとは経験だろ」
「経験……。でもライダーは英霊じゃないんだし」
 見た目が少女のライダーに経験と言われても説得力がない。
「英霊じゃあないな。でも、お前さんよりはそれなりに戦い慣れしてるんだぜ?」
 確かに、そうでなければ辻褄が合わない。
「……ライダーって本当はもっと年齢が上なのか?」
「見た通りだ」
 それならなんで、と頭を悩ませる士郎に、苦笑してライダーは言った。
「人間、環境に随分作用されるんだ。わかるだろ? 私にはそういう環境があったってだけだよ。お前さんだって、もっと昔から凛に魔法……魔術を習っていれば、今と全然違うだろうなって、想像できるだろう」
 それはそうだろう。
 衛宮切嗣が他界した後、士郎は何も教わらずにやってきたのだから。
「こっちじゃそうでもないが、あっちじゃ空を飛ぶのが当たり前みたいな奴らがごろごろ居るんだ。すぐ近くに妖怪が暮らしている、なんてこっちじゃ想像できないかね?」
 少し考えてみるが、できない、と答える士郎にライダーは、ふむ、と頷く。
「――妖怪は人間を襲う。人間は妖怪を退治する。これが幻想郷の原則だ。いわば喰うか喰われるかの、弱肉強食の世界。普通に暮らす分にはそう力は要らないんだが……魔法使いなんてやってるとね、そうも言えないんだよ」
「…………」
 ライダーはなんでもないことのように軽く言う。
 しかし、たとえどの程度シビアなのか士郎には想像できなくとも、当たり前のように彼女はそんな世界に身を置いていたのだ、と感じ取れた。
「んで、私のことはいいんだ。お前のほうはどうだ? またセイバーと稽古するんなら替わるが」
「無理だ……。宝石飲まされて、身体が熱くて堪らない……」
 熱を持て余す士郎に、ライダーは苦笑して、
「慣れるしかないな。魔力作る度にばててたら、死ぬぜ?」
「わかってる。これはツケだよ。俺の才能の無さの」
「殊勝だな。……まあ、才能なんて、そう自慢できるものでもないさ。あったらあったで、なかったらなかったで悩むんだから」
「…………? ないよりあるほうがいいだろう?」
 首を傾げる士郎に、そうだなぁ、と頭を掻いて苦笑するライダー。
「――っと、向こうの話し合いは終わったみたいだな」
 士郎が顔を向けると、凛とセイバーがこちらに来ていた。
 入れ替わるように凛が隣に座り、ライダーが立ち上がった。
「セイバー。まだ試してないのがあるから、あと二、三本いいか?」
「構いません。私も、少し試したいことがありました」
 言って、セイバーとライダーは道場を横切っていく。
「…………」
「…………」
 何をするのか、と士郎と凛が見ていると、
「二刀流……?」
 二人とも、短い竹刀を二本ずつ持っていた。
 道場の中央に二人は立って、開始の間合いを取り、構える。
 いざ尋常に勝負、と、その前に、
「――シロウ。上手くいくかはわかりませんが……――よく見ていてください」
 セイバーは士郎に告げた。








 夕食は、料理をこなせる程度に回復した士郎がいつも通り作り、四人揃って食べた。
 セイバーはいつも通り幸せそうに、ライダーは食欲旺盛に食べ、そして凛は、
「――よし」
 と、拳を握って、夕食の当番制を提案した。そして料理の宣戦布告と共に、明日は自分が作ると申し出た。
 今日の買出しは無駄になるのか、と士郎が訊くと、使えそうなものは使わせて貰って、足りない分を買い足して置く、と凛は答え、負担が減るから、と素直に士郎は凛の提案を受け入れる。
 そしてこれからのことを話し合う。
 もう歩いて回れる程度には回復した士郎の調子を確かめ、一時間の休憩後、夜の巡回へ行くこととなった。
 その準備のため、士郎は土蔵に入り、木刀をあれこれ取り替えていた。
「これかな……。いや、こっちか」
 自身の解析能力で、最も魔力の通りが良さそうな一本を選ぶ。
 役に立つはずがない。たとえ精一杯強化したところで、無手のセイバーに叩き伏せられるのがオチだろう。
「……でも、なにもないよりましだろ」
 他に魔術は使えないんだ。
 足手まといでも、それなりに足掻かなきゃ。
 呟いて、士郎は木刀を握り、一度振って見た。
 ぶん、と、風を切る木刀。
 思いのほか身体のキレは悪くない。
「――――」
 心の中だけで、同調開始、と呟いた。
 思い描くは、セイバーとライダーの試合。
 二刀を握った両者はスタイルを替え、セイバーは敢えて守勢に回り、ライダーは無秩序だった剣筋に荒削りな型を取り入れた。
 大勢自体に影響はなかった。ライダーの突撃をセイバーが捌いて反撃で吹っ飛ばす。
 だが、セイバーは士郎にその剣筋を見せるように守りに専念し、反撃の頻度は少なかった。
 だから、驚くとすればライダーのほうが大きい。
 剣の達人であるセイバーがいくつか剣技のストックを持つことはわからないでもない。
 一方、ライダーは剣術技能を持たない。それはさっきの試合振りを見れば明らかだ。
 それが二刀流になった途端に一本の筋が通った。
 先ほどまで剣術というものを全く感じさせなかった剣筋が、荒削りとは言え型というものを感じさせ、見違えるほど変化したのだ。
「……どういうことなんだろうな」
 もう士郎にはライダーに、女の子だから、という意識が出来なくなっていた。
 いや、別の存在にシフトしていた。それは憧れに近い。
 負けられない。あんな風に俺だって。
「――同調、開始」
 持って行く次点候補の木刀を握り、強化する。
 士郎が思い返すは、凛の言葉。
『木刀でも包丁でもなんでもいいから、剣や刃物を強化するといいんじゃないかしら』
 確かに相性は良い。昔から剣というものに惹かれていた。
 士郎の属性は『剣』で、それに連なる物ならば魔術行使は比較的容易になる。

 ――――が、それは違う。

「あ」
 ぱきん、と木刀が折れた。込める魔力が多すぎて、失敗した。
「そう簡単にはいかないよな」
 苦笑して、折れた木刀をゴミ箱へ放る。
 そして、さて行くか、と士郎が振り返ると、
「もっと力を抜いたらどうですか?」
 土蔵の扉の外に、セイバーが立っていた。
「……遠坂にもそう言われたよ」
 でも、どうすればいいのか、士郎にはよくわからない。
「そうですか」
 セイバーは士郎が出て来るのを待っている。
 もう用事は残っていないので、士郎は土蔵を出る。
 外気に触れ、火照った身体に夜風が気持ち良い。
 試しに深呼吸をしてみると、冷たい空気が肺を満たした。
「身体の調子はどうですか?」
「もう大分良いよ。これなら走ったりもできそうだ」
 セイバーの問いに、木刀を振って見せて士郎は答えた。
 それはよかった、とセイバーは微笑む。
 その笑顔による、幾度目かの動揺を隠し、士郎は誤魔化すように話を振った。
「……そうだ、訊きそびれてたんだ」
「なんでしょう」
「最後の二刀流、アレは一体何だったんだ?」
「私が知る限りの、最高の業の一つです。見様見真似でしたので、シロウのお役に立つかは私としても半信半疑ですが……」
「参考になったと思う。自分の身を守ることが、俺の最重要課題みたいだから」
 なるほど、と納得して士郎は言った。
 セイバーは意図的に自分の技量を抑え、士郎に剣の型を取って見せた。
 いくら抑えてもセイバーの卓越した技量では、士郎の眼で満足に見切れるものではないが、目指すべきものは見えたと言える。
「…………」
「? なんで黙るんだ?」
「……いえ、わかっているのならいいのです」
 でも本当にわかっているんでしょうか、とセイバーは微妙そうにぼやいた。
 疑問符を浮かべる士郎だが、セイバーはなんでもありません、と言うので続いて問う。
「えっと、……ライダーの方は?」
「彼女が知っている剣術の模倣、だそうです」
「へぇ。セイバーと同じか。見様見真似にしては堂に入ってたと思ったけど」
「同感です。ライダーに剣の技能はない。そのないものを模倣だけであるようにするのは、既に別の技能でしょう。もしかすれば、私の剣技も盗られたかもしれません」
「えっ。それじゃあ、セイバー並にライダーが強くなったってことなのか?」
「いえ、スペックとしての基盤が違いますからそういうわけではありません。ただ、経験を吸収するという向上性に於いて、彼女はずば抜けている」
 英霊は本来、既に完結した存在。それ以上の成長は望めない。
 しかし英霊ではない非正規のサーヴァントだからか、ライダーには成長の余地が残っている。
「共闘関係の中、手を見せ続けていけば、いずれ本当に私たちは凛とライダーに負けるかもしれませんね」
 セイバーは空恐ろしいことを笑って口にする。
「……本当に?」
「ありえなくはない、という話です。少なくとも、一朝一夕で出し抜かれることはありえません」
 士郎の怪訝そうな態度に不満を抱いたのか、今度は一転、憮然とするセイバー。
 どうも冗談のつもりだったらしい、と士郎は気づいて、苦笑いで謝った。
 まったく、と嘆息してセイバーは言う。
「士郎とて、これから強くなるつもりなのでしょう。生きている人間の士郎が、サーヴァントのライダーに、成長度合いで負けてはいけません」
 その言葉に、
「――ああ、そうだな」
 士郎は、深く頷いた。













 間桐桜の手術は、思いの外、簡単に終わった。
 どんな魔術を使ったのか、長年忌み嫌いながらも愛しくすら思っていたモノは、痕跡だけ残して、消失してしまっていた。
 いや、魔術ではない。魔法か、宝具か。
 まともに摘出しようとしたなら、手持ちの魔術刻印を全て使ったところで不可能な所業を成し遂げる術は、奇跡と呼べるシロモノだ。
 神経と一体化していたであろう蟲すら、絶対的に見れば大した影響なく破壊されていた。
 ここまで見事に破壊されていると、治療も楽だった。
 何せ、『白紙』に戻されている。
 後は、間桐桜というすぐ隣の色を分ければ元のカタチを取り戻す。
 少々損壊している部分もあったが、魔力の余波に過ぎないのだろう。損失の補填は容易だった。
「調理済みの料理から調味料だけ取り除く、か。…………ふむ」
 言葉にしてみると無粋だな、と呟き、一人、息を漏らすように笑う。

 ――不確定要素が一つ排除された。
 終わってみれば、その程度の話だった。

 使った魔術刻印は僅かで、令呪の手術などいくらでも行える。
「しかし」
 予定の計画は変更せざるを得ない。
 薄々感づいてはいたが今回の件で、聖杯戦争の異常を確信した。
 情報を集めなければならないが、駒が足りていない。
「ランサーの奪取には失敗したが、……他にツテがないわけではないな」
 協会から出てくる魔術師は、地元を除けば現時点で三名。
 ランサーの警戒が強く、バゼット・フラガ・マクレミッツの令呪を奪うことはできなかったため、残るは二名。
「最悪、間桐桜から奪えばいいだろう。クラスは……アサシンか」
 しかしそれは最終手段。
 助けた者を襲うのは理に合わないし、助けた女に目の前で死なれるのは応える。
「どうしたものか」
 と思案していると、

 ――――バタン、と再び礼拝堂の扉が乱暴に開かれた。

「ここが監督役の教会かっ!?」
 叫び、男は酷く狼狽した様子で駆け込んできた。
 目は血走り、動作には落ち着きというものがない。
「いかにも」
 落ち着かせるように、威圧するように、返答を返す。
 だが、その程度では動揺は収まらないのか。
 助けてくれ、と繰り返す男は、先ほどの間桐慎二よりも騒がしい。
「――――――――」
 直視すれば、男は令呪を持つことがわかる。
 つまりサーヴァントを持つマスターであり、協会の魔術師なのだ。
 彼は、このままじゃ殺される、と助けを求める。
「他のマスターに襲われたのか」
 と問えば、違う、と男は叫んだ。
「では、何から君を救えばいいのかね」
 慇懃にとぼけるように訊ねた。

 その時――私は笑っていたのだろう。

 目の前のマスターは、
自分のサーヴァントに殺される・・・・・・・・・・・・・・と言っているんだ!」
 自らの失格を宣言した。



「――――ならば、救いを与えよう」
 駒が、手に入った。



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