閉じられた空間。虫の声と腐った肉の匂いのする暗い地下。
 蟲倉と呼ぶべき地下室で、召喚の儀は行われた。
 依り代は間桐桜。彼女を導くは間桐臓硯。
 聖杯に至るための儀式の創始者の一人である、間桐――マキリ臓硯は、サーヴァントの召喚は難しくないと理解している。
 召喚は聖杯が行う。必要なのはマスターに選ばれた依り代。
 遠坂、マキリ、アインツベルンの三家は聖杯戦争の創始者であり、マスターに選ばれやすいという特権もある。
 元は遠坂、今は間桐である少女。第二子故に魔術を教わっていない、とされるが魔術師としての素質は充分過ぎる。これでマスターに選ばれないわけが無かった。

 ――だから、問題があるとすれば、彼女の心。

 ソレ――臓硯は、彼女が何を思っているかが手に取るように分かっていた。
 想い人を失いたくない、という少女の願いを、ソレは内心で哂っていた。
 付け入る隙はある。しかしまだ明確ではない、とソレは悠然と構え、一先ずはサーヴァントの召喚に専念することにした。

 二百年という年月で幾度も行ったことのある召喚の儀式は好条件に恵まれ、すんなりと行われる――――はずだった。




 腐った闇を奔流となった魔力が塗りつぶす。
 地下室に蠢く蟲たちは、その存在を本能で恐れ一斉に逃げ出した。
 召喚者は魔力の欠乏に喘ぎ、辛うじて意識を繋いでいた。
 聖痕が転じ、現れた令呪が痛む。
 契約の繋がりを感じ、霞む瞳で召喚したサーヴァントを見ようとした。


 紅色の魔力を纏い、現れたサーヴァントは宝石のような紅い瞳で彼女を見据え、

「――――キモチワルイ」

 明確な嫌悪の呟きと共に、“なにか”を握りつぶした。



「え――――?」
 胸から“なにか”が消失した感触を確かめることも出来ず、スイッチを落とされたように間桐桜の意識は落ちていき、
「―――――――」
 ……その間際、傍らに存在していた“なにか”の断末魔が聞こえた気がした。






 その光景を、端から覗き見ている者が居た。
 間桐慎二。間桐家の実子であり、桜の義兄であった。
 彼は、彼の妹が聖杯戦争を拒絶するのは容易に予想できた。
 だから彼は妹からマスターの権利を貰うつもりで、召喚が終わるまで地下の入り口で待っていたのだ。
 中には入らなかった。
 蟲倉が気色悪いというのもある。
 邪魔になるかもしれないとも考えた。
 そして何より、召喚という神秘を直接見たいという興味よりも、魔術を使えない己を直視することが辛かった。
「…………」
 ぎりっ、と奥歯を噛み締め、思考を押し潰す。
「――そろそろか」
 そして、中の雰囲気が変わったことを感じて、彼は意を決して地下室へ入っていき――





『――――キモチワルイ』

 全ての崩壊を、目の当たりにした。
 胸を押さえ、崩れ落ちる少女。
 蟲たちが悲鳴をあげ、老人を形作っていた蟲が塵と化した。
 知覚できない魔力が、確かにその空間に吹き荒れ、蟲倉の蟲が尽く死に絶えていく。
 悪夢といえばそうであるし、世界の終わりといえばそうであった。
 否、確かにそこは終末だった。
 間桐という世界が終わり、マキリという名前が途絶え、慎二という存在が砕け散った。
「――――あ…………」
 木っ端微塵に砕かれた。
 余波に過ぎない波動を浴び、彼が縋っていたモノが全て終わったということを認識させられた。
 内と外の両面から、彼は完膚なきまでに破壊された。
「あ、…………ああ――――」
 壊されたせいだろう。
 ピースはばらばらになり、整合性と統合性を失ったあらゆる感情は消え去った。
 目の前に居る、破壊の化身に対する恐怖すら無い。
 ここに居れば殺される、どうしても殺される。
 ――そう考えが浮かんでも、それに対する感情が浮かばない。

 間桐は終わった――
 ――マキリは終わった。

 マスターにはなれない――
 ――魔術師にはなれない。

 殺される――
 ――殺される。

 僕も、妹も、呼び出した化け物に殺される。
 既に、最後のマキリであった爺さんは殺された。
 完全に、完璧に、刻まれた魔術ごと、魂が消された。
 生き汚い爺さんとはいえ、“マキリ臓硯”という存在を、丸ごと消されてはどうしようもあるまい。
 どんな能力なのか皆目見当もつかないが、魔術師ではない自分が直感できるほど、あの化け物は桁が外れていた。
「…………」
 ――恐れはない。
 そんなものは既に、事象の地平線の向こうへ行ってしまった。
 光速を越えて散らばったピース。
 それでも人間の精神と言うものは強固で、自己修復を試みる。
 少しずつ身体が、間桐慎二という存在が機能を取り戻しだす。
「…………あ」
 口を開く。言葉はまだでない。
 その機能が復活するまではもう少し時間が掛かる。
 先に少しずつ記憶が戻ってくる。
 時間の感覚はまだで、走馬灯のように駆け巡る。
「――――…………」

 知人の顔が浮かぶ。
 ――――どうでもいい。

 友人の顔が浮かぶ。
 ――――数は多くない。

 家族の顔が浮かぶ。
 ――――たった一人だ。

「――――あ」
 反射的に、桜の方を見た。
 倒れている。
 意識はなく、苦しげに浅い息をしている。

 ――助けないと。だってアイツは、僕の妹なんだから。

 脳裏に浮かぶ、もう一人の顔。
 数少ない、もしかしたら唯一の親友の顔。
「あ――――」
 幾枚かのピースが、間桐慎二という存在の中心に嵌まる。
 最低限の機能を取り戻し、間桐慎二は――――僕は、叫んだ。

「―――お前! 僕の妹に何をしてるんだよ!!」




 後先を度外視したその言葉に、化け物――サーヴァントは、初めて間桐慎二という存在に気づいたように驚いた。
「そっか。この子、妹なんだ」
 嫌悪感しか見られなかった表情が驚きを、そして深慮を示した。
「あ、まずい」
 呟き、何かに気づいたサーヴァントは、唐突に姿を消した。
「消えた!?」
 驚きよりも、怒りで慎二は叫ぶ。
 霊体化して姿を消したサーヴァントは、少しだけ実体を持たせ、
『その子を助けてあげて。貴方の妹なんでしょ』
 壊したのは気持ち悪い蟲だけ。
 その余波だけなら回復させる手段はあるはずだから。
 そう伝え、サーヴァントはその気配を完璧に消した。
「――――チッ」
 舌打ちし、絶対零度の思考を沸騰させながら、彼は倒れた妹を抱きかかえた。
 そして走り出す。地下を抜け出し、館の居間に出る。
 頭の中に残っていることは少なく、混乱しながら、彼は冷静だった。
 ただ、妹を助けなければならない、その一心で、余計なことは全て後回しにした。
 復旧させる機能も、全て妹を助ける事柄を優先させる。
 治療が出来るところはどこか。
 どうやってそこまで行くのか。
 彼はすぐに電話の受話器を持ち上げ、タクシーを呼んだ。
 二分以内に来い、と怒鳴るように言い受話器を叩きつけると、即座に持ち上げ、別の番号をダイヤルする。
「今から怪我人が一人そっちに向かう。僕も付き添う。聖杯戦争、サーヴァント絡みだ。教会の監督役なら世話を見るよな?」
 早口で放った台詞は、いつもの口調に近く、皮肉げだった。
 しかし、出来ないなんて言わせない、という迫力は、欠片も損なうものではなく、受話器の向こう側で、
『わかった。早く連れてくるがいい』
 簡潔に、神父は答えた。






 東方Fate(仮)






 ――――夢を見ていた。

 衛宮士郎は、聖杯戦争の夢を見ていた。
 昨日の出来事を思い返すように、夢は流れ、その出来事は実際に体験したものと致命的に違い、そして二重に重なっていた。
 見たことの無い校庭で行われた赤と青の戦いと、目の前で起きたセイバーの召喚は共通していたが、その後が違う。
 違う場面で襲い来る黒い狂戦士をセイバーが迎撃し、危機に陥ったセイバーを助けようと腹を裂かれた自分が居て、有利に戦っていたセイバーを弓兵の狙撃の爆発からかばった自分も居た。
「…………んん…………?」
 目を覚ました衛宮士郎は、寝ぼけながら、自分の腹や背中に手を当てた。
 二重に嫌な体験させられたという不合理な夢とはいえ、妙な現実感があり、幻痛があった。
 とはいえやはり夢に過ぎず、自身の身体は何の問題もない。
 よし、と気合を入れて眠気を振り払い、起き上がる、と、
「やべ。寝坊した」
 いつもより一時間ほど起きるのが遅かった。
「昨晩は遅かったから仕様が無いか……。妙な夢も見たし」
 まあ、まだ七時過ぎである。
 今日は日曜であるし、多少のんびりしても構うまい。
 さてと、と布団を上げたところで、いきなり隣の空き部屋を繋ぐ障子が開いた。
「おはようございます、シロウ」
「――――っっっ!!!?」
 現れたセイバーの挨拶に、士郎は驚愕のあまり声を出せなかった。
「なな、なんで……っ!?」
 そこまで動転しなくてもいいのに、と自分でも思いながらも声は上ずる。
 対するセイバーは怪訝そうに、はぁ、と頷いたあと、士郎を落ち着かせるように語り掛けた。
「サーヴァントはマスターを守る者です。たとえ陣地内であろうとも、マスターの側に待機するべきでしょう。睡眠中はその最たるものです」
「い、いやでも……」
 士郎が離れの用意した部屋は二つだったりする。
 そんな士郎にセイバーは溜め息を吐いて言った。
「これでも譲歩したのですが。可能であるなら同室で寝させていただきたい」
「〜〜〜〜〜〜〜っ」
 絶句する士郎に、深く深く嘆息したセイバーは、すたすたと部屋を出て行き、
「この話はまた後ほど。居間でお待ちします。着替えるのでしょう?」
 なんとか、ああ、とだけ士郎が答えると、セイバーは言葉通り、居間へ向かっていった。
「…………」
 しばし苦悩していた士郎だったが、頭を振って気持ちを落ち着けて、ふと、
「…………あんなヤツだっけ?」
 と、自分でも変な違和感を感じて呟いた。
 違和感は変なものであるから、意味が重複するのだが、それはともかく。
「いや……、昨日からああいうヤツだよな。セイバーって」
 見た目は少女なのに、大人というか。
 度を越えた冷静さと落ち着き具合は、達人、という面持ちを感じさせる。
「でも――……でも、なんだ?」
 士郎は自分が何と比較して違和感を感じたのか、咄嗟には分からなかった。
「えっと」
 思い返そうとして、明確な記憶ではなく曖昧なイメージが浮かぶ。
 例えば、白いブラウスと青いスカートという少女らしい姿をしたセイバー。
 ぴしり、と現実に皹が入った。それは夢の浸食だった。
「――――なに考えてんだ俺」
 現実に居るセイバーと、夢の中のセイバーを勝手に比べて変だと思うなんて。
 失礼にもほどがある、と寝ぼけた頭を小突いて、一先ず顔を洗おうと士郎は自室を後にした。



 洗面所で顔を洗い、頭と身体の違和感を冷たい水で振り払った。
 それから居間に入ると、セイバーが正座して待っていた。
 セイバーが今着ているのは士郎の服である。
「…………」
 じっと、正座して待っている。
「…………」
 妙なプレッシャーを感じて、士郎は台所に直行し、朝食の支度をした。
 幸い仕込みは済んでいるので、鍋を温め、軽く一品追加すればいいだけだ。
「……よし、お待たせ――ってそういえば」
「凛ですか? 彼女なら、置き手紙を残して、夜明け頃に帰宅したようです」
「そうか……。そう言ってたもんな」
 出された簡潔なメモを一目し、食器を並べ始める。
 手伝いましょう、とセイバーが言って、朝食の準備が完了。
 いただきますの声を揃え、二人で食べ始めた。
「…………――――」
 舌に合っただろうか、箸は使えただろうか、と士郎がセイバーの様子を伺う、と、――その表情に士郎は衝撃を受け赤面した。
「…………どうかしましたか?」
「――――あー、いや、なんでもない」
 あまりにも柔らかく微笑んでいるから、見惚れたなんて、口が裂けても言えない。
 セイバーは、一口一口、味わいながら、美味しそうに、幸せそうに食べていた。
「…………」
 士郎は黙って、自分の皿を片付けることに専念した。





 太陽が南に至る。
 かっ、かっ、ぱぁん、と、小気味良いリズム。
 衛宮邸の剣道場では、竹刀による剣戟が鳴り響いていた。
 稽古と称して、セイバーが士郎を叩きのめし続けた。
「――そろそろお昼ですね」
 セイバーがそう言って竹刀を止めるまで、小休止(士郎の気絶によるものも含める)を挟みながらも、約二時間ぶっ通しで攻められた士郎は、息も絶え絶えで、竹刀と共に全身の力を手放した。
「……………………」
 ずきずきと全身を苛む筋肉痛を堪えながら、息を整える。
「わかりましたか? これがサーヴァントと人間の性能差です」
「……存分に……」
 脱力は壁にもたれかかるだけでは収まらず、そのまま士郎はずるずると床に伸びていった。
 セイバーが薬缶に水を汲んできて、士郎に渡す。
 サンキュ、と礼を言って士郎はその水を飲んだ。
「――ですから、今のシロウの技量ではそもそも戦いになどなりません」
 その間に、セイバーは簡単に気構えのレクチャー。
 稽古を始める前にも言っていたことを再確認、という感じで、その口調は世間話に近い。
 なにより、士郎は言われなくても身に染みて理解した。させられた。
「参った。まさかここまでセイバーが容赦ないとは思わなかった」
「当然です。手加減こそしても、容赦はしませんでしたから」
 士郎の愚痴に、汗一つかいていないセイバーが微笑みながら答える。
「痛いといっても打ち身程度でしょう?」
 セイバーはそう言って、床に寝ている士郎の腕や腹を手で触った。
「っ、セ、セイバー!?」
 つい先程まで、その手によって打ち据えられていたという事実が、信じられないほど柔らかな感触に、士郎は狼狽した。
「動かないでください」
 ぴしゃり、とセイバーは言うと、ゆっくりと患部に手を当てていった。
「――――…………痛くなくなった?」
 セイバーが触っていた箇所から順に、筋肉痛が無くなっていた。
 驚いて士郎が訊く。
「セイバーの魔術なのか?」
「魔術、と言うほどのものではありません。私のマスターになる者への特典のようなものです」
 へぇ、と感心した士郎に、笑顔でセイバーは言った。 
「ですので、私はシロウを容赦なく叩き伏せることができます」
「げ……」
 士郎の背中を冷や汗が伝った。


 そうして休憩をしていると、道場の入り口のほうで重い荷物を置いたような音がした。
「なんだ、こんなところに居たのね」
「――え? とおさか?」
「ごきげんよう」
「邪魔するぜ」
 音を聞いて士郎が顔を向けると、おっきなボストンバッグを足元に置いて遠坂凛とライダーが立っていた。
「……帰ったんじゃないのか?」
「…………? わたしたち同盟組んだんでしょ。だったら拠点を一つにしたほうが効率的じゃない。手紙にも、そう書いたつもりだったけど?」
「いや、『色々準備があるので、帰宅します』としか書いてなかったし……」
 それが拠点を移す準備だと、士郎は思いつかなかった。
「まあ、ともかく、昨晩貰った部屋を改造するから。士郎の魔術を見るのは、そうね、二時間後ぐらいでいいかしら」
 まだお昼まだでしょ。その間に済ませておいて、と凛。
「それでいい? セイバー」
「はい」
 呆然としたままの士郎を脇に、話を進める凛とセイバー。
 その様子を見て、笑っているライダー。
「それじゃ、そういうことで。って、忘れるところだった。はい、これ」
「――――これは」
 凛は荷物の中から、何か取り出してセイバーに差し出した。
「あなたの服。士郎のお下がりばっかじゃ勿体無いでしょ」
「……ありがとうございます」
 今度こそ用件が済み、凛とライダーは道場を後にした。
「それでは、シロウ。昼食にしましょう」
 言って、セイバーも凛から受け取った物を持って、道場を出て行く。
 士郎は、簡単に床を雑巾掛けして掃除を済ませてから、道場を後にした。



 本邸に戻り、台所に入り、冷蔵庫を開ける。
「食料、足りないな……」
 備蓄をチェックして、献立を考えながら気づく。
 普段の日曜なら一人前でいいが、一挙に三人も増えた。
 明日は学校もあるし、鍛錬の時間を確保しておくなら、今のうちに買い溜めしておいたほうがいいだろう。
「よし」
 とりあえず昼食分はあるので手早く仕上げ、夕食の仕込みもしておく。
 いただきます。ごちそうさま。
 大事無くお昼は終わり、後片付け。
 皿を洗い終え、エプロンを外してセイバーに声を掛ける。
「セイバー、買出しに出たいからついて――――って、ええ!?」
「…………どうかしましたか、シロウ?」
 なにかおかしなところでも? とセイバーは自分の格好をチェックする。
「あー、いやうん。……なんで一緒に飯食って気づかなかったんだ自分とは思うんだが、えっと、……その格好は?」
 セイバーの服が変わっていた。
 士郎のジーンズとパーカーという言うなればボーイッシュな格好だったのが、今は白いブラウスと青いスカートという少女らしい姿になっていた。
「先ほど、凛から頂いた衣装です。シロウが料理している間に着替えさせていただきました」
「……そっか。服って言ってたもんな……」
 驚いた。今もまだ驚いている。
 サーヴァントであるし、今まで自分の借り物を着ていたセイバーは、中性的な面立ちで、あまり異性として感じていなかった。
 だったのだが、今こうやって少女然とした姿を見せられると、セイバーの凛々しさだとか可愛さとかを、どうしても意識し始めてしまう。
「……うん、似合ってる」
 ぽつり、と思ったことをそのまま呟いてしまった。
「ありがとうございます、シロウ」
 士郎の呟きが聞こえたのか、セイバーはにっこりと笑った。
「――――っ」
 トマトのように顔が紅潮する。
 それを誤魔化すように明後日のほうを向いて士郎は言った。
「と、ともかく! 数日分の買出しに出るから、ついてきてくれ!」
「了解しました。日中とはいえ、用心に越したことはありません」
 セイバーの了解を得ると、士郎は逃げるように居間を出て、小走りで別邸へ。
 ドア越しに凛に、セイバーと商店街まで行くことを伝えた。
 中はなにやら騒々しく、きちんと伝わったのか不安が残ったが、
「セイバーの靴は、玄関に箱に入れて置いてあるから。ちなみにブーツ」
 という言葉が聞けたので、どうやら大丈夫のようだった。
 士郎が玄関に着くと、セイバーは既にその靴を履いていた。
 昨日まで無かった物だから、気づいたのだろうと士郎は納得する。
 士郎が靴を履いている間に、セイバーは一足先に玄関を出て外で待っていた。
「待たせた――――って、ああもう」
 まるでデートみたいだ、と思ってしまった自分に嘆息し、なんで一々セイバーを意識してしまうのか、と士郎は頭を振った。

 ――――と、その拍子で、ぱちり、と脳裏にノイズが走る。

「痛……」
 朝方感じた違和感に似て非なる合致感。
 ぱちん、とパズルのピースが嵌まるような感覚。
「では、行きましょう。シロウ――――シロウ?」
 セイバーの声で我に返った。
「まだ試合の疲労が残っていましたか? 買い物など後でもできますし、しばらく休んだほうが」
「大丈夫、ちょっとぼけっとしてただけだよ」
 得体の知れない感覚を振り切るように、士郎は歩き出した。
 その士郎の一歩後ろをセイバーは付いて行った。


 その後、二人はのんびりと坂道を下り、商店街でひたすら買い物。
 金髪で美少女のセイバーはそれなりに目立ち、馴染みのお店で訊ねられたりしたが、彼女は自然な態度で切嗣の親戚という説明をして、納得させていた。
 大量の買い物も、セイバーへのおもてなしだと勝手に解釈してくれて、サービスしてくれた店も多かった。
「ずいぶん買い込みましたね」
「これだけ多くなるとやっぱり自転車は使えないからなぁ……」
 士郎の両腕に一つずつ引っ掛け、胸の前で抱えて計三つ。
 セイバーにも一つ持ってもらって、合わせて袋四つ分もの買い物をしたのだった。
 行きとは逆に、セイバーが一歩先を歩き、荷物を持った士郎の先導役を担う。
「あ――」
 何かを見つけたようにセイバー。
「ん? どうしたセイバー」
「いえ、その……」
 士郎がよいしょ、と首を向けると、美味しい大判焼きで有名な江戸前屋から甘い香りが漂って来た。
 セイバーはこの匂いに釣られたらしい。
 士郎は、よし、と頷いて言う。
「遠坂たちのお土産とお茶請けに買っていくか。って、俺じゃ荷物が邪魔だな。セイバー、ちょっと買ってきてくれ」
「わかりました。財布を拝借します」
 士郎の後ろのポケットに入った財布を取って貰い、セイバーが素早く江戸前屋のカウンターへ向かう。
「…………何個頼んだんだ?」
 注文をしたセイバーと、受けた店員とが、二、三、言葉を交わす。
 ちょうど売り切れたところとかなのだろう。セイバーが戻ってくる。
「しばらく掛かるそうなのですが、どうしましょう」
「だったら、すぐそこの公園で待ってるよ。そこなら何かあっても駆けつけられるだろ」
「この先の小さな公園ですね。ではお気をつけて」
 再び江戸前屋のカウンターへ向かうセイバー。
「…………さて」
 黙って突っ立っていても腕が疲れてくる。
 ベンチで一休みしよう、と士郎は公園へ向かった。



 日曜の昼、と言っても商店街の外れに位置する小さな公園に人影は無かった。
「よい、しょ……っと」
 ベンチに荷物を慎重に並べる。
 三つも大荷物が並んだベンチに座るスペースは無く、士郎は隣のベンチに腰掛けた。
「ふぅ…………」
 荷物で圧迫された腕をさする。
 感覚が鈍い。午前の稽古で筋肉痛を起こしている部位もあるのだろう。
「……しかし、凄かったなぁ」
 のんびりとセイバーとの試合を思い返してみたりする。
 よく生きていた、というより、なんで死ななかったんだろう、と士郎は自然に考えて、いやいや、と自分で突っ込みを入れていた。
 まあそれぐらい苛烈だったのだ。
 下手すればランサーに襲われたときよりも死の気配を感じたかもしれない。
「まさか、例の治癒効果……」
 あれを当てにして、手加減を手加減したんじゃなかろうか、と士郎は推測する。
『シロウ、腰が引けている』
 と言われても、頭の中には「絶対殺される」という言葉しか浮かんでこないような攻めは、正直スパルタすぎると思う。
 あまりの凄烈なセイバーの攻撃になんとか慣れるまでは、深刻にトラウマになりかけていた。
(というか、もう立派な心的外傷になったような……)
 また再びセイバーとの稽古をする時に、恐れを感じない自信が無い。
 それでも士郎は最終的に、稽古としての体裁を保てる程度にセイバーに立ち向かえたのだから、セイバーからしてみたら及第点と言えたのだが。
 士郎は溜め息を吐いた。
「こんなんじゃ駄目だ……」
 セイバーが、サーヴァントがとんでもなく強いのは理解出来た。
(それでも……)
 戦いたい、戦わなければならないんだ。

 ――士郎の脳裏にフラッシュバックする過去。
 十年前の大火災、父親の顔、白い天井。
 何もなくなった自分、助かった自分、助からなかった他人。
 安心した、と遺して逝った父親。
 生きている自分を見つけ、救われたような父親。

「…………」
 ぐちゃぐちゃの思考を頭から振り捨てる。
 どうしようもない。どうしようもない。
 自分では、どうしても、力が足りない。
 力にすべくして、正義の味方に近づきたくて始めた魔術も、何の役にも立ちはしない。
 自分に足りないのならば他から持ってくればいい、でも、それは――
「…………どうしろっていうんだろうな、俺は」
 強迫観念めいた自己基準に、どうしようもない袋小路。
 空を見上げ、そして俯いて、
「…………道は厳しいよな、切嗣」
 ふと、弱音を吐いてしまった。

 ――――と、

「…………?」
 ふと、士郎が顔を上げると、目の前にはびっくりするほど綺麗な少女が、びっくりしている風に立っていた。
 雪のような銀髪。宝石のように赤い眼。
 セイバーよりもさらに幼い。童話の中のお姫様然とした、少女。
「――――」
 呆然、とした面持ちで、その少女はベンチに座る士郎の前に立ち、そして士郎を見つめていた。
「…………」
 士郎もまた、驚いていた。
 その姿に見覚えがあった。

『早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん』

 一月三十一日の夜、不思議な言葉を残していったその少女を。





 ――――ザ、
 ザッ…………


 ――――ノイズ――――



『――――じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー』



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