翼を羽ばたき宙に逃げていたランサーは、水が引いたのを確認してから地面に降り立った。
「バゼット、無事?」
面倒臭そうに、公園の林の方へ声をかける。
「ええ。敵マスターの狙いは貴女だったようでしたし」
水流に流されたバゼットが、濡れた髪をかき上げながら現れた。
水の衝撃は、守りのルーンを用いて防いでいたためにダメージは皆無。そもそも、凛が使ったのは単なる水流をぶつけるだけ、という魔術であり、その衝撃も大したことがなかった。
込められた魔力こそ並外れていたため、真正面から受ければ自動車に撥ねられる程度の威力はあっただろうが、殺傷力を求めるのなら氷のつぶてを用いるか、牽制に使っていたガンドのほうがよっぽど向いている。
「しかし、困りましたね。やはり弱点を突いてくる」
思案するバゼットに、忌々しい、と吐き捨てるランサー。
ただの流水に対して、ランサーは逃げるしかなかった。
ランサー=レミリア・スカーレットは、幻想郷の吸血鬼。
幻想種としての吸血鬼は、陽の光も流れ水も炒った豆すらも駄目で、真祖や死徒とも違い、克服も敵わない。
「……まあ、これは想定内ですね。余程の不意打ちでもない限り、貴女なら回避できる」
サーヴァントの動きを実際に、そして初めて見たバゼットは自信を深める。
「それにしても思い切りの良いマスターだ」
濡れたスーツが重いのか、襟元を緩めるような動作をしながら、バゼットが言う。
「サーヴァント同士、マスター同士では分が悪いと見て、敢えて私を無視して弱点のある貴女を狙った」
では何故逃げた? と問うランサーに、バゼットが落としていた筒を拾いながら答える。
「私たちと同じ理由でしょう。様子見、です」
鉄球――のように見えるバゼットが所持する神秘――の入った筒を、背負う。
「他のサーヴァントのみならず、自分のサーヴァントがどの程度戦えるのか、確かめたかったのは私も彼女も同じ」
本気であっても、全力ではない。
全力であっても、猶予を持つ。
聖杯戦争は始まったばかりで、手の内全てを初戦で晒すのは愚策。
七騎全てが健在であろう今、他のマスターやサーヴァント、特にキャスターあたりが目を光らせていても、なんら不思議ではない。
「それに――そう、貴女が本当にステータス通りの能力で戦えるのか、も」
自分でも気にしていたように。
「ご覧の通りよ」
要は慣れの問題。
新しい遊びのルールと思えばいい、とランサーは言った。
「槍を使わなかったのは?」
「シュミじゃないから。言ったでしょ、アレはスペルの一つだって」
「なるほど」
しかし、槍を使った戦いも充分出来る。
宝具が武器として使用可能であると判明したのは成果だろう。
ランサーが確認したセイバーは不可視の剣を使っているし、ライダーも本来の使い方ではないであろうが箒を武器として使っている。
得物があれば戦術の幅も広がる。
「ライダーでしたか、相手は」
逃走する際にクラス名を叫んでいたことを、思い返す。
「らしいね」
同意するランサーが概略を教える。
霧雨魔理沙。人間の魔法使い。多用する魔法――魔術とその傾向。
ついでに蒐集癖による素行、手癖の悪さも。
「……ふむ。魔術の腕と宝具の強さは相当なものですが、一般的な戦闘力では劣るのですね」
これはライダーというクラス通りだ、とバゼットは過去数回の情報と照らし合わせる。
一致、不一致。一つ一つ、確認して、足場を固めていく。
多少の遠回り、要領の悪い行為に――バゼットは慣れていた。
「クラスの括りはあまり持たないほうが良さそうだ。しかし、クラスに引きずられる点もある」
ふむ、と頷く。
「聖杯戦争の通例では、サーヴァントの真名を隠すためにクラス名で呼び合うそうですが、今回は逆のほうがいいのでしょうか」
「どうだかね。実際にやり合えばすぐわかる」
それに、クラス名で呼び合うのは聖杯戦争における常識に近く、サーヴァントにもそう刷り込まれている。
相見えれば真名はすぐにわかるが、自然とクラス名で呼び合うだろう、とランサーは語った。
「セイバーは別だけどね。あれは本物の英霊だから」
「……いささか納得が行きませんが、あなた方だけが召喚されるわけではないのですね」
少し憮然としたバゼットに、冷たい視線を送るランサー。
どうせなら私も英霊を呼びたかったなぁ、と考えているのが分かったからである。
「――バゼット」
しかし、何かに気づいたのか、マスターを呼んだ。
「人払いの結界は既に解除されてるんだな?」
「…………? ええ。遠坂凛が張ったモノですから、とっくに」
「だったら、この魔力の気配は――」
そして二人は、
――――突如として四方に出現した魔力弾に囲まれた。
(仮題)東方Fate
「…………」
新都を探索する、と言って別れた凛たちを見送っていると、士郎はセイバーの様子が妙なことに気づき、話しかけた。
「どうしたんだ? セイバー」
「いえ……」
きょろきょろと、セイバーは神経質に周囲を警戒している。
「サーヴァントの気配がするのか?」
「そういうわけではないのですが……」
セイバーの歯切れは悪い。士郎は首を傾げる。
結局、なんでもありません、とセイバーは言い、二人で帰路についた。
しかし帰り道も、セイバーは周囲を窺う素振りを見せる。
なぜそんなに警戒しているのか、と士郎が尋ねると、セイバーは一秒だけ悩み、こう答えた。
「――今、私は武装を解いていますから。鎧を纏う一瞬はどうしても後手に回ります。アサシンならばその瞬間を確実に突いてくる。それにこの身はセイバーです。他のサーヴァントを感知する能力も高が知れている。アーチャーのクラスによる狙撃は、数キロの距離を無視し、目標に命中させるでしょう」
だからセイバーは警戒しているのだ、という理論武装に、責任感が強いのだなぁ、と士郎はぼんやりと思った。
「…………」
セイバーの警戒は続く。
橋を渡る途中には一度センタービルのほうを見据え、川沿いの公園でも人影がないかを確認する。
時刻も午前二時を超えたあたりだろうか。住宅地から漏れる明かりは少ない。
士郎もなんとなく辺りに注意してみるが、見えるのはいつも通りの静かな深山町に過ぎない。
「……そういえば腹が減ったな」
歩いているうちに人心地ついたのか、空腹を感じた。
士郎は呟いて、なんて間抜けなことを言ったのだろう、と苦笑した。
これじゃ、真剣なセイバーに怒られるな、と思ったのだが、セイバーは、
「――ええ。帰ったら夜食にしましょう。戦に於いて、補給は大事です」
大真面目に頷いてくれたのだった。この反応には、笑みを誘われた。
――そのやり取りはちょうど深山町を分岐する交差点に差し掛かるタイミングで行われ、そのことに気づいたセイバーは三度気を張った。
「――シロウ」
故に、セイバーは落ち着いて士郎を抱え、跳躍することができた。
「え――――?」
いきなり視点が七メートル前後して、士郎は戸惑い、そして続いて響いた破壊音に驚いた。
「狙撃を受けています。シロウは少々我慢を」
「――狙撃って、アーチャーか!?」
「わかりません。……が、シロウ――マスターを狙っています」
士郎を抱えて回避運動を取るセイバー。
セイバーを狙っているのなら、狙撃を回避し反撃を試みられる。しかし、マスターを狙われる限り、守りに徹せざるを得ない。
もし、士郎が一人前の魔術師なら、少なくとも自身を守れる程度の力があれば、また違う選択肢があるのだろうが――それは無意味な仮定である。
「――――!」
ロケットランチャーを連想させる小規模爆発。
どこかから飛来する砲弾は地面に着弾する直前に炸裂する。
それは破片を撒き散らすことはなく、物理的な弾頭でもない。
故にそれは魔弾の類であり、さらに士郎は気づく。
(まるで、空間を抉ってるみたいだ)
強力な物理干渉力。
あの爆発に巻き込まれれば、例えセイバーとて、ただではすまないのではないか。
「シロウ、どうやら敵は洋館側から狙っているようです」
セイバーの視線は、洋風住宅街へ続く坂の上方を見据えている。
見えてるのか? という士郎の疑問に、
「いえ。感じるだけです」
と簡潔に答え、セイバーは士郎を抱えたまま、魔弾の爆発を避け続ける。
その表情には焦りの色はない。見れば、武装化すらしていなかった。
「…………?」
士郎を抱きかかえる際には、余裕を持っていたようにも見えたし、鎧の重さを嫌ったわけではないだろう。
「……ともかく、これじゃ埒が明かない」
せめて自分が何とかできれば、と士郎の気持ちは逸る、が、
「いえ、問題はありません」
セイバーは涼しい顔をして、言い切った。
「? どうするんだ?」
「――逃げます」
へ? と、士郎が疑問符を浮かべる間もなく、ステップを切り返したセイバーは、足にその膨大な魔力を叩き込み、新都に向かう道へ飛び出した。
交差点から、道路を駆け抜け、一気に大橋の下、海浜公園まで戻ると、
「やはり追っては来ませんね」
セイバーは確認したように呟き、再び深山町へ取って返す。
相変わらず士郎を抱えたまま、今度は住宅の屋根の上を、迂回するように衛宮邸を目指す。
士郎は、周りの風景が目まぐるしく変わる視界に、目を白黒させた。
「――――っと、着きました。大丈夫ですか、シロウ。緊急事態とはいえ、全力移動でしたので……」
「…………あー、なんとか平気。それより、降ろしてくれセイバー」
気づいてみれば、士郎はお姫様抱っこされているのだ。
魔力で強化しているとはいえ、華奢な少女に抱きかかえられている構図は、なんとも言い難い。
わかりました、とセイバーが士郎を丁寧に降ろし、士郎は地面に降り立った。
「…………」
場所は衛宮邸の前。未遠川まで戻っていたのにあっという間であった。
「どうやら狙撃手は牽制だったようです。こちらを測るような気配を感じたため、一時撤退と判断しました」
セイバーはサーヴァントとして、至らないマスターに説明する。
どことなく勝手に判断したことを気にしているようだが、士郎は特に批難するつもりにならなかった。
「念のために迂回してみましたが、追ってくる気配はありませんでした」
「そっか。もう大丈夫なんだな」
「おそらくは。あとはアサシンの奇襲に備えればいいでしょう。シロウ、どうぞ中へ」
家の鍵を持っているのは士郎であり、出かける際に鍵を閉めていたのだから士郎が開けなければ入れない。
「あ、ああ……」
サーヴァントの常識外れっぷりを体感して若干呆けていた士郎は、促されてようやくポケットから鍵を取り出し、門を開けた。
(……なんていうか、遠坂凛をして最強、最優のサーヴァントと言わしめる理由がわかった気がする)
ただいま、と、誰も居ないはずだが二人で声を揃え、玄関へ。
そして士郎が屈んで靴を片方脱ぎ、
「シロウ、サーヴァントの気配が――」
セイバーが警戒するのとほぼ同時に、
――――――――!!
何かが、暴風と共に、屋敷の庭に不時着した。
「――――ふぅ」
およそ一秒ほどで、セイバーが警戒を解いた。
「…………あれ。セイバー、前みたいに迎撃に行かないんだな」
慌てて靴を履きなおした士郎は意表を突かれ、召喚した直後の戦闘を思い返しながら尋ねた。
あの時は、敵サーヴァントを追い払った後、こちらに一言だけ残して塀を越えていったのだが。
「ええ。この屋敷の結界が反応していない。ということは敵意の無いサーヴァントとマスターがやってきたということでしょう。そんな人物は限られています」
とセイバーは答えた。
「…………そりゃそうだろうけど」
何か釈然としない士郎。
セイバーの冷静さは行き過ぎてないだろうか、とよくわからない感想を抱いた。
「来たようです」
二人分の、ゆっくりとした足音が近づいてくる。
閉じた玄関の引き戸に人影が映る。
「――――どうぞ」
こちらの気配を感じ躊躇していると判断したセイバーが声を掛ける。
ようやく、がらがらと戸が引かれ、
「こんばんは、衛宮君。さっきぶりね」
「邪魔するぜ」
先程別れたばかりの遠坂凛とライダーが、えへへ、と曖昧に笑って立っていた。
敵対の意思は無い、と双方が確認し、四人は居間へ移った。
士郎はお茶を出した後、再度台所に戻った。桜が作っていた夕食を温め直し、量に不安があったので追加で夜食を作る。
ついでに翌朝の朝食の仕込みを済ませて戻ってくると、セイバーと凛が話しを始めていた。
「やはりマスターと戦ったのですか」
「それで、一時撤退したは良いんだけど、向こうはわたしの家知ってるみたいで、家に襲撃掛けられたら面倒じゃない。新都ならともかく深山町側で夜を越せる所が思いつかなくて」
「凛はこの地の管理者ですから仕方ありません」
そうなのだ。そして、だからこそ勝たなければならない、と凛は複雑な表情をする。
地の利はあるが、知名度もある。
聖杯戦争自体はマイナーな儀式だが、魔術協会も闇雲に手を出してきているわけではない。
何せ生死が関わる。聖杯戦争の参加者は協会に蓄積された情報を調べ、準備してくるのだ。
もちろん一族で関わっている遠坂、マキリ、アインツベルンの御三家に比べれば、
情報量は多いとは言えない。
聖杯戦争は未だに勝利者を出していないし、マスターになれば死ぬ確率のほうが高いのだから、生きた情報は早々入ってこないのだ。
「それで、衛宮君」
自分の席の座布団に座った士郎を向き、居を正して凛が言う。
「休戦協定を結んでくれないかしら。今夜一晩でいいんだけど」
真剣な眼差しで衛宮士郎を見据え、遠坂凛は告げる。
その真剣さは、自分に引け目があることの証左だった。
「え? あ、ああ。構わない」
なんだそんなことか、と気圧された士郎は安請け合いをする。
それに対し、凛はありがとう、と軽く礼。
「もし襲撃かけられても邪魔にならない場所に居るから、お構いなく」
「徹夜するのか?」
「そりゃそうよ。夜明けぐらいまでならすぐじゃない」
幸い明日は休み。昼間になったら家に戻って休息するつもりだ。
「客間は空いているし布団もあるぞ? 何だったら離れが」
「離れなんてあるの。じゃあそこを借りるわね。朝になったら塀を乗り越えて帰るから」
「そうじゃなくて……」
「――あのね衛宮君。わたしはあくまで勝ちに行ってるの。こんなの衛宮君のお人よしにつけこんでるだけなんだから、わざわざ脇を甘くしないで。マスターとしての心構えは、ここでも教会でも散々言ったでしょう」
突き放す凛の発言に、
「――――そこです」
今まで黙ってもぐもぐと夜食を食べていたセイバーが箸を止め、口を開いた。
「私からも、半永久的な休戦協定を求めます」
今度は凛が、へ? と口を開く番だった。
「シロウはマスターとしての心構えがなっていない上に、魔術師としても未熟です。このままでは簡単に敗北を喫する羽目になる。私がサーヴァントとしての戦力を提供するかわりに、マスターとしての能力を提供してほしい。ありていに言えば、シロウを鍛えてほしいのです」
一旦お茶を啜り、間を取るセイバー。
「剣、戦いについては私が教えることが出来ますが、魔術に関しては教えられるほどの知識がありません。基本的なところのレクチャーだけでも」
お願いします、とセイバーは頭を下げた。
「…………衛宮君も同意見なのかしら?」
少し虚を衝かれた凛は、横目で士郎を一瞥した。
「そ、そうだな」
士郎がやや慌てて頷く。凛同様、セイバーの発言に驚いていた。
「ふぅん……」
凛はそれ聞き、お茶を啜りながら、半眼でライダーに視線を送る。
会話に参加していないライダーは夜食をちまちまと摘んでいて、話を聞いていない――ように見えて、その実、耳を傾けている。
曰く、
『ま。いいんじゃないか』
と、パスを通じて告げてきた。
結局、休戦・共闘協定が結ばれた。
セイバーが戦力になり、凛は士郎に魔術を、ライダーは他のサーヴァントの情報を教える。
期間は無期限、ただし凛側からはいつでも協定破棄が出来ること。
以上がセイバーが提案した協定の内容だった。
士郎はその内容に首を傾げたのだが、凛は言葉少なくあっさりと了承した。
その後、
「衛宮君は、休んだら?」
という凛の勧めに、セイバーも同調し、士郎は強制的に自室で睡眠を取らされた。
一度殺され、さらにセイバーの召喚などなどと矢継ぎ早の出来事で、思いのほか疲れていたことを布団に入った士郎は知った。
(そういえば、セイバーの寝るとこ、決めてないような……)
間際に浮かんだ懸念は、睡魔にかき消され、士郎は眠りに落ちた。
「セイバー」
「なんでしょう、凛」
縁側に座り、静かに庭を眺めていたセイバーに、凛は話しかけた。
「――どういうつもりかしら?」
苛立ったように、その口調は厳しい。
「貴女がそれを言うのですか」
対するセイバーは穏やかだ。
「だって、セイバーは英霊で、わたしたちの助けなんて必要無いほど強いじゃない。確かに衛宮君のマスターとしての能力は皆無だけど、あなたならそれをカヴァーしてもお釣りが来る」
「そうでもありません。それは過大評価というものです」
かぶりを振るセイバー。
「今の所、道を外れた行為が行われていないため凛は意識していないようですが、魔術師は手段を選ばないものです。凛とて、休戦の申し出を受けたのは、私の正体と弱点を探るためでしょう。いつか手にする勝利のために」
故に敢えて、いつでもセイバーの背中を撃てる文言を盛り込んだ。
魔術師である遠坂凛を納得させるために。
「それに霊体化できない私では学校での護衛が間々ならない。霊体化できるライダーと、そのマスターであり士郎と学友である凛の協力を得たいと考えるのは当然でしょう」
「いつでも裏切ることが出来るのに?」
「ええ。――でも、凛は裏切りませんから」
「――――――――」
絶句する。
論理も論拠も無い、飛躍した断言。
凛の思考回路が瞬間真っ白になり、そして再動。
「――あなたは、わたしのことを知っている?」
「――貴女との関係はまだ数時間です」
それでもわかるものはわかりますよ。
そう言って、セイバーは微笑んだ。
「…………部屋に戻るわ。サーヴァントについてはライダーに聞いて頂戴」
踵を返し、離れに向かおうとする凛。
「――ああ、凛」
その背中に向かって、セイバーは声をかけた。
凛は、何? と振り返らずに立ち止まる。
「怪我は、大丈夫ですか?」
「――気づいてたんだ」
「ええ。脇腹……肋骨が、折られていますね」
気づかれないようにしていたが、無意識でどうしても庇うようにしていたのだろう。
それをセイバーは察し、この場に衛宮士郎が居ないから訊いた。
どこまでわたしの性格を理解しているのだろう、と思いながら凛が答える。
「二、三本だし、治癒させてるから、すぐ治るわ」
自分のことになると途端に質素になるのは、少々考え物かもしれない。
相手を甘く見ていたのも無意識にあったのだろう。
堪えきれる程度にダメージを抑えられたため、アクションに支障はなかったのだが、防御を比較的安物の宝石で済まそうとしたのが拙かった。
「そうですか、失礼しました。要らぬ世話でしたね」
今度こそ話は終わり、凛は立ち去り、セイバーが縁側に残された。
「……………………」
セイバーは静かに、衛宮邸の庭を眺め続ける。
……そして、三分ほどしたところで、口を開いた。
「ライダー、居るのでしょう?」
「――ああ、すまん。タイミングがわからなくてな」
実体化して、ライダーが現れた。
別に不意打ちをするつもりでもないが、なんとなく出て行きづらい雰囲気だったのだ。
「えっと、サーヴァントの情報だったか」
セイバーの隣に、やや離れて胡坐をかいた。ええ、と頷くセイバー。
「と言ってもまだランサーとしか戦ってないんだが……」
「構いません。ランサーは羽を生やした少女ですね?」
イエス、と答えて基本的な情報を教える。
真名。吸血鬼であること。弱点。悪魔ゆえの性格の悪さ。
「――――ふむ」
頷いて情報を整理し、次は狙撃手について尋ねる。
「……それだけだと判断しづらいな」
「そうですか」
「アーチャーなのかもわからないんだろう?」
「存外、近くからの狙撃だったので」
アサシン、アーチャー、キャスター、バーサーカー。
可能性としては四騎のどれかだが、本来の聖杯戦争と勝手が違いすぎる。
「こんなことなら、姿ぐらいは確認するべきでした」
セイバーの嘆息に、ライダーが訊いた。
「なんで逃げたんだ? アンタなら、どうとでもやれたろうに」
「貴女もそう言いますか。――だったら逆に問いたい。何故逃げたのですか?」
「――――さてなぁ?」
「貴女ははぐらかしますか。分かっているでしょうに」
凛とは同じで反対ですね、とセイバーは呟いた。
「ほう」
どう答えたものか、と考えたライダーは思いつく。
「――いやなに、マスターの身が第一でねぇ」
ライダーは、にやりと、笑って言った。
それに対してセイバーは、くすり、と笑って言う。
「――戦力的に不利なのが明らかだったので」
答えの入れ替えに、二人は密やかに笑いあう。
「ランサーのマスターはそれほどに?」
「体術も相当だし、切り札を持ってる可能性が高い、だそうだ」
逃げながら、あれじゃサーヴァントが二人居るようなものじゃない、と凛は愚痴っていたとライダーが漏らす。
「切り札の正体は?」
「後で家を漁ると言ってた。それなりに有名らしいから、伝承が何であるかぐらいは分かるだろ」
「フラガという銘から言えば、切り札はスルトの短剣(フラガラック)でしょうか」
「良く知ってるな――――って、英霊ってのはそういうものか。知識の蓄積は無限だったか?」
非正規のサーヴァント(ライダー)に、英霊のサーヴァント(セイバー)は黙って頷いた。
「……フラガラックというと、別名応酬丸、アンサラーだったっけ……。抜かずの剣とか、不癒の剣とか……」
「貴女も詳しいじゃないですか」
「知人が大図書館の主でね。そこには節操が無いほど本が在る。そいつには負けるが、それなりに、な。…………あーくそ。香霖の奴ならべらべらと薀蓄を語れるんだろうが……、いや、あいつは触らないと駄目だったか?」
香霖? と知らぬ単語に首を傾げるセイバー。
「森近霖之助。道具屋で、……まあ私の兄みたいなもんだ。ってそれはいいんだ」
いくらなんでも彼がサーヴァントになることはあるまい。
「情報が足りん。使う前に潰せればいいんだが……」
「凛と相談するといい。彼女なら予想パターンごとに対策を立てられる」
「そうだな。ランサー対策も組み立てなきゃいけないし」
ううむ、と考え込む風のライダー。
「……ふぁ……」
と、 セイバーのあくび。
「すみません、先に休ませてもらいます」
「ああ。……え?」
あくびをかみ殺して立ち上がったセイバーに、気づいてライダーが不思議そうに声を漏らした。
「実体化しっ放し、というのも不便ですね」
「ああ、そうだったっけ?」
「では、失礼します」
そう言って、セイバーは士郎の部屋の方へ向かおうとし、
「――あー、一つ訊きたいんだが」
先ほどの凛とセイバーのやり取りのようで、ライダーは気が引けながらも、声を掛けて引き止めた。
「なんでしょうか?」
「あんたは、英霊……――英雄なんだよな?」
「そう呼ばれる存在ですね。……それがなにか?」
ぽりぽりと、髪――ではなく帽子を掻きながら言いづらそうにライダー。
「大したことじゃないんだ」
「はあ」
何だろうか、とセイバーは首を傾げ、ライダーがその問いを口にする。
「――あんたは、成し遂げたのか?」
簡潔すぎる問いに、
「まだ、途中ですね」
あっさりと、セイバーは答えた。
「……そうか。あんたみたいな奴でも、途中なんだな」
「確かに英雄として成し遂げたモノはありますが、まだ成し得ていないものがあるからこそ、聖杯戦争に応じました」
静かに、そして力強く、セイバーは言った。
ライダーは、はっ、と苦笑して、
「ああ――――そりゃ、強いはずだ」
「ええ――――貴女も同じように」
お世辞が過ぎるぜ、とライダーは笑う。
そして、話は終わりだ、と背を向けた。
「おやすみなさい」
「良い夜を」
最後に召喚されたセイバーとそのマスターが逃走したことを確認し、追撃するかどうかをパスを通じてマスターに問う。
「…………」
マスターは深追いをするな、と言ってきた。
目標の一つは達成しており、セイバーは下手に手出しをするべきではない、という判断だ。
――そう、目標の一つは達成していた。
マスターからその後始末をするように指示が来る。
今まで立っていた屋根から跳躍。
三つほど家を越えたところで道路に降り、一時的な隠し場所にした塀の間とも言える小道に入る。
そこには、死体が一つ転がされていた。後始末に取り掛かる。
転がしたのは自分で、死体は先ほどまでマスターと呼ばれる存在だった。
命令を受けて深山町を索敵していると、このマスターを発見した。
マスター曰く、魔術協会の魔術師であり、端役に過ぎない。
故にデリートしても構わない、とここには居ないマスターは指示した。
連れていたサーヴァントに見覚えがあったような気がしたが眼中に入れず、こちらの術中に嵌まったマスターを完璧な不意打ちで以って、殺した。
「――――」
ほどなく、死体の処理を終える。
周囲にサーヴァントの気配は無い。
消滅したか、もしくは逃げて、新たなマスターを探しているのだろう。
マスターからの命令で、放っておく。
再契約できる可能性は低いし、出来たのならそれはそれで面白い、とマスターは面白がっているようだった。
「――――…………」
小道を後にする。そこに死体があった形跡は無い。
聖杯戦争が始まって最初の脱落者は、ひっそりと、その存在を無くされた。