ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


2-9

 ―――ギィ

 玄関のドアが開き、私服姿の凪が帰宅した。
「ただいまー。綺、オレの分のお昼ある?」
 手早く靴を脱ぎ、リビングに。
 キッチンから漂ってくる匂いからして、まだ綺も昼食前と見当をつける。
「綺ー?」
 キッチンを覗くも、姿は無い。
 再度呼びかけながら探すと、意識不明の彼を寝かせている部屋の襖が開いているのを発見した。
「・・・・・・どう? 変わりは―――」
 襖に手をかけて彼の様子を訊こうとした口が途中で止まる。

「―――なんだ、目が覚めたのか天色優、さん?」

 

「なぜその名前を・・・・・・!?」
 彼―――天色優は、“自分の名前”を呼ばれたことに驚きを隠せなかった。
「ああ、海影に聞いたよ」
 こともなげに凪は答えた。
「海影君に・・・・・・?」
「元クラスメートだったんでね」
 ふと思索顔になる優。
 目の前の凪のことは、統和機構の情報に載っていたのでわかる。
 そして確かに、統和機構の情報である霧間凪のデータと彼が調べた海影香純の経歴では、小学校が同じであった。
「すると・・・・・・キトは?」
「キトなら、ちゃんと安全なトコに居るよ。外国ふらついてる人に任せてるから、どこにいるかはわかんないけどね。安全であるのは確か」
「本当なのか? 彼女の身体には・・・・・・」
「わかってるって。その辺の事情も聞いてるし、信用している」
「・・・・・・。海影君とキト以外にも、誰かいなかったのか?」
「七音恭子なら一緒だったよ」
「あと三人・・・・・・いや、二人いたんだが」
 優は途中で人数を訂正した。数宮三都雄が死んだのは確実だったからだ。
「・・・・・・」
 守れなかった。友人を亡くしてしまった。
 そう考えると、苦々しく思う。優の表情が翳る。
「辻希美と神元功志の生死は不明。もっとも、事後のチェックが怖いから再調査はついこの間やったばっかりだ。死体及びその痕跡は確認できなかった」
 凪は言外に、生存は絶望的だ、と言っているのだ。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 優はそれ以上何も訊かず、凪も何も言わなかった。

 

 そしてふいに凪が、
「綺、昼食にしよう」
 と言った。
「・・・・・・あっ、はい!」
 金縛りが解けたかのように、綺が慌ててキッチンに向かう。
 凪もそれに続いて、部屋を出た。
「・・・・・・っと、そうだ」
 一旦部屋を出た凪が、何か手にして戻ってきた。
「食事は取れる?」
「いや、まだいいよ」
 栄養摂取は、点滴で充分補えている。
「そうか。まあそれはいいとして・・・・・・本題はこっちだ」
 と言って
「?」
 優は怪訝そうな顔をする。
「スケッチブック。アンタのだろ?」
 あちこち痛んでいるが、確かに辻希美のもの。
「! ―――ああ、そうだ。・・・・・・ありがとう」
「どーも」
 凪は背を向け、手をヒラヒラさせて言った。

 

 天色優はぼんやりと、かつて彼が深い眠りにつく直前にそうしたように、スケッチブックをめくっていった。
「・・・・・・」
 かなり長い間あの地下空洞で、自分と一緒にさらされていたのだろう。前の記憶によるものより、大分痛んでいた。
 それでも、描かれているものは変わらない。
 予言を推察するために描かれたもの。何気ない六人の、辻希美から見た、風景。
 天色優―――合成人間ユージンにとって、欠くことのできない温かみ。
 ゆっくりとページをめくっていき、そして、
「――――」
 ぱたん、と閉じた。
 霧間凪は言った。キトはもう安全だと。
 つまり世界は救われたのだ。よかった、と思う。
 自分達の行動が、特に数宮三都雄の死が、彼の勇気が無駄にならなかった。
 霧間凪は言った。海影香純と七音恭子は無事だと。
 少なくともあの二人は生きているのだ。まだ友達はいるのだ。
 温もりは、失われていない。
 霧間凪は言わなかった。神元功志と辻希美は死んだとは。
 確かに絶望的だと思う。しかし、あの時、『死神』が現れたのだ。霧間凪の話振りでは、おそらく遭遇していないのだろう。
 もしかしたら、状況のわからない神元功志と辻希美の方を、アレが処理したかもしれないのだ。
「・・・・・・っ」
 ぎりっ、と奥歯を噛み締めた。

 

 ―――甘い考えだとユージンは思う。

 

 そうあって欲しいと天色優は願う―――


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