ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―
2-8
「・・・・・・」
彼はゆっくりと目を覚ました。
目を覚ましたといっても、闊に目を開いたりはせず、意識だけを起こして感覚を確認する。
肉体の復元、九割完了。涸渇していた栄養素の大部分を現在供給・備蓄中。
わずかに足や指など、体の各部に力を入れて、その反応を見る。
身体機能の稼働率は三割。全力とは程遠い。
常態の冬眠モードではありえない衰弱だ。むしろ、
(生きて、目覚める方が不思議なぐらいだ・・・・・・)
ゆっくりと、周囲を探る。
生活的な音が聴覚に入ってくる。聴覚探知は良好だ。
どうやら病室や、統和機構の施設といった部屋ではなく、一般的な家の部屋のようだ。
壁を一つ隔てた先から人の気配。ガスコンロ、家電製品などの音からキッチンなのだろう。
ぱたぱたと、料理をしているのだろう、軽い足音が聞こえた。
こちらが目を覚ましたことには気づいていないようだ。
そして、少しだけ瞼を上げる。
予想通り、そこは普通のマンションの一室というところだった。
左腕には、ずっと感じていた点滴がついていて、眠っている間中ずっと栄養補給をしていたようだ。
普通の家に、点滴。まずありえない組み合わせだ。
一瞬、反統和機構の組織に眠っていたところを発見されたのかと思ったが、それだったら必ず見張りがいるはずである。
(・・・・・・?)
いまいち状況が掴めない。
ありえないとは思うが、生きのびた彼らが運び出してくれたのだろうか。いや、もし無事に脱出して救助してくれたのなら、ここまで備蓄栄養素が涸渇してはいまい。
数週間やそこらではないはずだ。最低でも二ヶ月は経っているはず。
っと、足音がこちらに近づいてきた。
「――――」
すぐさに眠った状態を装う。
足音は、軽い。
女性で、年も少女といって差し支えないだろう。
彼女は脇に屈みこみ、看護士さながらに体温と脈を測定した。
「・・・・・・異常無し、と」
小さな呟きが聞こえた。聞いたことのある声だ。
そして彼女は最後に点滴を取り替えた。まだ備蓄が充分ではないのでありがたい。
立ち上がり、ここを去ろうとした気配を感じて、彼はうっすらと眼を開けた。
視界に彼女の後姿が映る。
見覚えのある姿に彼はぽつりとこぼした。
「―――なんだ、カミールか・・・・・・」「―――!」
びくっと、綺の身体が強張った。
(そんなまさか―――)
統和機構との関係はもはや彼女になかった。
元々スプーキー・Eだけが、彼女と統和機構を繋ぐ接点だったのだ。そしてスプーキー・Eは死んだ。
もうとっくに統和機構との縁は切れたのだと思っていた。
―――いや、違う。
彼は明らかに偶然ここにやってきたのだ。こんな回りくどい方法で統和機構がコンタクトをしてくるはずがない。
しかし、彼女、織機綺こと合成人間カミールを知る者が現れたことは、喜ばしいことではない。
統和機構に関しては、ぼかしてしか教えていないのだ。
勘付いて、もうある程度予想はついているのだが、それでも分け隔てなく接してくれていて、それは変わることが無いことを確信している。
だが、不安材料を抱えているということは変わらない。
それが他人から暴露されるとなるのは最も避けたいことだった。
「・・・・・・っ」
説得、しなければならないだろうか。
わざわざ組織の者が秘密をばらすことはしないだろうが、相手が裏切り者で意地の悪い性格だった場合はその限りではない。
「・・・・・・あ、あのっ」
「・・・・・・」
彼はなんとはなしに綺を見ている。
その目には敵意や警戒というものがなかった。
「あの・・・・・・あなたは・・・・・・?」
小さな問いかけだったが、誰なのか? というニュアンスを含んでいた。
「・・・・・・ああ、」
それに気づいて、答える。
「別に処分役というわけじゃないから安心していい」
綺は途端にほっとした表情になる。
「カミール。スプーキー・Eはどうしたんだ?」
「え? ―――知らないんですか?」
スプーキー・Eは自殺したのだ。事後処理は済まされているから、統和機構の者なら既知の事実であるはず。
その前から、この人はずっと眠りつづけていたのだろうか。
確かに数週間程度の“冬眠”では無いとは思ったが。
「……そうか」
彼女が知っている範囲のことを話すと、彼はぽつりとそれだけ呟いた。
そしてそれっきり沈黙に包まれた。