ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


2-7

 僕は羽原さんの視線を受け止めながら、彼の真意を図りかねていた。
 正直に言うと、彼の第一印象はあまり良くなかった。僕が霧間さんにしつこく食い下がっていたとき、彼が笑っていたからだ。
 よくよく思い返してみると、悪意がある笑いではなかったのだが、そのとき僕は切羽詰っていたので悪い印象を受けたのだ。
「・・・・・・」
 そうか、この人は。
「とりあえず、ありがとうございます」
 僕がそう言うと羽原さんは、ははっ、と軽く笑った。
 そしてまた、黙って運転に専念する。
「あなたも、大した人ですよ」
 小さく、言った。多分聞こえた。


 霧間さんのマンションの前に着いた。
 羽原さんは僕を降ろして駐車場までバイクを持って行こうとした。
「ん? 凪か?」
 その時、霧間さんから携帯がかかってきた。
「今、マンションの前だよ。・・・・・・わかった。それだけだな? 了解」
 二三言、話すと羽原さんは、
「今から凪の使いで、買い物行くことになった。凪の部屋はわかるよな?」
 僕が頷くと、羽原さんはまたスクーターで走っていった。
 僕は一人でマンションに入っていった。霧間さんの部屋の前でインターホンを押す。
「はーい」
 織機さんが出た。その奥から霧間さんが顔を出した。
「ちょうど良かった。男手が欲しかった所だったんだ」
 霧間さんはそう言いいながら、ちょいちょいと僕を手招きした。
「?」
「傷の方は別段大したことは無かった。とりあえず寝かせたいんだが、汚れが酷くて。体を拭きたいから手伝ってくれ」
 奥の部屋に案内されると、そこにはさっきの男の人が寝かされていた。
 確かに汚れがきつかったので、ビニールシートをかけた布団の上に寝ていた。
「――――」
 彼は、少しだけシーツをかけられただけでほとんど裸だった。僕は意味もなく顔が赤くなるのを感じた。
 そして、織機さんがお湯の入った洗面器とタオルを二枚持ってきた。僕と霧間さんで拭くということらしい。
「サンキュ」
 霧間さんは躊躇いもなく彼の体を、主に傷痕に近いあたりを拭き始めた。
 僕も、“特に当たり障りの無い”所から拭き始めた。
 首や、痣の無い左腕を拭き、ゴミや垢を落とす。段々と汚れが取れてきて、地の肌が表れた。
(うっ・・・・・・)
 同性なのに妙な色気(というのだろうか?)を感じて、僕は頭を振った。
「〜〜〜〜っ」
 馬鹿みたいに顔を赤くしながら僕は、名前も何も知らない誰かの体を拭いていった。

 羽原さんが買ってきたらしい下着と寝巻きを着せられて、今度はきちんと布団に彼は寝かされた。
 腕には点滴のチューブが繋がっている。霧間さんが言うには、栄養補給らしい。
 ちなみに付けたのは織機さんだった。慣れているようには見えなかった。一般人が注射をしていいのだろうか?
 細かいことは気にしないようで、黙っていると霧間さんから簡単な質問を受けた。
 どこで見つけたのか? どうやって見つけたのか? 他には何も見なかったか?
 僕は曖昧な返答しか出来なかった。何しろ偶然だ。
 ―――偶然、だと、思う。

 次の日は現場検証に駆り出された。
 霧間さんは地図を片手に、僕の頼りないナビゲートでどんどんと進んでいった。
 足取りの迷いのなさは、まるで一度来たことがあるようで、僕がどちらに進むべきか迷ってしまっても勝手に歩き出して行ってしまうこともあった。
 何とか彼が居たと思われる地点に辿り着いた。そこには一冊のスケッチブックが残されていた。
 ぱらぱらと、野ざらしにされ痛んでいるページをめくると、色々な、そして上手な絵が描かれていた。その中には、彼の絵もあった。
 他には何も見つからず、それを霧間さんに渡して、その場を去った。

 その次の日から僕は放課後、霧間さんのマンションに通うようになった。
 彼の様子が気になって、押しかけるようにお邪魔している。
 しかし彼は変化無く、ずっと眠ったままだった。
 霧間さんはサボりなど特にこれといったことはせず、時々学校でその姿を見せていた。
 てっきり身元調査に専念するのだろうと思っていたのだが、簡単なものだったのだろうか。起きてから直接訊くという方法もあるし。
 それとも、もう既に見当がついてる、とか。
 ともあれ霧間家に通う日々は楽しかった。霧間さんや織機さん、羽原さんとの会話もだけど、日常を脱却した生活を、僕は楽しんでいた。


 とある日、僕が慣れてしまっていつものように霧間さんの家に上がると、彼は消えていた。


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