ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


2-6

 僕はプレハブの外に座って、ぼんやりと空を眺めていた。
 脇にはさっきのコンビニで買ってきたスポーツドリンクのペットボトルが封を切って在る。
 思いついたようにキャップを空け、一口二口飲む。
 そしてまた空を見上げる。
「・・・・・・眠い」
 疲労による気だるさが全身を包んでいた。
 しかし眠ってしまうわけにはいかない。まだ僕の仕事は終わっていない。
 もう一口スポーツドリンクを飲み、キャップを閉めた。
 さっきまでプレハブの中で男の人を様子を看ていたが、何も出来ることが無かった。
 彼の状態も安定しているので、外で霧間さんが来た時に目印になる方がいいと思ったのだ。
「ふぅ・・・・・・」
 ようやくゆっくり出来た。
 ようやく考えることが出来る。
(そうなんだけどなぁ・・・・・・)
 疲れすぎて、頭が回らない。さっきまでとは違う理由で思考がバラバラになってしまう。
 何とかまとまった考えは、探していたものは彼だ、ということだ。
 中に入ったときは、目印があるように迷わず辿り着くことが出来たのに、外に出ようとしたときは、行きの倍は時間が掛かってしまった。
 何故行きは迷わなかったのか。
 一番の疑問はこれだった。これに対しては、何となく、としか答えられない。
「―――はぁ」
 疲れを肺から押し出すように溜め息を吐く。思考と、体力の限界だった。今寝転がれば、数分とかからず眠ることが出来るだろう。
 チラリと、様子が見えるよう開けっ放しにしてあるドアの方を見る。気を失っている彼は、ピクリとも動かずそこにいた。
 軽く頭を振って、眠気を覚ます。
 今はまだ自分がやるべきことがある。

「―――来た」
 呟き、僕は立ち上がった。来るべき方向を見て、待った。
 数瞬後、大きな排気音と共に大型二輪車に乗った霧間さんが現れた。
 彼女はこちらに気付き、スピードを落としながらこちらに近づいてきた。すぐ側まで来ると、エンジンをかけたままスタンドを立てて、バイクから降り、ヘルメットを取った。僕の方を見る。
「中です」
 僕が言うと、霧間さんは小さく頷いてからプレハブの中に入った。僕もそれに続く。
 彼の側に近づくと彼女はすぐにしゃがみ込んで、容態を診始めた。
 僕がやったように、しかしかなり手際良く、呼吸、脈、傷口を確認した。
 よし、と小さく呟くと、彼の体を起こし背負った。
「このまま背負ってくから、少し手伝ってくれ」
 そう言い、彼女は背負ったままプレハブの外に出ると、彼女が被っていたのとは別のフルフェイスヘルメットを出し、彼に被せた。
 そして、霧間さんは彼の体を支えてくれ、と言った。
 僕が背負われている彼を持ち上げるように支えると、彼女はたすきできつすぎず、ずれ落ちないように彼の体を背中に密着させ、固定した。
 そのままでバイクに跨る。片方は気を失っているが、二人乗りになった。タイヤやホイールと絡んだり、マフラーに触れたりせず、どこも危険なところが無いことを確認して、スタンドを倒した。
 最後に僕を一瞥して、霧間さんはヘルメットを被り、アクセルを回した。
 排気音を轟かせながら、二人の姿は離れていった。
 僕は無言で、それを見送った。
「・・・・・・・・・」
 あっという間だった。
 会話らしい会話もせず、ものの数分も経たずに、彼女は去っていってしまった。
(でも・・・・・・)
 かっこいいな、と思った。
「・・・・・・なんか、満足」
 やるべきことはやれたし、何か得ることが出来たような気がする。
 僕は風船から空気が漏れるように、その場にずるずるとへたり込んだ。

 数分後、
「――――」
 僕はいきなり立ち上がった。少しして、一台のスクーターがこちらにやって来た。そのスクーターには見覚えがあった。スクーターの運転手は停車すると、シートに座ったまま、
「もう凪は行っちまったのかい?」
 と訊いてきた。
「はい」
 答える。
「あちゃぁ」
 ヘルメットを取り、困ったように頭を掻く。
 あの時、霧間さんの隣にいた男だ。凪を追って来たのだろう。
「すれ違いか・・・・・・しょうがねえなぁ」
 はあ、と大げさに溜め息を吐いて、僕を見た。
「・・・・・・」
 僕はどう対応していいのか分からず黙っていた。しかし、向こうはこちらのことを気にした様子もなく唐突に、
「ほれ」
 と言いながら、被っていたのとは別のヘルメットを僕に投げて渡した。
「?」
 僕が怪訝そうな顔をして見返すと、彼はニヤリと笑って言った。
「来ないのかい?」
「―――・・・・・・」
 どういう意味だろうか? しかし、
「―――行きます」
 僕は即決していた。


 スクーターの排気音が体のすぐ側から響いてくる。
 僕はバイクの運転免許を持っていないし、自転車の二人乗りの経験も皆無なので、バイクの空気抵抗と加速感が、どうにも気持ち悪い。
 腕に込める力がつい強くなった。と、
「あっ」
 慌てて、力を緩める。腕を通して彼―――羽原健太郎と名乗った―――が笑っているのがわかった。
 恥ずかしくて顔が上気する。
「バイクは初めてか?」
 笑っているのを隠さず、いや少しは堪えているような感じで彼は訊いてきた。
「はい・・・・・・」
 ごまかしても無駄なので正直に答えた。しばらく、僕にとって居心地の悪い空気が流れた。
「・・・・・・えっと、・・・・・・羽原さん。どうして霧間さんの所へ連れてってくれるんですか?」
 沈黙に耐えかねて、僕は訊いた。
「ん、どっちにしても、凪はお前さんのところに来るだろうさ。第一発見者だからな」
 彼が答えた。「第一発見者だから」は分かるが、「どっちにしても」と言うのはどういう意味だろう。
「はあ」
 生返事をすると、羽原さんは補足した。
「まあ、来たとしても、学校だっただろうがな。善は急げだ。―――と言うのは建前で、個人的にお前さんに興味があったからだな」
「?」
 少しだけ体を傾けて羽原さんの顔を見ようとするが、ヘルメットの邪魔もあり、彼の表情は読めない。
 彼は真っ直ぐと前を向いたまま続けた。
「お前は、“俺たちと同じ”で凪に興味を持った。それだけでも充分、注意するべき人物だ。アイツのやってることに首突っ込もうなんざ、普通の奴じゃない。確かに興味本位で首を突っ込みたがる奴はいるだろうが・・・・・・」
 アクセルが吹かされ、スクーターが加速する。
「お前さんは違う。目を見てそう思った。何より凪に食い下がろうなんざ、よっぽどの馬鹿か、大した奴しかいない」
 交差点に差し掛かった。信号は黄色、いや、赤になった。
「・・・・・・自慢じゃないが、俺は人を見る目はあると思っている。特に“本気の奴”を見る目は」
 スクーターが停車した。彼はヘルメットを取って、振り返った。
「凪に怒られるかも知れねーが、俺は言ってやる」
 僕の目を真っ直ぐと見ながら、彼は言った。
「―――アンタは“本気の奴”だ」


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