ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


2-4

 僕は何か臭いのもとがないか、辺りを見回してみた。が、グシャグシャに潰れている不法投棄されたらしいライトバンぐらいしか見つからなかった。
 念のために近づいてみたが、車のオイルの臭いしかしない。僕が感じた臭いとは全く別物だ。
「気持ちわる・・・・・・」
 本の少し嗅いだだけだったが、かなり響いていた。―――それだけ酷い臭いだった。
 ふと、視線を落として足元を見てみる。
「ん・・・・・・?」
 染み・・・・・・のようなものがある、ように見える。暗いのでそれが何なのか分かりづらい。しかし、地面に這いつくばってまで調べたいとは思わなかったので、このことはもう切り上げようとする。
 ―――このとき、もし彼がもっと詳しく調べていれば、染みは血の跡であり、近くに風化しかけた人骨の破片が落ちていることを知っただろう。

 

 また僕は歩き出した。
「・・・・・・」
 歩き出すと、急に頭がぼんやりしてしまう。
(何でかなぁ・・・・・・)
 こういうことはよくあることでもあるので、深くは考えないが何となく疑問に思う。
(そう言えば、さっきのワゴン・・・・・・)
 ライトバンという車種に入るのかもしれないが、僕は車には詳しくない。
(・・・・・・何であんなふうになってたんだろうか?)
 暴走族が上の段差でチキンレースでもしたのだろうか、それでそのまま落ちたとか。・・・・・・だとしたら人が死んでてもおかしくないな、と考えて思わず身震いする。
 もしかしたら、人の死体が放置されてるかも・・・・・・とまで考えてしまい、僕は必死にその想像を打ち消した。
 一瞬、ぐちゃぐちゃになった人の死体まで見えてしまった。
「うげ・・・・・・」
 せっかく気持ち悪さが抜けていっていたのに、またぶり返してしまった。
「あーもう・・・・・・」
 ぶつぶつと、独り言を言う。

 ・・・・・・そんなことをしながらも、自然と“目的の方向”に足は向かっていた。僕は、
(近いな・・・・・・)
 そんなことまで思っていた。

* * *

 彼は何者かの接近に反応し、覚醒した。
 いや、反射的に覚醒しようとした。
 そしてそれは失敗し、深く沈んでいた意識が僅かに浮上したに留まった。
 足音。
 正常な状態であれば体格や身体状態まで推測可能なはずの聴覚だが、半端な覚醒状態ではその足音が一人のものであることしか分からない。
(・・・・・・誰だ?)
 意識レベルが覚醒まで到達していないが、彼は周囲を探ろうとした。
 しかし彼の体は動かない。
 傷ついた体は未だに回復していなかった。元より回復出来ただけでも奇跡なのだ。微かであっても意識レベルが上昇した時点で僥倖と言えるだろう。
 デッドラインぎりぎりで持ち直した彼の体は順調に中枢器官を優先しつつ、治癒されていった。
 各部、壊死を免れ、重要器官の再生も進んだ。
 しかし、“冬眠状態”には欠点があった。
 消耗を最大限に抑える為に、全く動けなくなるのだ。通常の冬眠であれば周囲の気配を察知して目が覚めるが、負傷し治療目的で強制的に冬眠についたとき、特に重傷の場合は目を覚ますことは無い。目覚めることが出来ないのだ。
 即ち、“補給”が出来ないのだ。
 例え備蓄していた栄養素が足りなくなったとしても、覚醒することが出来ず、それ以上の再生・治癒が不可能となるのだ。そのままではずっと現状維持の状態から動けず、冬眠が持続可能な時間が過ぎれば―――死ぬ。
 彼はまさにその状態であった。
 焼けた内臓とちぎれかけた肩が再生された時点で、体内に蓄えられていた蛋白質をほとんど消費してしまい、生命維持が可能な状態まで持ち直したものの、これ以上の回復が出来ない。
 後は死を待つのみだった。

 少年が彼の方へ近づいてくるまで。

* * *

 進むにつれ、だんだんと明るくなってきた通路が、いきなり暗闇に包まれた。
 どうやら、差し込んで来ていた光が雲に遮られたようだ。
「―――わっ!?」
 光度の変化に驚きつつ、目を慣らそうと僕は目を瞬かせた。明るくなってきていた分、ギャップがきつかった。
 七、八回ほど瞬きを繰り返して、また歩き出した。
 見えなくても大体分かるので、差し支えない。そう考えたのだ。
 かなり不可思議な現象なのだが、このとき僕の頭はぼんやりしていたし、それが当たり前のように感じていた。
「もう少し・・・・・・」
 無意識に僕は呟いた。
 そう、もう少しで目標の所に着くのだ。
 自分で言って、納得していた。しかし、ここでようやく僕の頭に当たり前の疑問が生まれた。
 何を目標にしているのか。
 一体、何を探しているのか。
 感覚に従って歩いてきたが、この感覚は何なのか。
(あ、あれ・・・・・・?)
 唐突に、堰を切ったように疑問が溢れた。いきなりのことに頭がついていかない。
 僕はぶんぶん、と頭を振って無理やり自分を落ち着かせた。
 何を探しているのか分からないが、それは見つければ分かるだろう。考えなければならないのは、このよく分からない感覚の方だ。元はと言えば、この感覚のせいでこんな地下道を歩いているのである。
(でも・・・・・・)
 この感覚が何なのか分からない。感じるようになったきっかけがあったと思うが・・・・・・
 ―――このときは、思い当たらなかった。

 僕は僅かに差し込んでいた光が遮られ、真っ暗闇になった地下道を歩いていく。


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