ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


2-3

 違和感。
 脇から出てきた誰かとぶつかった瞬間、そう感じた。
 肩と肩がぶつかった感触だけじゃなく、身体の中の何かを揺さぶられるような――叩いて罅を入れられるような、不思議で、よくわからない感覚。
(・・・・・・?)
 しかしその感覚はあっという間に引いていき、僕は今の状況に気が付いた。
「―――あっ、すみませんっ!」
 僕は慌てて振り返り、ぶつかってしまった人に頭を下げて謝った。
 頭を下げたまま、僕は少し疑問に思う。
(ぶつかったのは僕からだよな?)
 どっちかと言うと体勢崩したのは僕の方だった。というか、ぶつかった人は体勢を崩した様子が全く無かったような・・・・・・
 ほぼ一秒経ってから頭を上げて、謝罪している相手を見る。ここで初めてぶつかった人は男の人だったと知った。
「・・・・・・っ」
 僕はびくっ、と身を竦ませた。
 ぶつかった人は、意外にも僕と変わらないぐらいの身長で、年も、もしかしたら僕とあまり離れていないのかもしれなかった。紫色の細い服を着ていて、アクセサリーなのか、変な形をした十字架のようなものを首に下げている。
 ただその・・・・・・眼つきがやたらと、鋭かった。
 霧間さんも同じように鋭かったがそれとは違う、何か苛立っているように不機嫌な眼つきだった。
 僕は極力、内心の怯えを隠して相手の視線を受ける。
 ―――下手なことをしたら殺される。
 本気でそう思った。
「・・・・・・・・・・・・」
 しばらくすると、彼はつまらないものを見たかのように向きを変えた。
(ほぅ・・・・・・)
 僕は安堵して、再び走り出そうと回れ右をし、駆け出した。
『―――おやまぁ・・・・・・見逃すのかぁ?』
 数歩離れた時点で、いきなり『声』がした。
 えっ、と思って振り返っても、紫色の彼しか居ない。
「あれ・・・・・・?」
 気のせいだったのかな? と思い、僕は宛ても無く走り出した。

 

 適当に走っていると、海ぎわのやけに寂れた所に辿り着いた。
(ここは・・・・・・えっと・・・・・・)
 確か『再開発地区』と言う場所だ。
 行き詰まった都市開発を計画し直して開発するという所で、今はその計画そのものが頓挫している、というようなことを新聞か何かで読んだことがある。バブルの頃の(と言っても、僕にはいまいちピンと来ないが)計画で、昨今の不景気の煽りを受けたらしい。
 しかし、つい最近までずっと工事中の看板が出たままで、工事する会社が潰れたり、計画した企業が倒産したりと遅々として開発は進んでいなかったが、ようやく工事が再開されてこの冬ぐらいに完成するらしい。
(しっかしなぁ・・・・・・)
 工事再開、と言っても長期間放置されていたことが容易に想像できるほど、ここは閑散としていた。
 窓が割れたところをガムテープで直しているプレハブがあったり、芝生になるところに雑草が覆い茂っていたりする。
 ・・・・・・本当に工事再開してるのだろうか?
 完成予定図の看板が、嘘っぽく見えてならない。
 僕は休憩がてら、工事現場を探索してみることにした。
 工事現場になっている所は立ち入り禁止になっていて、入れないようにロープが張ってある。しかし、工事が進んでいないところも立ち入り禁止になっているみたいなので、そういうところには入ってみたりした。
 やっぱり、長い間手付かずだったようで、中はがらがらだった。資材が放り出されていたりする辺り、ムーンテンプル跡に似ていた。
 違うとすれば、ムーンテンプル跡は“最期”で、ここは“これから”ということだろう。
(最初と最期は同じなのかもしれないな)
 何となく、そう思った。

 

「――――?」
 ―――呼ばれた。
 いや、何かがあって、それを感じた。
(・・・・・・何?)
 違和感というには自然な感覚に、僕は従うように歩を転じた。
「・・・・・・ここ?」
 自分で歩いてきておきながら、自問する。
 そこは地下へと続く入り口だった。開発の中に大規模な地下街とパイプラインがあったのだろう。かなり奥まで続いているようだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 少し迷ったが、僕は感じるままに地下へと入っていった。

 

***

 

 とても長い間、“彼”はそこにいる。

 たった一人で、ぼろぼろの服を着ていて、そこに座るように眠っている。

 その傍らには、彼が眠りについているのと同じ時を過ごしたスケッチブックが。

 時折差し込む光が彼の顔を僅かに照らす。

 その顔はとても安らかで・・・・・・

 その顔はとても美しく・・・・・・

 あたかも彼は天使のように――――

 

***

 

(・・・・・・何でこんなところ歩いてるんだろう?)
 暗闇を歩きながら、僕はぼんやりと思った。
 どこからか光が入っているのか、真っ暗闇ではないが、かなり視界の悪い地下を僕は歩いている。
 時々、苔が生えて滑りやすくなっているところで転倒しそうになったりするが、それ以外は何故か普通に歩くことができた。
 見えないのに見ている感覚、とでも言うのだろうか? よくわからない。
(・・・・・・こっち)
 何処に向かえばいいのかはわかる。感覚に従えばいい。
 闇で時間の感覚が麻痺しているのか、酷く、ぼぅ、とした気分になる。
 頭がぼんやりしていても、足は動いているのが不思議だ。もはや自動的に歩いているような感じだ。

「・・・・・・段差が」
 目の前に5メートルぐらいの段差があることに気が付いた。
(どうやって降りよう・・・・・・?)
 飛び降りきれる高さではない。クッションか何かあれば別だが、そんなものは無い。
 どうしようか少し悩み、階段を探す。・・・・・・ほどなくして、階段は見つかった。
 下に着き、ちょうど上から見下ろした地点辺りはここだろうか、と少し見回す、と・・・・・・
「―――っ!?」
 いきなり凄まじい臭いを感じた。
 肉と脂が腐りきった、嗅いだだけで吐きそうになる、酷い臭い―――
「・・・・・・っ、はぁはぁ・・・・・・」
 臭いを感じたのは、本の一瞬だけだった。
 今、深呼吸してみても、何の匂いも感じない。
「・・・・・・何なんだよ、一体」
 わけがわからなかった。


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