竹田城跡・立雲峡・雲海・若桜街並み

第二日目 10月11日(水)
立雲峡から雲海に浮かぶ竹田城見学〜竹田駅(9:57)〜(播但線・特急はまかぜ1号)〜和田山駅(10:03)〜(山陰線)〜鳥取駅(12:08/12:24)〜(因美線・若桜鉄道)〜若桜駅(13:20)〜若桜町観光〜若桜駅(16:13)〜(若桜鉄道)〜丹比(16:20) 永代供養の光澤寺宿坊泊

 朝6:30分タクシーで雲海に浮かぶ「竹田城址」を眺めるべく、立雲峡駐車場に向かう。残念ながら雲海の発生はない。何の変哲もない「竹田城址」とその下に広がる竹田集落を眺めて、30分ほどで戻る(写真上段)。
 WEBで見つけた朝食処に向かうも、「休み」。朝食を求めてあちこち探す。昨日の夕食に続き朝食にありつけない。9:30分、電車の時間が近付いたので宿を出ると、目の前の食事処が開店している。「うどん」しかないが、正に命の恩人、「うどん」を駆け込んで駅に向かう。
 山陰線・因美線・若桜鉄道を経由して、次の観光地「若桜」に向かう。鳥取駅での乗り継ぎ時間が短いので、駅構内のコンビニでおにぎりとパンを購入し、電車に乗る。電車は幸いボックスタイプ(写真3段目左)なので落ち着いて食事ができた。それにしても昨日の朝食と夕食、そして今日の朝食・昼食と落ちついでまともな食事ができない。
 何故こんな田舎町に来たのか?NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介され、落ち着いた静かな町だと感じたからである。でもそれほどの風情はない。
 今日の宿泊先は、ひと駅戻った丹比駅にある「永代供養と宿坊の光澤寺」である。一日一組しか宿泊客は取らない。ブータン国とゆかりのある寺だ。夕食後は、住職と「最近の葬儀事情と寺のあり方」に関し、21:00過ぎまで語り合う。大変意義ある夜となる。


中段左の写真は、竹田の寺町通りにある寺の一つ。中央が竹田駅。そして右は、入線する播但線の特急「はまかぜ1号 2両編成で、全席指定である。下段は「若桜鉄道」電車内と電車である。右は若桜駅風景。
下段は、若桜の観光の中心である「蔵通り」の写真。

 写真は光澤寺。、ブータン国 との繋がりがある。
 周囲の風景と名物の西条柿。
 八頭町の特産物「こおげ花 御所柿」

「若桜鉄道」の概要
 昭和5年(1930)1月に第1工区として郡家-隼の間が竣工、その年の12月には若桜まで19.2kmの国鉄若桜線が全線開通している。昭和50年代以降の赤字ローカル線の廃止や国鉄分割民営化という歴史的転換期を行政・住民の存続への運動で乗り越え、1987(昭和62)年には第3セクター若桜鉄道株式会社に引き継がれて、今日に至っている。若桜鉄道株式会社(わかさてつどう)は、鳥取県で旧国鉄特定地方交通線の若桜線を引き継いで運営している、鳥取県などが出資する第三セクター方式の鉄道事業者である。本社は鳥取県八頭郡若桜町に所在。因美線 郡家〜若桜間が営業路線。