校長のためのコンピュータ入門 (その14)

校長のコンピュータ論議 前編

 校長のためのコンピュータ入門も14回目を迎えた。この稿と次回で、とりあえず、連載のまとめにしたい。

学校にコンピュータはいらない

 先日もある校長と議論した。その校長、コンピュータは学校にはいらないという。インターネットも問題が多すぎる、と強調する。コンピュータ活用を声高に叫んでいる私への反発もあるのだろうが、大変に説得力がある。
 読み書きや計算をする、絵を描いたり歌ったり、走ったり運動をする、ものを作る、調べたり発表する、・・・等々。
 このような学校でする教育活動にコンピュータはいらない。むしろ、コンピュータを使うことで、教育の成果、こどもの望ましい成長の妨げになる、という。
 インターネットの場合はもっと手厳しい。家に閉じこもり、ひ弱で、頭でっかちのこどもを育てる。こどもをコンピュータにしばりつけ、架空の世界に閉じこめる。学校や家庭をモラルの低下や犯罪の温床にすることになる、というわけだ。
 確かにそうだ。コンピュータを学校に導入することは、学校の教育の在り方を大きく変えるかもしれない。ことによったら、教育・学校を徹底的にだめにしてしまうことになる、という意見があって当然だ。
 この校長の、そんな危惧はお構いなしに、学校にコンピュータが導入され、インターネットに接続される。危惧を叫ぶものは、時代遅れの石頭だと冷たい目で見られる。若い教員にも馬鹿にされる。そうでなくても校長として、コンピュータなどをこれから始めるのはこりごりだ。
 これまで長い間自分が培った教師、校長としての教育の信念や信条、識見を覆されてたまるか!

 教育は愛だ!

 怒りが爆発する。この辺で、逃げるが勝ちか、という雰囲気になってきた。

学校での使われ方はどうなるのか

 この校長への、言い訳はひとまずおいて、今、学校に導入されるコンピュータはどんな使われ方をする可能性があるか、考えてみたい。
 国の目標では、平成11年度までには、全国の中学校に42台、小学校には22台設置されることになっている。全国的には、地域、市町村によって様々であるが、折からの財政危機でだいぶ整備が遅れているようだ。しかも、一律の整備計画だから、生徒数=学級数の多い少ないは関係ない。全国の、学校規模も様々のはずである。ずいぶん乱暴な基準だが、これが標準になる。
 活用に内容について、新しい指導要領で考えられているのは、小中学校ともに、「各教科で積極的な活用を図る」に加えて、小学校では、「総合的な学習の時間で適切に活用する」、中学校では、「技術・家庭科の情報基礎の領域を男女共修で必修にする」というものだ。
 東京の標準的な中学校について考えてみよう。各学年4学級、計12学級校の場合としてみよう。
 コンピュータ室は一部屋である。学級を単位とすると教科等の授業時数は週28時間。コンピューター室がいつも使われていたとしても最大でも週2時間使われれば一杯になる。それ以上はこの部屋は使えない。
 とりあえず、学校でコンピュータが使われる条件は、この学校では、子ども一人について言えば、せいぜい週1時間使われればすごいということになる。技術・家庭科の情報基礎以外、9教科で使うとなれば、時間割や、コンピュータ室の調整が難しいだろう。
 コンピュータが各教科の授業で当たり前のように使われ、先の校長の危惧するような状況になるのはずいぶんと先になるようだ。
 我が国の学校のコンピュータ整備は、ようやく始まったばかりだと考えるべきだ。ところが、かなりのお金がかかる計画だ。体育館などと違って、使い方のイメージがわかない。そのために、教員だけでなく、関係者の受け止め方に混乱が生じることになる。お金を工面する側からは、「費用対効果」はどうなるのか、と喝が飛ぶ。

教育が変わるのか?

 というわけで、コンピュータの学校への整備は、実際には、始まったばかりなのだ。だからといって、先の校長の危惧を棚に上げておくわけにはいかない。
 まず、コンピュータの仕組みなどについて、技術・家庭科の「情報基礎」で扱うことに異論はないだろう。ラジオやテレビの仕組みの学習と同じように、教育の中身として取り上げるのは自然だ。
 次に、情報化時代に対応する教育として、「コンピュータ活用能力」を育てようとする考えだ。これからの社会が、高度情報化社会になるのは間違いない。この時代に生きる子どもたちにその基礎を学ばせる、という考えだ。
 しかし、この考えに対しては、先の校長の意見の方が正しいかもしれない。高度情報化社会になって、コンピュータだらけの社会になるからこそ、小中学校では、もっと人間として生きていくための基礎を、コンピュータ無しで、培うべきだ、という主張の根拠になり得る。コンピュータに従属して生きていくことを求める教育になりかねないからだ。
 さらに、今さかんに、言われている「コンピュータ活用教育」という考えについて検討してみよう。
 私のところに、コンピュータソフトがサンプルとして届けられてくる。私も関心が大いにあるので、どのようなものか検討させていただいている。その大部分は、概ね、「学習を支援する」という説明が付けられ、一応そのような考えで設計されて作られている。
 とりあえず、今、学校にコンピュータが整備されるこの時点では、そのようなソフトに依存することになるのだと思う。
 しかし、私は、まだ、この段階では、先の校長の危惧を払拭するどころか、反論にもなっていない、と思っている。
 逃げてはいられない。まだまだ議論が必要だ。