校長のためのコンピュータ入門(その11)

校長のコンピュータ活用術A

ワープロ入門 壱

ガリ版と鉄筆が消えた

 私が教員になったとき、プリントの必要な文書は「ガリ版」で作った。今では、ガリ版でプリントを作る教員はいないし、若い教員には何のことかわからない。詳しいことはわからないが、随分長いことガリ版は学校の必需品だったと思う。職員室から、ガリ版と鉄筆を駆逐したのは、鉛筆や黒のインクで書いた原稿原紙(以下原稿)を直接印刷できる印刷機の進歩だ。完全に駆逐されるのに10年はかかっていないにちがいない。
 この変化は、教師が手書きしたものを印刷する過程を、いわば、「合理化」していったものだ。しかし、今起きている変化はそれとは根本的に違う。
 機械で文章と原稿を作ってしまう。自分の手で文字を書くという作業から、キーボードやマウスの操作で文書を作ってしまうようになった。つまり、印刷技術の進歩ばかりでなく、文書を作る作業そのものが、今、変わろうとしているのだ。
 私の学校でも、手書きの原稿で作られた印刷物は、めったにお目にかからなくなった。ほとんどの印刷物がパソコンかワープロ専用機で作られたものだ。手書きの原稿が姿を消してしまう日は近い。私が、初めて、パソコンで職員に配布する印刷物を作ってから8年。ちょうどこの変化の時代に立ち会っているわけだ。8年前に、コンピュータを購入したとき、「ワープロは絶対にやらない」と公言し、「機械で文字を書くのは、人間の文字を書く能力と、意欲・努力を後退させることになる」と考えた私は、あっさりと敗北を認めることになってしまった。

考える道具になる

 私が、手書きで文書を作ることから、コンピュータで文書を作るようになったのは、きれいに印刷する原稿を作るために便利だ、という理由以外に、別の決定的なわけがあった。このことは、ワープロで文書を作る、すなわち、コンピュータを使うことの意味に深く関わる非常に大切なことだ。
 先日、私の学校の学区域の小学校の卒業式に参列させていただいた。O校長の式辞では、山本有三の『路傍の石』の一節を引用され、子どもたちに命の尊さや、困難に立ち向かってたくましく生きることの大切さを呼びかける、感動的なものだった。その時に、先生は、「山本有三は文章を非常に大切にする作家で、原稿用紙が、赤で真っ赤になるほど推敲を重ねていた」と、作風もあわせて紹介されていた。O校長の人柄に重ねて、優れた小説や文章というのは、よく推敲を重ねた文章だということだと思ってうかがっていた。
 推敲という点では、ワープロでは、これが自由自在にできる。「てにをは」の訂正から文章の長短の修正、主語の変更、文節や段落の組み替えなど、思いのままにできる。文章を作るということは、あるデーターや根拠に基づいて、主張を文字によって表現することだ。同時に、読む相手に対しての説得力を持つことが求められる。文章を作る者にとっては、思考を文字によって形に表し、客観的に検証し、さらに思考を深める作業が可能になるということだ。
 私は、コンピュータによる文章の作成は、文書をきれいに印刷する原稿を作るという道具から、さらに進化し、より思考を深め、自分の考えや感情、主張を文字によって表現する優れた道具になることができる、という確信を持つようになった。つまり、手書きより、はるかに優れた、考える道具になる!ということだ。
 コンピュータの威力は、文書の数や量など、文字によるデーターの量が増えれば増えるほどその威力が発揮されることになる。

ワープロ専用機かコンピュータか

 これからワープロ専用機を購入されようとしている方は、コンピュータをお買い求めになったらいかがかと思う。ワープロ専用機をお使いになっている方も、新しい機械を購入なさるときは、コンピュータに切り替えられるか、併用されることをお奨めしたい。
 もっともワープロ専用機というのもコンピュータの一種だ。使い方からだけからいえば、どちらも限りなく近づいていて、どこがどう違うか境界線は引くことが出来ない状況になっている。ワープロで作った文書はコンピュータでも使えるし、逆ももちろんできる。ワープロ専用機でもインターネットができるというわけだ。
 ではなぜ、校長諸兄にあえて、コンピュータのワープロソフトで文書を作ることを勧めるのか?
 理由を二つあげる。一つ目は、文書あるいは文章を探すことが簡単、ということだ。コンピュータでもワープロ専用機でも同じことだが、作った文書は、一つのまとまった固まりでしまっておく。それを「ファイル」という。その「ファイル」には適当な名前を付けてしまっておく。ワープロ専用機では、これをフロッピーディスクにしまっておくのが普通だ。ところが、作った文書などのファイルがたまってくると、フロッピーディスクが、たくさん必要になる。そのうちにどのフロッピーにどんな文書を入れたかわからなくなって、探すのに面倒になる。また、文書の中に写真などを入れると、一枚のフロッピーに収まらなくなったりする。コンピュータでは、このようなファイルの管理が簡単にできるからだ。
 もう一つはインターネットにつないで、そこで得た情報を、文章に活用することができるからだ。たとえば、教育課程審議会の答申など、文部省のホームページから受け取り、これを職員に紹介したり、自分の作る文書に引用できる。このような作業は、コンピュータが得意とするところだ。
 このように、印刷用の原稿として文書を作るだけの目的なら、ワープロ専用機で十分なのだが、利用の可能性を広げるには、コンピュータの方が優れていることになる。でも最近は、ワープロ専用機でもこのようなことができる物がでてきている。しかし、主流にはならないだろう。