校長のためのコンピュータ入門(その4)

インターネットは教育・学校を変えるか(パート2)

 ビッグローブという大手のインターネット・プロバイダーが「3D(スリーディー)ボイスチャット」を主催している。
 コンピュータの画面に架空の3次元の空間が広がる。この空間に、これもまた架空の姿に擬した人物が登場してくる。その仲間が話をするという仕組みだ。テレビ電話とは違う。自分は「アバーター」という擬人になる。
 私は”ken”という名前でこの空間に参加している。顔は海賊。
 海に浮かぶ島に、チューリップやひまわり、ピーチや車、ハンサムな顔など様々、登場してくる。
その姿になった私たちが会話をする。
 コンピュータを始めたばかりの人、すごいマニアック人、私のようなおじさんから中学生や小学生、老若男女、いろんな人が参加してきている。
 話の内容は、とりとめのない世間話、自己紹介からお国自慢、コンピュータのかなり専門的な話まで何でもあり。参加する人は北海道から沖縄まで、全国から。
 実に楽しい。
 今、インターネットで「チャット」が人気を集めている。チャットというのはコンピュータ通信で参加者がリアルタイムで会話する仕組みだ。会話は文字でも、電話のように話し声でもできる。話し声で行うことを「ボイスチャット」という。「3Dボイスチャット」に私が参加したのが今年の7月頃。いつ頃から始められたか確認できないが、まだ始まったばかりのやりかただと思う。
 これは、学校で使える、と思った。
 全国のこどもたちが、自分の思い思いの顔(アバーター)を作ってコンピュータ上で会話をする。
 こどもたちがどんな会話を始めるか、想像するとわくわくする。
 インターネットの教育利用についてはまだ始まったばかりだ。試行錯誤が続く。コンピュータ・インターネットの機能もどんどん工夫され、拡充されるだろう。

学校のホームページの開設状況

 大阪教育大学物理学教室の越桐國雄助教授は「インターネットの教育利用の現状」の調査結果を同大学のホームページに公開している。
 この調査は、インターネットの教育利用活動の目安として、学校・学級のWebページ(=ホームページ)の開設の状況を調べたものだ。
 今年の7月の新しい集計では、学校・学級のWebページの開設数は次のようになっているという。
  小学校    643校
  中学校    550校
  高等学校   659校
  養護学校等   77校
 全国で2千校を突破しようとしており、この2年間で加速度的にに増えている。この数は学校として公式に開設しているものが3分の2。3分の1は教師が個人として、校長の承認を得るなどして開設しているもののようだ。
 急速に増えてはいるが、中学校で4パーセント、小学校で2パーセントに満たない。限られた学校ということになる。まだホームページを開設・公開していないが、インターネットにはつないでいる学校の数はこれより多いと思われる。
 それにしても平成13年までに全部の学校をインターネットにつなぐ(閣議決定)というのだから大変だ。また都道府県、区市町村によっても差が大きい。

求められる課題・教育情報は

 校長としては、教師がインターネットの教育利用に取り組む条件を積極的に整えて行く責任を負っていると思うが、校長諸兄の理解はどうだろうか。
同調査では、学校からの情報発信時の問題点としてあげられた圧倒的に多い項目は、「児童・生徒用のハードウエアが不十分」「学校に、必要なネットワーク設備がない」などコンピュータ設備の整備に関わること。さらに、「校内組織が未整備」「個人情報保護条例による制約」「校内の承認手続きが面倒」など、学校経営上の課題もある。
 「要求される教育情報」の調査では次のような項目があげられている。多い順にあげてみる。
 @教育実践報告
 A電子図鑑・画像資料
 B教育用ソフトウエア
 C国内地域交流の相手
 D学習用電子百科事典
 いずれも校長としてはなるほどと、納得できる結果だ。
 今、インターネットの教育利用を熱心に進めている教員は、まだ条件の整わない中で、私費や時間をつぎ込んで献身的にがんばっている人たちだ。実に貴重な実践を積み重ねている。
 私の区ではまだ学校のコンピュータをインターネットにつなぐこともできない。校長の努力がなければ教職員を失望させてしまう。
 なお、大阪教育大学の越桐助教授の行っている調査はきわめて先駆的なものだ。敬意を表したい。
ちょっと言い訳
 今回は、いきなり耳慣れないカタカナの用語が並んで恐縮している。コンピュータに関する用語には、カタカナが実に多い。コンピュータの初心者が、一番いらいらするのがここだ。
 しかし、これを適切な日本語にして、共通に通用させるのは大変だ。拙稿ではなるべく使わないか、意味を紹介するように心がけているが、そのために表現が不適切になることも避けられない。ご勘弁を。