校長のためのコンピュータ入門(その1)

コンピュータのことはやってみなけりゃあわからない

 文部省の公立学校の教育用コンピュータ新整備計画によると、平成6年度〜平成11年度までに小学校22台、中学校42台を整備するとされている。6月に発表された郵政省の「通信・放送の融合と展開を考える懇談会」の中間まとめでは、全国の小・中学校にマルチメディア端末を一人に1台配備、2000年までにすべての学校にインターネットに接続することなどを提言している。
 この整備計画は地域によって大きな差がある。小学校でもすでに40台以上の最新のパソコンが設置されているところもある。また、すでにインターネットについては「100校プラン」「こねっとプラン」(1000校以上が参加)などに参加し、インターネットに学校のコンピュータが接続され、ホームページを開設したり、国内や海外の学校間の情報交換が行われているところもある。
 しかしまだ中学校でも旧整備計画の古いコンピュータしか設置されておらず、小学校では子どもが授業で使えるコンピュータが設置されていない学校が圧倒的に多い。
 文部省の新整備計画もここ数年の地方自治体の深刻な財政危機によって全体としては大幅に遅れているか、整備計画の縮小が余儀なくされていると思われる。郵政省の「懇談会」の発表の内容については現在の学校現場の実感とすれば文字通り、夢物語か、絵に描いた餅のように感じられる。
 高度情報化時代に対応した学校の情報ネットワーク化への対応の障害は国や地方自治体の財政危機だけではない。残念ながら、自治体のトップや議会、教育委員会の無理解、現場の校長の消極的な姿勢も大きな障害になっていると思われる。校長の中には、よそ事のように感じているか、厄介な物を押しつけられたと思っている向きもあるようだ。

校長もコンピュータを始めよう

 中教審の1次答申や、クリントンの一般教書をあげるまでもなく、学校を高度情報化時代に対応する新しい学校に変えていくことは我が国の学校・教育改革にとって急務であることにどの校長にも異論はないだろう。
 しかし、学校に機械を入れたらそれですむわけにはいかない。問題は学校にどのようにコンピュータを設置し、どのように活用するかがポイントである。特に小学校では、一部の教員だけが扱えるということでは学級ごとに差が生じ、子どもや保護者が不安になり、不満が出てくるかもしれない。若くて熱心な教員にだけに任せ、押しつけておくわけにはいかない。全員の教員の研修が不可欠である。教員がそっぽを向いているようではせっかくの機械にほこりがかぶってしまう。
 そのためには、校長はコンピュータ導入の意義や見通しを少しでも体現し、研修の先頭に立って活用の推進に一役買っていくべきであろう。
 とは言っても、全国的な校長の平均年齢はどれくらいかわからないが、いずれにしても定年を間近に控えていたり、50歳を越えてからコンピュータなど、新しいことを始めるのはご免こうむりたいと思われる方も少なくないだろう。私の周りの校長にも自らパソコンを始めることを頑なに拒んでいる方もいる。一方、何とかしようと始めてはみたもののちんぷんかんぷんで四苦八苦している方もいる。私のような知ったかぶりを吹聴するお節介な校長がいることを迷惑にお感じになられる方もおられるようだ。
 そのような状況を十分にわきまえた上でも、コンピュータのすごさを体験しつつある私は、校長諸兄には、「今からでも遅くない、コンピュータを始めよう」と、声を大にして呼びかけたい。

コンピュータは自分でやってみなければ分からない

 私は「区のパソコン整備検討部会」の責任者を仰せつかっている。昨年の6月頃部会では各学校のパソコンをインターネットに繋いでほしいという要望をまとめた。そのときに、区の担当者から、「インターネット利用の教育効果について実践や、意見をまとめてほしい」と言われた。委員の中には通信はやっているがインターネットをやっているものはいなかった。私も、早く始めてみたいと思ってはいたが、個人でやるには費用などの面で二の足を踏んでいた。
 資料や、文献で「教育効果」について他人の実践や意見を「盗用」するのは簡単だ。まだ繋いでもいないのに責任を持って教育効果について語れるわけがない。ましてや国が推奨している事業だ。私は腹立ちまぎれに、「そんなものはやってみなけりゃあわからない。」と叫んだ。行政の担当者は、「そんなもの」には予算はつけられないという、困惑気味の様子だった。私には嫌がらせにしか聞こえなかった。
 仕方がない、私はインターネットを自宅で始めることにした。普通の電話回線ではずいぶんと遅いと言うことなので、すぐにNTTにかけあってISDNの回線を既設の電話回線とは別に引いた。パソコンもその時点の個人で手に入る最高スピードのものを購入した。せっかくのボーナスにも足が出た。
 7月下旬に待望のインターネットにつながった。パソコンを始めてまる7年、夢にみていた世界がそこに広がっていた。