1.難経について
素問・霊枢・難経は、東洋医学の三大古典医籍である。
難経は、内経の医学理論を基本として一貫して鍼灸医学体系を臨床的に築き上げ、内経医学とは一味違った『難経医学』を構築した基本的な医学全書である。そして、難経は独り鍼灸医学の臨床指導書では無く、漢方医学の基本的な臨床指導書でもある。
このように漢方医学にとって重要な『難経』の註解書は、湯液の聖典とされる『傷寒論』と同じぐらいに多い。また名ある歴代の医人でこの両書に言及しなかった者はいないといって良い程である。この事は、難経が漢方医学の基本的な医書であることの証である。 しかし、原『難経』は残念ながら現存せず後代には伝わらなかったのである。 以下『難経』について少しく考察する。
.書かれた目的について
難経本義大鈔(森本玄閑編著)の掲浤の序に『内経は言簡古淵涵にして未だ通暁し易からず、故に秦越人発して八十一難を為る。其の義を推し明らかしむる所以なり』
難経本義(滑伯仁著)の自序に『難経は、黄帝素問・霊枢の旨に本づきて問答を設けて為す、以て疑義を釈す』等より、『難経』は、黄帝内経が説く医学理論を基礎としての臨床研究の指導書として書かれた。それに加えて、菽法脉診を初めとした難経医学としての独創的学術、特に医術を発表し広める事が目的として書かれたものと思う。
.成立について
『難経』の成立については、『素問・霊枢』の編纂後、『傷寒論』出版の前である前漢後期のBC106 年または190 年の説が有 力である。この時期は、日本では弥生時代中期にあたる。
私論としては、斉で活躍した実在の名医、淳于意も『難経』をテキストとして脉診流の鍼医学を修得したものと思う。
.著者、編者について
著者については、一般的には秦越人扁鵲と言われている。
しかし、難経を扁鵲の著作とするのは現実的には正しく無いのである。内容等より考察しても、決して個人が編纂したものでは無く、「扁鵲学派」と言われる医術集団が難経の真の著者・編者であると考えた方が自然であると思える。
.医学理論の基本について
『難経』編纂の医学理論の基本については陰陽五行論が基礎となり構成されている。特に相剋論と共に相生論を全面的に取り入れているのが特長である。相生論は難経にて初めて臨床医学の中に本格的に応用されたのである。
2.難経の特質について
難経は単なる『内経医学』の模写ではなく、独自の医学理論を構築し『難経流医学体系』を確立したのである。
以下、難経医学の独自性につき簡単に考察する。
.脉診について
中国医学の主流であった『素問』の三部九候脉診、『霊枢』の人迎脉口診等の脉診を全て否定し「鍼灸医学に於ける脉診法は寸口脉診を専一にすべき事」を提唱した。 第一難に「十二経皆動脈有り、独り寸口を取って五蔵六府の生死吉凶を決するの法となすなり」と宣言している。
難経医学の影響力は大きく、その後の中国医学の脉診法は「寸口脉診」が主流となるのである。
.菽法脉診の確立
寸口脉診を発展させる為に、難経医学独自の脉診法である「菽法脉診」を臨床的脉診法として確立した。 (第五難) 『五難に曰く、脉に軽重有りとは何の謂いぞや。
然なり、初めて脉を持するに、三菽の重さの如く、皮毛と相得る者は肺の部なり。六菽の重さの如く、血脉と相得る者は心の部なり。九菽の重さの如く、肌肉と相得る者は脾の部なり。十二菽の重さの如く、筋と平なる者は肝の部なり。之を按じて骨に至り、指を挙ぐれば来ること疾き者は腎の部なり。故に軽重と曰うなり。』
.陰陽脉診(浮沈)の確立
脉診に於ける「浮沈」を「陰陽」に発展させて『証』に繋がる脉診法を確立した。これにより脉診による病証の把握に発展させる事ができ臨床的に大きく進展したである。(六難)
『六難に曰く、脉に陰盛陽虚、陽盛陰虚有りとは何の謂ぞや。
然なり、之を浮べて損小、之を沈めて実大、故に陰盛陽虚と曰う 。之を沈めて損小、之を浮べて実大、故に陽盛陰虚と曰う。是れ陰陽虚実の意なり。』
.選経、選穴理論と臨床応用の確立
難経医学の主張は「補瀉が最も適応する手段は、「内経」に於けるが如き鍼の刺法にあるのでは無く、経と穴の選定によって目的が達せられるのである」とし、難経全体を通してこの論を展開している。
(選経、選穴論に関する諸難)
45難・・・・・八会穴論(熱病)
49.69難・・正経自病
50難・・・・・五邪論(正・虚・実・微・賊)
33.64難・・陰陽剛柔選穴論(相剋論)
63.65.68難・・・五兪穴の性質と病症論
62.66難・・原穴論
69.79難・・子母補瀉論(相生選穴論)
67難・・・・・募兪穴論
73難・・・・・井穴の選穴論
70.74難・・四時と五行穴の選穴論
75難・・・・・相剋選穴論
77難・・・・・未病の選穴論(相剋選穴論)
.五兪穴剛柔論の独創
五兪穴に五行(木火土金水)の性格を定立した。
霊枢の「本輸篇」に五行穴の記載があるが、原「霊枢」にはその記載は無い。五行穴に、木火土金水の性格を定立したのは難経の独創である。
臨床実践においては、陰陽剛柔的な選経、選穴理論の独創性を臨床の場にて開発した。
(陰陽剛柔選穴論に関する諸難)
33難・・・・肝と肺の五行的性質と剛柔論
35難・・・・蔵府の剛柔論
40難・・・・蔵と五行の相互関係論
56難・・・・積聚の病機と五行剛柔論
64難・・・・陽経、陰経の五兪穴剛柔論
67難・・・・募兪穴の剛柔論
75難・・・・相剋剛柔論
81難・・・・剛柔論と誤治
.六十九難にて治療原則を定立
難経医学に於ける治療原則の定立である。それは、五兪穴の五行的性格に基づき選経・選穴すべきことである。 特に六十九難にては子母補瀉法の基本的選経、選穴法を臨床的に確立したのである。 (六十九難) 『六十九難曰、経言、虚者補之、実者瀉之、不虚不実以経取之、
何謂也。
然、虚者補其母、実者瀉其子。当先補之、然後瀉之。不虚不実以経取之者、是正経自生病、不中他邪也。当自取其経。故言以経取之。』
.三焦概念の新しい展開
三焦を六府の一つとし「有名而無形」とした。そして、上中下の三焦の部位と機能を確定した。三焦と腎間の動気・原穴との繋がりも定立する。
(三焦論に関する諸難)
31難・・・・三焦論(基礎論)
36難・・・・腎と命門論
38難・・・・五蔵六府の概説と三焦論
62難・・・・原穴論(三焦の生理)
66難・・・・十二原穴論 8.病症の虚実について病理の虚と旺気実と邪実によって現れる病症を、脉・症・診の虚実に分けて臨床的虚実の基本を定立する。
※三虚三実論(48難)
脉の虚実→脉状が濡(虚)脉状が牢(実)
症の虚実→出るものが虚(大便・汗・小便・・)入るものが実(便秘・小便不利・無汗・・)
診の虚実→按圧して気持ち良い(虚)按圧して痛い・不快(実).五邪傷病の臨床応用
病因(風・暑・飲食労倦・寒・湿)と病変(色・臭・味・声・液)と病症、脉状による五邪(正・実・微・賊・虚)の伝変につき臨床的に整理し確立する。
この五邪傷病の臨床応用は、今後の重要な研究課題である。
八会穴の確立
八会穴は難経の独創的な経穴の性格である。
臨床的応用は、内熱性(陰虚・虚熱病証)の病症に選穴する。八会穴の臨床応用も、今後の研究課題である。
(四十五難)
『四十五難曰、経言、八会者、何也。
然、府会太倉、蔵会季脇、筋会陽陵泉、髄会絶骨、血会膈兪、骨会大杼、脈会太淵、気会三焦外一筋直両乳内也。熱病在内者、取其会之気穴也。』十五絡についての新設
難経医学独自の経穴を開発している。
臨床応用については、今後の研究課題である。
(二十六難)
『二十六難曰、経有十二、絡有十五、余三絡者、是何等絡也。
然、有陽絡、有陰絡、有脾之大絡。陽絡者陽喬之絡也。陰絡者陰喬之絡也。故絡有十五。』
3.難経の全体構成について
全体の構成を大きく6分類に大別する事が一般的である。 1. 脉 学( 1〜22難)
2. 経絡論(23〜29難)
3. 藏府論(30〜47難)
4. 疾病論(48〜61難)
5. 兪穴論(62〜68難)
6. 鍼法論(69〜81難)
以上の構成分類はあくまでも大別である。難経が論ずる諸項目は全体を通して考えないと正しい理解は得られない。また、たえず臨床を考えての理解が重要である。
4.難経の主な註解書について
難経研究を正しく進める為の善本の註解書。
〈中国の善本註解書〉
1.王 惟一「難経集註」 ※宗代
2.滑 伯仁「難経本義」 金元時代
3.徐霊胎「難経経釈」 清代
〈日本の善本註解書〉
1.丹波元胤「難経疏証」 ※江戸時代
2.勝万卿 「難経古義」 江戸時代(加藤章)
3.岡本一抱「難経本義諺解」 江戸時代
4.森本玄閑「難経本義大鈔」 江戸時代
5.本間祥白「難経の研究」
6.小曽戸・浜田「意釈難経」
7.山下 詢「和訓難経本義」
8.池田政一「難経ハンドブック」
9.遠藤了一「難経入門」
〈翻訳本〉
1.難経解説(南京中医学院「難経訳釈」) 東洋学術社
2.難経校釈(南京中医学院)林 克訳 谷口書店
【主要文献】
1.「難経本義」滑 伯仁
2.「難経本義大鈔」森本玄閑
3.「難経解説」東洋学術社
4.八木素萌氏の諸論文
5.その他
研究・論考へ
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