漢方の基本文献について1、内経系医書
『漢書』芸文志は2000年前の中国にどのような書物が存在したかを示す資料であるが、医学関係書は方技書と称され、「医経」「経方」「房中」「神仙」の四つに分類し、総計36書868巻が挙げられている。
「医経」とは医学総合理論書の類、「経方」とは薬物を中心とした具体的治療書ないしは処方集、「房中」とはセックス養生書(性医学書)、「神仙」とは不老長生の追求術を記した書物の類である。
「医経」の筆頭には「黄帝内経十八巻」とあり、三世紀の後半に皇甫謐が『甲乙経』序で「いま伝わる『素問』九巻と『鍼経(霊枢)』九巻、計18巻がこれにあたる」と断じて以来、『素問』『霊枢』あるいはこれに類する医学典籍を「医経」とか「内経」などと称するようになった。これら「内経」系の医書の全篇を通じて一貫して流れる理論基盤は、中国独特の哲学思想である陰陽五行説であり、これによって生理・病理・診断・治療などが説かれている。
黄帝は、伏羲・神農と合わせて三皇と称される中国古代の伝説上の帝王で、「内経」の多くの部分は黄帝と岐伯・伯高ら六名の臣下との問答形式で書かれている。しかし、部分によって時代も考え方も異なる点があり、また編集者の名はもとより正確な成立年次も明らかでない。
『黄帝内経素問』 『素問』はもともと81篇(9×9篇)からなっていたとされるが、古 くに一部欠落を生じ、かわりに六朝時代の成立と思われる運気七篇が挿入されている。全体的には生理・衛生・病理などの医学理論に重きが置かれ論説されている。五世紀末には全元起という人によって注解が施され、さらにこれを基に762年、唐の王冰によって改編され注釈された。北宋代では1027年に国子監にて校正出版され、さらに1069年には校正医書局において林億らによって再校訂出版された。
現行の『素問』はすべてこの林億本(新校正本)に由来するテキストで、それ以前のものは伝存しない。ただ、林億らの校正注によって王冰の注解や全元起本の一部分をうかがうことはできる。宋刊本も伝存せず、現伝の最善テキストは明刊の顧従徳本(ないしは明刊無名氏刊本)で、現在影印本が数種出版されていて利用は容易である。
『黄帝内経霊枢』 『霊枢』は古くは『鍼経』と称された。基礎理論よりもむしろ診断・治療・鍼灸施術法など臨床技術が主に説かれている。『素問』よりも若干後の成立らしく、比較的まとまっていて、81篇そろって伝えられている。
全元起や王冰による注解はなされず、北宋代には残欠しており、1093年に至って高麗から逆輸入された写本に基づき初めて刊行された。これを南宋代に史という人が再刻したのが『霊枢』の唯一の祖本で、この南宋版も現存せず、今日では明刊無名氏刊本が最善のテキストである。
『難経』 古来、「医経」を「素難」ともいうように、『素問』と並び称されてきた典籍である。正 式には『黄帝八十一難経』といい、「内経」の81の難解な部分を説いた書とされ、基礎・臨床について述べられている。
後漢の成立と考えられ、量的には少ないが、とくに鍼灸学の分野では重んじられ、歴代注解が加えられた。北宋代に従来の注釈をまとめて作られた『難経集注』が最善のテキストで、同書は中国では亡び、江戸後期に日本から中国へ逆輸入された。
元代には滑寿の注釈による『難経本義』が世に出、以後、中国・日本で『難経』のテキストとして最も広く流布した。
『黄帝内経太素』 本書は『素問』『鍼経』の経文を内容別に分け、「摂生」「陰陽」「蔵 府」「経脈」「輸穴」「診候」「証候」など20類に再編集し、注解を施したものである。
注解は唐初の楊上善の著になるが、経文の再編集が楊上善の手になるか、それ以前からあったかについては不明。中国では宋代に亡佚し、刊行されなかったが、わが国には奈良時代に唐鈔本が渡来し、それに基づく平安時代の写本が江戸後期に京都仁和寺から発見された(全30巻中、現存25巻分。国宝)。宋代の校訂を経ておらず、唐代の旧態を伝える『黄帝内経』のテキストとしてすこぶる貴重である。
『類経』 本書は明の張介賓が前掲の『太素』と同様に『素問』『霊枢』の経文を類別に再編し、注 釈を加えたもの。1624年成。全32巻。別に『類経図翼』11巻、『類経付翼』四巻を付す。
日本へもすみやかに輸入され、先行の馬玄台『素問霊枢註証発微』を抑えて江戸時代の『内経』研究手引書として広く行われた。江戸時代日本で最も流布した『黄帝内経素問霊枢』は『類経』経文から逆に組み立てられたものであるから、その影響力のほどが知れる。
2、鍼灸医書『黄帝内経』とくに『霊枢』は鍼灸治療に重点が置かれるが、もっぱら鍼灸学を説いた主な古典に次のような書がある。
『黄帝内経明堂』 本書は気血の流通路である経脈と、その線上にあって鍼灸の治療部位に 用いる経穴(つ レ)について専門的に記した最古の古典である。成立時代は明らかでないが、原書は漢代の成立と考えられる。
唐初の楊上善は、『太素』は医学総論で、『明堂』は各論(具体的治療書)であると考え、『太素』と並び行われるべく『明堂』を編注した。全13巻で、1〜12には十二経脈の流注と、それに属する経穴の位置や効能などが記してあり、巻13は奇経八脈のそれに充てられた。中国では完全に失われたが、日本には巻1のみの零巻ながら平安時代の古写巻子本が3点残った(尊経閣文庫に1点、仁和寺に2点)。『明堂』は『甲乙経』『外台秘要方』『医心方』などにも引用文が多くあり、これを日本現存巻一の体裁にならって配列すれば、経文の復元が可能であり、今日いく種かの復元本も作られている。
『黄帝三部鍼灸甲乙経』 晋の皇甫謐が三世紀後半に編纂した書で、内容的には『素問』『 霊枢』『明堂』の経文を身体・病気・事類別に再編集した鍼灸専門書である。書名からしてもと10巻だったと思れわるが現伝本は12巻本。『素問』『霊枢』の校勘資料としても、『明堂』の復元資料としても有用。
『銅人・穴鍼灸図経』 北宋の太医局翰林医官の王惟一が勅を奉じて編纂し、1027年に医官院よ り刊行された鍼灸学書。全3巻。石碑にも刻され、同時に鍼灸経穴を穿った銅人模型(銅人形)が鋳造された。書名はこれに由来する。本書は三陰三陽の十二経と任督二経の流注と・穴(経穴)とを、諸資料をもとに考定し、図解したもので、以後、経脈・経穴を示す標準テキストとなった。
『鍼灸資生経』 南宋の王執中の編著で全七巻。1220年刊。本書は従来の鍼灸関係の文献を多数 援用し、自己の経験・知識を加味した鍼灸学書で、後世、中国でも日本でも用いられた。
『十四経発揮』 元の滑寿の編著になる経脈・経穴の専書。全3巻。1341年成。十四経とは、十 二正経脈と任督二奇経脈とをいう。簡便・実用的であり、中国ではさほど評価されなかったが、日本はすこぶる歓迎され、何度となく翻刻を重ね、最大のベストセラー医書となった。
『鍼灸聚英』 明の高武の編著になる鍼灸医学書。全四巻。1519年成。『十四経発揮』と同様、 日本で高く評価され、学習された。同人の著になる『鍼灸節要』も同様で、近代中国の流布本は日本版に基づく。
『鍼灸大成』 明の楊継洲の編著になる鍼灸医学書。全10巻、1601年刊。中国針灸学の集大成 。『鍼灸聚英』とは全く逆で A清〜民国時代、中国針灸界で爆発的なまでにヒットし、多種の版本が出回ったが、日本では一度も翻刻されなかった。
3、張仲景医書後漢の張仲景の著になると伝えられる医書。現伝するテキストに『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』の三書がある。
張仲景は南陽出身の人で、名は機、仲景は字。官は長沙の太守に至ったとされるが、詳細は不明。『傷寒論』の自序に「自分の一族はもと多人数で、以前は200人余りもいたのだが、建安紀年(196)以来、10年もたたないうちに死亡者は三分の二にも及び、死者の七割は傷寒によるものであった。そこで『素問』『九巻(霊枢)』『難経』や薬物書ほかを参照して、傷寒と雑病に関する計一六巻の書を作った」とある。
張仲景の書は、いくつかの生薬を巧 に組み合わせた複合処方を用いて種々の病態に対応する薬物治療書であり、とりわけ『傷寒論』と『金匱要略』の二書は衆方の祖と称され、古来、中国でも日本でも経方の聖典として最も尊ばれ、学習され、今日に至っている。その方を古方とか古医方と称する。張仲景の書は成立後まもなく錯乱を生じ、西晋の王叔和によって再編されたという。
『傷寒論』 この書は傷寒という腸チフス様の急性熱性病の病態とその治療法を論じたものである。
現伝テキストは北宋の1065年に、林億らの儒臣が校正医書局から校訂出版したいわゆる『宋版傷寒論』を祖本とする。宋刊本は伝存しないが、明の趙開美による翻刻本があり、これに由来するテキストを今日便宜上『宋版傷寒論』と称している。また宋刊本により金の成無己が注解を施した『注解傷寒論』があり、以後、中国においても日本においても一般にはこの成無己本が広く用いられた。本文が簡素化されているためと、成無己注の評価が高かったからである。
『金匱要略』 本書は『傷寒論』の姉妹篇で、傷寒以外の種々の疾病(雑病)の治療を述べたもので ある。
実は北宋代に伝わった張仲景の傷寒と雑病の治方書の節略本をもとに、林億らが傷寒の部を削除し、大幅な改訂を加えて刊行した不全本であるが、慢性病などが論じてあるため、現在ではかえって有用性が高い。たとえば今日頻用される八味丸・当帰芍薬 U・桂枝茯苓丸など漢方処方は本書を出典とする。全3巻、25篇。循環器障害・呼吸器障害・泌尿器障害・皮膚科疾患・婦人科疾患から精神疾患、そして救急治療法から食物の禁忌に至るまで、広い分野の疾病に言及してある。
『脈経』 本書は張仲景の方書を再編したとされる王叔和の編著で、張仲景の文を多く収める。
張仲景自身の作ではないが、ある意味では『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』の異本で、重要な校勘資料である。また『素問』『霊枢』『難経』の校勘資料でもある。