観戦記2001

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2001/2/18 後楽園ホール
全日本プロレス
〜2001エキサイト・シリーズ〜
  1. 土方隆司、TARU、平井伸和vsダークネス・ドラゴン、望月享、神田裕之
  2. 愚乱・浪花、ロブ・バン・ダム、サブゥー、ジャイアント・キマラ
  3. 荒谷信孝vs奥村茂雄
  4. ジム・スティールvsジョージ・ハインズ
  5. マイク・ロトンド、スティーブ・ウイリアムスvsダニー・クロファット、マイク・バートン
  6. 相島勇人、川田利明vs長井満也、垣原賢人
  7. キム・ドク、渕正信、天龍源一郎vsモハメド・ヨネ、ジョニー・スミス、太陽ケア
  • 今の全日本プロレスは当日、その時間になるまで何が起こるかわからない、というビックリ箱を用意してくれる。だからやめられない、みたいなところがある。
  • 同日、両国国技館で新日本プロレスが行われたが、開始時間が変わったおかげなのか、満員になった。
  • リングアナウンサーが増えた。
  • 試合目は闘龍門ジャパンメンバーが主体の試合。
  • 全日本プロレスでは、レスラーがリング上から観客席にカラーボールを投げて、それをキャッチできた人が景品と交換できる、ということを毎試合やっているが、1試合目直前からやっていた。TARUがバットで打って入れようとするが、なかなか観客席まで届かなかった。
  • 試合目、当日がシリーズ初日ということもあるのか、サブゥーの動きがちぐはぐに見えた。愚乱・浪花が一番小柄ながらよく動いていた。
  • 3〜4試合目は「チャンピオン・カーニバル参加権争奪リーグ戦」と銘打たれたシングル・マッチ。
  • 試合目、荒谷は奥村の勢いに圧倒されて自分のペースが見つけられないまま倒されてしまった、という感じ。
  • 試合目、この試合あたりから場内も乗ってきた。「ジョージ」コールが多かった。
  • 休憩を挟んで5試合目直前、ロープを締め直す平井に対して「ちゃんと締めとけよ」という声がかかり、平井がその客を睨むというシーンがあった。たしかに、ロープに投げられたとき、コーナーポストから聞き慣れない音が鳴っていたし、サブゥーがロープから足をすべらせたりしていたのは、締め方が甘かったようだ。
  • また、木原リングアナウンサーからカード変更のアナウンスがあった。垣原が新日本プロレス両国大会にて左目を負傷したため、
    6. 相島勇人、川田利明vs長井満也、モハメド・ヨネ
    7. キム・ドク、渕正信、天龍源一郎vsジョニー・スミス、太陽ケア、ミスターX(エックス)
    とのこと。全日では聞き慣れない「ミスターX」にアリャ?という雰囲気で、垣原にケガさせたんだから、新日側はそれなりの手当をしてくれるのかな、と思っていた。
  • 試合目は大型外国人同士の試合。ナマのD・クロファット、マイク・ロトンド(マイケル・ウォールストリート)は初めて見た。
  • 試合目、長井&垣原と川田との「蹴り合い」を期待したが、相島の登場時間の方が長かった。モハメド・ヨネも急造タッグチームながらコンビネーションが良かった。ヨネの「お客さん!」というアピールにはのってしまった。
  • 7試合目が本日のビックリ箱!
  • 天龍、渕、キム・ドク組の入場の後、「さあ、ミスターXは誰なのかな?」と花道を注目していると、まず出てきたのが新崎人生だった。そのすぐ後ろからジョニー・スミス、そして頭を剃り上げた太陽ケアが続いた。太陽ケアの姿には場内驚きと笑いが起こった。1月の武藤敬司戦に負けたら頭を丸める、ということを実行に移したのだ。
    今シリーズ参戦は予告されていなかったが、ミスターXとは新崎人生だったかと思ったのも束の間、若干の間を置いて「白覆面」が登場した。新崎人生はリングサイドにとどまった。
  • 「白覆面」といえば新日本プロレスの大きな試合のときに、正式には正体を明かさないがおおよそ見当が付く存在として観衆を盛り上げてくれているレスラーだが、まさかこんな所で実物を目の当たりにするとは思わなかった。
  • その「白覆面」だが、体格と黒を基調としたロングタイツから場内のあちこちから「武藤か?」という声が聞こえたが、リングのエプロンに達する頃には「武藤」コールに変わった。
  • 木原リングアナのコールは「ミスターX」のままであったが、コールされるや「白覆面」はマスクを脱いでそのマスクを天龍に投げつけた。正体は”やはり”と言うか”なんと”と言うか、武藤敬司であった。その時場内は大いに盛り上がった。まさか垣原負傷の代償に新日本がエース級を送り込んでくるとは思わなかったのだ。この雰囲気は蝶野が現れた日とは全く違っていた。武藤には「華」があるとはこのことなのだろうか。
  • その結果、それまでの試合の雰囲気が吹き飛んだようで、川田の言う「興行のバランス」に影響を及ぼしたかもしれない。
  • 新日本との交流に消極的だった天龍は終始あまり面白くない表情で武藤を睨み付けていた。キム・ドクも武藤を挑発していた。
  • 太陽ケアにとっては、ジョニー・スミスと武藤敬司というテクニシャンに囲まれていい勉強になるのではないかと思った。
  • キム・ドクは意外にも運動量が豊富で感心した。
  • フィニッシュは太陽ケアが渕をハワイアンスマッシャーでマットに落とし、いつもならフォールとするところで、コーナーから飛び出したキム・ドクに対して武藤も飛び出し4の字固めを素早く決め、太陽ケアにも指示して4の字固めを決めさせた。天龍はジョニー・スミスにエプロンでリング内に入ることを阻止されていた。
  • 武藤の上手さ、影響力の大きさを感じさせた。観客もほとんど満足して帰ったのではないだろうか。それにしても、同日両国国技館で村上一成に勝利した直後でタフなものだ。両国では太陽ケアもドン・フライとともに登場し、新崎人生が「白覆面」姿だったそうだ。
御参考→★1 ★2 ★3
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2001/3/20 東京ドーム オープン戦

日本ハム・ファイターズ
vs

オリックス・ブルーウエーブ
  • 今季プロ野球初観戦
  • ゲート前での持ち物検査は、昨シーズンより厳しくなったような気がした。カバンの中に手を突っ込まれる。
  • 「ウイングデッキ」は使用されず。
  • BWのビジター用ユニフォームのデザイン、背番号の書体、選手のローマ字名の書体が新しくなった。なかなかいい感じ。
  • 両先発投手は終わってみれば互角のようだが、川越については、球種のテストもあったかもしれないが崩れ方が良くなかった。
  • 名手進藤の手前で大きくバウンドするヒットや、マウンドに当たって球速が変わったヒット、控えに回っていた西浦の左中間オーバーの一番深い所への速い打球のホームランなど、攻守にわたって”Fsにツキがあるな”と思わせた。
  • それにしても西浦をベンチに置いておくとはもったいない。かつて落合にレギュラーを取られまいと頑張った選手である。今では一塁には小笠原が定着し、外野は外国人や日本代表を含めてほぼ固定化されてきたので先発出場は難しい。しかし、Fsにとっては終盤の大きな武器になるので、相手チームにとっては脅威となりそう。
  • 吉原捕手のバント失敗が目立った。川越が崩れたことについて捕手にも責任があるとすれば、開幕一軍は辛いところ。一軍に残っても先発は無理だろう。終盤、捕手が日高に変わって野手陣が締まったような気がした。
  • 平井を久々に見た。投球フォームをスリークオーターに変えた。フォームを変えてブレイクしたライオンズのデニーが浮かんだ。セットアッパーに活路を見いだそうとしているように思えた。FDHの長冨のようなショートリリーフなら一軍でできそう。
  • Fsは終盤若手投手のテストを始めたが、BWが押し気味となるや、イニング途中からミラバルを投入するという本番さながらの投手リレーでBWを抑えた。「本気でやってる」と思ってしまった。
  • 終わってみれば、ビッグバン打線健在を印象づけられた。
  • 応援団のそばで観戦したが、常連のおにいさん達が非常に賑やかで、調子に乗りすぎて応援団本隊のおじさんに怒られていた。
ご参考→★1 ★2
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2001/4/28 神宮球場 セントラル・リーグ公式戦

ヤクルト・スワローズ
vs

阪神タイガース
  • 久々の神宮球場。三塁側内野A指定席で観戦。
  • ビジター用の新ユニフォームを初めて肉眼で見たがグレーが薄めになり、文字に白い縁取りが付いたので判別しやすくなった。
    従来のタイプはテレビ画面では気にならなかったが、実際に肉眼で見ると、グレーに黒い文字で判りづらかった。
    袖の虎マークもモノクロになっているが、これもいい感じ。背番号の書体は大型化し、番号の上のローマ字表記は消えた。
    しかし、上坂、藤本といった若手や成本のような移籍選手、弓長のように背番号が変わった選手は誰が誰なのかという判別は、しにくい。ちなみに上坂は43、藤本は56、成本は48、弓長は38(元は14)。
  • 座ったところがブルペンのマウンドのそばだったので、先発およびリリーフ投手陣(ハンセル、弓長、船木の他、伊藤(敦)、遠山、葛西、成本)の投球練習が間近に見えた。(船木の”船”は舟へんに”公”)
  • 内野A指定席は、バッテリー間を横から見るような形になるので、ボールの球筋は高低はわかっても左右のコースまではわかりづらい。
  • 三塁塁審は渡真利氏。
    1985年10月、阪神のセ・リーグ優勝が決定する試合で終盤一塁を守り、ウイニングボールを受け、ゲームセット。関西テレビの松本アナウンサーがポジションについた渡眞利の姿を「さあ、いつでも来い。待っているぞ。渡眞利。」と実況したように記憶している。
  • 結果は阪神の完敗。ヤクルトは終盤スクイズまで使ったしつこい試合をやった。今までの野村の教えを行っているだけのことであろうが、今の阪神にとってはとても厳しい攻撃。
  • 先発ハンセルを引っ張ったが大量失点。ランナーが出ると辛そうな投球。病み上がり、とのことであるが、初戦起用は良かったのかどうか。
    三塁へのフライをペレスが目測を誤るなど、守備も良くなかった。
  • センターオーバーの長打を二度ほど打たれたが、センターと言えば新庄を思い出してしまう。「たられば」は禁物とは言え、「彼なら守備範囲だったかも」、「彼なら取れたかも」、「彼なら本塁突入は防げたかも」などと思ってしまった。
    上坂を始め、今季センターを守る選手は比較されるから辛いだろう。
  • 外野まで飛んだ打球が少なく、両外国人、桧山、広澤といった打ってほしい人たちがことごとくボテボテの凡打に終わり、今岡もブレーキで、得点力が低かった。
  • リリーフで登板した弓長、船木とも久々に見たが、両名とも良くなかった。彼らの起用から「4/28の試合は捨てたのか?」と思った。
  • おかげで伊藤、遠山、葛西、成本の出番は無し。
  • 入来の復活を印象づけられた。”再生工場”って、相手の選手を再生させること?
  • 7回表開始前のジェット風船の数はいつもより多く見えた。
  • フジテレビ『スポルト』で、田尾氏の「試合は盛り上がらなかったが、ファンは盛り上がっていた」とはその通り。タイガースサイドからは全く山場無し
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2001/4/29 神宮球場 セントラル・リーグ公式戦

ヤクルト・スワローズ
vs

阪神タイガース
  • 雨中の観戦。テレフォン・サービスで確認すると、東京6大学野球の結果、途中経過の後、「プロ野球ヤクルトスワローズ対阪神タイガーは準備中」とのことだったので、とりあえず現地に向かった。
    (タイガースではなくタイガー”ズ”に聞こえた。正しい発音はズだったか。かつて朝日放送の植草貞夫アナウンサーも”ズ”だった。)
  • 千駄ヶ谷駅に着くと既に細かな雨が降っていた。
    東京体育館の横あたりで国立競技場の歓声が聞こえてきた。国立競技場ではJリーグの鹿島アントラーズvs浦和レッズが行われていた。
    ※ちなみに駅から神宮球場までは千駄ヶ谷駅〜東京体育館〜国立競技場〜日本青年館〜神宮球場というルートで歩いていく。
    国立競技場の電光掲示板が見えるところまで来ると、時計はほとんど45分を指していて、後半も終盤であることがわかった。スコアはアントラーズが2−0でリードしていたが、間もなく歓声がより大きくなった。見ると、スコアボードは2−1で、レッズがゴールを決めたのだ。アントラーズ、レッズとも熱狂的なサポーター、ファンが多く、歓声もそれだけ大きいようである。それから間もなく、長いホイッスルが聞こえ、ゲームセットがわかった。
    競技場周辺に大宮ナンバーや水戸ナンバーの車が目立ち、大挙押し掛けたのがうかがえた。
    アントラーズやレッズと絡む試合での応援風景は一見の価値があると思う。
  • さて、本日はレフト側外野指定席で観戦。球場で雨合羽を買おうと思っていたら、既に売り切れとのことで、小雨だからしばらく我慢して見ることにした。虎の絵のあるポンチョが良さそうに見えた。最近は東京ドームでの観戦が多かったので、合羽まで装備していなかった。
  • 外野席なので自軍の攻撃時は立って応援する人もいるが、神宮球場は中段までは傾斜が緩やかなので、立たれると後ろの席の人間も立って見ざるを得なくなる。雨の中でそれは辛く、サッカーのゴール裏でもないのに立つ必要もないだろう、とも思う。
    子供連れの方がすごい剣幕で激怒して立って応援する人を座らせていた。「泣く子と地頭には勝てぬ」ではないが、子供が見えないと言われれば、譲らざるを得まい。「女・子供は黙ってろ!」とならないのが今の日本人の良いところ。
    「甲子園では座ってるぞ」と総本山を引き合いに出す人もいたが、それは本当なのか、今後機会があれば自分の目で確認したい。甲子園の外野スタンドは神宮より斜面が急なので、今度は立つとかえって危なかったと思う。
    だいたい「外野は立って応援」はいつからどの球団のファンがどういうつもりで始めた風習なのか。盛り上がった結果自然発生的に立ち上がることはあるが、「こうあらねばならない」とばかりに立つのは良くない。妙にルール好きになったのは今の日本人の悪いところ。
  • 矢野がレフトで先発出場。レフトは中日時代以来とのこと。ライトは広澤の起用で、ショートに起用の田中秀太以外は右打者を並べる攻撃的なオーダーとなった。昨日ブレーキの今岡は二番。
    しかし、矢野や広澤をこのような形で先発させなければならないとは、選手層が薄いことがわかる。また、坪井ら左打者の信頼度がイマイチということもわかる。
  • 試合になったのは中盤まで。川尻、石井(一)両投手ともシトシト降る雨、そして次第にぬかるんでくるマウンドといった悪コンディションの中、よくやったと思う。コントロールは川尻の方が良かったように思う。後日の報道によると、米国メジャーリーグの担当者が視察に来ていたそうで、お目当ては石井投手だったそうだが、川尻も注目されたらしい。
  • 阪神は今岡のツキの助けもあってもぎ取った1点も、ヤクルトの稲葉、岩村の1発攻勢で簡単に逆転され、その後は貧打、得点力不足でまさに野村監督が言うとおり「シュン太郎」であった。
  • 結果は阪神のボロ負けであった。
  • ライトへの打球が多く、不慣れな広澤には気の毒であった。レフトも不慣れな矢野で、やはり打球への反応が一歩遅く感じられた。その分、センターの上坂への負担が増えたと思うが、本日のショート、田中秀太(シュウタ)とともに目立っていた。
  • ペレスが連日の珍プレー。三塁へのフライを雨が目に入ったのか、またしても目測を誤った。このような守備力ではショートとレフトの負担が増えそうである。どうも今季、三塁手には苦労しそうである。
  • 川尻の次は西川が登板したが、良くなかった。三番手は船木であったが昨日のリベンジは成らず、両名ともボロボロであった。(船木の”船”は舟へんに”公”)
  • それにしても、大学野球ができたからといって、プロ野球を決行して良いものか、と思った。GWは書き入れ時だし、相手は人気チームだし、中止は営業的に痛いのだろうけど、こういうところにどうしても金儲け主義が優先するのは仕方ないことなのだろう。
  • 両隣に座った方と盛り上がる。左側は年輩の方でしみじみと戦況を話しつつ観戦。右隣は魚屋さんで流石に威勢が良かった。魚屋さんが我々の前列に座った小さな双子連れの方と仲良くなったところに私が参加したような感じ。その魚屋さんにジェット風船を分けていただく。実は初めて飛ばした。今までグランドを汚すからと買ったことはなかったのだ。双子に「びちゃびちゃでさっぱりワヤや」とコテコテ気味に発音して聞かせてやると、魚屋さんと一緒に来ていた関西出身の人が「うわぁ、『ワヤ』やて。懐かしい」と喜んでくれた。
  • 7回の攻撃が終わると大勢の人が席を立った。私は試合終了まで観たが、びしょぬれで人の流れに乗ったままJR信濃町駅に向かった。
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2001/4/30 神宮球場 セントラル・リーグ公式戦

ヤクルト・スワローズ
vs

阪神タイガース
  • 昼過ぎまで降っていた雨も上がり、試合前には半月が見えるくらいにまで回復した。
  • 同じ職場の方と観戦。その方は神宮球場初見参。
  • 点差は前2戦より少なかったが、安打数で圧倒しながらやはり得点力不足。決定力不足。肝心なところで打ってほしい選手が打てない。
  • 特に大ブレーキとされた広澤。序盤、人工芝に残った水しぶきを上げながらのスライディングキャッチという似合わぬ好プレーでスタンドを沸かせたが、右翼方向への打球が多くその処理で疲れたかも知れない。
  • 広澤の最終打席で、打席に入ろうとするところを呼び戻されたときは、何故かスタンドは盛り上がった。たぶん、引っ込めて代打が起用されると思ったからだろう。結局首脳陣がなにがしかの策を授けたようだったが、三振に終わった。
  • 試合終了が22時を回ったが、時間がかかったのは、投手交代が多すぎたわけでもなく、考えられる原因は先発井川の一球毎の投球間隔が長そうなところくらいか、それとも阪神の走者が塁上を賑わせていたからなのか。
    それにしても残塁が多かった。
  • 風が冷たく、外野を守る矢野、坪井(上坂に代わり途中出場)が長い守備時間の中、何とか体が冷えないようにぴょこぴょこと飛び跳ねてみたり、背中を手の甲でさするなどごそごそ動いている姿が印象的であった。
    背中を手の甲でさする、というのは手がかじかんだときに効果がありそう。これが本日の収穫であった。
  • 22時以降は鳴り物入りの応援は禁止となり、久々に藤井寺球場状態を味わえた。同じ職場の方は終電の都合で先に球場を後にする。
    ちなみに神宮球場では太鼓、バスドラムの類は使用されないので、甲子園のような「ドカンドカンドカン」という腹に響く大音響は体験できない。打ち鳴らすのはメガホンなので、鳴り物禁止でトランペットが鳴らなくなったら即、藤井寺球場状態となる。
  • 盛り上がったのは、9回2死走者1・2塁で代打に八木が起用されたとき。両外国人が出塁したが、彼らの代走として”F1セブン”の藤本、赤星が揃って起用され、ますます得点チャンスが広がったと思われ、最高に盛り上がった。
    結局八木は凡打に終わり、結果は阪神の惜敗。そして3タテを食らって終わる。
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2001/5/20 神宮球場 セントラル・リーグ公式戦

ヤクルト・スワローズ
vs

阪神タイガース
  • JR千駄ヶ谷駅構内の立ち食いそば屋”あじさい”はうどんは関西風、そばは関東風とだしを使い分けている。希望に応じてだしは変更できるそうだが、駅そばでこれは画期的。気に入った。味は関西の立ち食いうどんレベル。
  • 日本青年館のそばで大学野球の応援を終えた学生たちが機材をトラックに積み込んでいた。その中を通り過ぎるとき、見張り役の学生から「失礼します!」と声がかかる。「別にOBでもないのに。」とこちらも恐縮してしまった。
  • レフトポール後方で観戦。チケット業者によって区画が違うようだ。入場時は阪神の打撃練習中。打球が前に飛ばなかったり、打撃投手の球を見送ったり、今岡の調子がイマイチのように見えた。
  • 今回は前方に立つ人が多く、阪神の攻撃時は立って観なければならなくなった。中でも椅子の上に立つ輩は問題外。後ろに同じ方向を向いて同じものを見ている人間がいることまで想像できないところが今の日本人の悪いところ。自宅、自室でテレビ観戦しているとき、前に立つヤツはいないからわからないのだろう。
  • 阪神の先発メンバーは広澤、ペレス、今岡、矢野以外、前回とは全然別人。場内アナウンスにあったベンチ入り登録メンバーもかなり変わっていた。
  • 神宮球場でやっと阪神の勝ち試合が見られると思ったのに、まさかのサヨナラ負け
    よくもまあ、相手に合わせて勝たせることが出来るものだ、と憤慨した。
    とにかく、これほど後味が悪い試合は観たことがない。
    怒髪天を突く最悪試合、ムカツク試合、ワーストゲームとはこのこと。
  • サヨナラ負けを目の当たりにするのは藤田監督時代にも体験しているが、当時の藤田采配は「勝つ気あるのか?」と思うくらい執念が伝わってこなかった。その日はサヨナラ負けとなる前に頭に来ていた。
  • さて、試合は初回に広澤の適時三塁打とペレスの適時打で2点を先制。広澤の三塁打は滅多に見られないものだし、ペレスも前回観戦に来たときと違う活躍であった。
  • ヤクルトもその裏に1点を返すが、2回以降は先発福原の好投でノーヒットに抑え込まれた。
  • それが6回、7回にヒットを打たれ、センター方向の打球が多くなってきたのもあったのか、中でもペタジーニの大飛球が気になったのか、8回ペタジーニを迎えたところで弓長に交代させた。「今日の出来からして怖がることはないのに。」と思ったが、何とか抑えた。後の報道では、限界だったらしい。
  • ペレスは外野手で生きる選手。無様な姿を見せた三塁は不慣れだったのだ。左中間への大飛球もきっちり取っていた。ペレスは三塁で使ってはいけない。
  • 弓長の後は葛西、遠山と繋いだが、順番はともかく代え時が問題。またブルペンで何度も肩を作らせていたが、そこで既に疲れてはいなかったのか。
  • 先発石井一は前回観た時と同じで球は速いが荒れており、阪神はそれに引っかかっていた。
  • 二番手石井弘寿は球速の速い左投手で、右の五十嵐とともに高速の中継ぎ陣を抱えているのは心強いだろう。それに対して、平均年齢も高く、勤続疲労と言われる投手陣は辛い。
  • 途中、打率がどんどん下がっていた的場から守備固めで藤本に代わったが、その直前の的場の打席で代打に右打ちの山田でも起用してもよかったのではなかったか。ちょっとでも相手にプレッシャーを与えなければいけない。
  • 9回2アウトで打者池山の時、「あと1球」コールで盛り上がったのにバックスクリーンのフェンスのちょっと上に飛び込むホームランで万事水の泡。池山をなめていたのかもしれない。
  • このホームラン、ホームランはホームランだが”神宮ホームラン”。東京ドームならセンターの深い所、白いラインのところが落下点のフライ。甲子園ならフェンス際のフライかフェンスに当たっての二塁打。横浜スタジアムならあの高いフェンスに当たって定位置まで跳ね返ってくる単打、という当たり。ただ、広島市民球場なら中段に突き刺さっていたかもしれない。とにかく悔しいホームラン。
  • 池山はローボールヒッターだったか。ならば「あそこに投げて打たれたのならしょうがない。」という投球だったかも知れないが、素直に攻めすぎたかもしれない。一回顔の近くに投げておいてもよかった。
  • 延長戦に入ったが、阪神の打線では打ち勝つことはできず。広澤に代わって一塁の守備についた星野、打席では機能せず。高速の左投手なので手が出なかったのかも知れないが、見送り三振はスタンドの欲求不満に拍車をかけた。
  • 葛西が代打副島を歩かせたときが交代時期ではなかったか。疲れのせいか、ランナーへの注意が不十分でやすやすと走られた。好調真中はラッキーに引っかけてくれて打ち取ることができたが、これは結果オーライ。真中は葛西が苦手というデータがあったのか?
    しかし、遠山への負担は増えるが、真中も左打者だし、左投手の方がランナーをけん制しやすいはず。ランナーを得点圏に置かなければ、後続の投手も少しでも投げやすかっただろう。
  • ペタジーニの打球がスタンドへ飛び込む弾道と判断されるところから、レフトスタンドからはメガホンや応援バットが雨あられ。スタンド前方の人に当たって上と下とで険悪なムード。
  • それにしても福原が可哀想すぎた。ベンチから選手用バス乗り場に通じる架橋に選手らしき影が通りかかるや「皆、福原に謝れ!」と怒鳴ってしまった。
  • 相手に合わすような采配で、相手に合わせても勝てるほどの力量ある陣容ではないのに、野村監督ももはやモウロクしたか、と思わざるを得なかった。
  • この連戦では野村監督にピーマンが投げつけられたそうである。ちなみにその昔、FDH王監督が対近鉄戦が行われた大阪の日生球場で、試合後、大敗に怒ったファンに生玉子を投げつけられた話は有名である。
    優勝でもすれば、昔話として語られるであろうが、現状の阪神では残念ながら無理である。
    首脳陣におかれては、今度は何が投げつけられるか、注意することである。
ご参考→
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2001/5/26
(1)
西武ドーム パシフィック・リーグ公式戦

西武ライオンズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 久々の西武ドーム。今季、首都圏における土日のFDHの試合が少ないため貴重な観戦チャンス。
  • ライオンズ先発石井貴に異常があったのかも知れないが、初回に打者9人で5点を取りそのままKO。
  • 若田部の先発には若干不安だったが、初回のまさかの石井貴の大乱調は驚くと共に、打者9人で5点先制はファンにとっても若田部にとっても余裕だった。
  • 先頭の柴原のショートライナーがいい当たりで、二番バルデスがポコンとライトスタンドに放り込む。その時点で「あれ?」という感じはあった。FDHが打ち込んだというより石井の乱調に尽きる。報道では東尾監督が「いきなり冷や水を浴びせられた」と怒っていたそうである。
  • 二番手水尾は肩を作る間もなく起用されたのかも知れず気の毒であったが、なんとか抑えた。先発捕手が中嶋だったので奇しくも「BW・OBバッテリー」になった。
  • その後が森。森をこんな所で使うとはもったいないと思ったが、石井の予想外のKOでは仕方なかったのだろう。森も本来の姿ではないらしい。森も良くなく、東尾は「冷や水を二度浴びせられた」と怒っていたそうである。
  • 森の後はデニー。デニーからカブレラへボールを投げたとき、デニーがちょっと強く投げすぎたのか、カブレラが怒るそぶり。最後の大沼はなかなか良かった。
  • カブレラはやはり凄い。パシッと打った瞬間入ったことがわかるが、打球が速すぎて弾道がわからない。外周道路に人だかりができたのでその辺りに落ちたことがわかった。スコアボードには飛距離150mと表示されたが、翌日の新聞に天井に当たった、とあった。弾道の線上にいた観客にはわかったのだろう。報道では170〜180mとあった。
  • 大量点のおかげで若田部にも余裕が感じられた。あの5点がなければ僅差の緊張感の高い試合で厳しかっただろう。
  • 試合終了後、外野席の後ろを通りかかったら応援団をはじめ観客が大騒ぎで、久しぶりに一緒に浮かれた。
  • FDHが勝ち、カブレラの一発も見られたので「一粒で二度おいしい」試合であった。
    ご参考→★1
    (注)FDH・・・福岡ダイエー・ホークス

  • ところで、同日16時40分頃、”レオライナー”からJR国分寺方面への乗換駅である西武遊園地駅で傷害事件が発生した。
  • この件については色々と思うところがあるので別項にて記載します。
    事件帖その1
  • ご参考→●1 ●2 ●3 ●4 ●5 ●6 ●7 ●8 ●9 ●10 ● 11
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2001/5/26
(2)
東京ドーム パシフィック・リーグ公式戦

日本ハム・ファイターズ
vs

千葉ロッテ・マリーンズ
  • 当初5/26は西武ドームにのみ行く予定であったが、職場の方と「千葉ロッテの応援を一度見てみよう」という話が急遽まとまり、久々にダブルヘッダーを敢行した。前回の神宮球場〜東京ドームに比べ、西武ドーム〜東京ドームは遠距離なので、ちょっとした緊張感であった。
  • 西武球場前16:44発の各停に乗り、途中ひばりヶ丘で急行に乗り継ぎ、池袋に着いたのが17時半頃。地下鉄丸の内線で10分弱で後楽園駅に着いた。
    東京ドームとは目と鼻の先で、間もなく外野のチケット売場が見えたが、行列が見えたので内野側のチケット売場に向かう。
  • 内野側売場の行列の方が長く後悔したが、今さら外野へは戻れないのでそのまま並ぶ。「レフト側外野席は立ち見になります」とのアナウンス。
    係員が「お一人で何枚でも買えますので、代表者の方がお並び下さい」と呼びかけているにもかかわらず、4〜5人のグループのまま並んでいる人たちは多い。ひどいのが窓口にたどり着いてから「どこの席にしようか」と相談する連中である。
  • 内野自由席で観戦。西宮球場風にいうと「上層スタンド」。昨シーズンまでは「ウイングデッキ」と呼んでいたが、今季はバックネット裏も含めて全面使用となって全部「内野自由席」となった。
  • 待ち合わせは1塁コーチズボックスの上の方にあたる場所。
    (というわけでこの項はややオレンジ色にしてみました)
    スタンドへ上がるとちょうど試合が始まったばかりで先頭打者CLM小坂が、四球となるところ。
  • 「さて、先にドーム入りしている人はどこにいるか」と見回していたとき、「見えないじゃないか!」といきなり食ってかかるような感じで背後から怒られた。見るとスコアシートをつけながら観戦する人。「わかりました」とすぐ視界を遮らないように移動したが、無性に腹が立った。普通は「すみません、見えないんですが」というような感じになるはずなのに、日本語を知らない。こんな私だからよかったが、最近の若い人なら試合終了後に追いかけてきてエライ目に遭わせてくれるから気をつけておいた方がよい。
    西武遊園地駅での事件にしても、配慮の足りない行動、配慮の足りない一言がトラブルの引き金になっているように思う。お互い気をつければ済むことなのだが、自分のことで手一杯なので想像できないのだろう。
  • 今までもスコアシートを記入しながら観戦する人は数多く見かけたが、だいたい内野席ならバックネット後方、外野席ならできるだけバックスクリーンに近いところから戦況を見ているものだ。内野席にはボックス席など高額の指定席があるので、庶民の場合、できるだけバックネットに近いところから見ている。そこでなければ投球の球種、コースなど見渡せないのだ。東京ドームは高いところから見下ろすとは言え、横からでは投球内容を正確には判断できない。打撃練習から見ていると打球の球速と角度から弾道は予想できるようになるが、やはり実戦に入ると走者の動きや守備陣形など状況判断も必要になるから正確には判断しにくい。要は公式記録員やスコアラー、取材陣はは試合中どこにいるか、ということである。
    「ベンチの上だから、監督やコーチと同じ角度なので構わないじゃないか」という考えだろうが、ネット裏にはスコアラーを配置し、しっかり情報収集しているのだ。ベンチへの情報連係の仕方が目に余って「”伝書鳩”は控えるように」と通達されていたではないか。
  • 幸い東京ドームはFs主催試合の場合バックネット後方も自由席である。マニアならこだわってほしいものだ。「横からでもいいじゃないか」と言うのなら、ネット裏にもつけている人がいて、後で突き合わせるつもりならまだしも、所詮単独行動だろうからそんなスコアは信用できない。無駄の一言に尽きる。説教してやれば良かった。
  • 私はかつて大阪球場のバックネット後方から見ていて郭泰源の高速スライダーに感動したことがある。永射保の球の出所がわかりにくい、というのも解ったような気になった。甲子園ではバックスクリーン近くから見ていて晩年の小林繁の苦しむ後ろ姿は忘れられない。山田久志、今井雄太郎のコントロールの良さにも感動したことがある。横からでは解らないこともある。
  • そんな中途半端な人はさておき、先にドーム入りしていた人達の後頭部の感じで場所が判明したので席に着く。1塁側スタンドは初めてだったのでスコアボードを見るとき、いつもと違う動きになるので正直戸惑った。首の動きが左右逆になるのである。
    真っ正面がレフトスタンドとなり、そこにはCLMの大応援団が陣取っている。本当に『大応援団』と呼ぶに相応しいスタンドなのだ。あの状態では「立ち見になります」というのも納得できる。ほとんど全員ビジター用ユニフォームと同じ黒で統一されている。確かホームの千葉マリンスタジアムではホーム用ユニフォームと同じ白であった。先に来ていた人は黒っぽいスタンドなので最初は何とも感じなかったが、試合が始まってからの大歓声は、相当なインパクトがあったそうだ。大漁旗のような大型旗も数少なく、横断幕は無し。トランペットは1〜2本あるようだがほとんど肉声。メガホンは叩かず手拍子のみ。立って応援する場面もごく自然である。本当にサッカーのゴール裏とそっくりの光景だが、整然と徹底されていてモノマネという感じはしない。洗練されている、というと褒め過ぎだろうか。しかしながら、オールドファンにはついていけない部分もあるのだろうと訊いてみると、千葉マリンスタジアムにはオールドファン向けの割引チケットが用意されているらしい。一方のライトスタンドは昔ながらのスタイル。対比が面白かった。まさに、百聞は一見にしかずで ある。
    昼間の西武ドームはライト・レフト共、昔ながらのスタイルということになる。FDH側は踊る人間が多くなっていたが、統一性は低いようである。ちなみにFDHは踊って応援する人達のために振付ビデオまで用意している。
  • 昨年あたりからジャイアンツの応援団がサッカー風の応援を取り入れたが、このマリーンズの応援スタイルを見てしまうと、ジャイアンツはサッカーには超批判的だったのではなかったのか、という拭われざる印象も手伝ってジャイアンツの応援スタイルにはどうしても中途半端な感は否めず、モノマネを感じてしまう。全部オレンジ色に染めてみたらどうだろう、と思った。
  • CLM先発のミンチーは良かった。一緒に見ている人から、ミンチーはマウンドのプレートの幅を生かしている、ということを教えていただき、ますます感心した。まさに目からウロコ、であった。二番手左腕藤田もキレが良く、抑えの小林雅も速球が良かった。何故カープはミンチーを手放したのか解らない。
  • 試合中盤、イニングの間にFsのかつての名選手を紹介する映像が流れたが、今回はグロス投手であった。このグロスもFsは何故手放したのか解らない。
  • Fsの田中幸雄がレフトを守っていた。ウイルソン欠場の影響で田中幸が外野に回り、ショートには奈良原が入っていた。これでは下位打線はどうしても小粒になり、相手側としてはアウトの計算がしやすい打線となってしまう。外野手と言えばオープン戦の時に印象が強かった西浦を思い出したので訊いてみると、現在二軍にいるとのこと。これまた層が薄いと思った。
  • 終盤、Fsは新人の井場を登板させたが、なかなか良かった。
ご参考→
  • CLM・・・千葉ロッテ・マリーンズ(かつて千葉移転時の頃の帽子に”CLM”とあったので)
  • Fs・・・日本ハム・ファイターズ(帽子に”Fs”とあるので)
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2001/5/27 西武ドーム パシフィック・リーグ公式戦

西武ライオンズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 西武遊園地駅の事件のインパクトが強く、なかなか思い出せない。
  • 簡単に言えば、カブレラ一人にやられた試合
  • もう一つ言えば、眠たい試合であった。
  • カブレラに2発食らって、先発西口も良かったかも知れないが、とにかくカブレラ1人にやられた試合である。
  • やはりカブレラのような超強打者が一人いると、相手バッテリーに与えるプレッシャーはかなり強いようである。田之上から打った一発目は、高めに外そうとした球だったそうだ。
  • カブレラを四球で歩かせた時は、ライトスタンドと一塁側からのブーイングが凄かった。
  • 結局26日がレフト、27日がライトとセンターと、カブレラのホームランは全方向見ることができた。
  • FDHについては大道がブレーキだった。バルデスが26日、27日と2試合連発。
  • 松中がヒザあたりへの死球を受けた直後、守備につくとき足を引きずっていたのは痛々しかった。次の打席で西武バッテリーは長打警戒ということもわかるが四球で歩かせた。これは、足に負担をかけさせようという故意四球にも見えた。「さすがはライオンズ首脳陣、老かいなこともやるもんだ」と言いたいところだが、もしそうなら、ちょっとひどいと思った。結局森脇三塁コーチが見かねたのか浜名に交代した。
  • しかし5番が浜名に代わってしまうと打線の迫力が、全然無くなってしまった。
  • 吉田修司も打たれたが、勤続疲労なのか去年ほどの威力は無さそうに見えた。
  • ライト秋山へのフライで、一塁走者がタッチアップで二塁へ進塁するシーンがあった。落下点には確実に到達するが、寄る年波には勝てないのか、肩が以前より弱くなっているのだろう。そこをつけ込まれたようだ。これまた「さすがはライオンズ首脳陣、老かいなこともやるもんだ」と言いたいところだが、ちょっと寂しかった。
  • レオライナー車内での親子連れの会話・・・
    「ダイエーのピッチャーは何だ。もたもたもたもた投げやがって。」(そういえば先発田之上の一球毎の間隔が長かったかも。それで眠たくなったのかも知れない。)
    「西口、(松中と井口の)2人にぶつけたけど、よくケンカにならなかった。」(松中の弱点のヒザに当たって引っ込んでしもたなぁ。どないしてくれんねん。)
  • 西武遊園地駅に着いたとき、「西武鉄道広報」の腕章を巻いた背広姿の人が何人か立っていた。目つきが鋭かったが、やはりあのような事件があったからなのか。ホームにはTVカメラも一組いた。
  • 翌日のTVでは、西武遊園地駅の事件を取り上げていたが、事件発生時刻は27日はまだ試合中だったので、TV画面に映るホームはすいていた。
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2001/6/8 日本武道館
全日本プロレス
〜6.8スーパーパワーin武道館 全日本プロレスvs新日本プロレス 対抗戦 三大タイトルマッチ〜
  1. 渕正信、平井伸和vsキム・ドク、愚乱・浪花
  2. 藤原嘉明、相島勇人vs新崎人生、ジャイアント・キマラ
  3. 荒谷信孝、奥村茂雄vsマイク・バートン、ジョージ・ハインズ
  4. アブドゥーラ・ザ・ブチャーvsサブゥー
  5. スティーブ・ウイリアムス、マイク・ロトンドvs小島聡、ヒロ斎藤
  6. 【新・アジアタッグ王者決定戦】
    垣原賢人、長井満也vs永田裕志、真壁真也
  7. 川田利明vs天山広吉
  8. 【世界タッグ選手権試合】
    太陽ケア、ジョニー・スミスvs中西学、吉江豊
  9. 【三冠ヘビー級選手権試合】
    天龍源一郎vs武藤敬司
  • 最大のトピックスは、三冠ヘビー級タイトルが新日本プロレスに流出してしまったことである。
  • 当日は幕張メッセにINTEROP+NETWORLDという展示会を見てから、日本武道館に向かった。早めに切り上げなければならなかったので駆け足で回ったが、ちなみに今年目に付いたのはデータセンター、無線LAN、eコマース向けの機器やサービス、そして話題のブロードバンドといったところである。
  • 地下鉄九段下駅へ向かう途中、駅売店の夕刊紙で大阪の小学校での痛ましい事件を知った。小学校1〜2年生を奇襲するとは、許せない。「死にたいけど死ねない。だから事件を起こした。」と言っていたそうだが、そこに殺された子供たちは存在しない。逮捕歴より入院歴が優先する精神障害だからまた社会に戻るのは確実だろう。「死にたい」という自分の希望が叶うまで、殺人、しかも抵抗できない人間を狙った殺人を繰り返すに違いない。6〜8歳の子供の命はもうこの世に帰ってこないのに、この犯人は社会に戻ってくるのだ。
  • 九段下駅には思ったより早く着いた。下校する高校生が多かったが、駅周辺にあるのは名門の学校らしく、私が通勤する途上で出会う高校生たちとは全然違う世界に暮らしているようである。
  • 日本武道館は江戸城内にあるので門から入るが、その周辺のダフ屋がいつもより多かった。幕張メッセへの途中、JR海浜幕張駅を出たところにもダフ屋がいてビックリしたが、プロレスはわかりやすいがINTEROPだと「イベントが何かわかってる人は何人いるのかな。」と思った。
  • 今回は1階席で観戦した。武道館はアリーナが掘り下げたところにあったのだ。今まで二階席なので大階段を昇って入っていったが、今回は階段の下から回り込んで入った。
  • 花道が設置された武道館は初めてである。その花道は、新日本の試合を見たことがある人によると、新日本のものより幅が狭いそうである。花道の端の選手が登場するところにはジャイアント馬場のガウン姿の写真が染め抜かれたカーテンになっていた。
  • 実況席にテレビ朝日の真鍋、中丸両アナウンサーが見え、その横には解説の山崎一夫氏、実況アナウンサーと山崎氏との間には馳議員が見えた。馳議員の胸には議員バッジが光っているように見えた。
  • 第1試合は5分そこそこで決着が付いた。平井はよく動いた。愚乱・浪花(通称、カニ)は先日まで新日本に参戦していた。団体の垣根がないのは実はこのカニなのかも知れない。レフェリーはパンフレットに載っていない若手であった。後日、姉崎吾郎レフェリーとわかった。
  • 第2試合、藤原組長を初めてナマで見た。流石に上手い。楽しそうに試合をやっていた。相島が参戦して1年くらい経つが、リング上の4人のうち、一人スタミナ不足を感じた。キマラがコミカルなのでちょっと浮いていたが、終盤体格を生かして相島を下した。藤原もキマラに合わせたりするなど、経験を感じさせた。
  • 第3試合、マイク・バートンもジョージ・ハインズも人気が凄い。マイク・バートンは入場時のファンとのタッチがお約束になっている。荒谷と奥村はスタミナ不足を心配したが、やはり全日本に慣れてきたと同時にスタミナも付いてきたようである。レフェリーはウォーリー山口。
  • 第4試合、ナマでブッチャーを見たのは初めてである。開始早々、サブゥーが五寸釘でブッチャーの額をえぐる。ブッチャーもフォークでサブゥーの左の二の腕を何度も突き刺す。たちまち流血で、リングにも血がしたたり落ちる。リングサイド席から女性の悲鳴が聞こえた。悲鳴が聞こえるプロレスは初めてである。1970年代のTVアニメ『タイガーマスク』では女性客が悲鳴を上げたり失神したりするシーンが描かれているが、60年代から70年代のプロレスではこういう光景がよく見られたのだろう。結局ブッチャーの勝利で、花道を引き揚げるときの歓声は凄かった。花道の端のジャイアント馬場を染め抜いたカーテンのところに立ち止まり、「ババ!ババ!」と馬場コールをしていた。一方のサブゥーはマットのエプロンでブッチャーを追いかけようとするところを若手レスラーに取り押さえられていた。
  • 第5試合、レフェリーが新日本プロレスの保永に代わる。全日本マットに新日本のレフェリーが上がるのもおもしろい。小島のファンが持ち込んだ幟(のぼり)を初めて見た。T2000の小島、ヒロ斎藤に対しては昨年の渕vs蝶野の時ほどではないがブーイングが聞こえた。ゴング直後ウイリアムス、ロトンド組への大声援に小島がスタンドに向かって「うっせーな、バカヤロー」と怒鳴っていた。今回もヒールを楽しみにしていたのではないだろうか。
    ヒロ斎藤の巧さが目立った。小島の「いっ・ちゃうぞ、コノヤロー」も聞くこともできた。後半、小島と分断されてしまうと、ヒロ斎藤が一人で大型外国人二人を相手にする形となり、最後はS・ウイリアムスの殺人バックドロップで決着した。S・ウイリアムスはベルト獲りをアピールしていた。
  • 第6試合、タイトルマッチ宣言を週刊ゴングの竹内宏介編集人が行った。氏がリングに立った時から一目でわかった。高めの通る声で独特のアクセントで読み上げたがタイトルマッチ宣言としてはとてもよく聞き取れた。PWF会長がスタン・ハンセンで、その代読なのだ。
    永田をナマで見るのは1999年6月の日本武道館で行われた橋本真也復帰戦の日以来。永田は一昨日(6/6)の対藤田和之IWGPタイトル戦でかなりのダメージを受けたと聞いていたが、それほどでもないように見えた。しかし、体つきは対藤田戦というより対秋山準戦に向けて調整しているのではないか、と思った。
    やはり真壁が狙われたが健闘した。このメンバーの中、真壁では役不足と思ったが、真壁のポテンシャルはなかなかあると思わせた。永田と垣原・長井との蹴り合いは見応えがあった。
    解説席にUWFの先輩である山崎がいたことも刺激になって、垣原も長井も一層張り切ったのではないだろうか。特に長井の動きが良かった。
    花道を長井、垣原の順で引き揚げていったが、その時の垣原が「ありがとう」を連発しながら歩いていく姿は印象的であった。レフェリーは和田京平。
  • 第7試合、復帰後の川田はこれまでの休養が功を奏したようで、一昨日の対小島戦のダメージもあったかも知れないがそれを感じさせず、動きが良かった。天山の気迫も凄かったが、主たる攻めがモンゴリアンチョップと頭突きがほとんどで、引き出しの多さに勝る川田にはかなわなかった。モンゴリアンチョップを撃つ前の場内からの「シューッ」という音を初めて聞いた。スタン・ハンセンがエルボードロップを落とすときに「イーッ」と声をあげるときと同じ感じ。天山は絞め技を繰り出しても川田の体が柔らかいため、つま先で頭を蹴られて絞めきれないシーンが多かった。それにしても川田はタフで、天山の技を何度受けてもムクムクと起きあがってくるのは凄い。”受けの全日本”たる所以であろう。終盤繰り出された川田のバックドロップは脳天から落とすタイプで、見ていてえげつなかった。S・ウイリアムスといい、川田といい、全日本勢のバックドロップは本当にえげつない。新日本では後藤がバックドロップの名手として有名だが、全日本ではそのくらいは当たり前、ということである。
  • 第8試合のタイトルマッチ宣言は週刊プロレスの方が読み上げた。
    試合は、太陽ケアとJ.スミスが吉江、中西の大型選手にどれだけ対応できるかどうか、に注目した。本日の試合前、会場通路で勝者当てクイズをやっていて、この試合に関しては中西・吉江組を分断できれば太陽ケア・J.スミス組に勝機があると思っていた。中西をナマで見るのは1999年6月の日本武道館で行われた橋本真也復帰戦の日以来。当時は怒っているだけに見え、もっ怒れ、もっと怒れ、と声援した憶えがある。
    序盤は以前太陽ケアと試合し損なった吉江と太陽ケアがぶつかった。太陽ケア・J.スミス組も比較的経験の浅そうな吉江を狙っていたようである。しかし、始まってみると、吉江の巧さが目に付いた。はっきり言って「お見それしました」といったところである。派手にぶつかり合うことを良しとする新日本スタイルの中ではこの試合巧者ぶりはわかりにくいだろう。相手組にヨーロッパ出身のJ.スミスがいたことで、ヨーロッパで修行を積んできた吉江が機能できたのかも知れない。あの独特のヘアースタイルも試合スタイルの地味さをカバーするためなのかも知れないが、そういう意味では気の毒な選手である。
    やはり、急造タッグチームなので連係が良くなく、タッグ戦に慣れている中西は吉江を利用した戦法を取ったりしていたが、吉江は中西を利用せずシングル戦のペースでやってしまったため、結局中西と分断され、吉江がフォールされた。要所でJ.スミスがリング内への突入を図る中西を阻止していた。この阻止の仕方もタイミングが良く、また、えげつなかった。
    結局、中西は中盤にアルゼンチンバックブリーカーやスピアタックルを見せたが、結果的に機能しきれなかったため、観衆からは控え室へ引き揚げる中西に向かって「中西、何しに来たんだ。」という声がかけられていた。しかし、2年前よりはるかに安心して見ることができた。レフェリーはウォーリー山口。
  • 第9試合は、現時点で今年のベストバウトと言っていいか知れない。開始ゴング前に武藤がドロップキックとシャイニングウイザードを続けざまに天龍に撃ち込み、武藤ペースに試合を進めようとする。一方の天龍は場外への退避を利用して天龍ペースで試合を進めようとする。このような駆け引きの他、ドラゴンスクリューから4の字固めといった武藤の技をそっくり天龍がお返ししたり、場外に落ちた天龍に武藤が飛べば、同じように場外に落ちた武藤に天龍が飛ぶ、という感じであった。ロープ越しでのブレーンバスター合戦や、場外での攻防で武藤が大の字になったり、武藤のシャイニングウイザードを天龍がブロックして場内をビックリさせるなど、見所がたくさんあった。
    和田京平レフェリーも要所要所で試合を引き締めていた。
    20分を超えると、天龍のスタミナも流石に辛くなってきたようで、武藤がシャイニングウイザードの連発でダウンさせた後にムーンサルトプレスでフォールした。シャイニング・ウイザードがトドメにならない、というのが驚きであった。
  • この試合ではリングサイドの実況席横に新日本プロレス社長でもある藤波辰爾(たつみ)の姿があった。
  • 各コーナーの選手コールの後の「レフェリー、和田京平」というアナウンスの後の「キョーヘー」という大コールはいつもより大きく聞こえた。
  • 久々に大声を出したので、のどが痛くなったが、堪能した。
  • 混雑を避けるため、リング撤収作業が行われる頃まで場内にとどまったので、比較的楽に江戸城外に出ることができた。武道館を出たところでキム・ドクが歩いていたが、彼の知人とその子供に「気をつけて帰れよ」と優しく話しているのが微笑ましかった。
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2001/6/16 東京スタジアム 2001 Jリーグ ディビジョン1
1stステージ 第11節

東京ヴェルディ1969
vs

セレッソ大阪
  • 東京スタジアム初見参。
    京王線飛田給(とびたきゅう)駅には思ったより早く着いた。駅は改装され大変きれいで、駅の出口を出ると競技場が見え、これまた思ったより近いところにある。JR小机駅と横浜国際競技場との間より近い。競技場までの道路は拡幅され舗装し直されている。周辺は住宅地なので、店は少ない。
  • 座席は自由席にしようと思ったが、全体を見渡そうと思ったので”1969シート”と名付けられたバックスタンドにした。5万人くらい収容できるとのことなので、どこに座ろうが全く余裕である。座席もきれいで座りやすく、フィールドも見やすかった。
  • W杯の入場券予約の申込、すなわちサポーター枠の申込もできるとかで「入場してしまうと申し込めなくなります」という声が聞こえたので、入場券の半券に必要事項を記入しておいた。確かに入場時にちぎられてしまうと、あとの祭りである。
  • 入場時の持ち物検査は東京ドーム以上に厳しい。W杯のフーリガン対策に今から習慣づけておこうということなのだろうか。缶入りだけでなくペットボトルの飲み物も紙コップに移し替えられた。持ち物検査のテントには青森県で起こったサラ金放火殺人事件の犯人の似顔絵が張り出されていた。
  • 本日は鳥取県デーとかで、鳥取県産のスイカの当たる抽選券を配っていた。
  • 両チームの順位を当日まで気にしていなかったが、セレッソが15位、ヴェルディが最下位の16位だったのだ。本日はベベ2とベベタコの試合だけれども、なんと尻に火がついているではないか。これは是非ともセレッソに頑張ってもらわねば、と思ったが...。
  • 前園が先発するとのことで、彼をナマで見るのはGKにジルマールがいた頃のセレッソ大阪vs横浜フリューゲルス以来かもしれない。ヴェルディに移籍したばかりの頃も見たことがあったかも知れないが、印象が薄い。当時、フリューゲルスのコーナーキックの時は、前園が蹴っていて、蹴る瞬間はコーナー後方からカメラのフラッシュが凄かった。
  • 全選手、審判団が入場した直後、先日、大教大附属池田小学校で起きた殺傷事件の犠牲者の冥福を祈るため黙祷が行われた。コンフェデレーションズ杯の時と同じである。先日の怒りがよみがえった。
    セレッソは地元ということで、ガンバ大阪やヴィッセル神戸とともに何かできる範囲で援助をしようとしているそうである。
  • 試合はセレッソの方が後半の中程までは優勢で、ヴェルディ陣内にいることが多かった。しかし、肝心なところでパスミスをしてヴェルディ側にボールを奪われた。前線で森島の運動量に期待するのはわかるが、どうしてもマークされており、森島を援護する意味で運動量の多い田坂をもう少し前の方まで動かしてもよかったのではなかったか。
  • 森島や田坂以外で目に付いたのは、GKの下川と、本日先制のゴールを決めた西谷、そしてノ・ジュンユン。
  • ヴェルディは前園が久々の先発ということと、GKの本並が200試合出場を記録したことがトピックスであった。本並はガンバ時代、Jリーグがスタートする時のイベントをやっているところに通りかかったとき近くで見たことがあるが、現在解説者となった永島とともに「濃い顔やなあ」と思った。最近ヒットを連発している平井堅も関西人だそうだが、意外と濃い顔が多いようだ。
  • 前園もよく動いていて、よくオフサイドをとられていた。それだけ後方からボールが来ていたということだろう。しかし、得点に結びつきそうな場面はなかった。
  • ハーフタイムにはヴェルディ側ゴール裏の応援団の前で『パラパラ・ヴェルディ』をやっていた。
  • セレッソが先制したときは、その直前にボールが上手く回ったので「これはいけるかも」と思ったら、見事に決まった。
  • 前園や北澤や永井が下がって、石塚や武田らが出てきてからヴェルディがまとまって動くように見えた。セレッソは先制してちょっと散漫になったのかもしれない。
  • 同点に追いつかれる少し前からゴールマウスをかすめるようなシュートが打ち込まれ始めて、ゴールが決まったときはセレッソの時と同様に上手くボールを回されて、シュートされた。
  • 逆転のゴールは終了直前、ゴール前で武田に目がいってしまって、武田から小倉にパスされたときは既に手遅れ、といった状態だった。小倉にすれば頭を合わせるだけだった。スタンドから見ていてゴール前の混戦で誰がどうなったのかわからない間に決まってしまった、という感じであった。
  • ロスタイムも少ししかなく、セレッソは追いつけなかった。
  • ヴェルディで目に付いたのは、小倉とボンバヘッドを散髪して一目でわかりにくくなった中澤。
    試合が行われる当日、会場だけで配られる『マッチデープログラム』にはヴェルディ各選手のニックネームが載っているが、例えば北澤が”ダイナモ”、中澤が”ボンバヘッド”だった。
  • これでヴェルディに勝ち点で並ばれ、得失点差で辛うじて15位ということになった。
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2001/6/23 東京ドーム セントラル・リーグ公式戦

東京読売巨人軍
vs

横浜ベイスターズ
  • 同じ職場の熱狂的巨人ファンの方々にチケットを譲っていただき、一緒に観戦した。
    (ご厚意に感謝しこの項は敢えてオレンジ色にしました)
    東京ドームの巨人戦をちゃんと座席に着いて観るのは初めてである。
  • 東京ドームでの巨人戦は、数年前東京ドームに立ち寄ったところ、入場券売場で「立ち見あります」という文字が目に入ったので、思い切って中に入ってみたのが最初で、通路から見ることになっていたものの、黒山の人だかりで何人もの肩越しにグラウンドを覗く、という感じになって、全然集中して見ることができなかった。
    観客の中には、通路の端で車座になって酒盛りをしている連中もおり、「野球を観に来た人ばかりではないのだな」と思った。外野スタンドで踊っている連中の方がマシ。
    通路なのでTV中継で時々映っていた”ファイヤーガールズ”を至近距離で見た。
    タンク式のビールの売り子が通りかかり「いかがですか」と勧められた。立ちっぱなしで落ち着いて飲んでいる状態ではないので買わなかったが、「そのタンク、何キロあるの?」と訊くと「8キロあります」とのことであった。この大混雑の中、この「8キロ」が当時の収穫であった。
  • 今回は内野指定席で、西宮球場風に言えば上層スタンドのホームベース寄りのバックネット後方であった。流石に客の出足が良く、かなりの人がドーム周辺に溢れていた。
  • 試合開始迄1時間を少し切ったところで席に着いたが、間もなくチケットを譲っていただいた方々が到着した。着くなり、「席がどこかわかったから行きましょう」と言われ、訳の分からないままに付いていくと、どんどんスタンドの下の方へ下りていき、一番下のフロアの通路に出た。色々な売店が並んでおり、その中でも降りてきた階段のすぐそばの売店で売っている「梅ワイン」がお目当ての一つ、ということであった。ここまで下りてきたことはないので、また今後も下りてくることはないかも知れないので、評判の梅ワインを飲んだ。さっぱりしていて良かった。昼食にお好み焼きを食べていたので、一層さっぱり感じた。
  • そこで、私が関西人であることに初対面の人(ちかさん)は「えっ!?」という感じだったが、甲子園でも連れや座席の都合からレフトスタンドで観たこと何度もあり、応援団の人とも「日本シリーズ、頑張って下さいね」と握手したことがあると言うと、ちょっと安心したようであった。また、FDHのファンであることも明かした。
  • 今回一緒に観た人の内の1人(Q太郎さん)は、上述の日本ハム・ファイターズvs千葉ロッテ・マリーンズの試合を一緒に観た人であるが、その人によると「その日もここまで下りてきたが、売店が開いていなかった」とのことで、東京ドーム側のジャイアンツ戦とファイターズ戦の扱いの違いを実感されていた。
  • そこで一通り飲み終わると、「ホットドッグを食べる」ということでライト方向へ移動した。途中、売店でグッズをチェックしたり、寿司や弁当を見たりしていた。売店には東京ドームの一塁側にもかかわらずトラッキーのミニタオルが置かれていたり、星一徹のストラップや日本テレビのマスコットの”なんだろう君”が置かれていた。通路ではジャビットなんとか、というチアリーディングの人達を囲んで振付の練習やゲームをしていたりしていた。そんな中、Tシャツ姿の南米人風の胸板の厚い外国人とすれ違ったが、ヒゲの感じから先日来日したアルモンテ投手であることがすぐわかった。今回は球場がどんな雰囲気なのか、見学に来たのだろう。一緒に来た人に「いますれ違った人、新外国人選手ですよ」と教えると、気付かなかったことを悔しそうにしていた。その時は名前をすぐには思い出せず、「ロシナンテみたいな名前の人」と言ってしまった。その後は「デルモンテみたいな名前の人」とも言っていたら混乱していた。
  • ホットドッグは紙ケースに入っていたが、なかなか食べにくかった。売場のカウンターの端には『食べ方』が置いてあったが、きれいに食べきることがよほど難しいのだろう。東京ドームでホットドッグは初めてではなかったが、ボウリング場のビル横のコーヒースタンドのホットドッグの方が食べやすかった。
  • スタメン発表が5時半頃なので、そろそろ上へ上がろう、ということになったが、途中でまた売店に入った。その売店も初めてであったが、ここもファイターズ戦の時は開けていないらしい。その売店から上がっていく途中で先発バッテリーの発表を聞いたが、ジャイアンツの入来しか聞こえなかった。
  • いよいよ席に着くと、間もなく先発メンバーの発表が始まり、場内の興奮が高まるのはどこも同じで、巨人ファンの方々は外野席でやっているスタイルのダイジェスト版のようなことをやってくれた。手拍子と肉声が主体の応援スタイルである。その人たちと関係ある応援団は、メガホンを打ち鳴らさない応援スタイルを推し進めているそうである。東京ドームは音の逃げ場がないということと、大勢の人間ががあの空間でメガホンを打ち鳴らすと、音がウエーブのようになって広がっていくというより回るため非常にうるさくなってしまうのだそうだ。確かに太鼓、バスドラムの類は少なく、トランペットなど鳴り物も少数に制限されているが、なかなかよく響く。説明を聞くと、納得した。その後はタオル回しや選手別のコールなど、色々見せてくれた。ちなみに当日使用されていたのは小型のタイルであったが、外野席では大型のタオルになるとのことである。
  • Q太郎さんが、「ベイスターズの応援団の音が軽い」と言っていたが、レフトスタンドのYBを応援する人数が少ないのもさることながら、横浜スタジアムのように太鼓、バスドラムの類を何個も打ち鳴らせないのでどうしても軽くなる、と答えた。
  • 東京ドームでの阪神の応援では、YBファンよりはるかに人数は多くなるが、甲子園球場のような腹に響くものや、地響きのようなものは感じられない。神宮球場では東京ドームから太鼓、バスドラムの類が無くなった形になるので、一層貧弱になる。
  • 試合は、初回、YBの先発三浦が高橋(由)の足にぶつけた後、清原、元木の適時打で3点先制したが、イケワイ氏が心配するように立ち上がりが悪いだけで、2回以降はすっかり抑え込んだ。
  • 三浦の立ち上がりは、低めの球が決まらないことで谷繁とともに混乱しているように見えた。谷繁の背中はよく物語る。
  • 高橋(由)がスランプということであったが、確かに打席内で動いてみたり、球を待ちきれないようなスイングになったり、悩んでいるように見えた。ベンチに戻るときも元気がイマイチに見えた。
  • 江藤だけは三浦が苦手のように見えたが、出塁できて、盗塁したときは、Q太郎さんが、江藤はカープ時代もこういう場面でよく走ったと教えてくれた。
  • 元木は好プレーもエラーも色々見せてくれた。さすが、プロ。
  • 6回に清原の大ホームランが出て試合が決まったようなものであるが、それまではYBが安打数で上回っていた。YBはほとんどのイニングで塁上を賑わせたものの谷繁や外国人がことごとく凡退するというブレーキぶりで、どこかのチームと同様、チャンスに打ってほしい人が打たないという決定力不足で、再三のチャンスを潰した。
  • 入来は鈴木(尚)には投げにくそうにしていた。
  • BWから移籍の小川を久々に見た。背番号はローズと同じ、というよりもBW時代と同じ23。全打順を経験した記録を持つだけに、当日は5番だったが、機能していたと思う。ローズにはかなわないかも知れないが、駒田や波留の穴は十分に埋められていると思う。
  • YBにとってレフト前のヒットで本塁突入を敢行し憤死したのももったいなかった。ジャイアンツサイドに立てば、清水の好プレー。青山三塁コーチの指示ミスと思われ「ああいう(ランナーを止められなかった)のを”壊れた信号機”って言ってね、ちなみに以前FDHの定岡コーチが時々”壊れた信号機”になったんやけど」と教えたあげた。
  • 森主審の評価が良かった。コールするタイミングが一定で、動作もわかりやすく、スタンドから見ていてもわかりやすかった。ちなみにセ・リーグの「巨人びいき」と噂される数人の審判の評判を訊いてみると、あまり芳しくなかったのには驚いた。ひいきチームに有利に判定してくれるだけに、「何とも思わないよ」という答を想像していたが意外だった。やはり審判はあくまでフェアでなければならない。
  • しかし、巨人の投手交代の場面で、森主審がベンチ前まで次の投手のことを聞きに行くという光景があったが、これにはちょっと”あれ?”と思った。普通、監督がグラウンドまで一歩でも上がって「ピッチャー○○」と告げるものだが、ベンチ内から主審にアピールしているのだ。審判も御用聞きではないのだから、もっと毅然としなければならない。
  • 審判といえば打球の方向に二塁塁審がいたため、野手の視界に審判が入ってしまったかのような場面があった。審判の立ち位置は難しい。
  • 抑えに岡島が起用されたときは巨人ファンの皆さんは複雑な表情であった。あの頭までフォロースルーするフォームは「後はボールに聞いてくれ」という投げ方なので、確実性が低いのだろう。実際、右打者には投げにくそうであった。しかし、YBは代打に中根を起用したが、種田らの起用はなかった。
    中根も久々に見た。現CLMの石井に似たスイングで”いてまえ打線”のDNAは健在である。
  • JRお茶の水駅までの途中、一緒に観ていた人(ちかさん)から「巨人の試合はどうでしたか?」と訊かれたが、甲子園での阪神vs巨人は今まで何度も観ていたので、試合そのものに関しては「巨人の試合だから」というものは特に無かった。
  • しかし、さすが本拠地だけに盛り上がりは凄く、こんな中で試合ができるのなら、「やめられまへんな」という気分になるだろう。
    • YB・・・横浜ベイスターズ(スコアボード等の表記がYBなので)
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2001/8/4 東京ドーム パシフィック・リーグ公式戦

日本ハム・ファイターズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 試合開始1時間前くらいには東京ドームに入りたかったが、JR水道橋駅に着いたのが17時10分頃で、当日券売場には案の定行列があり、「どうしよう。試合開始までに入れるかな。」と思っているところにダフ屋のお兄さんの「外野自由席1000円、内野自由席1500円」の声がツボにはまり、一瞬迷ったが「内野ってこの上(上層スタンド)?」と確認してダフ屋のお兄さんから購入して入場した。
  • 買ったのは日程指定の招待券で、たぶん新聞販売店が販促用に配るものなのだろう。原価がかかっていないからダフ屋の丸儲けである。
  • 今回はほぼネット裏から観た。
  • Fsのスタメン選手がグラウンドに出てくるときの紹介は英語で行われるが、小笠原は「ミチヒロ・ガッツ・オガサワラ」であった。
    私にとって「ガッツ」とくればかつてBuの一番バッターを務めた”ガッツマン”平野(背番号9、ヘルメットには999)を思い出す。
  • 珍しいことをしたから、珍しい結果を見ることになってしまった。
  • Fsをはるかに上回る11安打も打ちながら、サヨナラ負け。
  • 先発の山田は走者を出してしまうとコントロールが悪くなるところが見受けられ、3点取られたが、何とか抑えていた。打たれた内容もFsのライト方向へのヒットが目立ち、変化球は見送り直球を狙うという攻略法もすぐ見出されていたようである。
  • Fs先発の左腕、清水もなかなか良く、松中、城島の連打に続くバルデスの一発だけで後はよく抑えた。FDH先頭打者の柴原は清水に対する苦手意識、自信の無さがあからさまで、これでは清水が先発の日は一番に使えない。清水に自信を付けさせてしまった。
  • 小久保、秋山もあまり良くなかったが、彼らは名前と顔で相手にプレッシャーをかけられる。
    しかし、鳥越がバントできないのは本当にしょうがない。
    中途半端にスリーバントさせた場面があったが、鳥越がネクストバッターズサークルに出てくるのも遅く、前打者バルデスが出塁しなければ代打、出塁すれば鳥越起用と決めていたようである。
    鳥越がそのまま打席に入ってからも、鳥越本人も森脇コーチもベンチも迷っていたように見えた。
    ベンチはバルデスがほとんど凡退することを予想したようであるが、バルデスが出塁し村松を代走に起用するところまではよかった。久々に村松のヘッドスライディングを見ることもでき、そこまではよかった。
    ところが得点チャンスとなったため、鳥越の自信の無さが表れたのかも知れない。次打者が当日はいまいち自信のない柴原だけに、余計に迷わせたのかも知れない。
    バントなり右打ちなりができる代打は起用できなかったのか。
  • 先発山田から次の岡本への交代時期は丁度よかったと思う。その次の吉田修司もよかった。勤続疲労は感じなかった。
  • 吉田の次に起用されたのが長冨。昨シーズンのように右のワンポイントかな、と思ったら3人にも投げさせた。
  • 8回にライトから好バックホームでFDHの勝ち越しの芽を摘み、気分良く打席に入っているFsの中村豊に痛烈な一打を食らってしまった。中村をナメていたのか。長冨を上回る右投手がいなかったのか。
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2001/8/5 東京ドーム パシフィック・リーグ公式戦

日本ハム・ファイターズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 今回はきちんと入場券売場でチケットを買い、入場。
  • 昨日とほぼ同じような、3塁寄りのネット裏から観戦。
  • きちんと買ったから、きちんとFDHが勝つだろうと思ったら、
    先発若田部がだるい投球でボコボコにやられて敗戦。
  • 入場し席に着いたときは、FDHの控えメンバーの打撃練習中であったが、バッティングケージの後ろでは土曜日精彩を欠いていた鳥越が王監督から熱心な打撃指導を受けていた。
    王監督の身振りから、鳥越がリストを効かせ過ぎてこねるようなバッティングになっていることを注意しているようであった。
    それはバッティング練習終了ギリギリ、バッティングケージ(ファウルが打席横や後ろに飛んでいかないようにするネット)が片付けられるところまで続いていた。
    スタンドから見ていて「ほお、なるほど。」と、入場時配られていたうちわを振ってみた。
    指導風景が見られたのは本日の収穫。
  • 結局先発ショートは鳥越ではなく野々垣であった。鳥越の出番は結局無し。
  • FDH先発は前述のように若田部であったが、あまり良くなかった。ランナーを背負っては長打を食らうパターンで、同一イニングに2ランホームランを二度食らった。いずれも単打と本塁打の組み合わせである。本塁打は實松(サネマツ)と小笠原である。その間、ベンチから尾花コーチが出てくる、ということはなかった。半分さらし者にするつもりでもあったのか、と思った。
  • その後しばらくは何とか抑えていたものの、オバンドーにソロホームラン、實松にまたもや2ランホームランを打たれ、これだけやられてやっと交代した。
  • Fsの安打数が今回ははるかに多かったものの得点はホームランによるものだけであった。しかし、肝心なところで大きいのを打たれるのはよくない。
  • Fsが何を思ったのか中村隼を起用し、FDHが無死満塁となりこの上ない大チャンスとなったが、その後に出てきた厚沢からヒットを打ち1点を返したがそれ以上は攻めきれなかった。折角Fsがサービスしてくれたのにもったいない。
    ちなみに中村隼はドームが苦手だそうだ。
  • 若田部の後を受けた篠原も引っ張りすぎたかもしれない。
  • 両日とも、投手を大事に投げさせすぎたのが裏目に出たようである。
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2001/8/11 大阪ドーム パシフィック・リーグ公式戦

大阪近鉄バファローズ
vs

西武ライオンズ
  • 大阪ドームでBuの試合を観るのは初めて。(前回は阪神vs広島)
  • 梅田から地下鉄御堂筋線、心斎橋で長堀鶴見緑地線の大正行きに乗り換え、大阪ドーム前千代崎という長い名前の駅で下車。(前回は地下鉄がそこまで延伸されていなかったのでJR大阪環状線大正駅から歩いた)
    大阪ドームがあることを前提に駅を作ってあるから、人の流れは順調で、これなら、K−1もPRIDEも大丈夫と思った。
  • 夏休みであること、Buが首位争いをしていること、相手がライオンズであることから、内外野とも既にかなり埋まっていた。
  • 三塁側内野自由席で観戦。中村を背中から見るような感じになる。
  • 試合前のイベントとして「トミー・ラソーダ ベースボールクリニック」と銘打って、少年野球の選手たちにBuの梨田監督、中尾・真喜志・正田コーチ、そして背番号2のドジャーズユニフォームを着たトミー・ラソーダ球団アドバイザーが20分ほどコーチしていた。ラソーダ氏本人を見るのは初めて。
  • 先発はBuがパウエル、西武が三井。両名とも初めて見る。
  • 試合開始後いきなりカブレラのセンターへの大ホームラン。マクレーンにも打たれ、パウエルもきついかな、と思った。ライオンズ云うところの”ツインバズーカ”の威力を見せつけられる。
  • その裏、ローズと中村のホームランが出て、両チーム主砲の競演。打ち合いの様相。三井は早々とKO。二番手後藤の方が「こちらを先発にした方がよかったのでは?」と思わせるほど良かった。
  • 打ち合いとなったため、両軍投手を何人も見ることができた。愛敬(あいきょう)と、カブレラにトドメの一発を食らった岡本以外、湯舟(元T)、三澤(元G)、関口(元YB)とまさにオールスター。
    ちなみに岡本は学校の後輩に当たるのだそうな。
    ナマ三澤は初めて見た。故障があったらしいが、もう十二分に戦力である。讀賣でも田畑が戦力のようだし、このトレードは良かった。
    阪神が関口に完投でやられた試合を観たことがある。関口との交換要員は阪神にいた元西武の杉山であった。
    交代の都度登場する小林繁コーチの全然変わらないスリムな体型に感心した。
  • 色々な投手が出てきたおかげで試合時間も長くなり、同日19時試合開始のセレッソ大阪vsサンフレッチェ広島を観戦予定だった人は途中で退出、長居競技場へ向かった。
  • 試合はショートのギルバートのエラーで流れが西武に行った。ボールを握りなおしてかえってコントロールが悪くなったようだった。
  • 北川がDHで出場していたが一発を見て、改めてBuに来て良かったと思った。阪神では矢野、山田、そしてカツノリの存在によって出番が無さ過ぎ、中途半端に扱われた関川(現、ドラゴンズ)の二の舞は目に見えていた。神宮球場で当時の一枝コーチと三塁守備を練習していたのを見たことがある。
  • 遊撃ギルバートの一塁への悪送球で出塁した選手が生還し、ライオンズが逆転。
  • 川口が代打で出てくるなり一発で振り出しに戻した。控え選手にも打てる選手が揃っているようである。しかし、カブレラにやられた。
  • レフトスタンドの西武の応援は、松井に清原〜垣内用を使うなどイマイチな感じであったが、中盤、俄然西武ドームのような間合いとテンポに変わった。おそらく所沢から乗り込んできた連中が合流したのだろう。そのあたりからライオンズも調子が出てきてしまった。
  • Buの応援は、藤井寺時代からは変化して、大阪ドームスタイルができあがっているように見えたが、ガラの悪さは残っていた。
  • ライオンズ内野陣がマウンドに集まると、ライトスタンドからは「ハ・ヨ・ヤ・レ」(早くやれ)コールが起こる。これは久々に聞いた。
    Buの大チャンスでワッショイワッショイな状態になると、かつて大石大二郎の登場時にやっていた「だーいちゃーん」のノリで「イテマエー」(やっつけちまえー)コールである。「イテマエ」は「ハヨヤレ」のノリのものは聞いたことがあったが、このスタイルは初めて聞いた。
  • Buのチャンスになると調子のいいテーマが何種類か聞こえてきた。ライトスタンドではサッカーのゴール裏のように長めのタオルを持って踊っている。そのうちの一つでは「イッタレキンテツ ヤッタレキンテツ」が聞き取れた。後日調べると「チャンステーマV」とのことで、各サイトのMIDIやWAVEで改めて聴き直すと耳についてしまった。
  • 「チャンステーマV」
    • こちらに色々書かれています。(チャンス関係は後半)→★1
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2001/8/25 横浜国際総合競技場 2001 Jリーグ ディビジョン1
2ndステージ 第3節

横浜F・マリノス
vs

コンサドーレ札幌
  • 北海道出身の方と観戦。(というわけで、この項は赤系の背景色にしました)
  • JR小机駅から競技場に向かう。改札口付近では自由席券を売っていたが、今回は競技場に着いてから買うことにした。
  • 競技場周辺では小机駅方向に向かうスロープか道路の整備工事が行われていた。小机駅はメインスタンドに近いが、ぐるっと回ってバックスタンド側から入場することにした。JR新横浜駅の方向なので、整備が先に進んだようで、レストランとグッズショップの建物や、大階段下には広場があり、新型スカイラインが展示されていた。
  • そのグッズショップは横浜国際競技場来場記念グッズ、2002年に行われるFIFAワールドカップ関連グッズ、そして横浜F・マリノスグッズが売られていたが、コンサドーレやアウェーとして横浜にやって来るサッカーチーム関係のグッズは全く売っていなかった。
  • バックスタンドSB指定席で観戦。もちろんアウェー側である。競技場に入ると既にコンサドーレサポーターが目立った。北海道出身の人によると「道民だらけ」とのこと。
  • 場内のコンサドーレ・グッズ売場に行くと、F・マリノス関連グッズに比べて全然種類も数量も少なく、「これは現品限りです。」のような状態であった。試合開始まで1時間以上あるのにこの状況はまずい。「アウェーだから。」と言ってしまえばそれまでだが、もう少し品揃えだけでも充実してほしかった。
  • 自由席には既に赤いユニフォームで身を固めたサポーターがかなり陣取っていた。以前観戦したF・マリノスvsガンバのときのアウェー側自由席より人数もまとまりも良さそうに見えた。
  • ホーム側自由席は1階が満席になった。
  • コンサドーレは後半土壇場に追いついたがVゴール負け。Vゴール負けを見たのは二度目。北海道出身の人は接戦だったし、延長戦まで見られて結果は負けであったが満足していた。
  • コンサドーレで目立ったのはウイル、ビジュの外国人、MF山瀬、「ヨーヘー」コールが相次いだGKの佐藤。
  • F・マリノスで目立ったのは初ゴールと2点目を挙げたブリットやドゥトラ、ナザの外国人勢で、川口も慌てた場面はあったが動きは良く、城も動きは良かったが全般に外国人ばかりが目立った。ちなみに城へのコールは「ジョーショージ」とフルネーム。
  • F・マリノスの中村俊輔の復帰戦でもあったそうだが、運動量はそれなりにあったが試合勘が取り戻せていないのか、ボールのコントロールがあまり良くないように見えた。
    しかし、コンサドーレ側のマークは好調時同様に厳しかった。「潰すつもりで当たれ」と指令が出ていたのか。
  • 帰りは新横浜から、にしたが、スロープや歩道が整備され、駅までそれほど遠く感じなかった。
  • JR新横浜駅に着くと、横浜アリーナでコンサートがあったそうで、既に混雑していた。横浜線の電車は横浜スタジアムで行われていた横浜ベイスターズvsヤクルトスワローズの観戦を終えた人で既に混んでいた。
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2001/9/2 東京ドーム パシフィック・リーグ公式戦

日本ハム・ファイターズ
vs

大阪近鉄バファローズ
  • 1時間ほど前に東京ドームに着いたが、内野側の入場券売場には相変わらず行列で、今回は外野席で観てみようか、と思い、外野側25番ゲート横の売り場に行ってみた。
  • 外野側も行列はあったが内野側ほどではなく、すぐ回ってきた。しかし、ドームに入ってみるとBuファンの陣取るレフト側がほぼ満席で、バックスクリーン近くに空きを見つけて「ここ、空いていますか?」と訊いてなんとか座ることができた。
    グループ観戦の場合、外野席だったならば1時間前の入場では座る場所が無かっただろう。
    内野自由席は2階席(上層スタンド)全部なので余裕で座れるだろうが、入場券売場の行列を考えると、1時間前は辛い。
    それもこれも片方のチームが優勝争いしているからこそ、なのだろう。
    私は一応「ここ、空いていますか?」と訊いてから座ったが、隙間を見つけてニュルっと入り込んでくる感じで座る人はいただけない。たとえ誰も座っている気配が無くとも、両隣の人間に「ここ、空いていますか?」という一言くらいは発せないものなのか。
    挨拶をはじめ簡単な日本語ほど話せなくなった日本人、先日の「見えないじゃないか」と自分の思い通りにならなければ誰でもお構いなしに食ってかかるような話し方しかできない日本人が出現している。一部の人間ではあるが「ゴキブリを一匹見つけたら百匹はいる」という論理が適用できるならば、日本は確実に変なことになっている。
    東京ドームに向かう途中の電車の車内でも小学生らしい兄妹の兄の方が妹の頭を周りにゴツゴツと聞こえるくらいゲンコツで何発もたたいていたり、吊革で懸垂したりしていたが、彼らのそばにいて妹の手を握っている母親らしい女性は何も言わない。兄の方が「手がはれた」と訴えて初めてその女性は「何してたの」と言い、兄の方が「懸垂」と答えて女性が眉をひそめて「バカなことを」といった会話には呆れた。電車の吊革で懸垂などもってのほかであるが、それがわからない大人には困ったものである。身内の所業に見て見ぬ振りとは見事である。電車も走っていない田舎から東京に出てきて電車に乗って喜んでいるわけではないし、その女性も電車に乗ったらどうするべきか、若い頃からなんとなくでもわかっていたはずである。こんな母親に育てられた人間を十数年後社会は引き受けなければならないのだ。嘆かわしい。
  • 席について上の方を見上げると日産スカイラインの大看板があるが、よく見ると何かがこすったような跡があり、「あれが清原の打球が当たったところか」と感心した。
    スカイラインの看板が撤去されるまでの間、レフトスタンドに座る方は必見。
  • さて、Buの先発は最近話題の岩隈(いわくま)で、立ち上がりはまずまずであったが、対策が練られていたようでKOされた。その後の三澤がギルバートのエラーと小笠原の一発で逆転されるも、”いてまえ打線”のおかげでBuが逆転し6勝目。ギルバートがエラーすると試合がもつれる。
  • それにしても、Buは強い。Fsの10安打で9点に対してBuが15安打で10点。Buの投手陣は10安打も打たれているが、打ち合いになったら負けない、という感じ。某スポーツ番組のキャスターが、1985年の阪神みたいに打線が投手力をカバーしている、と言っていたが、そう言えばBuの打撃コーチは1985年当時、阪神の1番バッターを務めた真弓であった。
  • 「いったれ近鉄やったれ近鉄」を聞くことができた。他のチャンステーマではタオルを広げたりしてクルクル回っていた。後ろを向いたときにカツンといい当たりのヒットやホームランが出たらどうするのか、と人ごとながら心配になった。『暴れん坊将軍』のテーマ曲を利用したチャンステーマでは扇子が登場した。
    そんなチャンステーマが始まると、Fs外野手を始め選手達が「何を始めるんだ?」という感じになったようで、Buがますますチャンスになった。
  • 5回を終わってグラウンド整備の時に東京ドーム名物の『YMCA』が流れるが、レフトスタンドにはBuバージョンの振り付けがあるようだ。
  • 中盤に明日の予告先発が発表されるが、ファイターズvsブルーウエーブの先発投手だけであったので、「ク・デソン(BW)はどうでもええねん。近鉄は誰やねん。」という声が聞こえた。
  • 打ち合いとなったため試合時間も長引いていたが、終盤には「6時までには終わってくれー。新幹線が無くなるー」という声も聞こえた。先日大阪ドームで見かけた大きな旗があったので、大阪から大挙乗り込んでいるようであった。
  • 試合終了後、レフト側から「がんばれ がんばれ ファイターズ」とエールが送られると、ライト側からも「がんばれ がんばれ バファローズ」というエールが送られていた。東京ドームでの今季最終戦だったのだ。
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2001/9/9 西武ドーム パシフィック・リーグ公式戦

西武ライオンズ
vs

オリックス・ブルーウエーブ
  • 関西のBWファンの友人と三塁側内野B指定席で観戦。
    西武球場前駅で待ち合わせ。彼は西武新宿駅から乗ったが「二回も乗り換えさせるとは・・・」と若干くたびれていた。
  • 台風が近づき、雨が降ったり止んだりしていたが、屋根のおかげでゆったり観られた。時折、屋根を叩く雨音で「雨足が強くなったのだな」と雨でかすむ外の景色を見たりした。
  • BW先発、金田の90km台のカーブ、110km台のチェンジアップ、130km台のストレートにL打線は全くタイミングが合わなかった。投球フォームも大きくしたり小さくしたり、打者を手玉に取った。
    中盤、一塁側ベンチ前で円陣を組み、策を授けたようだったが、どの球種でもストライクが取られるから、ねらいが絞れずじまいだったようだ。
    マクレーンに一発打たれたが、カブレラは全然合わなかった。
  • BWファンの方によると、前日もク・デソンの投球にタイミングが合わなかったそうだ。緩急を使ってタイミングを合わせにくい投手は苦手なのだろうか。
  • L先発のシュウ・ミンチェは直球、変化球とも140kmでテンポも良かったが、打線の援護がなかった。
  • BWレフト先発は田口ではなく五十嵐。内外野どこでも守るし、試合展開によっては捕手、そして投手までも務める実は凄い選手。田口は途中出場だったが不調だったのだろうか。
  • 一塁で好プレーを見せた佐竹、ショートの塩崎が目立った。
    塩崎は同じ遊撃手としては大柄なFDH鳥越とは対照的な体格の選手である。塩崎のバッティングフォームは現メッツの新庄のように後ろに重心を置き、バットはかつ阪神にいた北村のように寝かせて構える。思いっきり飛んできた球をひっぱたくような打ち方になるが、非力だと思ったのかライオンズ外野陣がかなり前に出ていた。そこを打球が越えていって慌てて追いかけるシーンはおかしかった。
  • 入場時に配られたラッキーカードが生まれて初めて当たる。商品はスナック菓子。先着X名にもれなく、というものはもらったことはあった。
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2001/9/16 西武ドーム パシフィック・リーグ公式戦

西武ライオンズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 西武の電車には「タカはドームで撃つ」という中吊り広告があった。球場の選手ロッカーにも掲示され、士気を鼓舞したそうである。
  • 今回は三塁側内野指定席で観戦。席に着いたときはビジター控え選手の打撃練習中。内之倉、林ら。
  • FDH先発の田之上が前回見たときとは全く違っていた。前回はカブレラを警戒しすぎて他のバッターへの投球まで影響してしまい、どうしようもなかったが、今回は攻めていた。
    中盤までマクレーンの一発だけに抑えていた。高木浩にだけは投げにくそうにしていて2安打された。
    終盤、小関や松井に打たれたが得点にはつながらなかった。
  • ビッグイニングになるチャンスが何度かあったが、ことごとく鳥越で終わってしまった。一気にたたみかけるなら、1割8分前後をウロウロしている打者よりも打撃練習でいい当たりを連発していた林を起用してもよかったのではないか。相手も「鳥越で終われる。」と思っていたに違いない。
  • 左腕水尾を大道まで引っ張ったのは東尾の大サービス。まして、ブルペンにはしばらく誰も現れず、「今日は捨てたな」と思われた。
  • 前後するが、先発西崎が3回だけで、周辺からは「今日が最後の登板なのかな」という声が聞こえたが、後の報道によると筋肉痛ということだった。讀賣の槙原が今月末に最後の登板だとか、今季限りの選手が取り沙汰される時期だけに、そう思われても仕方がない。
    次に石井貴が出てきて、「ここからが本気か」と思っていたら、あれよあれよで塁が埋まって大チャンス。Lは本気どころか捨て試合を作ってしまった。
  • BuのチャンステーマのようにFDHでもチャンステーマを作ったようで、試合開始前に鳴らすファンファーレに続いて『線路は続くよどこまでも』風の汎用テーマのあと、いつもと違うフレーズが付いていた。
    「かっせアキヤマ かっせアキヤマ いざゆけ(チャチャチャ)アッキヤマッ!」みたいに聞こえた。
    ちなみに以前ワッショイワッショイな時には藤本(博)用(遡ればデビッド用)を使っていた。もっと遡れば、大阪球場では「おたまじゃくしは蛙の子〜」のメロディーを使っていた。線路にしろおたまじゃくしにしろ、当時の南海のカラー(当時は電車も緑色)をよく表していたと思う。
  • 試合後、レフトスタンドの後ろを通りかかると大変盛り上がっており、今回は最後まで見ていた。踊る人は増えていた。南海ホークスの帽子をかぶったり、小旗を振ったりしている人も数人見受けられた。
    最近はテーマに合わせて歌うよりもかけ声の方が多いようである。例えば、柴原のところでは「一発ぶちかませー」とか「いけいけシバハラ」とかやっていた。
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2001/9/29 東京ドーム パシフィック・リーグ公式戦

日本ハム・ファイターズ
vs

福岡ダイエー・ホークス
  • 今季のプロ野球は見納め。
  • さる9/26に大阪近鉄バファローズが2001年のパシフィック・リーグ優勝を決めたので、もはや消化試合となってしまったため、観客の出足は悪かった。言い換えれば数年前、両チームとも優勝争いとは関係なかった頃のようなのんびりした感じだった。東京ドーム内も営業している売店が少なかった。
  • 今回も内野自由席で観戦。外野席で盛り上がることも考えたが、踊るのは苦手なのでやはり内野。
  • 先発のFs岩本は初めて見る。「Fsが勝ったら『まいど!』が聞けるな」とFDHファンとしては不謹慎なことを思ってしまった。FDH先発の星野も同じくらいよかった。
  • FDH星野は6回あたりから球が高めで、いつ打ち込まれるか心配していた。
  • 8回、井出の打球が星野の”弁慶の泣き所”を直撃し、はねかえったボールは三塁前に転がり小久保が一塁走者石本(田中(幸)の代走)をアウトにするべく、突っ込んでランニングスローのような形で二塁に投げ、ショートの林がキャッチしながら足でベースにタッチした。石本の二塁への到達と林がほとんど同時になった。スタンドからは小久保のフィルダースチョイスかなとも思えたが林の足の方が早かったようで、石本がアウトと判定された。するとすかさずベンチから大島監督やコーチが飛び出し二塁の山崎塁審に抗議した。一方、マウンドと一塁の間では星野が痛みに耐えかねて倒れてしまい選手や監督コーチが取り囲む。フィールドには二つの人の輪ができた。
  • 結局大島監督は審判に暴言を発したとのことで退場が宣告され、古屋コーチが代理を務めることとなった。星野は応急手当でも続投が不可能と判断され、倉野に交代した。Fs側としては東京ドーム最終戦が後味悪いものとなってしまった。
  • 倉野の後は吉田(修)、ペドラザとつないだ。
  • 星野よりFs岩本の方が安定しているように見えたが、終盤、打順が柴原に回るところで高橋(憲)に交代し、井場とつないだ。初回のいい当たりの打球が印象深かったのだろうか。FDH側も秋山を代打に送り出した。
  • チャンステーマは大道のところで使われたが、凡退に終わった。今日のブレーキになってしまった。
  • 試合終了後、本拠地最終戦のセレモニーが行われたが、大島監督は退場していたため挨拶はなく、選手とコーチが一塁側スタンド前に整列して礼をしただけで何とも地味なものだった。
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2001/10/7 筑波サーキット I&F MEETING
  • 初めて筑波サーキットに行く。
    筑波サーキットのHP→
  • 前日(10/6)、土浦で行われた全国花火競技大会を見物し、「さあ、今日はどこ行こうか。」とプラッと出かけた。
  • 全国花火競技大会は、全国から50社を超える花火業者が集まって、技術を競うもので2万発くらい上げるそうである。一社の持ち時間が限られているようなので、持てる技術を一気にぶつけるという感じで、短時間にインターバルもほとんど無く立て続けに打ち上げるから、本当に大迫力である。
  • さて、筑波サーキットで何が行われているかチェックもしなかったので、何もやっていなかったらそのまま引き返すつもりであった。
  • サーキットといえばF−1や8耐で有名な鈴鹿サーキットを連想したが、関東平野の広々とした田んぼや畑の真ん中で、「ここが、そうなのか。」とビックリした。鈴鹿も田んぼや畑の中ではあるが、遊園地を始め色々な施設があるので、雰囲気も違う。
  • 近づくと爆音が聞こえ、メインゲートに立て看板があり、係員が入場料と駐車場への案内をしていた。
  • 駐車場には国産車よりもルノー・プジョー・シトロエン・アルファロメオ・ランチア・フィアットがたくさん見られた。イタリア車とフランス車のイベントであることが、否が応でも伝わってきた。
    (と言うわけで、この項は代表的なアルファロメオの赤でも良かったのですが、プジョーの「ブルーライオン」にちなんで青系にしてみました。)
    やはり、と言うか、いわゆるミニバンは皆無であった。山登りができるようなヘビーデューティーな1BOX車はあったが、「コドモツレテドコイコウ」とか「トーチャンカッコイイ!」というような台詞のCMに出てくるようなクルマが無いのだ。これは象徴的である。
  • 奥の駐車場に一番近いスタンドに上がると、そこは最終コーナーのスタンドでプジョーのクルマが走り回っていた。コーナーなので滑りながら曲がってくるのがよくわかった。サーキット専用のクルマやランプ類をテープで固定しただけのようなナンバープレートを付けた普通のようなクルマなど、色々あった。(よく見ると転倒しても乗員を保護するロールバーが組み込んである)
  • レースが終わったようなので、メインスタンドに移ると、今度はルノーのクルマを使ったレースで、12周のタイムアタックであった。エンジンがミッドシップのルノー・クリオ(日本名ルーテシア)を初めて見た。
    (→
    音も迫力も凄い。まさにモンスターマシン。スターティング・グリッドにブォンブォンと吹かしながら徐行して入ってくるのはどうやるのかな、と思った。
  • Tipoという雑誌の関係の走行会をやっていたが、普通に行動を走るクルマばかりなので、それまでの爆音とは全然違って静かであった。
  • 走行会の次が、イタリア車とフランス車が一緒に走る60分耐久レースであった。ルノーのモンスターマシンやフィアットのコンパクトカーなど色々なクルマが入り交じって走った。ドライバーの交代などでピットに入ることになっているが、60分も高速で走り続けるとやはり変調を来すクルマが数台あった。それにしても60分などあっという間で退屈しなかった。TVでのレース観戦だと途中でチャンネルを変えたりしてしまうが、規模はともあれやはり現場だと思った。
  • 終始のんびりした感じであったが、思いがけなく面白いものを見ることができて満足した。
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2001/10/20
横浜国際総合競技場
2001 Jリーグ ディビジョン1
2ndステージ 第10節

横浜F・マリノス
vs

セレッソ大阪
  • F・マリノスにとっては、イングランド・ポーツマスのサッカークラブへの移籍が決まった川口能活(よしかつ)選手のJリーグ最終試合。
    セレッソにとっては、J1残留を賭けて一つも負けられない大事な試合。そして、ケガで欠場していたモリシこと森島選手の復帰試合。
  • 試合開始20分前に競技場に着く。入場券は自由席券をJR小机駅で購入した。
    川口の見納めとあって、観客の出足は良かったようで、ホーム側ゴール裏の一階席はほぼ一杯になっていた。
  • アウェー側のゴール裏のセレッソ・サポーターは、コンサドーレ・サポーターより少なかった。コンサドーレ・サポーターはバックスタンド寄りに陣取っていたが、セレッソ・サポーターはメインスタンド寄りに陣取っていた。
  • しかし、バックスタンド寄りにも数人のグループが一ついたが、脈絡なく太鼓を叩いていたのがちょっとうるさかった。間合い、リズム感が良くないのだ。自分の”間”だけで試合の流れや”間”とマッチしていなかった。リズム隊はそれが大事。ただ一つ、良かったのは後半川口が守備につくとき「ヨシカツ」コールで川口をニコッとさせたところくらいである。
  • セレッソは森島復帰効果なのか、動きが良く、パスミスでチグハグながらも押し気味で、川口のキックやキャッチングのシーンが目立ったように見えた。そのようなシーンの都度、カメラのストロボがたくさん光り、2〜3割は川口目当てではないか、と思われた。
  • 「かなりカメラを持った観客にはサービスできているな。」とも思ったが、「あとはセレッソにゴールを決められて悔しそうにする姿もあれば一通り揃うのだが・・・」と思っていたら、後半に森島がゴールを決めた。やはりよく動く。田坂もかなりよく動いていた。
    その後間もなく、ゴール前の混戦でF・マリノスがなんとオウンゴールでセレッソにとってはラッキーな展開となった。
  • 2点もリードすればなんとかなる、と思っていたら、ピッチ上も安心したのか攻めが甘くなったところを左から押され始め、「いかん、押されてる。」「このままではやられる。」と見ている間にあっさり1点を返された。
  • その後間もなく、2点目を取られて延長に突入した。時間内勝たなければ勝ち点も確保できないのにもったいない。
    2点ともブリットが得点したが、前回、対コンサドーレ戦を観に来たときもブリットが活躍していた。F・マリノスでは左のドゥトラも良く、この二人にボールが回れば何とかなるようである。
  • 延長戦に入ると、今まで「Vゴール負け」ばかり見てきているので、下位に低迷していることもあり、「これはキツイかな。」と思っていたら、前半はなんとかしのぎ、後半、あっけなく真中がゴール。
  • Vゴール勝ちは初めて見たが、やられた方は何とも言えぬ悔しさが、やった方は「大当たり」といった感じで愉快この上ない。ただ、時間内に勝てなかったので勝ち点は少なくなるが勝ったことには変わりがないので良かった。
  • 試合後、スタンドの人々に動く気配がないのでしばらく様子を見ていると、川口選手の移籍セレモニーが始まった。一選手の移籍でこのようなイベントまでやってくれるとは、幸せ者である。
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2001/11/24
(1)
東京スタジアム 2001 Jリーグ ディビジョン1
2ndステージ 第15節

東京ヴェルディ1969
vs

FC東京
  • 14時試合開始なので、13時30分頃に最寄りの飛田給駅に着くと凄い人出で驚いた。当日はJリーグの試合だけでなく、少し先の府中の東京競馬場では競馬が開催され、高尾山方面に紅葉狩りやハイキング人々で、京王線の電車も凄い混雑であった。飛田給は調布からすぐなので助かった。
  • 東京スタジアムに着くと、既に空席が少なく、「1969シート」と名付けられたバックスタンドのエリア指定も空席が残りわずかという状況であった。
  • 一階席をあきらめ、二階席に上がり、何とか座ることができた。しかし、両サイドはFC東京の熱心なファンで、どうなることやら、と思った。
  • 二階席なので、グラウンドも一階席も見下ろすような感じになるが、これほど大観衆が集まるとは思わなかった。
  • キックオフ後しばらくすると、FC東京サポーターが陣取るゴール裏自由席から、「ヴェルディ川崎」コールが起こる。
  • それからしばらくすると、今度は「アビスパ先制」というコールが起こる。この日は、ヴェルディはアビスパ福岡、横浜F・マリノスとともにJ1残留をかけた試合だったのだ。スタンドは今日は厳しいぞ、という雰囲気がよぎったが、間もなく「ウソだよ」コールで「なぁんだ」という感じになったが、こういうコールはあまりいいものではない。
  • 野次でもコールでもクスッと笑えるものがいい。上記のようなオチョクルようなコールをした仕打ちは結果として現れることになる。
  • 試合はどちらが降格危機に瀕しているチームなのかわからない試合展開で、ほとんどヴェルディが優勢であった。
  • ヴェルディはJ1残留のため、エジムンドを獲得したのがやはり大きい。本当にいい場所にいる。センスも違う。
  • FC東京はプレッシャーらしいプレッシャーもかけられず、運良く相手陣に攻め込めてもすぐDFに押し返された。二階席から見ていると、DFラインがジリジリと押し返しているのがよくわかった。
  • こうして見ていると、ディフェンスはそれなりに機能できていたが、エジムンドの加入によって、オフェンスにバリエーションが作れた、ということなのだろう。
  • 得点は前半にヴェルディが先制したがそれっきりで、FC東京も何とか守った。ペナルティ・エリア内の混戦が多かったので、キーパーの土肥の名前が頭に残った。
  • 後半、FC東京のボールがヴェルディのゴールを襲い、乱戦の中ネットを揺らしたかに見えたが、キーパーチャージで得点にならなかった。
  • ホームがヴェルディなので、どうもジャッジもヴェルディ有利に見え、審判もホーム、アウェイで判定のレベルに差を付けるものなのか、と思った。
  • 試合終了後は残留が確定したことで、優勝を決めたかのような騒ぎであった。
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2001/11/24
(2)
後楽園ホール
全日本プロレス
〜2001世界最強タッグ決定リーグ戦〜
  1. 平井伸和vs本間朋晃
  2. 土方隆司、荒谷信孝vs保坂秀樹、田中将斗
  3. 【リーグ戦】ジョニー・スミス、安生洋二vsバンピーロ、ジョージ・ハインズ
  4. 【リーグ戦】冬木弘道、天龍源一郎vsドン・ハリス、ロン・ハリス
  5. 【リーグ戦】長井満也、川田利明vs北原光騎、嵐
  6. 【リーグ戦】太陽ケア、武藤敬司vsマイク・ロトンド、スティーブ・ウイリアムス
  • 久々のダブルヘッダーを敢行。飛田給から水道橋へ直行する。
  • グッズ売場でスタン・ハンセン氏と握手できた。ハンセン氏は傍らに座らせた子供と話していた。ハンセン氏の手は足の裏のようにゴツかった。それにしてもプロレスラーは小さな子供が好きのようだ。
  • 第1試合、本間選手は全日本には初参戦ということで、どこまでできるか、という感じであった。平井選手に敗れたものの、なかなかポテンシャルはありそうであった。
  • 第2試合、一番小柄な土方選手が狙われるだろう、と思っていたが、一番動いた。パートナーの荒谷も以前見たときよりも動きはよかったが、タッグチームとしての動きはあまりよくなかった。荒谷を叱咤するような野次が多かった。保坂・田中組は多彩な技で、経験の多さが感じられた。
  • 第2試合後に休憩、第3試合前に『世界最強タッグ決定リーグ戦』の開幕式が行われた。
    リングには優勝トロフィーが置かれ、全タッグチームの選手が入場し、全選手が揃った後、スタン・ハンセンPWF会長がリングに上がった。リング上では、挨拶代わりの「ウィー」(テキサス・ロングホーン)をやってくれた。ハンセン氏が開幕宣言を読み上げ、いよいよシリーズが始まる。
    リングから降りる前には、武藤を始め何人かの選手と握手を交わしていた。
  • 第3試合、安生洋二をナマで見るのは初めてである。入場テーマ曲がPRIDEでの活躍で有名な桜庭和志が使っているものと同じだったため、テーマ曲に合わせて「サックラバ、サックラバ」と小声ながらコールしているのが聞こえた。
    しかし、このテーマ曲は今回のリーグ戦のタッグ・パートナーであるジョニー・スミスがかつて使用していたもので、ジョニー・スミスが入場テーマ曲を切り替えた後、安生や桜庭が使っているとのことであった。全日本プロレスよりPRIDEの方がTVでもインパクトが強かったため、桜庭専用のようなイメージが定着したようである。
    ジョニー・スミスの巧さ、引き出しの多さは今まで何度も感心してきたので、今回はやはり”200%男”、安生に注目した。安生はコミカルな動きも、観客をうならせるような渋い動きも、色々な動きができてジョニー・スミスに引けを取らないテクニシャンぶりに感心した。ところが、バンピーロの攻撃によって急に動きが鈍り、負けを喫してしまった。バンピーロはどうかな、と思ったが、なかなか巧かった。ペイントした顔はマイケル・ジャクソンの最近の顔のように見えた。
  • 第4試合、冬木を見るのは昨年、NOAHの有明コロシアム大会以来である。当時は黒いショートタイツであったが、今回はいつもの黄色いショートタイツ。奇声を上げながらの技や、地団駄ラリアットも久しぶりに見る。奇声には相手のハリス兄弟も初めは驚いているように見えた。長髪は意外とサラサラのようである。
    ハリス兄弟は大型レスラーだが、マイク・バートンらが新日本のG1タッグリーグ戦に出場するため、それによって外国人選手の層が薄くなるのを防ぐための招聘と思われるが、やはり大型選手がいると盛り上がる。
    終盤、天龍と冬木が各コーナーから対角線でロンかドンかどちらかのハリス選手に、サンドイッチ・ラリアット攻撃をしようとしたところ、身をかわされ同士討ちとなった。すると、冬木が天龍にラリアット、天龍が冬木に逆水平を打ち合い、冬木が倒れたところをハリス兄弟がフォールし、天龍・冬木組の敗戦。天龍は冬木がフォールされる時には既にリングを降り花道を戻っていた。冬木は怒って天龍を追いかけていったので、今後のタッグリーグ戦はどうなるのか、気になるところであった。ところが後日、チーム崩壊もなくシリーズ参戦を続けているそうである。
  • 第5試合、両チーム選手が入場早々、嵐・北原組が川田・長井組に突っかかり、川田はTシャツを脱ぐ間もなく乱戦が始まる。長井は場外で北原のパワーボムで腰を強打し、痛めてしまった。嵐・北原組としては、とにかく川田・長井組の動きを止めたかったようである。
    長井は腰を痛めてしまったため、体のキレが全く無くなり、ウリとしていた蹴りもほとんど効果を発揮しない。張り手を何発も繰り出しても、嵐の一発の張り手でダウンしてしまう。途中、川田に檄を飛ばされ、フラフラになっても立ち向かう姿には一生懸命さは感じられたが、タッグ・チームとしてなかなか難しいと思ってしまった。終盤、長井のハイキックが嵐にヒットし、打ち所が悪くダウンしたところを川田に厳しく促されてフォール勝ちを取ったが、長井には厳しい試練のシリーズになりそうである。
  • 第6試合、武藤へのブーイングが目立った。ほとんど太陽ケアが前面に出て、太陽ケアのピンチに武藤が助けに入ったりするとブーイングが起こる。武藤が何かやるとブーイングが起こるという状況で、武藤も頭に来たのか、厳しい野次を飛ばす二階の立ち見席に向かってツバを吐いてみたりしていた。それほど嫌悪感を持つものではないと思ったが、現六冠王者に対するウイリアムス・ロトンド組への判官贔屓がそうさせたのか。シリーズ初日、途中にセレモニーもあったためなのか、武藤の動きにも今一つキレが無いように見えた。武藤の場外でのイス攻撃に驚く人がいたが、頭の丸めてからの武藤はイス攻撃も盛り込むようになっていて、今やドラ・スク〜4の字ほどのインパクトはないが”お約束”の一つである。
    ウイリアムス・ロトンド組は、ウイリアムスが止められていたのかも知れないが、ロトンドがよく動いた。武藤にドラゴンスクリューを敢行したときは盛り上がった。太陽ケアのシャイニング・ウイザードも受けるが、結果的に武藤のシャイニング・ウイザードでフォール負け。武藤がおいしいところだけ持っていったような感じになってしまったのも、ブーイングの原因だったかも知れない。
  • 全試合が終了すると、山下達郎の「クリスマス・イヴ」の英語版が流れる。最終日の優勝決定戦が行われる武道館でも聞いたことがあるが、初日から流れていたのだ。これで否が応でも「今年も押し迫った」と思わせられる。
  • 会場から階段へ向かう途中、大混雑の中、TV朝日の真鍋アナウンサーを見かけた。全日本主催試合は中継することが少ないが、新日本所属の武藤敬司選手が出場していたので、取材に来ていたのだろう。階段の手前で、「実況、頑張って下さい」と声をかけさせていただいた。「ありがとうございます」とにっこり応えていただいたが、肉声もなかなかいい声であった。
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