二つの月夜 −金の月− |
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なんと無礼な男だと思ったけれど、その一言で心の中の何かが音をたてた様な気がした。 「お待ち下さい。」 立ち上がり、きびすを返そうとしたその人を私は思わず呼び止めていた。何故なのだろう?私自身にも解らなかったけれど、ここでこの方と離れてしまってはいけない気がしたのは確かだった。 その為なのか、私の声はまるでその人にすがるように響いた。 「どうか、お待ち下さい。」 その方は振り返ると、ほんの少しだけ微笑んだ様に見えた。その表情は黒目が生き生きとして、私の目にとても眩しく映った。…そう、今まで見たこともないほど眩しい笑顔に。 その日の夜、私はなかなか寝付く事が出来ず、床の中で幾度となく寝返りをうっている。 一体どうしたと言うのだろう?あの方のお顔がどうしても頭から離れず、何だか胸が騒ぐようなきがする。…あの方にお逢いしたい。お逢いしたい…お逢い……? 私、どうかしてしまったのだわ。何の貢ぎ物も、誉め言葉もくれなかったあの方に、こんなに胸がときめくなんて…。 ……まさか、これって。いいえ…そんな!あんな何のお得感もない方に?でも、でも!! ―――やっぱりこれってアレなのかしら…そう、俗に言う…一目惚れ!? 季節は冬に近いと言うのに、ぽかぽかと暖かな陽光が射し込む自室で、私はただぼぅっと庭を眺めている。あの方はいつおこしになるのかしら…?ただ、それだけがひたすら待ち遠しい。 なんて不思議な気持ち。一人の人をここまで想ってしまうなんて。今までの私にはあり得なかった事だわ。でも、今はあの方が側にいて下さるだけで幸せだと想えるのだから。…けれど、刻々と近づいて来る別れの時に胸が押しつぶされてしまいそう。私には帰らなければならない場所がある。 ずっと、ここには居られない。例え私があの方を想っていたとしても、運命に抗うことは出来ないのだから。 ―――私は気づいていなかった。大切なのは地位でも、財産でもないと言うことに。 ただ、沢山の貢ぎ物をして、それなりに見目麗しく、権力がある殿方なら誰かならそれで良いのだと思っていた。 皆、私の外側だけの美しさを見て、内側に潜む醜い部分を指摘しようとしなかったし、私もそれが当然で、自分は誰よりも素晴らしくて、居るだけで価値のある娘なのだとおごっていた。 あの日以来、私のもとに訪れるようになったあの方は、ほんとうに大切なものを数え切れないほど教えてくださった。そしてほんとうに大切なこの気持ちを…だから、離れたくなどはない。 「嫌…帰りたくない。」 あの方の事を考えていると、胸が痛くて呼吸することさえも苦しく思えた。 「かぐや殿。」 「きゃっ。」 深々と物思いにふけり俯いていると、突然声をかけられて慌ててしまう。 「驚かせてしまったようで申し訳ない。」 「い、いいえ。そんな事はございませんわ。…それに、いつもの事ですから。」 どこからどう見ても動揺している私を見て、彼は嬉しそうに柔らかく微笑する。ああ、笑顔がまぶしい〜。 こう言っては何なんだけれど、この方はとても変わってらっしゃって、玄関におとないをたてずに、いつも庭からこっそりとこちらに回ってこられる。そして、それが楽しみであるかのように、私を驚かせるのだった。 草履を脱ぐと、その長い足で軽々と縁側にあがり、そのまま私の前に腰を下ろす。遠く微かに鳥の鳴き声が響いていた。 「いま、お茶をご用意させましょう。」 立ち上がろうとした私に、小さく首を振って、真っ直ぐに私を見た。 「今日は、かぐや殿に大切なお話があって参った。」 いつもとはまるで違う、何か思い詰めたような硬い表情でそう言うと、彼は押し黙ってしまった。 「あの…どうかなされましたか?」 「初めてそなたに逢った日から、まだほんの三月しか経っていないと言うのに、…変わられた。」 彼はそっと私の手に触れ、その大きくてたくましい手ですっぽりと私の手を包み込んだ。 「私と一緒に、都へ来て欲しい。」 「…都?」 きょとんとしている私に、彼はまるで幼子のような笑みを浮かべると、こう言った。 「かぐや殿。どうか、私と共に都へ来て頂きたい。そして私の…。」 「おっ、お待ち下さい。それ以上は仰らないで!私はあと二月で月に帰らなければならない身。それ以上のお言葉はあまりにも辛すぎます。」 私が遙か遠い月からこちらへ来て後、ほんの僅かしかこちらに居られないと言う事はすでにこの方にうち明けている。そして、この方の身分もすでに伺っていた。 それでも、私を側に置いて下さるなんて…私はその気持ちだけで十分。 「そうか…。」 深々とため息を吐くと、じっと包み込んだ私の手を眺めている。悲しげな表情に私は罪悪感にかられて、彼の顔を直視する事が出来なかった。しかし。 「おお。では、私が月に行こう。」 「は?」 突然の彼の言葉に私はあっけにとられ満足げに笑う彼をまじまじと見つめた。 「あの…何を仰って?」 「そなたが月に帰らなければならないのなら、私が月に共に行けば済むことではないか。」 「ないか…って。ないかって…あなたは帝なのですよ?民を放って月になど!」 「心配はいらぬ。私の代わりなら弟が努めてくれよう。」 ぽんぽん、と気楽そうに私の手を叩くと彼はまだ月の昇らない明るい空を高く、高く見上げた。 あ、あり得ないわ。今までの展開でこんな事! あまりにも奇怪な展開に、私はただ頭を抱えるのだった。…でも、ほんとうはすごく嬉しいのだけれど♪ 「ふぅむ。」 杯に注いだ酒を飲み干すと、彼は満足げに頷いた。 「月から見ると、あのように見えるのだなぁ。誠に、見事。」 「左様でございます。月が金色に輝いて見えるように、あの星も蒼く輝いておりますでしょう?」 私達は遙か遠くに輝く星を眺めて静かな時を過ごしている。 「こちらはあちらに比べて殺風景でございましょう?」 「まあ、それはそうだが。私にはそなたが居てくれれば、どこも大差ない。」 「!」 不意に強く肩を抱かれて、顔に血が上っていくのが解った。見慣れた漆黒の闇に浮かぶ蒼い星は澄んで 暖かな光を放っていた。 −Fin−
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作者=【月夜の訪問者】主:じゅう。様..........【月夜の訪問者】紹介頁へ
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