ねいなとゆきひら
寧奈と雪平
朔と望−月下奇談(陽の巻)/幽閉ロゴ
 小埜江(おのえ)の文献による詠風姫(よみかぜひめ)の生涯を踏まえた上で、朔の儀式の翌朝、雪平(ゆきひら)と榊(さかき)はこのような会話をした。
「どういう事じゃ、雪平。そなた、寧奈(ねいな)に何をした? 仔細を話すが良い」
 彼が待ち構えていた詰問が来た。
「発端はお婆ではないか」
「何とした」
 怪訝な顔を向けられ、雪平は力説する。
 元はと言えば、榊が寧奈の気持ちを汲んでやろうとしなかったからだと。あれから寧奈は落ち込んでしまい、疾風丸(はやてまる)の件で心ここにあらずとなった。そんな状態では儀式に身が入らない、いつまでも続くようでは儀式に支障を来たす。それで叱りつけ、力尽くで事に及んだらああなった――と、有る事無い事吹き込んだ。榊はまんまと真に受けた。
「お婆。寧奈が思い詰めて家出でもしたら事だぞ」
「馬鹿な。寧奈にそのような度胸はないわ」
「どうだかな」
 確信の篭る呟きに榊は言葉を失う。
「余り見縊らぬ方が良い。寧奈はああ見えて何事も自分の意志で行動している。一見他人に流されているようで実はそれも考えのうちだ。いざとなれば思いも寄らぬ事をしでかす可能性もあろう。妙にお婆に似て頑固なところもあるしな」
「何が言いたいのじゃ?」
「お婆の教育の賜物と申し上げたい。控えめな上辺に紛れ普段はおくびにも出さんが、その実、芯の強い部分を秘めている。必要なのはきっかけだ。踏み切る為の一押しさえあれば、寧奈に家出など雑作もない。そうは思われぬか?」
 低く唸り、腕組みをすると、榊は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「仮に寧奈が家出をせずとも、俺がそのきっかけとなる可能性もある。不憫さの余り寧奈をかどわかしたとしたら、お婆、如何なさるおつもりか?」
 一瞬、息を呑む込み、榊が顔を上げた。
「雪平。そなた、婆を脅すつもりか?」
「仰せの通り。ささやかな申し出も叶わぬ事で落ち込む寧奈を見るに見かねた。俺たちは元々禁忌を侵す身だ。やがて本家の者に知られれば居辛くもなるだろう。そうなる前に屋敷を出ておくのも良い。出たところでいつ非難を受けるやもわからんから、一つ所に留まるのも儘ならぬであろうが。――それこそ、詠風姫と空牙(くうが)のように」
 榊の顔から血の気が引いていった。
「俺にとっては放浪生活など苦ではない。だが、寧奈にはどうか? 慣れぬ暮しは寿命を縮める始末にもなりかねん。彼(か)の詠風姫のように寧奈も短命だと不幸だな。それもこれも一族の掟を破った身から出た錆びであるが、そもそも寧奈の落ち込みの原因は、親しい友人からの依頼を任せて貰えなかった事だ。能力が足りぬのかと自信を喪失した為かも知れん。……哀れだ。お婆もそんな愛弟子を見るのは辛かろう。俺が何をしても見逃して下されよ。無論、封魔随一の術師が短命でも構わぬと、お婆が心底思われるのであればの話だが」
「もう、良い」
 引いた血の気が急激に戻った。ここに至って本当に只の脅しだと気づいたからだ。寧奈の家出など微塵の可能性もなく、雪平の言葉は全て本気ではない。唯一つの出来事に関しての、新手の説得方法だったと、遅ればせながら榊は思い知らされた。もちろん、わざと悟られるような言葉を雪平は並べ立てていたのだ。全く以て食わせ者。
 深く長い溜息を吐くと、榊が緩慢に口を開く。次に意外な告白を受けるのは雪平の方だった。
「どの道、この度の件は、そなたたちに任せる事になりそうじゃ」
「過去読みはどうなされた?」
「どうもこうもない」
 疾風丸の件は、当日の宵のうちに過去読みに依頼された。しかし、明朝になっても術師は真相を突き止められなかった。何者かの思念が邪魔をして、過去の或る時期から遡ることができなかったという。
 その思念の持ち主は遂に明らかにはならなかった。ただ、術師は強く封魔の力を感じたと言い張る。ならば、過去の術師の誰かが記憶を封印するために、強力な思念で堰き止めているとしか思えない。
 報告を受け、榊はピンと来た。詠風姫ではなかろうかと。《或る時期》が、およそ戦国時代初期ではないかという話からも容易に推察できた。
 梓川(あずさがわ)に残された姫の書には、魔の記録ばかりでなく膨大な雑記もあった。公文書には記せない個人的見解に終始したものだ。雑記には疾風丸の一件後、折につけ迫る姫の無念の想いが切々と綴られていた。事の結末こそ明記されていなかったが、生涯苦悩の中にあり、短い人生の最後ですら安らぎを得られなかった詠風姫。思念が強く残ったとしても不思議ではない。
 それに、過去読みの報告を受けてから御神体の玉(ぎょく)が微妙に唸り始めた。何かを求めるように。
 その何かは翌日に判明した。宵の行で寧奈が修行堂に足を踏み入れたとたん、玉が激しく共鳴したからだ。
 玉を通じて何者かが寧奈の力を求めている――榊の予想は見事に的を射ていた。
「そなたが余計な事を申さずとも、我らは寧奈を頼るつもりだったのじゃぞ」
「なるほど。無駄な努力であったか」
「いや。無駄であろうはずがない」
 にやりと笑う榊が雪平を見つめた。滅多にお目にかかれない、実に嬉しそうな笑顔だ。
「そなたの寧奈に対する想いが垣間見れた訳じゃからな。婆にとっては何よりも有難い収穫。――疾風丸の件は寧奈に任せよう。但し、そなたも一緒でなければならぬぞ。時間がかかりすぎて望の儀式に間に合わねば一大事。そなたは寧奈と離れるでない。常に共々行動するのじゃ」
 雪平もにやりと笑い返した。
「心得まして」
 かくして寧奈は、親友に絶交状を叩きつけられることを免れたのである。
 
 余りに静かすぎて眠っているのかと雪平が視線を送る。寧奈はしかと目を開け、俯いて何事かを考え込んでいた。突然顔を上げ、
「考えてみれば奇妙な話ですよね。必然と言えば必然なんですけれど。私は詠風姫様に呼ばれ、隆志(たかし)さんの中の疾風丸は陸(りく)姫に呼ばれ……その隆志さんは私の親友の恋人で、おまけに陸姫の子孫だったなんて……何だか、全てが大いなる意志に導かれていたようにも思えますが」
「かも知れんぞ。無念を残す詠風姫とおまえが共鳴したのも、あながち偶然とは思えん」
 寧奈は深く頷いた。更に雪平は続ける。
「一時は陸姫に情けをかけすぎると邪推もしたが、詠風姫の思念と共鳴していたのだから、おまえがこの件に執着したのも納得が行く。全ては必然だったと考えるのが筋だな」
 車内に沈黙が蔓延した。聞こえるのは後部シートの三人の寝息だけ。
 思い返せば、隆志の中の疾風丸に触れた瞬間、懐かしくも切ない感情に寧奈は翻弄された。それ以前に、彼と初めて出会った日も、説明のつかない懐かしさを覚えていたのだ。もしやあの頃から、既に詠風姫の思念と共鳴を始めていたのかも知れない。
「一つ解せない事があるのですけど」
 前方を睨む雪平の耳に質問を浴びせた。
「詠風姫様は何故、子孫に宛てた書簡を慈安寺(じあんじ)に送ったのでしょう? 何故、本家には届けなかったのでしょうか?」
 彼は逆に質問を返した。
「おまえだったらどうだ? 親しい者の望みを叶えてやる事もできず、しかも生きて再会すらできぬと悟ったら。命と引き換えにしても己が手で望みを叶えてやりたいと思いながら、他人に任せざるを得ない状況に陥ったとしたら――誰を頼る?」
「私だったら雪平を頼ります」
 寧奈は即答した。だが雪平は否定する。
「それはならん。この場合、戦士の運命は術師と共に果てる。それ以外だ。例えば一族の術師たち。或いは経緯を知っている僧侶たち。詠風姫にもお婆のような存在はいただろうから、それも考慮しろ。但し時代背景は違う。大昔なら掟を破る事は死に価する。背徳の旅を続けてきた彼らが、その時点で誰を頼りにできたかが問題だな」
 掟が絶対の時代に彼らが一族を頼るとは思えない。知られていなければどうかとも考えて、寧奈はやはり首を振った。
「慈安寺の、僧侶たちでしょうね」
「何故そう思う?」
「空牙様との関係を知られるのを怖れる余り、極端に一族の者と関わる事を避けておられたのではないでしょうか」
「それだけか?」
 くすり、と彼女は目を細めた。
「本当はこう思うのです。膨大な文献の中に埋もれてしまえば、疾風丸と陸姫の事を忘れ去られてしまう。疾風丸が見つかった時、すぐに行動を起こさせる為にも、特別な場所に置いて目につくようにする必要があったのだと。思念で過去を堰き止めたのも、そういった理由からではないかと私には思えます」
「なるほど。自分で答えが出せるではないか。共鳴しているからではなく、今のは紛れもなくおまえ自身の考えだな」
 指摘されて寧奈は気づく。詠風姫の思念が何処かに燻っているのも事実だ。でも今の答えは確かに彼女自身の奥底から浮かんできたものだった。俄かに晴れ晴れとした感触を覚えたのも、流されないでいる自分を漠然と感じられたからだろう。
「私たちも生きている限り、いえ、もしかしたら詠風姫様のように死んでからも、闇と戦い続けなければならないのでしょうね」
 改めて姫に思いを馳せながら呟く。雪平は肯定も否定もしなかった。
「闇を蹴散らす為にも儀式は必要不可欠だ。特に望の儀式は逃してはならん」
 言いながら、眉を顰めている。少しばかり苦い顔が訝しく、彼が睨む先に寧奈も視線を寄せてみた。
 渋滞だ。世の中にこれほどの車が存在しようとは。便利であり不便な乗り物が、おそらくは焦りと苛立ち、同じ思いを抱く人々を乗せ、数珠繋ぎに延々と続いていた。
「儀式に間に合いましょうか?」
 一抹の不安を覚え、彼女はおどおどと問いかけた。雪平は事も無げに言い放つ。
「その気になれば儀式など何処でもできる。途中で高速を降りて宿に乗り込むという手もあるぞ。後ろの連中も車よりはゆっくり休めるだろうしな」
 助手席で跳ね上がり、寧奈は彼の腕を強く掴んだ。でたらめにハンドルが動いたが、既に停止した状態だったため危険はない。
「いっ、嫌です! 私は嫌です! 屋敷以外の場所で儀式を行うなんて、絶対に、絶対に嫌です!」
 物に動じない雪平すら驚かせる寧奈がそこにいた。普段からは考えられないほどの強烈な拒絶振りだ。目を見開いていた雪平が、ゆっくりと無表情に戻る。ちらりと横目で後部の三人を一瞥した。
「声が大きいぞ。後ろの連中が起きる」
 慌てて口を押さえ、振り返る。
「う、う〜ん……」
 理沙(りさ)が身じろいだ。恐る恐る見つめたが、どうやら目を覚ました様子はない。安堵の余り、寧奈は長々と溜息を洩らした。
「知られたくないのか。儀式の実情を」
 何気ない呟きに思わず息を詰まらせる。常々感じてはいたが、雪平はやけに彼女の心情に目敏い。口数少なく図星をついては跳び上がらせることが幾度もあった。
 曖昧な疚しさで上目になる寧奈と、真意の掴めない下目で見つめる雪平の視線が絡んだ。薄っすらと彼の口の端が上がる。
「おまえの親友なら蚊の涙ほども気にしやしないだろう。実情を知ろうが知るまいが、おまえに対する態度が変わるとは思えん」
「それは……」
 わかっています――という一言を寧奈は呑み込んだ。言わなくても彼は先を読んでいるに違いない。
「おまえの親友は心根の真っ直ぐな娘だ。己の信じるものは何があっても守ろうとする。現に、天谷(あまや)の前世が何者かを知ったところで、その後も彼らの間に障害はない。むしろ前より親密になったくらいだ。些細な事で信念を曲げるような狭小さを持ち合わせているとは思わんがな」
「それも……」
 またもや同じ言葉を呑み込んだ。わかっているからこそ、寧奈にとっては、それが最も問題なのだった。
 雪平を慕う寧奈の気持ちを、理沙は誰よりも理解していた。彼との真実を知った暁には、全面的に協力しようとするのは目に見えている。
 別の面から考えれば、彼女の友情は、禁忌に対する心の箍(たが)を外してしまうきっかけになりかねない。寧奈は未だに怖れていた。一族の血の掟を破ることを。
 今更、掟云々と悩んだところで実は手遅れだ。寧奈が将来雪平以外の男性を選ぶのなら話は別だが。結婚相手が彼でなければ隠し通す意味はある。
 けれど、それは微々たる可能性も有り得ない未来。寧奈が雪平を思い切れるわけがないのだから。彼がいるからこそ寧奈の存在価値があり、雪平も同じ想いを抱いている。遅かれ早かれ知られてしまう事実であれば、隠す必要など何処にもない。一族から排除される結果になっても、雪平がいる限り、どんな苦難も乗り越えられると信じている。
 だのに、彼女は後一歩が踏み出せないでいた。いっそのこと、親友に全てを知られて後押しをされれば、最後の箍は、案外簡単に外れるものなのかも知れない――。
 散々逡巡した挙句、寧奈は深く息を吐いた。意を決し、そっと雪平に囁く。
「儀式に間に合わないと困りますよね。望の儀式を欠くわけには参りません……この分だと間に合いそうにもありませんし――」
「失敬な。俺の運転を侮るな」
 雪平が鋭く言葉を遮り、寧奈は息を呑んで口篭る。
 やはり彼は先回りした。寧奈の心情を読み取って。心が決まるまでとことん考えれば良い――急ぐ必要はないのだと。
「まだ陽は高い。何が何でも間に合わせてやるから安心しろ。いざとなったら玉を使え」
 横柄な口調とは裏腹な、穏やかな笑顔が寧奈に向けられた。一気に心が浮上する。
「はい」
 車が流れ始めた――。
 
 西に傾きかけた太陽が未だ自己主張を続けている。月は空の片隅で、今夜の儀式に備えて光を蓄えていた。絆の確立を目指す術師と戦士に、新たな力を与えるために――
−Fin−
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