ぬけみちへ
抜け道へ
西へ…東へ…ロゴ
 二頭のカムレイが砂埃を上げていた。一方には蒼ざめた顔のプシケと金髪娘のままのクリス、もう一方には死体のような砂門を乗せている。手綱を握るのは紫音と飛焔。透は彼らと並んで歩く。
 向かう先はマリアッド。この先何をするにしても、先ずは金の馬車亭へ戻るに限る。アグスティに立ち寄る必要はないだろう。領主を失った土地が騒乱に飲み込まれるのは時間の問題だ。巻き込まれるわけにはいかない。
「空間を歪めたいところなのだけど……」
 虚ろな声がした。
 クリスに身を預けるプシケは、固く瞼を閉じていた。彼女は思いの外ダメージを受けている。精にすら俄かには癒せないほどに。
「黙ってろ」
 紫音はそれしか言わなかった。
 門番の持てる力で空間を歪めれば、間違いなく時間をかけずに目的地まで移動できる。しかし、通常でない彼女が無理な力を使えば、命に関わる状態に陥りかねない。それだけは避けたい。避けなければならない。本当はそんな悠長な場合でもなかったのだが。
 彼女が探し求めていた男は死の縁を彷徨っていた。精神の炎が消えかかっている。プシケの懸念は見事に的中していたのだ。人工的に無理に引き出された力が砂門の精神を歪める、と。彼が力を使う度に純粋な意識は蝕まれていった。その精神の憔悴は肉体を動かす機能すら衰えさせる。今の砂門は生ける屍。自力で蘇るなど不可能だと言う。
 もし砂門が意識を取り戻さなければ、この世界では何もできない。速やかに心現界へ連れて行き、再生を計らなければ、彼にはただ死が待つのみだ。一刻を争う状態なのはわかる。だが、それよりもっとプシケが危うかった。彼らは多数決で決めたのだ。砂門よりも、先ずプシケに安全な方法を取ろうと。心現界へ向かうにしても彼女の力は不可欠だから。
「いい加減に暴露しやがれ、飛焔」
 唐突に紫音が言った。何処か苛立った声で。
 彼らの間を行く透の頭上を、飛焔の視線が飛び越えていった。意味深に笑うと呆けた口調で返す。
「何や、兄ぃ。何の話や?」
「惚けるな。おまえは一体何者だ?」
「ああ、それかいな」
 飛焔は焦らすように笑う。かっぽかっぽと足を運ぶカムレイから生ける屍が落ちてないかを振り返って確かめ、安心して向き直ると大笑いした。
「勘のいい兄ぃやから、とっくに気ぃついとると思たけど、わからんっちゅー事はまだまだ心現界では新参もんなんやなぁ。しゃーけど坊はだいぶ前から気ぃついとったやろ? ワイの事」
 急に振られても、と思いつつ率直に答える。
「出会って暫くして、心現界とは無関係じゃないな、って気づいたよ。飛焔の刀の封印から封鬼老師のイメージを感じたんだ」
「ああ、鬼封じの爺さんか。そらそうやな。《縛》を封じる手助けをしてくれたんは、あの爺さんやさかいなぁ」
「なるほど、老師が封じるのは鬼だけじゃねえんだな……」
 気のない調子で紫音が相槌を打つと、
「《封呪》っちゅー力や。鬼を封じ呪を封じ、力を封じ技を封じる。力が強いもんほど多種多様に封じる事がでけるんや」
 それも役に立つ情報だが、今、紫音が訊きたいのはそんな話ではなかった。
「もしかして、飛焔の導師は封鬼老師なの?」
「ちゃうちゃう。世話にはなっとったけどな」
 そこで、ぽん、と手を打った。
「倫明さんだ! その刀に触れた瞬間、倫明さんの気配がした」
「さすが《心眼》持ちやな。坊の言う通り、猫のお嬢ちゃんがワイの師匠や。あのお嬢ちゃん、可愛〜てええねんけど惜しいんはあの外見やなぁ。もう五・六年、歳食ってから覚醒してたら、ワイ好みの色っぽいおね〜ちゃんになっとったと思うのにぃ。ほなら射程距離の範囲内やってんけどなぁ……惜しいなぁ。何ぼ何でも外見だけやゆ〜たかて、相手が十歳の子供っちゅーのはなぁ……」
 透はすっ転びそうになり思わず与太る。《猫のお嬢ちゃん》とは何とライトな形容だ! 己の導師を、しかもあの天烽山の主を、よくもここまで軽口で説明できたものだ。あわよくば口説こうと考えている節があるところも怖いもの知らずと言うべきか。飛焔が只者ではないと気づいた時からずっと彼の女好きはフェイクだと思っていたのに、まさかマジか? 真剣な話、女好きでスケベが信条なのか。
「おい。大人しく訊いてるうちに答えねえとぶっ飛ばすぞ。俺が訊いてるのは、おまえの役割は何だってことだ」
 すると、紫音の頭上から弱々しい声がした。
「飛焔……あなたの役割は《警ら》ね。アグスティはあなたの担当なのでしょう?」
 飛焔はプシケを振り返る。彼女は相変わらず瞼を閉じたままだ。
「通常の役目はそうやな。けどそれだけやない、捕縛の権限も与えられとる。心現界に関わりのあるもんで世界に仇なすもんは、ワイの力で生け捕りにせないかん。アグスティはワイにとっては一番古株の縄張や。隅から隅まで知らん事は何もない。あんまりあからさまに力、使われへんさかい、偶には危ない橋も渡らんといかんけどなぁ」
 プシケはそこでやっと瞼を開いた。カムレイの上からまじまじと飛焔を見下ろしている。
「驚いたわ、警らの者を見るのは初めてなのよ。あなたのように機敏で機転の利く人なら、正に天職と言えるわね」
「ワイも門番見んのは初めてや。あんたみたいな可愛いお嬢ちゃんが、一番手強い黒月門の番人やなんて恐れ入るわなぁ。初めて逢ぉた時から只もんやない〜思てたけど、よもやそんな大物やなんて、ワイにしては珍しく感知でけんかったわ。さすがは消滅の門の主。気配消すのも得意なんやなぁ」
「それはこちらのセリフだわ。何故私にはあなたの本質が読めなかったのかしら? 幾ら警戒されていたとしても、至近距離にいて身体が触れていたら、少しは何かが読めるものなのに……」
 飛焔は笑いながら言う。屈託のない、人懐っこいいつもの笑顔で。
「そらしゃーない。あんたは《陰》やさかいな。《陽》のワイとは相反する気ぃを持つからやろ。読みにくいんは止むを得んと思うでぇ。それにワイの天性は《隠遁》や。気配を消す事にかけては誰にも負けへん。無意識でも発動する力やさかいな、これは。しゃーからそんな簡単に読まれる訳はないんや。ところがどっこい、坊には意識しとっても隠し切れんかったようやけどなぁ」
 言い終わると透の背中をバシリと叩き、実に愉快そうに高笑いする。叩かれた方は叩かれた方で、少々咳き込みながら、頭の中で忙しなく考えを巡らせていた。
 心現界に関わりがあるどころか、飛焔はとびきりの重要人物ではないか。そもそも役割を持ち、外の世界で暗躍しているからには、そんじょそこらの雑魚ではない。役目柄とはいえ、よくも今まで尻尾を掴ませなかったものだ。《警ら》の詳細は明確でない。おそらくは警察機構のような役割。世界を見回り、悪人を追って捕まえるのが本筋か。透の認識はこの程度だが、先ほどの飛焔の言葉――心現界に関わる者で世界に仇なす者、云々――から考えても、当たらずとも遠からずと言うところだろう。
 そう言えば引っ掛かる。飛焔は黒月門を《消滅の門》と言った。門番を初めて見たと言う割には、門についての知識は相当深そうだ。ここは一つ、謎は明らかにしておきたい。
「ねえ、消滅の門ってのはどういう意味?」
 何気なく訊いたつもりだった。が、飛焔は真ん丸に目を見開き、立ち止まって透と紫音の顔をしげしげと見つめる。
「何や、知らんのんか? 嘘ちゃうやろな、ホンマに知らんのんかぁ? あんたらの導師が守っとる門の話やでぇ」
 首を振るしかなかった。事実、プシケにも倫明にも聞かされた覚えはない。
「かなんなぁ、何ぼ新参もんでも基本は押さえといてもらわんと遣りにくぅていかんわ。門っちゅーのはな、それぞれに司る力の領域があるんや。黒月門は消滅の力を司る。攻撃性が七つの門の中で一番やさかい、一番手強い門や、っちゅーたんやで。それにしても坊も兄ぃも、意外とモノ知らんのやなぁ。それやのに天性は稀に見る特殊能力やし。何や中途半端な感じで気色悪いわ」
 それは致し方ない。プシケが導師だとわかった時点で、得体の知れないおまけがくっついていたのだから。大っぴらに心現界の話をするわけにもいかなかった。今となっては無駄な危惧だったが。
「中途半端で悪かったな。しようがねえだろうが。俺たちのお師匠様は、どうにも必要以上に口が堅えんだよ」
 と、プシケを振り返ろうとしたとたん、紫音の頭上に彼女が降ってきた。慌てて抱き止める。紫音はカムレイの上のクリスを振り仰いで怒鳴った。
「阿呆ぅ! 気をつけろ! コイツは今、普通の状態じゃねえんだぞ。おまえがしっかり支えてねえでどうするんだ」
 が、仰ぎ見たクリスの顔色に口を噤む。クリスはプシケに触れている間、ずっと彼女の精神を癒していた。持てる力の全てで。精だからといって疲れないはずはなかったのだ。
 紫音は聞き耳を立てる。と同時に辺りを見回した。
「川があるな。少しそこで休むか」
 透たちの返事も聞かないでプシケを抱いたまま歩き出す。代わりに透が手綱を握った。
「近くに川あるっちゅーのん、何でわかってんやろ? 確かに川はあるんやけど、こっからは見えへんはずやで。兄ぃは自然とか地形とか、何やそんなもんを読む力があるんやろか? 《場》の力とはちょっとちゃうなぁ……な? 坊?」
「う……ん……」
 透はそれよりクリスが気に懸った。心なしか顔色が悪い。今クリスは他人の身体を借りている。依代を守りながら癒しの力を使う事は、クリス自身にはどれだけの負担がかかるのだろうか。
 
 
 川のほとりで暫しの休息を取る。その周辺は柔らかい草で埋め尽くされていた。見晴らしも良いから気分転換にも適している。紫音は毛布を広げ、プシケを横たえた。川から水を汲んできて、さりげなく彼女が身を起こすのを手伝いながら渡す。
「ごめんなさい……こんな場合ではないのに」
「おまえの為だけじゃねえ。アイツの為だ」
 紫音が顎で示すところ、透に助けられ、カムレイから降りるクリスがいた。
「クリス、大丈夫かい?」
 答えない。伏せた目で地面を見つめている。
「どうした? クリス……疲れたのかい?」
 やはり答えない。
 透はクリスの手を引いて、紫音たちに歩み寄る。ちょうど飛焔が草地に砂門を横たえていた。相変わらず彼の意識はない。あと二・三歩というところで、突然クリスが透の手を振り払った。
「私……私……透に優しくしてもらう資格ない!」
 背中を向け、肩を震わせている。子供っぽくしゃくり上げていなくても、泣いているのは一目瞭然だ。
「どうしたって言うんだよ、クリス!」
「だって……だって! 私、透を殺そうとしたのよ、殺そうとしたんだから!」
 叫びながら、肩に掛けられた透の手を、更に振り払うクリス。大声で泣き声を上げた。
「私なんて、私なんて! ……透たちを守る事もできなかったくせに、助けに行ったはずの透を殺そうとした! 一番、一番大切な透を殺そうとしたの! 私、私……これ以上、透に迷惑かけられないよぉ! 生きてちゃいけないのよぉ!」
「バカ!」
 無理やりこちらを向かせ、両手で顔を覆って泣くクリスの手首を掴んで引き寄せた。顔の作りは違うが紛れもなくクリスの表情。涙はクリスタルの輝きを放っていた。彼女の顔を覗き込んで、透は怒ったように諭す。
「しっかりしろよ、クリス! あれは不可抗力なんだよ。君みたいに純粋な精なら、あの子の力からは逃れようがなかったんだ、きっと。殺そうとしたのは君じゃなくてピリアさんの狂気なんだよ。君じゃないんだ! ……僕だって《心眼》がなかったらどうなっていたかわからない。あの子を怪しむ気持ちがなかったら、きっと君のように取り込まれて……そしたら、みんな只では済まなかった。もしも結界が消滅してたら、誰も無傷ではいられなかったよ。それを思えば誰にでも有り得るコトだったんだ。気にするんじゃない。……それに、君を通じたお蔭であの子の本質を見抜くコトができた。君は僕の手助けをしてくれたんだよ、そうだろ?」
「ご……ごめんね……ごめんね、透ぅ〜!」
 クリスは透に飛びついて泣きじゃくった。
「いいんだよ、クリス。……だから二度と生きてちゃいけないなんて言うな。僕たちには君が必要なんだからね」
 見守っていた三人は安堵の息を吐いた。
 領主館を出てから、クリスはまるで口を開かなかった。《同調》の余波で心ここにあらずだったのかも知れないが、もしかして、ずっと透の首を締めた事を思い悩んでいたのか。顔色が悪かったのも、あながち疲れだけのせいではあるまい。
 透はクリスを連れ、プシケの側へ行く。彼女が優しくクリスを抱き止めた。
「クリス、聞きなさい。ピリアの《同調》は生半可な力ではなかった。私たちが何とか持ち堪えられたのは透の結界のお蔭よ。それにピリアはあなたにターゲットを絞っていたわ。あなたが純粋な精であり、透の真後ろに立っていたからよ。サイラスは透を攻撃したくて狙っていた。だからピリアもあなたを狙ったの。運が悪かっただけなのよ」
 クリスはまだ泣いている。
「いい加減に泣き止みな。元気で暢気だけがおまえの取り柄だろ? しけったおまえなんざ面白くも何ともねえ」
 そっぽを向く紫音の背中に、クリスが視線を貼り付けた。驚いたことに彼の一言で泣き止んでいる。
「アカン、アカン、かなんなぁ。坊みたいな女も知らんような未熟もんとか、兄ぃみたいに女心も一笑に伏しそうな女たらしのトコやのぅて、最初っからワイのトコに来たらええんや。ワイの胸で思う存分泣いたらええがな。ほら、早ぅ。ワイがあんじょう慰めたるさかいな」
 にやにやする飛焔の言葉でクリスの眉が吊り上った。どうやらセクハラ発言で、不快指数が一気に急上昇したらしい。
「何言っちゃってんのよ! あんたの場合は慰めるの意味が違うでしょうが!」
 飛焔はにやにやを止め、不敵な笑みを漏らす。
「いつものお嬢ちゃんやな。ちょっとは吹っ切れたか? 何事もくよくよしてたかて始まらへんのや。自分に怒っとる場合やないでぇ。怒りの矛先を向ける相手は他におるやろ?」
 はたと気づく。また彼の悪ふざけに救われた? しかしながら、何処までが計算ずくで何処からが本心なのか、境界線はあるのやらないのやら。明らかに好きでやっていると思われる時でさえ本当のところはわからないのだ。実に紛らわしい奴。
「底なしスケベ野郎から女たらし呼ばわりか。俺も堕ちたもんだな」
 紫音がぼそりと呟く。つられて透もぼそり。
「僕のコト、女も知らない未熟者だって」
「そいつは当たってんじゃねえか? 否定できないだろ?」
「紫音!」
 いきなり叫んだ透の様子で、彼らの問答の内容を把握したらしい飛焔は、
「嫌やなぁ、坊も兄ぃも〜。あんなん物の喩えやん、本気にせんといてぇな〜。しゃーけどワイの見たところ、大体は当たっとると思うけどな〜」
 弁解のようで弁解でない言葉だ。透はがっくりと膝を着く。所詮、紫音にも飛焔にも、格闘どころか人生経験でも太刀打ちできやしない。飛焔には口で勝てないことも目に見えている。ここは大人しく黙っているのが賢明だ。
 そんな透にクリスが寄り添ってきた。もう泣いてはいない。胸のもやもやを吐き出したお蔭か、飛焔の悪ふざけの賜物か、いつも通りの波長のクリスに戻っていた。柔らかく包み込む明るい光のような波長。彼女の精神の波は、本当の癒しの力を持っている。
(やっぱりあれはフェイクなのかな……)
 どちらでもいい。悪乗りでも何でも、飛焔のお蔭で明るくなるのは確かだ。考えつつ、無邪気に腕を絡ませて笑うクリスのなすがままになっていた。
 彼らを見守りながら微笑むプシケの耳元を、微かな声が流れていった。それは一瞬で、余りにも聞き取り辛い声。反射的に小さく叫ぶ。
「しっ。静かに!」
 低く響く、有無を言わせぬ口調。とたん、辺り一面に沈黙が広がった。プシケは耳を澄ませる。今……今、確かに……
「うう……」
「砂門!」
 プシケが立ち上がる。彼らは皆、一目散に、草むらの男のもとへ走り寄った。
「砂門! 気がついたの?!」
 だが、呻き声を漏らし、眉を顰めただけ。生ける屍は大人しく横たわっていた。何も変わらない。いや、前よりも心なしか蒼ざめて見える。
「ヤバイな。さっきより顔色が悪い」
 透が額に触れると、まるで体温を感じなかった。冷やりとした感触。背筋まで冷んやりとした。
「もし……もしこのまま、砂門さんが意識を取り戻さなかったら……」
「死ぬわね」
 答えが簡単すぎる。
「でも、彼は心現界に必要な人なんだろ? だったら僕たちの時みたいに心現界に引き寄せられたりはしないのか?」
 プシケは溜息を吐き、重苦しく声を押し出した。
「彼の場合は、おそらく無理……」
「何故?」
「彼の力が原因よ。人工的に無理やり引き出された力……あれは、私たちの力とは違う。属性が違うのか、源が違うのか……とにかく自然な力とは相反するものなの。何処か邪な波長さえ感じるわ。彼からこの力を拭い去らなければ、心現界は拒絶するでしょうね。そうなると、私にも彼を連れて行くのは難しくなるわ」
 砂門を蝕む不自然な力。心現界がその力を拒むなら、彼を再生させるのは不可能だ。
「ってこたぁ、コイツは見殺しだな。心現界に連れて行けなければコイツは死ぬしかねえんだろ?」
 本当にここでは何もできないのだろうか。彼ら全員が力を合わせても、アグスティでは彼の命を繋ぎとめられはしないのか。大体、何故わざわざ心現界に連れて行かなければならないのか、その訳も彼女は口にしていない。
「お嬢ちゃん、あんた、コイツを白陽門に連れてくつもりやな?」
「ハクヨウモン?」
 オウム返しな透の言葉に、飛焔は即座に答える。
「白陽門は誕生の門や。再生の力を使えるんはその主だけなんやで。コイツを蘇生させたいんやったら白の門番に頼るしかない。最初っからそのつもりやってんやろ? 誤算はコイツの力か……確かに、コイツからは気色の悪い波動を感じるわ……それだけやない。コイツ、何や妙〜な気配がするで……」
 飛焔は息を呑む。砂門から視線を逸らさない。
「仰る通りよ。ここまで彼の精神が蝕まれているとは思わなかったけれど。こうなると、やはり彼を救えるのは白の門番しかいないわね。でも、心現界に入れなければそれも不可能だわ。……そうね、砂門が何とか意識を取り戻してくれればいいのだけど。少なくとも僅かな意識の断片でも取り戻せたら、本人に意思を確認できるでしょう? 不自然な力を捨てることに同意してくれれば、私は彼からその力を消滅させられる。邪道な力を持たない砂門なら安心して心現界へ連れて行けるのよ」
 彼らの思惑に反して、砂門は一向に目を覚ます兆しがない。一体いつからこんな状態になってしまったのか透たちには知りようがなかった。サイラス・ルシフォールが魂を封じ込めていた行為は、計らずも彼の命を繋ぎ留める結果になっていたのだ。たとえ貯金箱扱いでも、砂門が生き長らえていたのは、やはりサイラスの為せる技。あれもまた《封呪》という力だ。
「コイツは何だって心現界に必要なんだ? 一体どんな役割を持っている? 俺たちを信用しているならそろそろ白状したらどうだ。飛焔が仲間だとわかったからにゃあ遠慮なんざいらねえんだからな」
 謎の核心はそこにある。敵だったと言い、世界の均衡に手を加えようとした男を、プシケは命を賭けて救おうとしている。己の使命に反する者を救いたいと言うのだから、それだけの理由がなければ納得などできないではないか。
「覚醒しなければ、どんなものかわからない。彼の力が私に何を齎すのか……でも、信じているわ。必ず私の手助けになってくれると。……砂門は黒月門の第二の扉を守る者。私と同じ宿命を持つのよ」
「第二の門番か!」
 黒の門は第二・第三の番人が不在だと、封鬼老師が言っていた。未来のエルメラインを変えようとした如・砂門。よりによって世界の均衡を狂わす任務を持つ男が、黒月門の第二の門番だとは! そんな重要な事実を、今の今まで、彼女は弟子である透と紫音にすら話さなかったのだ。飛焔の存在もあったのだろうが、それが、彼女一人の胸に収めなければならないほどの極秘事項だとは、今さら説明されなくてもわかる。
「さよかぁ……せやからコイツ、妙〜な気配がするのんか。コイツ、ホンマやったら《陽》の気ぃの持ち主やのに、《陰》の気ぃが混じっとる。両方兼ね備えて持ってたとしても、普通はどっちかの気ぃがより強ぉ表に出るはずや。しゃーけどコイツ、全く同じだけ《陽》と《陰》を持っとる。門番は《陰》のもんやないと勤まらんさかいな。それでこんな妙〜な按配になりよったんか」
「そういう意味でも砂門は稀な存在でしょうね。彼は陰・陽だけでなく聖と魔も兼ね備えているわよ。黒の門番には正にうってつけの人物だわ。黒月門は《魔》を制御する力も持っているのだから」
 だんだん話が奥深くなってきた。プシケと飛焔は手放しに理解できるから平気で話が飛躍する。透は彼らの奥まった内輪話を脳裏で反芻した。
「ワイの知っとる限りで《陰》と《陽》を兼ね備えた門番なんか白陽門の主しかおらんわ。逢ぉた事はないけど噂には聞いとる」
「彼も稀な存在ね。驚くほどバランスの取れた力を持っている人。数多い門番の中で聖夜・リダルは唯一の男性だったわ。今まではね」
 聖夜・リダル――その名を聞いて、紫音が怪訝な顔をした。記憶の片隅に引っ掛かる何かを、引っ張り出したくても出せない、そんな覚束ない表情。彼は密かに己の記憶と闘っていた。
「とにかく、ここで話し込んでいても砂門は助からないわ。彼の意識を呼び戻すのなら人目につかないところでするべきね。できるだけ短時間で宿に戻りましょう。ゲートを開くわよ。どんな無理をしてでも」
 彼女は不完全な状態で空間を歪めようとしている。
「ダメだ。君にもしものコトがあったら誰も心現界に辿り着けなくなるよ」
「心配しなくても死んだってあなたたちを心現界へ連れて行くわ。それより今、この場で砂門を失いたくはないのよ、わかって」
 何と言われてもこればかりは譲れない。本当なら、カムレイを飛ばしさえすれば大した時間はかからない距離だ。砂門の身体に衝撃を与えないために時間をかけてノロノロと歩いて来たのだから、残りの短時間くらい彼の身体に頑張ってもらえばいい。透はあくまでもプシケを止めた。
「抜け道やったらワイが作ろか? 何もお嬢ちゃんが命懸けてまで危ない橋、渡る事ない。坊や兄ぃにはまだ無理やろけど、心現界に深く関わるもんには誰にでもでける技やさかいな」
 押し問答をしていた二人を前にして、唐突に飛焔が提案した。飄々と事も無げに言う。
「おい、どいつもこいつも肝心なところは暈しやがって埒が明かねえな。プシケといい、おまえといい、何だってそう小出しにして来やがるんだ。そんな技が使えるならさっさとやれ! 初めからそうしてりゃ無駄な時間を使う必要もなかっただろうが」
「スマンなぁ、兄ぃ。そうはゆ〜たかて、これが心現界の鉄則やさかいな。外世界を旅するもんは、おいそれと正体の割れるような真似したらアカン。たとえ相手が心現界のもんであっても、切羽詰るまでは隠し通さなアカンのや。それがでけんようやったら心現界の外には出んことやな」
 言うなり、飛焔は懐から細長い紙を取り出した。一見、短冊のような紙。神社で売っている御札にも見えた。そこには複雑な図形と奇妙な文字が書かれている。やはり御札なのだろう。彼は右手の人差し指と中指でそれを挟み、目の高さに上げた。
「叭!」
 気合と共に真っ直ぐ前に放つ。数メートルほど飛んで行ったかと思うと、壁に貼られた紙の如く空中で静止した。次の瞬間、いきなり燃え上がる。火炎竜が現れるのかと思いきや、現れたのは黒々とした穴だ。空間が焦げるように穴が広がっていく。御札が完全に燃え尽きた後、穴は厳然とその場に口を開いていた。漆黒の穴の中心は、奥行きの良くわからない不確かな歪み。目を凝らすと何かが見え隠れした。
「ほな、ワイの抜け道へどうぞ〜。この向こうは金の馬車亭に繋がっとる。一歩踏み込んだだけで、宿の前にご案な〜いや。ほんで? 誰から行く?」
 歪みの真ん中に、見覚えのある風景が揺らいだ。
【黒月門へ】へ続く
【萬語り処】 ← 感想・苦情・その他諸々、語りたい場合はこちらへどうぞ。
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