日本史を語る

6.大和朝廷の始まり

 邪馬台国の興亡も過ぎ去る事1世紀。日本国内には大和地方に覇を唱える王朝が誕生しました。

 これが大和王朝の始まりです。

 さて、ここで問題になるのが大和朝廷の出自です。天皇家のご先祖様は果たしてどこからやって来たのだろうか?そして、何故大和で王朝を開いたのであろうか?

 日本書紀には神武天皇が日向(宮崎県)から大和(奈良県)に向かい、現地勢力をうち破って宮殿を造ったと書いてあります。

 現在では、これは単なる神話であり史実ではないというのが学会の通説です。

 では、通説はどうなっているのでしょうか?

 実は何にも提示されていないのです。まさしく「空白の世紀」なのです。

 それでは、他の説はどうなのでしょう?

 日本書紀の事柄を事実に基づいた伝記であるという説があります。それによると、4世紀前半に天皇家の祖先が大和に移住し、そこの現地勢力をうち破って王朝を建てたとなります。つまり昔は九州に勢力のあって、そこを基地にして東上し日本に一大勢力をうち立てたという事になります。
 これと似た説には、邪馬台国東遷説などもあります。卑弥呼の子孫が大和朝廷を造ったなんて、結構ロマンチックですね。

 他に騎馬民族説というのもあります。それによると天皇家の子孫は、ツングース系騎馬民族(ラストエンペラーの皇帝溥儀もこの民族です)が朝鮮に王国を建て、さらに海を越えて日本に王朝をうち立てたのだという事。この説も壮大でかつ雄大で、心躍る気持ちになります。

 ちなみに教科書は大和盆地の豪族の中で比較的大きい勢力を持った「大王(おおきみ)家」が豪族連合の長となり、それがやがて王朝となったという説です。

 私はどの説が一番良いが実は迷っています。邪馬台国の流れからいけば、邪馬台国東遷説になるのですが・・・・

 あなたならどの説を支持しますか?
 

2000年作

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