日本史を語る


 
5.邪馬台国

 日本古代史を語るうえでどうしても外すことの出来ない話題。
それが邪馬台国です。
 この国は古代日本に存在していた事が中国の歴史書に記載されています。
 但し大きな謎があります。この国はどこにあったのでしょう?
所在に関しては、それこそ100人の研究家が話せばそれぞれ100の説が出てくる程です。

 主な説を挙げると、

1大和説・・・大和地方(現在の奈良県)にあった。
2北九州説・・北九州地方にあった。

 大まかにくくると、この2つの説が有力です。

 ところで、何故こんなに論争を巻き起こすのでしょう?
 実は、この邪馬台国の場所によって、日本という国の起源が変わってくるのです。

 例えば、

[大和説を採用した場合]
邪馬台国=古代日本の起源・・・・既にこの時期から日本という国の原型があった。

[北九州説を採用した場合]
邪馬台国=大規模地方国家・・・・日本列島の大半を支配する国家が存在していない。

 以上のようになるのです。
 ですから研究家達は今も邪馬台国の所在地確定に注力しているのです。

 ところで、現在の情勢ですが・・・・
まだ五分五分といった感じです。
 吉野ヶ里遺跡が発見された当時は北九州説が有力になりつつあったのですが、その後近畿地方(?)でも新たな遺跡が発見され、またも振り出しに戻るといった所です。

 僕は、北九州説に賛成です。弥生文化は大陸(中国・朝鮮)から渡来してきたという観点に立てば、まず北九州に大規模な地方国家が出現し、後になって大和に列島の大部分を支配する国家が誕生したとする方が合理的だと思います

 ところで余談ですが、みなさん「邪馬台」ってどう読まれますか?
普通は「やまたい」ですけど、音は「やまと」なんですよ。
意味は「山処」なんだそうです。「みなと(港)」と対のことばだそうです。

ますます邪馬台国の場所がわからなくなってしまいますね。
 

1999年作

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