日本史を語る

12.応神天皇(三人目の神)

 応神天皇は第15代の天皇です。彼は神功皇后が九州滞在時に産み落とした皇子と「日本書紀」に書かれています。
 その後成人し、改めて大和へ移動し、河内で即位したとあります。
 学者の間では彼こそ応神王朝の始祖とされ、その後の河内王朝の礎を築いた人物として評価されています。

 ところで、前々回に指摘したように、神功皇后も仲哀(ちゅうあい)天皇も架空の天皇です。その架空の天皇皇后から実在の天皇が現れるというのはどういう事でしょうか?

 説として云われているのは、「彼こそ新しい王朝の始祖であり、元々北九州地方の豪族であった。」「その後、崇神王朝の混乱(?)に乗じて大和地方に進出し、前王朝の姫をもらい王朝を乗っ取った。」という事です。

 ある意味説得力があるようにも感じるのですが、どうも腑に落ちない点があります。

 まず、彼の配下の豪族達です。当時力が強かった豪族は葛城氏・平群氏・巨勢氏という面々です。彼らを短い間に屈服させる事が出来たのでしょうか?
 さらに述べれば、逆に北九州からやって来た豪族はいないのです。

 応神天皇が単騎大和に乗り込んで既存の豪族の上に立てるのでしょうか?

 もう一つですが、彼(応神天皇)にしても、後継者の仁徳天皇にしても、世界的にみて大規模な古墳を建設しています。その規模で工事をするには、多大な人員の動員が必要です。突然九州からやって来た人間がするにしては、少々無理があるように思えます。

 しかし、崇神王朝とは明らかに文化が違う点もあります。まるでエジプトの古王朝末期に造られたピラミッドのように大きな古墳が突然存在しているのです。あのギザの3大ピラミッドも王朝交代ののち造られたものです。

 ですから、やはり皇統の交代はあったと思われます。そして前皇統の母系は保たれたのではないか?と思います。

 では、応神天皇は何処から来たのでしょう?

 私は、やはり河内に根をはった地元の権力者だったと思います。
 

 ところで、神武・崇神・応神。3人の共通点は?
 そう、名前に「神」が付いているのです。ちなみに彼ら以外に「神」の字を使った天皇は存在しません。

 それだけカリスマを持った天皇達なのかも知れませんね。
 

2001年3月24日

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