日本史を語る

13.倭の五王

 いよいよ天皇家が歴史の表舞台に降り立ちます。

 それが倭の五王と呼ばれる天皇達です。
 彼らの名が、中国の歴史書に登場します。

1.讃(さん)王
2.珍(ちん)王
3.済(せい)王
4.興(こう)王
5.武(ぶ )王

 それぞれが、どの天皇に当たるか諸説がありますが大体以下のように考えられています。

讃王==>履中天皇?仁徳天皇?応神天皇?。諸説あり。ただし登場時期等から、履中及び仁徳天皇と考えられている。

珍王==>反正天皇。和名で瑞歯別(みずほわけ)であり、「瑞」を「珍」の字で表したとされる。

済王==>允恭天皇。興王・武王の父と宋書に書かれている事から。

興王==>安康天皇。中国の歴史書「宋書」に武王の兄とかかれている事から。

武王==>雄略天皇。和名で大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)と呼ばれている、最後の<武>を取って表したとされる。

 ところで、何故彼らは漢字一文字で自分の名を表したのでしょう?

 それは、当時の慣習らしいのです。

 当時日本だけでなく、朝鮮半島の国々も中国との関わりがありました。その国々もそれぞれ中国と接する時、漢字一文字で王名を表し交渉していたのです。

 ですから、倭の五王も自ら漢字一文字で自分の名を表し、中国との交渉を計っていたのでした。
 

2001年6月30日

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