葬られゆく軌跡 <6>



 闇に目が慣れた。
 薫はターニャの細い背中が草木に隠れ、見えなくなっていくのを安堵して見ていた。
セリザワがついている。なんとかしてくれるだろう。
 あとは、自分たちがここで敵を食い止めるだけだ。

 既に室内の明かりは全て消してある。光を背にすると姿が浮かび上がって格好の的に
なるし、夜目を利かせるためだ。
 電話を試してみたが固定電話の線は既に切られていたらしい。発信音が出なかった。

 梢の威嚇発砲で、敵はこちらが火器を手に迎撃しようとしていることを知った。奇襲を諦め、
こちらの状況すなわち人数や武装レベル、射撃位置といったことを掴もうと探りを入れてくるに
違いない。その第一手は、こちらの発砲を誘う陽動だろう。
「梢、側面に回り込もうとする敵が出てくるから、それは防いで。正面から来た奴は、敷地の
柵を乗り越えたら撃っていいわ。そこを突破されたら下の由子たちに任せていいから。頭を
低くして、集中しててね」
「任せて。ガンシューで鍛えた腕の見せ所だからね」
 ガンシューとはなんだかわからなかったが、薫は敵の人数を考えながら階段を下りた。

 先日の襲撃者は、自分のところに2人。由子たちに恐らくは4人。琴梨たちに4人。ターニャ
たちに2人。合計12人。おそらくはこれが最大人数だろう。もっといたならば札幌を脱出する
自分たちを一人ぐらいは追うだろうから。
 持っている武器はどの程度だろうか。拳銃は確実に持っているだろうが、ライフルやスター
ライトスコープ、手榴弾といった歩兵用兵器まで持っているだろうか。前回の襲撃では拳銃
だけだったが、今回もそうだと決めてかかるわけにはいかない。少なくとも長射程の武器を
持っているかどうかぐらいは確かめないと。

 すぐに一案が浮かんだ。キッチンの戸棚からボウルなどを取り出し、リビングルームから
いくつかの服を持ち出して二階に戻った薫は、これで案山子を作るよう陽子に頼んだ。それを
ふらふらさせて、こちらから敵の発砲を誘おうというものだ。

 また一階へ下りた薫は、ここの地形を脳裏に思い描いた。山荘の弱点は背後である。
一度もぐり込まれたら一階からも二階からも射線が設けられない。ターニャたちが脱出に
使った勝手口を破られれば突入を防ぐことはできないだろう。
 ここを突かれないためには梢と葉野香が発砲して半包囲の輪を狭めようとする敵の動きを
封じなくてはならない。だがライフルは5発までしか連射できないしショットガンは2発しか
装弾できない。向こうが犠牲を省みずに突進してきたら素人の自分たちでは支えきれない
だろう。

 なにか手を打たなければ。

「どう。動きは」
 電気の消されたリビングでは葉野香が出窓の一枚を開け、雨戸をずらして射撃位置を
確保していた。丸めた座布団が銃座として銃身の下に置かれているのは由子の知恵だろう。
「まだここからじゃ見えない。でも、感じるよ。いやな感覚をさ。ピリピリと」
 自ら射手を買って出た葉野香に後悔はなかった。だが、強がって見せたくてもそんなことに
使える精神の余分がなくなっていた。
 星もない夜空の下、どこかから殺し屋たちが息を潜め、自分の人生を終わらせてしまおうと
している。由子が撃たれ、死にかけても、まだ自分がそうなる可能性をリアルな現実として
受け止めることはできずにいた彼女にとって、この静寂は狂おしいほどに怯懦を助長した。
 泣いてしまえればよかった。そうすることがなんにもらないとわからないほど、愚かになって
しまえればどんなにか楽だろう。そんなばらばらになっていきそうな思考を繋いでいるのは、
呼吸を荒げながらも耳と目のセンサーで少しでも多くの情報を集めようとしている由子の姿で
あり、すぐに補給ができるように散弾銃の弾を箱から取り出して並べている鮎の姿だった。
 自分がしっかりしなければ、二人とも夜明けを見ることができない。
 家族に会えない。誰とも話せなくなる。誰とも・・・・・

 ふっと、兄や義姉の顔が思い出された。
 どうしてるだろう。帰ったら怒られるかな。
 いいよ。怒られに帰ってやるから。

 二階では、陽子がありあわせの案山子を作り終えてゆらゆらと振っていた。いくら暗くても
動きはわかるはず。発砲がないのは敵がライフルのような長射程武器を備えていないことを
示していた。
 疲れた腕を休ませようと案山子を置いた陽子は、無意識に梢の横顔を窺っていた。気づいた
梢が視線を動かさずに「どうしました」と訊ねる。思っていたことを口に出せずに視線を外へ
戻そうとした陽子に、彼女は続けた。
「私が、人を撃つってことの意味、わかってるのか、心配ですか?」
 梢は動くものを機械的に探索しながら、次々と流れ出てゆく言葉が吐息のように自然な
ことに驚いた。
「最近の若者はゲーム感覚で人を殺すなんて言いますよね。自分がそういう人と違うのかは
わかんない。ゲーム好きだし、スプラッタな映画も見るしね。そんなに現実とゲームを区別
しようとか考えたこともない。だから結構、同じレベルなのかも」

「けど、そう思ってないと手が動かないから。引き金を引いて、当たると、人が死ぬってことも、
考えられない。
 人殺しになんてなりたくないよ。きっといつまでも思い出すんだ。
 今でも、見る夢があるんです。
 子供の頃、飼ってたブンチョウが餌あげるときに籠から出そうになって、手で押し止めようと
したら、力がつきすぎてて、それで、死んじゃった。
 あの時の厭な感覚は忘れられない。自分のせいで命がなくなる感覚なんだ。もう10年も
引きずってる。人間だったら、もっとだろうね」

「あるってわかったら、使うことになりそうで、だから私、銃があること言わないでいた。
パパに使い方教わって、撃ってみろって言われたことがある。狙ったことまではあるんだ。
だけどやっぱりできなかった。握ってるのは金属なのに、あの柔らかい感覚が手にあって。
 今もある。
 今もあるけど、やりたくないじゃすまないってわかるから、だから・・・・・」

 陽子は、里中梢という子がなぜ快活げに銃を持ち出し、冗談まで言ったのかを知った。
不安を隠さなければならないと自らに命じて、率先して手を尽くそうという姿勢を示すことで
挫けそうな志気を支えたのだ。銃を手にすることでどれほど苦しむかわかりながら、勇気を
奮って。
 いい年をしながら娘ほどの年頃の子に人殺しの道具を使わせる自分こそが、もっと勇気を
出してこの子たちを守らなくてはならない。彼女は言った。
「それでいいんだと、思うわよ。わかったような気になるより、悩みながら引金を引く方がね。
もし間違っているなら、いつか自分で自分を裁かずにはいられなくなる。その時に悔いる
ためにも、今は戦いましょう」

「左に二人、出てきた」
 琴梨の声に銃身を滑らせる梢。暗くても、動いている固まりは夜の色と違う。彼女は躊躇
せず、前の人影を撃った。
 当たりはしなかったが一瞬二人の動きは止まり、後ろの人影が恐らくは拳銃を二発、そして
一発発射して、先頭の人影が後退するのを援護した。2発目をもっと慎重に狙おうとしていた
梢だったが、自分に向けられた発射音にびくついて体を伏せてしまい追撃はできなかった。
「真ん中、車の後ろ」
 前庭に泊めてある春野家の車の背後で動きがあった。やはり二人いる。梢が再び射撃
姿勢に入る前に、2方向から連続して拳銃弾がベランダに打ち込まれた。
 反射的に身をすくませてしまう梢の隙をついて、車の影から二人が前庭を突っ切り、二階
からでは撃てない玄関先へと走った。


 炸裂音が轟くまで。


 葉野香の放った散弾が、二人を横ざまに薙ぎ倒していた。明らかに彼らはもう一の射手の
存在を予期していなかった。後続するつもりであっただろう何人かは慌てて後退し、柵の
向こうへと飛び込んで撤退していった。
 散弾をまともに受けた男たちの洩らす呻きを残して。

 風が銃口から漂う硝煙を散らしてゆく。
 自分の手で人を撃ったというショックで、葉野香は安全装置のことなど考えもせずに銃を
取り落として、顔を覆った。わなわなと震える手を、どうしても止められない。
「鮎、外見てて」
 由子は急に小さくなってしまったような葉野香を胸にかき抱いた。「あ・・・」と意味のある
言葉を出せずにおののく彼女の背中を優しく叩いて、「大丈夫だよ」と繰り返す。
 大丈夫なはずなどないと知りながら。
 射撃の指示を出した自分ですら、こみ上げる嘔吐感に耐えているのだから。横目で見た
ところ、撃たれた二人はまだ死んではいない。散弾というのは抑止力には優れていても
衝撃力や貫通力に欠けている。ここまで聞こえる呻き声をあげているのだから、這いずって
仲間のところに戻るぐらいはできるかもしれない。
 頼むからそうして。
 目の前で死なれるよりよほどいいから。

 どうやら敵は一階の銃という要素を含めて作戦を再検討するためだろう、一時的に後退した
ようだ。薫は一階と二階を往復して様子を聞きながら、彼らが次に打ってくるであろう手を
推測する。

 彼らは何者か。
 この間自分たちを襲った連中に違いない。人数も武器も一致している。同時に、第四部の
人間ではない。もし日本政府の配下ならもっといい武器を揃えて来るだろうし、この山荘の
構造を建築図面で確認してから襲ってくるはず。ならば弱点の後背に迂回する。稚拙な正面
突破を図ったのはその知識がないからだ。

 武器が拳銃だけだというのもまず間違いない。でなければライフルに対して拳銃で援護
するなどということはしない。どだい拳銃というのは表情がわかるくらいに接近しなければ
当たらないものだと、本で読んだことがある。この闇の中でその効果は絶望的だ。
 そして人数は10人前後。前庭で倒れている二人を除いてだ。突撃をかけた時に、山荘
左翼に2人、右翼に2人、中央に4人いた。更に後方に指揮官がいるはず。

 こちらは素人が7人と大型銃2丁。敵は10人で拳銃は人数分あるだろう。どちらが有利
だろうか。
 キーポイントは距離だと、薫は見抜いた。
 近づかれたらこちらの負け。夜明けまで遠ざけておければこちらの勝ちだ。朝になれば
たいした遮蔽物もないこの敷地内に侵入するのは自殺行為だからだ。いかに現在の防衛
線を維持するか。それが薫の肩にかかっていた。

 以前、テレビで今の状況に似た話を聞いたことがある。
 自分が生まれた頃の話。
 あさま山荘事件。
 現代の千早城とか言われたらしい。
 まさか、自分がテロリストの役回りになるなんて。






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