葬られゆく軌跡 <2>



 断末魔を響かせることもできずに死んでいったターニャの夢の代わりに、彼女たちが手に
しているのは、まだ底の見えない奈落への切符だけなのだろうか。舞台の裏幕はあと
どれだけあるのだろうか。

「まだ、話しておかなくてはならないことがあります。私はソ連の工作員として入国して、
日本の二重スパイになりました。でも、もうソ連はなくなってロシアになりました。だけど、
私はロシアからの命令を受けることはなくなっているんです」
 眉をひそめた薫が「どういうこと?」と問う。
「私が二重スパイになるよう命じられた時、既にソ連はなくなってCIS(独立国家共同体)が
発足していました。私を送り込んだKGBは対外情報局となってロシア共和国に引き継がれ
ました。
 だけど、私はそうならなかったんです」

 休眠工作員であったターニャに与えられていた任務は、日本社会に溶け込むことであった。
それには5年10年という単位での静かな、誰にも疑われない雌伏の歳月が必要である。
ゆえに、彼女に具体的な行動を伴うような指令はそうそう発せられることはない。普段は
非定期的に暗号を送受信するための鍵となる言葉がダイレクトメールを装って届けられたり
する程度である。「白樺」という工作員になってもそれは変わらず、彼女は受ける全ての情報を
そのまま第四部の連絡員へと密かに渡していた。

 だがやがて、連絡文の届く間隔が開いてきた。祖父を偽装した手紙も、忙しいという言い
訳が末尾の決まり文句となって、頻度が減った。彼女にとってはどうでもいいことでは
あったが。
 だが第四部では彼女の裏切りが露見したせいではと事態を不安視する面もあった。のちに
そうではないことが判明したのだが。

 のち、とは、正確には1996年の2月だった。
 その日、ターニャはアパートの自室で朝食を作っていた。第四部と連絡を取るのに運河
工藝館の寮では機密保持が困難だと、彼らが敷金も礼金も用意した部屋だ。遅刻しないよう
時計代わりにつけていたテレビでは、朝のニュースが地味なスーツに身を包んだ国営放送の
アナウンサーによって次々と紹介されていた。
 フライパンの上で前後するベーコンエッグの動きが止まったのは、スピーカーから流れた
「ロシア」という言葉が油と水の反応する音よりもほんの少しだけ大きかったからだけでは
ない。
 言いようのない不快さが、ぞくりと肌を嘗めたような感覚。
 それがあった。
 ブラウン管の粒子が、一人の男の横顔を組み上げていた。

「先日行われたシベリア地方議会選挙では大統領を支持する中道派と復活を期する共産党、
それに極右勢力の自由民主党が第一党の座を巡って激しい選挙戦を繰り広げていましたが、
内外の予想を覆して大きく躍進したのは、自由シベリア党でした。その党首、ヴィツェンツキー
氏が私どもNHKとの単独インタビューに応じてくれました」

 共産党政権時代は車の整備工場の管理人だったという党首。大柄で、ロシアの政治家
には珍しい豊かな髪をきれいに調髪した背広型の男性は、現在のロシアにはびこる腐敗と
無秩序からシベリアを守り、公正な経済活動をもって共和国に繁栄をもたらし、中央政府とは
良好な関係を築きたいと落ち着いた態度と慎重に選んだ言葉で語っていた。

 それが嘘だとわかったのは、世界でもほんのひと握り。
 日本国内ではターニャ・リピンスキーだけだったに違いない。

 目。鼻梁。頬骨。唇。声帯。あらゆるところに整形外科医の手が入っていても、彼女には
わかった。
 この男が、ミールヌイ#17の施設長だった祖父の後任として赴任し、両親に強制収容所
への片道切符を与えたKGB大佐、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クイビシェフであることが。
どれほどの美辞麗句を唱えようが、腹蔵にあるのは民主主義への憎悪と復讐であることが。

 この事実に関してだけは、ターニャは躊躇うことなく連絡官へと急報した。病に苦しみ、
ふらつきながらも自由が尊重される社会へと歩き始めた祖国、故郷が、自由シベリア党という
隠れ蓑を纏った反動勢力に侵されようとしているのを座視できるはずもない。

 だが、第四部の反応は芳しいものではなかった。いくら彼女が力説しても、ヴィツェンスキーが
クイビシェフである証拠がないというのだ。ソ連時代からKGBは世界最高級の整形手術能力を
備えた特殊な病院を所有していたことは既に知られていたのだが、ヴィツェンスキーの経歴は
きれいなもので、KGBとの関わりを示すものはなにひとつないことになっている上に、クイビ
シェフの整形前の写真が一枚も日本にないことが致命的だった。もしあればスーパーイン
ポーズという技術で二つの顔を重ね合わせ、手術では変えられない共通項を見つけだすことも
できたのだが。

 自由シベリア党が中央政府の議会選挙でも議席を増やすにつれて、党幹部の映像も報道
されるようになった。中でも最高幹部会議に列席しうる4人、コマロフ、ネフスキー、チュイコフ、
シャピーリンは、かつてツガルで指導的立場にあった人物が同様の手術を受けた姿だと
ターニャは見抜いた。

 同時に、旧ソ連時代に強権を持って君臨し、反対する民主主義者を圧殺した彼らがこうして
公衆の前に姿を現せるということは、既に当時のツガル関係者から事実が露見する心配が
なくなっている、すなわちツガルそのものの存在が抹消されていることを意味していた。旧
ソ連時代のように外国人はモスクワやレニングラードの近辺にしか行けなかった時代では
ない。西側のマスコミの詮索を恐れずに政治活動を行うということからも、地図にない町
ツガルは街灯の一本までも粉砕され、養成されていた工作員たちは一掃されてしまった
ことは想像に難くない。

 ターニャは彼らのことを憶えている。完全な唯物主義者で、極端な外国人嫌いだと。
 口を開けばソヴィエトの栄光を讃え西側への嫌悪を罵っていた。彼らの望みが、シベリアに
かつてのソ連以上の組織国家を樹立し、冷戦時代の権威を復活させることなのは彼女に
とって明白だった。旧「ツガル」グループに率いられた自由シベリア党のスローガンは選挙を
重ねるたびに先鋭化し、シベリア地域の自治拡大から独立へと民意を煽り立てていった。
 これと軌を一にして、ミールヌイ#17最後の工作員「イスクリィ」への通信は増加し始めた。
彼女の行動能力を確認することもあった。どのように彼女を使用するか決めかねているように。

 この頃から祖父にみせかけて書かれた偽手紙も回数、文量ともに増えた。この偽手紙を
書けるのは、リピンスキー一家のことを直接知っている者だけ、つまり、旧「ツガル」グループ
だけである。

 彼女はロシアのスパイではなく、自由シベリア党のスパイになっていたのだ。

 恐らくは、反ゴルバチョフクーデター失敗を直接の契機としたソ連崩壊時にツガル上層部は
施設を痕跡を残さない形で閉鎖し、民衆の怨嗟と報復を恐れて潜伏したのだろう。
 だが彼らは復活を期し、切り札としてターニャへの指揮権は保持した。KGB内部でも厳重に
秘匿されていたツガルのことである。クーデターを率いたKGB議長クリュチコフが失敗直後に
自決したことで後任の議長へツガルの存在は伝えられず、「イスクリィ」という潜伏スパイも
また、ロシア共和国が認知することはなかったと思われる。

 そして4年の歳月をかけ姿を変え、野心の実現のために地下から姿を現した。
 羊の皮を被った狼が。

 そして今年の夏に、最初の行動命令が届いた。
 身辺を整理し、東京へ転居できるようにしておけと。
 イスクリィはターニャであることを終え、梁と別れた。
 彼の訃報を受けた直後に工藝館を辞め、次の指令を待っていた時にドアをノックしたのが
左京葉野香だったのだ。

 自由シベリア党は葛城梁のことなど知らない。第四部は知っている。彼女が梁の痕跡を
辿ることは、どちらの許可も受けない勝手な行動であった。

 シベリアからの最初の命令を第四部に伝えると、返ってきた指示は「従え」というものだった。
彼らとしても、東京への移動を前提とする命令のもたらす意味が掴みきれなかったのだろう。
 本来ターニャは葉野香の申し出を拒絶し、速やかに転居の準備にかからなければならな
かった。彼女は明確な期限がなかったことを恣意的に解し、第四部に報告しないまま
葉野香と行動することにしたのだ。
 黙っていれば、彼女を諜報戦争という薄汚い世界へ巻き込まないでおけるだろうと。

 だが、すぐに梁の生存の可能性という怪しい背景が浮かび、次いで春野陽子誘拐未遂
事件が起こると、ターニャは一刻も早く自分と葉野香たちを切り離そうとした。何も告げずに
姿を消してしまうことも考えたが、それでは問題がこじれるだけだと断念せざるを得なかった。

 真実は知りたかった。
 だがそれ以上に彼女たちの平穏な毎日を壊したくなかった。
 葛城梁が何者であるか知ることなど、彼女にとってしか意味のないことなのだから。

 しかし、事態は激流になすすべもなく浮沈する木の葉のように運命を弄んだ。

 すぐにターニャとチームの行動が第四部に知れた。数日のことならともかく、小樽を離れ
札幌の薫のマンションに泊まり続けていれば時間の問題でしかなかった。しかし連絡官から
伝えられた命令は意外なものだった。
 ロシアからの新たな命令が届くまで彼女たちと行動を共にしてよい。ただし、行動の一切の
精細な報告を欠かさないことと、国益に反する行動を一切取らないこと、そして絶対の機密
保持が条件だった。

 自分が身を引くことで調査を止めてもらうから、それで終わりにしてほしいという彼女の哀願に
対して、メンバーの経歴や家族構成が列挙されたリストが提示された。既に我々は事態を把握
している。だから命令を拒絶すれば彼女たちにどういう不運が降りかかるかわからないぞと
いう無言の脅迫だった。

 彼女にはどうして第四部が調査の続行を許したのか。許すというよりむしろ奨励するような
態度の理由がわからなかった。被弾した葛城梁のことを調べることがどういう形でか、第四部
の利益になるのだとすれば、葛城梁とは何者なのだろうか。彼がCIAの人間だと判ったときも、
彼女は心勧まぬまま報告した。いつものように電話口の向こうの連絡官は短い返事を返す
だけだったが、それが重大な意味を持たないはずがなく、第四部が何らかの作戦的な意図を
持って彼女たちの行動を注視しているのは明白だった。

 第四部は大きな組織ではなく、札幌に分散した彼女たち全員を疑われずに尾行するほど
多数のエージェントはいない。それゆえターニャは彼らから小豆大サイズの盗聴器を1ダース
ほど手渡され、春野家や椎名家に取り付けさせられた。この情報とターニャの報告で、第
四部はチームの行動一切を把握していたのだ。

 そして、風祭氏と薫たちが面談をした頃、シベリアから「イスクリィ」へ最後の命令が届いた。






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