罪と呼ばれしもの <5>



 まだ納得のいかない同僚たちを宥め旅館に戻ったターニャは、気晴らしにと全員で始めた
トランプ大会に興じるふりをしながら決意を固めていた。
 ちゃんと確かめようと。

 夕食と入浴と歓談で終わった夜。
 みんなが彼女に気を配り、後味の悪さを払拭しようと懸命になってくれていた。父さんが
日本にいた時に、こういう親切を受けたことはなかったのだろうか。あった、とは聞いた事が
ない。ツガルの指導官が「日本人に心を許すな」と繰り返すのを否定することもなかった。
祖国が定める義務を遂行するために父は北海道の地を踏み、献身的に職責を果たしてきたと
いう。

 やましさはなかったの?
 私がこうして抱えている忌まわしさは?

 みんなが寝静まった深夜。暗い中にぼんやりと浮かぶ天井の格子模様が、檻のように
感じられてならなかった。

 翌日、工藝館一行は近くの森林公園へと向かうことになっていた。しかし、ターニャは体調
不良を理由に旅館で休みたいと申し出た。一同は昨日のショックもあるのだろうと容易に
納得してくれたが、それならば全員で残って1日過ごすと言われ、「みなさんたちで楽しんで
きてください」と何度も繰り返さなくてはならなかった。

 みんなを見送って1時間。身支度を整えたターニャは町へ出た。足は記憶を辿り、昨日の
老人に出会った場所へと惑うことなく進む。あの時と同じように湯治客が散策する路地を抜け、
あれから誰にも買われることのなかった風鈴はすぐに見つかった。
 店の主人に尋ねると、老人の住居はさほど離れていないという。
 教わった通りに角をいくつか曲がると、目印になると教わった生垣が緋色の花を咲かせていた。
門柱には風雨で黒ずんだ角材に彫刻された「柴森」という名前。

 呼び鈴に人差し指で触れると、昨日のことが思い出された。
 「露助め!」
 ロシア人そのものを憎悪しきっていた叫び。
 また、同じことを言われるのだろうか。

 それなら、それでいい。
 私にふさわしいのは、みんなの優しさではないのだから。

 電気的な鐘が、家屋の中に響くのが聞こえた。
 そして近づいてくるスリッパの足音。
 「はいはい」
 引き戸を開けたのは、老人の代わりに謝罪した女性だった。
 「あら!」
 金髪の少女が立っているとは思いもしなかったのだろう。目を丸くしている。
 「こんにちは。突然、お邪魔しまして失礼します」
 「あ…、ええと、はい、こんにちは。あの、昨日は本当にごめんなさいね。悪気はなかったはず
なのよ。あの・・・・・」
 「いいんです。私、なにか不満があって来たんじゃないんです。今日は、お願いがあって伺い
ました」
 「お願い?」
 「はい。あのお爺さんと、話をさせてほしいんです」
 「えっ? お祖父さんと? それは・・・・・」
 「お願いします。ご迷惑だとはわかっていますけれど、どうしても、聞きたいことがあるんです。
ご在宅でしょうか」
 「ええと、いることはいるんだけど・・・・・」
 声をひそめる女性。
 「あのね。あなた、ロシアの人でしょう? うちのお祖父さん、どうしてかわからないけれど、
ロシアの人が嫌いなのよ。昔にいろいろあったかららしいけど。だから、また昨日みたいに
興奮していろいろ言ったりすると思うのよ。だから、話をするなんてとても・・・・・」
 「それでも、いいんです。何を言われてもいいです。ですから、お願いします」
 「そう言われても・・・・・困ったわね・・・・・」

 押し問答を10分ほど続けただろうか。
 先日の負い目から無下に断ることもできずに、女性が応対に苦慮しているのがわかる。
どうしても会わせてほしかったが、これ以上はこの人を困らせるだけかと諦めて引き下がろうかと
思った時、奥から、声がかかった。

 「幸恵さん。入(い)れっせ」

 あの老人の声だった。昨日の激昂をちらりとも窺わせない、枯れた声。
 「いいから、入れっせ」


 ターニャが案内されたのは、炬燵とストーブで暖められた居間だった。勧められるまま、
座椅子に腰掛ける老人の正面の席に座る。
 老人は読んでいた新聞を丁寧に畳み、脇に置いた。
 年配の女性、老人の息子さんの妻である幸恵さんは、いつ祖父が拒否反応を示すかと
戦々恐々として、傍を離れようとしない。
 「幸恵さん。お茶、淹れなせ」
 「はい。あの・・・・・」
 「心配いんね。何ンも悪さしねから」

二人だけを残すのにためらいを感じながらも台所へ出ていく幸恵の耳に、「おらさ、話あるん
だか?」と孫より年少の少女に問い掛ける声が聞こえた。青森鈍りのきつい言葉でも、ツガル
仕込みの高度な日本語能力を持つターニャには聞き取ることができる。
 「はい・・・・・」
 「昨日のこと、怒ってるんだば、詫びさ入れる。あンたが悪いんでね。あンたがなにしたわけ
でもね。済まねことしたな」
 頭を下げる柴森。短く白髪を刈り上げた頭を数秒ほども。
「いいんです。私、気にしていません」
 彼女は謝ってほしくて来たわけではない。そうはっきりと言った。
「でも、教えてほしいんです。あの時、私に向けた憤りの理由を」

 老人は、上げた顔をターニャに向けようとはしなかった。
「なして。聞いてなんとする」
 顔を伏せながら、彼女は理由を探してポケットをさぐる。
「どうするのかは、わかりません・・・・・。ですけど、私がしなくてはならないことが、わかるんじゃ
ないかと思うんです・・・・・」

 ターニャ・リピンスキーが何を願っているのか、老人に理解し得るはずもない。彼女が失って
きたものを、柴森は知る由もない。
 だが、かつて片足を失ってしまった彼には、彼女を苛んでいる空洞が見えたのかもしれない。
「おめさん、年なンぼだ」
「14歳です」
「14か。最初の戦争さ始まったのが、おらがそンくらいの年頃だった」

 老人、柴森謙蔵は短かった大正時代にここから程近い青森県内の町で生まれた。小さな
材木問屋を営んでいた柴森家は裕福ではなかったものの、一家を養うのに不自由することは
なかった。
 尋常小学校を卒業すると同じに実家の手伝いを始めた彼の元に、徴兵令状が届いたのは
20歳の時だった。
 中国大陸での戦火は拡大し、皇軍の勝利が連日新聞を飾っていたが、戦争の終わる気配は
なかった。一人、また一人と町の見知った若者が軍服を着用して、家族や町内会の人たちに
万歳三唱を背中に受けながら列車に乗りこむ姿を見慣れていた彼は、ついに自分の番が来たの
だと固く赤紙を握り締めるしかできなかった。
 既に二人の兄は出征し、長兄は関東軍の歩兵として満州に、次兄は青森出身者で編成
された名高い百武部隊の一員としてニューギニア戦線にいるはずだった。徴兵検査を受けた
時から祖国のために、いずれは銃を持ってアメリカ軍や中国軍と戦わなくてはならないのだと
肝に命じていた。
 特に、彼は政治的な主義主張など持っていなかった。小学校しか出ていない彼にとって、戦う
理由は与えられるものだった。出征を拒めば憲兵隊に捕らえられて処罰されるだけのこと。
そして残る家族の全員が非国民の母よ、アカ(共産主義者)の妹だと非難を浴びる。選択の
余地なく、彼は陸軍二等兵として鉄道と船で満州へと送られていった。

 満州の帝国陸軍と言えば精鋭を謳われる関東軍であったが、彼は同じように徴兵された
ばかりの兵士たちによって編成された新設連隊に配属された。彼などに知らされることは
なかったが、大陸南方で激化している国共軍の抵抗で兵力不足が深刻になり、満州の治安
維持とソ連軍の南下を抑止するために駐留していた関東軍の一部が援軍として配転された
穴埋めをするための部隊であった。
 (国共軍:蒋介石に率いられた国民党軍と共産党の毛沢東の指導する紅軍の連合軍)

 満州での任務は、予想したほど危険なものではなかった。配備された北満の町伊春(イー
チュン)における軍事活動といえば、満州人の盗賊、馬賊が時折出現する程度で、有力な抗日
ゲリラ部隊も存在していなかった。敵よりも古参の軍曹の容赦ない鉄拳制裁の方がよほど
恐ろしかったものだ。

 北の国境線の向こうには、ソ連軍がいる。だが、日ソ不可侵条約が締結されている以上、
ソ連と戦争になることはないはずだった。上官はいつも北からの脅威を笑い飛ばしていた。
同盟国ドイツに苦しめられているソ連がたいした兵力を揃えているはずもなく、もし血迷って
侵入してきても帝国陸軍の敵ではない。日露戦争の時のように木っ端微塵にしてヒトラー
総統を喜ばしてやると。

 三国軍事同盟を結んだドイツとソ連が戦い、日本はソ連と不可侵条約を結んでいるという
奇形的な国際情勢を、疑問視する兵士はいなかった。兵隊は兵隊の仕事をするので精一杯
だったのだ。彼らの目的は、ただ五体満足で国に帰ること。それだけである。軍功を挙げて
故郷に錦を飾るなどと言うのは軍人一家で育った士官や短絡的な軍国主義者ぐらいで、満州に
いる一般の兵卒は早く海軍がアメリカ軍を殲滅して戦争を勝たせてくれないかと願っていた。
いつまでも止まないパルチザンの抵抗運動に対処するための山狩りや厳しい訓練が、彼らの
戦争のすべてだった。






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