渦紋の果て <4>



 セリザワに電話を掛けるまでの2日間。ターニャは静養させ、その間にチーム全員の時間の
余裕はセリザワが話した事の裏付け調査に当てられた。留学案内の本から、葛城梁が通った
とされる大学について。国際関係の本から、CIAについて。情報量は増えたのだが、それは
ただの知識の枠を出ない。葛城梁が外国人なら、彼のパスポートの記録などがわかればいい
のだが。

 葉野香と梢は、陽子の助言に従って再び登記所にいた。
「商業登記ってのは、『外国会社』を他の会社と別に扱うんだって聞いたんだよ。社会部の
法務担当に。だから、ちょっと見ておいていいんじゃないかね」

 その指摘は的確だった。外国会社用の登記簿に「都市開発調査社」が登記されていた。
株式会社として設立されたのは1959年。なんと、それ以来取締役などは一切変更されて
いない。記載は法律の定める定期的な更新登記だけ。40年も経てば一人や二人が亡くなっ
たりしているだろうに。これでは名前に意味はなさそうだ。間違いなく休眠しているのだ。
 だが、一つだけ目立つ記載があった。暫く前に法律が変わり、株式会社の最低資本金額が
引き上げられた。ちゃんとその変更登記もされている。しかし、この法改正でそれまで数十
万円でよかった資本金が一千万円になったのだ。これだけのお金がどこから出たのか。
休眠会社を維持させようとする意志が、目的が明確に存在するとしか思えない。



 セリザワとターニャが再会したのは、札幌郊外のとある大型量販店の屋上駐車場だった。
まだセリザワ自身にも警戒を怠れない状況を考慮して、おそらくは自分で車を運転しては
来ない彼から逃れやすいように、鮎が葉野香とターニャを車で運んだ。由子がバイクで
出入口を確保する。

 平日の午前中。
 バブル期に華々しく出店されたものの、もともと地理的に不便なためテナントは次々と撤退
してしまい、閉店の噂が囁かれる店ということで、人影はなくほとんどが従業員のものと思わ
れる車が固まって停まっているだけだ。

 指定の自動販売機の前に、セリザワは所在なげに立っていた。
 手にはコーラの缶。
 約束の時間よりかなり前から待っていたようだ。

 車を乗り付け、ターニャが後部座席の左ドアを開ける。二日でかなり体力を回復してはいるが、
なるべく疲労しないように座ったまま対応することになっていた。助手席の葉野香は車を降り、
何かあればターニャを庇えるように左リヤタイヤの側に立った。鮎はエンジンをかけたまま
運転席に残る。

 残っていた缶の中身を飲み干し、空き缶用のゴミ箱へ落として歩いてくるセリザワ。今日は
スーツにネクタイではなく、ジーンズにポロシャツというこれまた平凡な服装をしていた。
「今度はすぐに会えたね。この間は体が悪かったようだけど、もう良くなったのかい?」
「はい」
「葛城梁と連絡は取れた?」
 葉野香が割り込むと、彼はいくらか肩をすくめた。
「君は? また彼女の友達か?」
「そうだよ。で、なにかわかったのかって聞いてるんだけど」
 首を振りながら髪を掻き上げる彼。
「いや。僕のところには連絡がない。領事館に足を運んだんだが、彼について聞いてまわる
わけにもいかないんでね。知り合いがいるから、ここでCIAがなにかしていないか雑談の中で
聞いてみた。動きがあるのは確かだが、具体的なことは出てこなくて」

 意図的に、葉野香はそっけなく言い捨てた。
「ひとつあんたが知らないことを教えるよ。葛城梁はもう死んでる」
「What!?」
 衝撃のせいだろう。いかにもアメリカ人らしい発音が日本人にしか見えない顔から吐き出された。
「日本語の新聞は読める?」
「ああ。よほど複雑じゃなければ」
「じゃあ、これを読んで」
 ダッシュボードの上に置いておいた、あの事故を報じた新聞のコピーを手渡す。

 一面の4分の1ほども占領する現場のカラー写真。
 『道央自動車道から転落』
 親指ほどの葛城梁の肖像。

「もう1ヶ月も前になるのか・・・」
 何度も顔の上下を繰り返して文字を追っていたセリザワが呻くように言った。
「どう?わかったでしょ。これで国に帰る気になった?」
 はいそうですかと諦めるようなら頼むに足りない。

 葉野香に畳んだ新聞が突き返された。「No」という返事と共に。
「どうして?」
「僕がCIAに事情聴取をされたのは、この事故から1週間も後のことだからね。連中はこの
事故をわかっていたはずだ。なのに、今どこにいるかってことを知りたがった。だからCIAは
彼が生きていると思っているんだ。それに、前にリピンスキーさんと一緒にいた女性は
『リョウを探している最中』だと言った。生きているから、そう言ったんだろう? 本当は生きて
いる?」
 理路整然と反論を組み立ててこられ、いくらか相手を甘く見てたなと、葉野香は自戒する。
東大並のエリート大学を出ているんだ。人のよさそうな風貌の下には、緻密な頭脳が収まって
いるだろう。

 小道具の新聞を窓から助手席に投げ入れた葉野香。一度だけ周囲を見回してから、セリ
ザワのグレーがかった瞳を見据える。
「私たちは、彼がこの事故では死んでないことを知っているよ。でも、どこにいるかは知らない。
ずっと調べているけれど、そうされると困る人たちがいるらしくて私たちは狙われているんだ。
CIAとは別。相手は銃を持っているし、技術力もある組織。
 それで改めて聞くよ。
 あなたは一昨日、ターニャに協力したいと言ったね。まだその気がある?」

 セリザワは視線を外し、自分をずっと見ているターニャに向き直った。幾度か酸素を欲しがる
魚のように口を開け閉めして、言葉にしたいことが日本語にできないもどかしさを腕をふらつか
せて示していた。

 深呼吸をひとつ。

「その前に、ミス・リピンスキー。あなたに一つだけ聞きたい。あなたは、彼の仕事を知って
いなかった?」

「はい。なにも」
 伏せた瞼からは、見えない何かがこぼれていた。セリザワには見えたのかもしれない。
「そうですか・・・・・」
 とだけ言って、葉野香へと右手を差し出した。
「わかった。協力させてもらうよ。僕もどうにかして彼を見つけて話を聞きたいからね」




 その頃、あるビルの一室にて。
 窓のないその部屋は、恐らく地下室なのだろう。
 故意に照明を落としてあるのは、参集した者全員が表情を読まれるのを嫌っているからなのか。
 楕円形のテーブルに向かう6人の男女。
 立っている人物が一人。

 閉じたフォルダが投げ出される。
「対象の目的は結局のところなんだと言うんだね」
「国益に反するわけではありません」
 このブリーフィングの説明役である、立っていた男が明言を避けて答える。
「事ここに至っては、法執行力を越えてでも対象を処断すべきではないのか?」との声。
「今、そういう干渉をすればなにもかも台無しです。綱渡りではありますが、事態は我々の手の
内から出てはいないのです」
「本当にそう言えるのかね。連絡も不定期になったというし、対象が暴走すれば止められまい?」
「暴走するような、弱い精神の持ち主ではありません。これは確言できます」
「あなたの首程度で済む問題ではないんですよ。政府の方針そのものを覆すようなことをされて
はね。わたくしは、この工作そのものを直ちに止めるべきだと強く勧告します」
「あなたの勧告は重く受け止めておきます」
 保身ゲームのイカサマ師めが、とは言い添えなかった。

 議事録のない会議は、まだ続く。






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