クロスワード・サークル <4>



 これからどんな災厄が襲いかかってくるかわからない。
 唯一の武器となるはずの真実。
 この日、薫の発案で行われた作戦の首尾はターニャの電話にかかっていたと言っていい。

 まず、録音したテレコの内容を全員で聞く。幸いに録音状態は良好で、音量を上げることを余儀
なくされて周囲から不審な視線を受けることは避けられた。

 2分あまりの短い通話を、確認のためにもう一度再生する。

「大学時代の友達か・・・・・」
 由子の呟きを皮切りに、活発なディスカッションが始まった。それだけの情報がこのテープには
含まれていた。
 スティーブ・J・セリザワと名乗った相手は声からすると20代〜30代。
 最初英語で話したことから、英語を母語とする文化圏の出身であろう。
 日本語は巧みだが、外国人特有のなまりがある。
 これらの点は運河工芸館に現れた人物像と一致する。

 葛城梁の名前を知っていた。
 実はターニャと自称伯父の葛城啓二以外で彼の存在を知っていた人物というのはいないのだ。
そもそも葛城梁というのが本名なのかすらわからないでいたのだが、そう名乗っていた相手が
ターニャだけではなかったという点からすると、本名の可能性が高まった。

 葛城梁とターニャの関係を知っていた。
 恋人だろうと指摘したことからすると、恋愛関係にあったことはわかっていてもターニャから別れを
告げたことまでは聞いていないようだ。
 ターニャ以外との人間交流が存在しないかに思われていた葛城梁に、恋人の存在を明かす相手
がいたというのが新発見であった。

 ターニャを探していること。
 今小樽にいるというのは、彼女と出会うためだろう。
 工芸館を訪れたのは4日前。
 それからずっと小樽にいたのだろうか。

 葛城梁を探していること。
 ターニャはあくまで葛城梁へと繋がる手がかりとして会おうとしているらしい。
 彼は葛城梁の行方がわからないと言っている。
 それは死亡と報じられたあの「事故」を知らないからなのか、知っていて、更に車内で死んだのが
葛城梁ではないことまでも知っているのか。

 そして、葛城梁がアメリカの大学に通っていたということ。
 これが最大の議題となった。

「ターニャ、あなたは知らなかったのよね?」
 薫の問いに、こくりと頷く黄金色の髪。
「大学に行っていたことは普段の会話からわかっていましたけど、日本のどこかだと思っていま
した。私が勘違いしていただけなんでしょうか・・・・・」
「それはないと思うね。アメリカの大学ってカリキュラムとか全然違うし、そもそも隠したり気取られ
たりしないようにすることじゃないじゃない。わからなかったのは、彼がわざとそうしてたからだよ」
 きっぱりとした梢の断定。
 その瞬間、ターニャの表情がふっと曇ったのに鮎は気づいた。隣の梢の脇腹を肘で軽く押す。
「ちょっと、先輩」
「なによ」
「あんまり、はっきり言わない方が・・・・・」
「どうして?」
 梢の言う通りだとすれば(その可能性が高いのは誰もがわかっていることだが)、ターニャにして
みれば信じていた恋人が過去を故意に偽っていたことになる。
 外国の大学に籍を置いていたことなど、知られて困る理由があるとは思えない。見栄を張りたくて
レベルの低い大学に行っていたことを隠すのならわかる。しかしターニャが外国の大学の水準など
知っているはずもなく、隠す意味がない。それに大学生活は4年あるのが普通だ。27歳の葛城梁
にとって海外での日々が経験に占める割合は決して少なくないはず。会話の中にエピソードの一つ
や二つ出ていて当然だ。それがまったくなかったのなら、故意の隠蔽と思わざるを得ない。

 もし葛城梁が、「このことは二人だけの秘密にしてくれ」と一言添えれば、ターニャはどんな相手で
あろうとちらりと匂わすことすらしなかっただろう。
 彼を信じていたから。
 だが、彼は彼女を信じていなかったのか。
 それとも、学歴などという些細なことすら嘘をついていたのか。
 それが恋人への自然な態度と言えようか。

「いいんです。鮎さんも里中さんも気にしないでください。私のことより、真実を見つけることの方が
大事ですから」

 素人の手がけた彫像のようなひび割れた微笑みが、口元だけに張り付けられていた。その痛々
しさに梢もバツが悪そうに黙ってしまう。
 晴れ渡っている空が別世界のように陰鬱になる空気を押し退けたのは葉野香だった。
「彼が英語を話せることは知ってた?」
 ここで躊躇をしていたら、ターニャの苦悶が長引くだけだと。
 質問に答えることで感情よりも理性が働くのか、彼女はいくらか落ち着いたようだった。
「それも知りませんでした。でも、映画を見に行った時に字幕に頼らないことが何度かあったように
思えます。笑うところで、他の人より早く笑ったり。だから、学校で成績が良かったのかなって」

 続ける葉野香。
「サン・ノゼって地名が話題に出たこととかない?」
「いいえ。初めて聞いた名前です。これは、地名なんですか?」
「多分そうだよねぇ。でもどこの国だろう」
 琴梨が顎をつまんで高校の時使っていた地図帳を脳裏に広げてみる。しかし出てこない。
「やっぱりアメリカじゃないかな。私さ、2年前は隊の研修でアメリカのカリフォルニア州に1年いたん
だけど、聞き覚えがあるような気がするんだ」
 そう話す由子を受けて、梢が手を動かす。
「検索してみるね。サン・ノゼと・・・・・」

 由子の言う通り、カリフォルニア州の中央部、サンフランシスコから内陸に少し入った場所の近く
にそういう都市があった。世界には他にも同じ名前の都市もあるのだろうが、大学があるほどの
大きな都市はそこだけのようだった。アメリカの役人であるセリザワと同窓生だとすれば、大学が
アメリカにあるのも自然なことだ。全米有数の大都市であるサンフランシスコの衛星都市らしい。

 そこにある大学はスタンフォード大学。
 留学案内のホームページからすると、東のハーヴァードに西のスタンフォードと並び称される
ほどの名門大学だという。日本で例えるなら東大と京大のようなものだろうか。ハイテク産業で
有名なシリコン・ヴァレーが近いことから技術・研究系にも強く、さらにアメリカにおける日本語
教育の中心的大学だと紹介されている。

 本当に葛城梁はここにいたのか。
 どうしてターニャにも隠していたのか。

 この答はまだ出るはずもない。

 留学生だったのか正式な学生だったのかもわからない。大学に問い合わせるべきだろうか。由子
は英会話ができるし、薫もなんとか使える。梢が既に翻訳ソフトを使ってスタンフォード大学の公式
サイトを閲覧していた。ここにメールを出してもいい。
 しかし、それで何がわかるだろう。

 やはり、スティーブ・J・セリザワからもっと情報を入手しなければならない。

 今日のことで、少なくともこの人物が積極的な害意を持ってはいないだろうと推測できるだろう
か。
 葛城梁の友人?
 国務省の職員?
 小樽にいる?

 どれも確証はない。
 だがそれも、薫の立案した計画では想定されていたこと。

 今日の電話の目的には、スティーブ・J・セリザワがどこにいるかを知ることも含まれていた。
小樽にいるなら、問題はなかった。





トップへ
戻る



クロスワード・サークル <5>