クロスワード・サークル <3>



 この日の会合場所は、好天を利用して屋外にしてあった。

 札幌市内を流れる豊平川の河川敷に造成された緑地帯。日曜日ということで、小さな子供を連れ
た家族がボール遊びに興じていたり、中学生から老夫婦まで年齢もさまざまなカップルが散策して
いたりしている。
 かたんかたんと時折聞こえるのは、函館と札幌を結ぶ鉄道が鉄橋を抜ける音。
 堤防の遊歩道では散歩している犬とウォーキングする人間が道を譲り合っていた。

 北の大地に訪れる冬は、いつも駆け足だ。
 もう一枚カレンダーをめくれば、妖精の羽毛が初雪となってこの街の空をデコレーションする
だろう。
 でも落葉を急がせる冷たい風も、太陽を独り占めしようとする意地悪な黒雲も、今日は席を外して
いる。最初に到着した春野陽子と琴梨は、午前中いっぱいをかけて柔らかく暖められた空気を
ゆっくりと吸い込んだ。

 芝生の上に大きなレジャーシートを敷いて、魔法瓶から紅茶を注いだところで鮎と由子が到着。
続いて薫・梢組。琴梨が用意したサンドイッチ中心のお弁当は瞬く間に消費されてゆく。傍目には
どこかのパートさんのお茶飲み会にでも見えるだろうか。誰も靴は脱がず、笑顔と冗談が欠け、
周囲をちらちらと意識して見やっていなければ。

 ターニャと葉野香が堤防の上に現れたのを由子が発見して教えると、みんなの顔に安堵の色が
浮かんだ。まだ作戦の第一段階が終わったに過ぎないが、危ない橋だと誰もがわかっていた。
彼女たちもこちらに気づき、真っ直ぐに向かってくる。
 と、その時、二人に近づく姿があった。

 若い男の3人組。
 ターニャたちを取り囲むように話しかけている。
 とっさに彼女たちのもとへ駆け出す由子。

「ねぇ彼女。何しに来たの? 俺たちさ、これから・・・・」
 そう軽薄な笑顔をちらつかせてナンパしてくる男に、
「急いでるんだけど。それじゃ」
 そう言い捨てて、ターニャの手を取り大学生風の男たちの脇を通り抜けようとする葉野香。
男たちはわざと立ち塞がるように動いて、しつこく話しかけてくる。
「待って待ってよ。つれないなぁ。少しぐらいよくない?」
「あ、君、外人? 日本語OK? 名前教えてよ。ホワッチュアネイム。わかる?」
「君ら大学生? 高校じゃないよね。俺たちはさ・・・・・いててっ!」

 最後の言葉は、由子に腕をねじ上げられて途切れた。
「私の友達に、なにか文句でもあるのか? え?」
 関節の仕組みを理解した鮮やかな手つきで、さほど力を入れなくても大の男が痛みで動けなく
なっていた。由子の鋭い眼光にたじろぐ残りの2人。
「よそでやりな」
 手を離してそう言うと、見方によれば男女3人ずつでナンパしやすくなったという状況にも全く思い
至らず、男たちは足早に立ち去っていった。

「桜町さん。ありがとうございます」
「なに、軽い軽い。さ、行こう」
 二人の間に入って、片腕ずつターニャと葉野香の肩にまわす。
「それとターニャ、私のことは桜町じゃなくて由子。ね」

 みんなの元に合流すると、鮎がすぐに尋ねてきた。
「ね。今のなんだったの?」
「ナンパだよ。まったく、あんなバカ相手にしている暇ないってのに」
 葉野香が苦々しげに愚痴る。
「誰かの回し者ってことはないかな」梢はその可能性から、3人の顔をデジカメで撮影しておいた。
「ないとは言えないけど、悪人ってよりかは頭の軽い大学生ってとこだね。体を鍛えている様子も
まるでなかったし。もうどっか行ったし、近くに寄ってこなければいいとしよう」
 そう由子が締めくくった。

 「美味しいです」とターニャが紅茶で喉を潤したところで、この日の経過をそれそれが説明し始め
る。
 まずは陽子。
「どうやら、私をさらおうしとしていた男が持っていたのはトカレフって拳銃みたいだね。テレビなん
かで見るのより大きかったのは覚えているから、それっぽいのをいくつかお店の人に見せてもらっ
たんだけど、多分間違いない。中国製で、日本には多く密輸されているらしいね。これは」
「トカレフは、俗に言う安かろう悪かろうって拳銃だよ。暴力団とかに流れているけど、質が悪くて
暴発しやすいからそういう意味でも危険だね。確かにでかい。それは小型化して量産するってこと
が中国の技術力では難しいからだけど。でも口径も大きいから、殺傷力は高めだね。もっとも、命
中精度はかなり低いよ。50mも離れたらそうそう当たらない。私が知っているのはこんなとこかな」

 梢が携帯で繋いだノートパソコンを駆使して、トカレフのモデルガンの写真を画面に出した。
「これがそうか・・・・・」
 鮎にはそれ以上の言葉は出てこない。
 黒く、鈍く光る鉄の塊。
 それは恐怖でもあり、慕う陽子おばさんをこんなもので脅した相手への怒りでもあった。
「ね。ターニャ。葛城梁が持っていたのとは、似てないよね」
「ええ。全然違います。もっと小さかったし」
 陽子誘拐犯と葛城梁は、ともに拳銃を持っていたがその種類は別。そこになにか意味はあるの
だろうか。

 次に薫が話し始めた。
「例の事故現場を見て思ったんだけれど、どうにも不思議な事故だね。あれは。確かに緩やかな
カーブになっているけれど、スピードを出していても曲がり切れなくなるほどの角度じゃない。右側
車線と中央分離帯の間隔も狭くないし、わざわざハンドルを右に切らない限り乗り上げたりしない
ね。梢さん。写真出して」

 薫に同行した梢は、現場をいくつもの方向からデジカメで撮影してパソコンに取り込んでおいた。
車座になっている一同の中央に置いて見せる。
「陽子さんの目撃情報によれば、この位置で急にハンドルを右に切ったってことになる。でも、
写真の通り、ここはカーブの入り口より出口に近いの。もしスピードが出すぎていて、このままじゃ
曲がり切れないと思ったドライバーが大きくハンドルを切るにしては、タイミングが遅すぎる。ここ
まで曲がれたら、アクセルを踏まなければそのまま進んでいけるはず。ブレーキを踏んだのは
この辺ですか?」
「そうだね。ブレーキ跡も短く残っていたよ。かなり強く踏んだように見えたけど、あれでは余計に
バランスを崩す結果になったね。よっぽど慌てたのかと事故処理に来た警察官は言っていたけど
ねぇ」

「慌てた。私もそう思います。明かにこのドライバーはここで混乱した運転動作をしていますから。
問題は、なぜ混乱したか。タイヤはパンクしていなかったから、ハンドルを取られたわけでもない。
横からの突風があるような地点でもない。この現場までは普通に、速度違反の猛スピードは別に
しても、車を走らせていたドライバーが、突然酔っ払い運転を始めたような話です。体内に薬物
反応もアルコール反応もなく。理由がわかりません。どういうドライバーだったのかわからないけど、
自殺するつもりでなけりゃこんな運転はできないわ。事故にならないためには、なにもする必要は
なかったんだから。安全のためにすることといえば、ポンピングブレーキで減速するぐらい。でも
それはしていない。どうしても原因が思い付かないけれど、これは交通事故じゃない。なにかに
誘発されて起こってる。・・・・・だからね、殺人事件なのかもしれないって思うの」

 ターニャ以外の、それまで葛城梁という存在に関わることのなかった者にとって、高速道路からの
転落死がそもそものきっかけだった。全国にニュースで流されて、数百・数千万の人がパトカーと
消防車、くすぶり黒煙をたなびかせる残骸をヘリコプターからの生中継で見ている。どの局も
「事故」としか表現しなかった。警察の発表も「事故」だった。彼女たちだって、葛城梁が生きて
いるという可能性からこうやって調査をしなければ疑いを抱くことなどなかったに違いない。

 意図的に事故に見せかけようとして起こされたのか。
 警察が事件性を偶然見落としたのか。

 ここに、人の生死を覆い隠してしまう力が働いているとしたら。
 人の命を奪い、罪も罰もなく平然と立ち去ってしまう勢力が計画的に手を下したとするなら。
 自分たちの命の灯は、同じように闇から闇へと葬られてしまうのだろうか。

 秋の澄み渡った空の下に、平和な日本があるはずだった。社会システムによって保護される
国が。その背後に、地下に蠢いている毒蛇の牙を誰もが背中に感じていた。





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