堕天使のいた季節 <5>



 隣り合う席で、同じ言葉を検索していても時間と料金の無駄だ。小声で話しながら別々の単語を
入力し、調査開始。

 『葛城梁』『都市開発調査社』『道央自動車道での死亡事故』『拳銃』『誘拐』
 そして『スティーブ・J・セリザワ』
 正体不明の訪問者については、朝に会ってすぐにターニャが説明しておいたが、事態がより複雑
になっただけで誰にも筋道の通る理解などできなかった。

 「該当するサイトはありませんでした」という残念な結果から、「25891のサイトが見つかりました」
という気の遠くなるような結果まで出てくる。
 『葛城梁』という名前や『都市開発調査社』など、期待をかけていた言葉には収穫なし。

 わかったのは、葛城梁の所持していた拳銃が、おそらくはアメリカのものであると思われること。
暗がりで、しかも僅かな時間の目撃であったが、あまりに衝撃的であったせいでターニャは銃の
外形をよく記憶していた。モデルガンの写真を多数掲載しているサイトで比較して、恐らくはこれ
だろうというものを選び出したのだ。最も似ていたのはスミス&ウェッソン社のもの。他にも候補は
あったが、どれもアメリカのメーカーであった。

 見込みのありそうなサイトをチェックし続け、気がつくと既に昼近くになっていた。4人とも慣れない
モニター画面の凝視で眼性疲労に陥っていた。眉間が痛い。
「お昼にしようか」
 琴梨の提案に頷いて、みんなが席を立ち出口へと向かおうとする。
と、琴梨が振り返る。そこにはまだモニターに向かい何やらやっている梢の背中が。
「あの、里中さんも誘いませんか?」
「そうだね。教えてもらったのにそれっきりじゃ失礼だし」
「じゃ、私行ってきます」

 鮎などは内心、人付き合いの苦手そうな先輩だったから断るんじゃないかと思ったが、二言
三言の会話で、琴梨はあっさりと梢を連れてきた。さすがだ。

 入店したのは近くにある、葉野香が友人と時々利用するピザ・レストラン。ランチタイム直前だった
ことで、5人で大きなテーブルにつくことができた。一番奥で、出入口が見通せる理想的な位置だ。
暗黙の了解で、葉野香たちは葛城梁関係のことは全く口にしないで無害な話題をつまみに食事を
する。

 空の皿が下げられる頃に、葉野香の携帯が鳴った。薫からだった。周囲の目を気にしてエント
ランスへ。

 スティーブ・J・セリザワのことだった。わかっているEメールアドレスを利用して、安全な形でこの
人物とコンタクトを取る方法はないだろうかと。ターニャから名刺を見せられていたが、ネット初心
者の彼女にはわからない。
 すぐに思い付くのは、里中梢のこと。彼女ならそういうことにも詳しそうだ。
 偶然そういう娘と知り合って、今一緒にいることを話す。
 やはり巻き込むことを恐れて迷う薫だったが、曖昧な形で尋ねるだけ尋ねてみてくれと頼んだ。

 葉野香が席に戻ると、里中梢は外国人であるターニャが気になるらしく、いろいろと質問を重ねて
いるところだった。会話が途切れたのを見計らって切り出す。
「ねぇ、里中さん」
「んー?」
「例えばの話なんだけど」
 できるだけさりげなくしたいところだが、そういう腹芸はもともと得意じゃない彼女。とにかく例え
話にしておこうと決めた。
「ええっと、ある人がいて、その人のメールアドレスはわかってるんだ。その人から話を聞きたいん
だけど、直接会ったりこっちのことを知られたりはなるべくしたくないって事情があって、なんていう
か、そう、ストーカーみたいなことをされないように連絡を取りたいんだ。無理かな」
 尋ね方を模索しながらで、現実的とはとても言えない取って付けたような話になってしまった。
我ながら小細工のできない性格に呆れる。
 話の途中で葉野香の意図を察した鮎が、『まずいよ』と視線で合図した。あまりにも嘘臭い。
いろいろ根掘り葉掘り、逆に突っ込まれてしまうだろう。そう思って先輩の顔色を読もうとした。

 少し考える間を置いて、
「それは、相手次第だね」
そう梢は答えた。
「ただこっちからメール出すだけじゃなくて、返事を受け取りたいんでしょ。匿メールアドレスにして
も、結局は自分のとこに転送されて届くわけだから、技術によっては追跡できるよ。相手が高性能の
マシンとソフト持ってればね。いつだったか世界中にウィルスばらまいたメールが話題になったの
知ってる? あれも、結局は誰が作って出したのかわかっちゃったでしょ。まぁ警察だからできたとも
言えるけどね。
 ネットだから匿名で通せるってのは、幻想。相手が普通のPCしか持ってなければ、無料のメアド
どっかで取得して発信するともうわかんないだろうけど」
 鮎や葉野香の予想外に、梢は質問の意図など気にしていないようで、不審がる様子もなく技術
的なことだけに絞って答えをくれた。ほっとする二人。ターニャと琴梨は静かに説明を聞いていた。
安心した葉野香が続けて聞く。
「それって、どこで手に入れるの」
「無料のメアド? そういうのをサービスしてるサイトがいろいろあるよ。でもさ、PC持ってるの?」
「それが、ないんだよね」
「うーん。じゃ、携帯で受けるようにはできるんだけど、自分の携帯でやると相手の能力によっては
名前とかわかっちゃうかもしれないよ。PCより個人を特定しやすいから。万全を期すならプリペイド
式の携帯を偽名で買って使うとかってなるね」
「そうか。それなら辿られてもこっちのことはわからないってわけか。それならいけるかな」

 よし、今夜みんなで会う時にこの方法が使えるか話し合おう。
 うまくいけば手がかりが掴めるかもしれない。
 安堵して警戒心が緩む葉野香。

「ねぇ。本当にストーカー対策なの?」

 ただの質問ではなく、濃厚な疑いを抱いた、言い逃れを見逃さない詰問が梢から発せられた。
じっと瞳を覗き込んでくる眼鏡の向こうの強い眼光に、葉野香は不意に突き飛ばされたかのように
受け流す言葉が浮かばなくなる。
 ターニャたちもどうフォローしていいものかわからずに、彼女の視線が恐くて俯いてしまっていた。
その戸惑いで確信した梢が畳みかける。
「本気で偽名で買うつもり? 別に今は違法じゃないけど、そこまでするの? 自分の身元を隠した
ままメールしようってんでしょ。ただ話を聞きたいなら、男のフリしてメール書けばそれでいいじゃ
ない。自分が女だって知られてても、後腐れが嫌なら自分のメアドを替えるだけでいいし」
「えっと、それは・・・・・」
次々と言い訳の先手を打たれてしまい、素早い猟犬に追い立てられる獣のように脱出口を奪わ
れてゆく葉野香。
「なんか、隠してるでしょ。普通携帯持ってるのに、プリペイド式の携帯をまた新しく偽名で買おう
なんて思わないよ。今のはカマかけたんだ。そこまでするとしたら、よっぽどのことだろうから。
ちゃんと説明してよ。私、犯罪の片棒担ぐなんてやだからね」

 やられた。
 鮎は今更ながらに、あっさりと先輩が答えてくれた理由がわかった。いきなり葉野香さんに
『なんでそんなこと聞くの?』と問い返しても本当のことは言わないと読んで、わざと手間のかかる
方法を教えて反応を見たんだ。

 どうやってこの場を取り繕ったものか。
 四人とも、目配せで困惑のサインを送り合うことしかできることは思い付かない。

「私、ネットとかメールとか悪用する人大嫌いなんだ。何が目的か知らないけど、詐欺まがいの
ことしようとしているなら警察にだって黙ってないからね」
 そう梢は断言した。
 一般的になる以前からネットを活用していた彼女にとって、最近の『無法地帯』『犯罪の温床』と
いった表現が被せられるのが不愉快でならないのだ。正義漢を気取るつもりなんてないけれど、
自分が好きな場所を汚いことに使われるのは許せない。
「・・・・・・」
 毅然とした彼女の態度に、ネットを悪用するつもりはなかったにせよ、嘘をついて彼女を利用しよう
とした後ろめたさが葉野香を消沈させる。
「黙るってことは、やっぱり後ろ暗いことがあるんだね。春野さんとか川原さんがそういうことする
はずない。あなたか、その外人が」
 びしっと人指し指を目の前に突き出す。
「二人を騙してるんじゃないの? 人のことには干渉しない主義だけど、これだけあからさまに
怪しいと、こっちも見逃せないよ」

 ターニャの喉を、苦いものがこみあげる。自分のせいで葉野香さんは不似合いな嘘をついて、
糾弾されている。騙していると里中さんは言った。
 それは私。私のせい。
 悪いのはすべて私だと縛られることなく言えて、もう誰も傷つかなくて済むのなら。

 膝の上の小さな拳が、きつく握られていた。

 ずしりと重たく湿るテーブル上の空気。偶然か雰囲気を察してなのか、ウェイトレスが近寄ることも
ない。葉野香も鮎もターニャも、里中梢に告げるべき台詞をあてもなく探すだけだった。
 嘘を重ねることはもうできない。
 しかし事実はあまりにも陰惨で、毒物のように触れるものを蝕んでゆく。

「里中先輩」
 琴梨だった。
 集まる視線に動じることもなく、ゆっくりと話しはじめた。

「私たちは、悪いことをしているつもりはないんです。もちろん、これからもそうです。でも、先輩に
わけを話せば、きっとそれだけで迷惑をかけてしまうんです。いやなここととか、恐いこととかが、
先輩の身に起こらないように、左京さんはああいう言い方をするしかなくって。
 私も鮎ちゃんも、わかっていてしていることだから、左京さんもターニャさんも絶対に悪くないん
です。・・・・・せっかく助けてもらっていたのに、こんなことしか言えなくてごめんなさい、先輩」
 ぺこりと頭を下げて、上げた顔には、梢の鋭角な追求を跳ね返さずに受け止める柔らかな表情が
あった。微塵も迷いのない、まっすぐな視線。

 梢は琴梨のことを、それほどよく知っているわけではなかった。同じ学校でも学年が違えば接点は
乏しくなるし、テニス部でも普段の活動に参加していなかった彼女は、文化祭の準備などの機会に
協力することがあった程度だった。
 それでも、春野琴梨の言葉に尽くされた誠意が込められているのがわかった。

 彼女たちが何をしているにせよ、自分や周囲の人を裏切るようなことではないのだろう。
『いやなこととか、恐いこと』というのは大げさじゃないかと思うけれど、心配してくれているのだから
無碍にすることもない。
「わかったよ。もう聞かない。嘘ついたことも勘弁してあげる」
 神妙になった葉野香が、素直に謝罪する。
「悪いことしちゃったな。本当にごめん」
「いいよ。事情があるんだろうからさ。もう気にしてない。じゃ、そろそろ私出るね。ばいばい」





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