青が落とす影 <6>



 葉野香は全員に、ここまでの行動でわかったことをひとつひとつ順序立てて説明した。

 銃創を負った葛城梁がターニャの部屋を訪れたこと。
 翌朝の事故で、彼だと思われていた犠牲者は名も知れぬ別人であろうこと。
 調査の課程で椎名薫という女医と知り合い、協力してくれることになったことを。
 葛城梁の正体が深い謎に包まれていることを。
 事故を目撃した陽子にもう間違いがないだろうが尾行が付き、外国人風の男が誘拐を図った
ことを。

 後を受けてターニャが、知る限りの葛城梁を語った。
 かつて恋仲にあって、接吻を残して行方を絶った男のとの3年間を。


 それは誰にとっても驚愕すべき内容だった。俄には信じ難く、次々と質問が飛ぶ。答えられるだけ
細かく応じる葉野香とターニャ。

「じゃ、死んだはずの人が生きているの!?」
 大きく両手を広げて体を乗り出し、仰天ぶりをアピールする鮎。
「それは、まだわからないんだよ。別のところで・・・・・あ、ごめん」
 うっかり配慮が足りない言い方になってしまい、しまったという顔をする葉野香。
 しかしターニャは、すでにその可能性、どこか別のところで亡くなってしまっている可能性を考えて
いた。
「いいんです。事実ですから」
 そう静かに言葉を繰った。

 問いかけと議論が、リビングで飽和する。

「本人が生きているとすれば、なんで名乗り出ないんだろう。戸籍とか抹消されちゃって、困るはず
なのに」
「すぐに困るってことはないのかもしれないけどね。それに、別の身分を手に入れるなんてこともでき
なくはないと思うよ。お金出して売り買いされるってテレビで見たもん」
「出てこないのは、監禁されててしたくてもできないのかな」
「今日のことを考えると、その線もあるね」
「もしくは、表向きは死んだままでいたいってことかな。そのメリットってなんだろう」
「追われてたわけだから、死んだってことになればその心配だけはなくなるよね」
「なんで追ったり追われたりってことになったんだろう」
「だいたい、彼も拳銃を持っていたんでしょう。警察官とか自衛隊の人じゃないんだから違法だよね」
「自衛隊員だって、基地の外で持ってたら違法だよ。拳銃の持ち出し管理なんか厳重だから、まず
隊員でも不可能だね」
「暴力団とか、そういうところと繋がりがあるのかねぇ」
「でも、本物だったかどうかもわからないよ。実際に使ったのを見たわけじゃないんでしょ。ターニャ
さん」
「はい」

「ちょっと待って。まだ葛城梁のことを議論しててもどうせ結論は出ないよ。情報が少ないし、可能性
が多すぎる。それより、わかっていることを整理しようよ」
琴梨が部屋からノートとシャープペンを持ってきた。

『わかっている情報』
 葛城梁の顔写真2枚。
 身長178cm、体重約67kg。
 均整の取れた、スポーツマン的体格。
 免許証の生年月日によると現在27歳。
 普通免許のみを取得。
 「眼鏡等」の記載がないことから、視力は健全。

 3年前、ターニャと出会う。
 平日に時間のつくれるライフスタイル。
 国産車を所持。事故で焼失した車がそう。
 金回りは悪くない。
 言葉に方言はない。
 銃器を所持。
 左肩に銃創。

 高速道路で死んだのは葛城梁ではない。
 身元確認者の存在。

 誘拐犯は銃で武装。
 東洋系の外国人。



『裏付けはないが可能性の高い情報』

 札幌近郊に生活圏を持つ。
 時折東京方面へ行っていた。
 大学まで進学した。



『確かめるべき疑問』

 葛城梁の生死。
 経歴。
 職業及び生活資金の出処。
 そもそも葛城梁とは本名か。
 都市開発振興社。
 事故原因。
 伯父。
 事故死した人。
 葛城を追っていた相手。
 陽子誘拐未遂犯とその目的。

 ノートを脇から覗いて、鮎が嘆息をついた。
「わからないことだらけだねぇ」
「でも、どれか一つでもわかれば大きく進展するはずです。特にこの」
 葉野香が一点をはっしと指し示した。
「身元確認に来たという伯父。この人に会えればかなりのことがわかるはずです。ただ燃えていた
せいで間違えて、遺体を葛城梁だと確認したとしても、彼の過去をきっと知っています。もし故意に
他人を葛城梁だと認めたとしたら、この謎に無関係だとは考えられませんし」
「そうだね」と一同。
「明日、今日のことも椎名さんに話してきます。何か調べてくれるかもしれませんから」
 その瞬間、葉野香の携帯が鳴った。
 神経過敏になっているみんながびくりとするのを、笑顔でなだめる。
「あ、私、椎名ですが」
 聞こえてきたのは、落ち着いたドクターの声。
「椎名さん! ちょうど今名前が出たところだったんです」
「そうなの? ターニャもそこにいるの?」
「はい。代わりますか?」
「いえ、今はいいわ。それより、ずっと話し中だったわね。私は何事もなく帰れたって連絡しようと
してたんだけど」

 きっとチェロキーの追跡中だったのだ。急いで事情を話す。電話越しでも、薫が動揺するのがわか
った。
「それで、警察に連絡するかってことも迷っているんですけど」
「止めた方がいいわ」
 きっぱりと言い切り、理由を説明する薫。
 第一に、もう犯行から時間が経ちすぎている。更に、監察医務院では話せなかったが、あの遺体
が別人だったということで警察は困難な立場に置かれることになる。大失態であることは間違い
なく、遺体が残っていない以上ターニャの証言以外に証拠は乏しい。揉み消すことが容易なのだ。

 誘拐未遂での捜査にも、犯人を特定できそうな遺留品もない以上、期待できない。警察を確実に
動かすには、もっと明白な証拠を集め、いざとなればマスコミに暴露できる体勢をとってからにした
方がいい。
 そしてもうじき、研究所から遺体の化学検査の結果が届く。それを待ってからにしたい。

 これらのことを葉野香が伝えると、誰もが無言で頷いた。明日の昼、大学近くの喫茶店で会う
約束をして通話を終える。

 そして彼女は、携帯の液晶画面の数字で約束が今日のものになっていたことに気づいた。もう
夜も更け、日付は変わってしまっていたのだ。まだ、話し合いたいことは尽きないほどにあった。
しかし陽子やターニャの顔には疲労の色が濃くなっていた。この辺りが切り上げ時だろう。

 ただ、最後に確認しておかなければならないことがあった。
 これからのことだ。

「これからのこと?」と由子。
 表情からすると彼女はまだまだ元気そうだ。さすが自衛官だな、と妙なところで感心しながら葉野
香が説明する。
「そう。春野さんがさらわれそうになったのは、私やターニャのせいだけじゃないと思うんだ。あの
事故を目撃したことがどこかで関係してる。だって、私やターニャが動いたせいなら、接触するより
前から尾行がついていたことが説明できないもの」
「そうだね」と陽子。
「だから、琴梨さんも一緒にいたっていう親戚の人も狙われる可能性がある」
 この言葉に、眠気で重たくなりかけていた頭を琴梨がはっと起こした。不安をありありと浮かべて
母の腕を取る。
「ね、めぐみちゃん、大丈夫かな」
「あそこは家族が揃っているから大丈夫だよ。何かあったら、連絡があるはすだろ? でも、朝に
なったら電話しておこうね」
「うん」
 陽子が迷いを見せずに答えてみせたことで、強ばった琴梨の表情はいくらか和んだ。
 愛田一家全員に非命が訪れているという最悪の可能性を想定したそこにいる何人かも、決して
そのことを口にしなかった。

 葉野香が本題に戻る。
「それで、私やターニャもきっと目をつけられてる。さっきの椎名薫さんっていうお医者さんもそう
かも。今夜のことで桜町さんや川原さんも無関係じゃなくなってしまったかもしれない」
 自分のことが焦点になっていることがわかった由子が、「なるほどねぇ」と腕を組んで呟く。
 鮎は自分が陽子おばさんのように誘拐されるという想像をして、ぶるっとくる寒気に襲われた。
「二人は、今直ぐにここを出れば大丈夫かもしれないけど・・・・・」
 言いながら、そんなに甘くなさそうだと悲観せざるをえない。それは由子にも鮎にもわかった。
誘拐という非合法手段にまで訴える相手が、追跡した鮎の車のナンバーを見ていないはずがない
し、こうして事情を知った自分たちを好意で見逃してくれるとは思えない。

「私、みなさんにこれ以上迷惑をかけたくありません」
 ターニャがためらいもなく言った。
「もし桜町さんと川原さんが、春野さんや葉野香さんだって、こんな恐ろしいことから離れられる
なら、そうしてください。梁のことは、わからないままだっていいんです。それで傷つく人はいなく
なるんですから」

 悲痛に響く。

 事はもう、ターニャ個人と葛城梁の問題ではない。
 彼女がいかに望んだとしても、自らだけを犠牲にしたくとも、そうする術すらないのだ。
 全てから手を引いても、もう知りすぎてしまっている。

 すっくと立ち上がる由子。
「そんなことはしないよ。それだって確かじゃないんだから。とばっちりを食うぐらいなら、自分から
関わっていくよ」
 鮎も毅然として言う。
「あたしも。だって、陽子おばさんにひどいことする人なんて許せない。琴梨だってあたしの親友
だもん」

 こうなった以上、薫を含めた全員がグループになって相互に背中を護り合っていかなければなら
ない。今後の活動では絶対に単独行動をせずに2〜3人でチームを組んで動くこと、日没後の行動
は可能な限り避けること、監視の目を常に意識しておくこと、手に入れた情報は全員に伝えること
などを決めて、今夜は解散することにした。

「とにかく、情報だね。私たちを狙う相手がどんな連中なんだかわからないと手の打ちようがない。
明日から手分けして、葛城梁とは何者なのかをまずははっきりさせようよ。そうすれば、きっと全体
がわかってくるからさ」
「うん」
「そうだね」
「了解」





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