第27章 ある懐かしくない物語


 <IMMIGRATION>(入国審査)
 そう掲示されたブースで問われるお決まりの質問。
 「入国の理由は?」
 口髭を上下させ、恐らくはそう尋ねているだろう審査官。
 "I'm a tourist"(観光客です)
 そう鮎は、嘘をついた。


 スニーカーが石畳の街路を踏みしめる度に、ぱしゃぱしゃと昨夜のみぞれ混じりの雨の死骸が
悲鳴をあげた。

 月曜には、明日には賑やかになる。宗教上の習慣で安息日はどこの店も休み。自動販売機も
少ないここでは、旅行者にとってなにかと不便なことがある。中心部のメインストリートもショッピング
モールも閑散として、午前中ともなれば教会帰りの人ぐらいしか歩いていない。

 逆に観光慣れした人なら、静かな街並みを鑑賞するいい機会だと思うだろう。
 鮎が今しているように。

 ウィーンの空はどこよりも希薄で、遠大に広がっていた。

 ここが、旅の終点になる。


 異郷へとさまよいはじめて、もう2ヶ月になろうとしている。
 ロンドンのヒースロー空港を最初の一歩にして、靴底が薄っぺらくなるほどに居所を変えた。
パスポートに押された入出国印は、イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・スイスとコレク
ションされていった。たった数日しかいなかった土地もある。イギリスがそうだった。

 ロンドンのヒースロー空港からシャトルバスにただ身を任せて、巨大な近代の遺構都市へと足を
踏み入れた。

 そこには、切り取られた絵葉書のままの光景。

 赤い2階建バスに、黒いキャブ・タクシー。
 金髪の淑女に、グレースーツに傘の紳士。

 トラファルガー広場は賑やかで、国籍の混在するツーリストとそれらに無関心な先住民が行き交っ
ていた。

 そして雨。
 ロンドンは、やはり雨に彩られていた。
 小さな3段式の折り畳み傘を手に、彼女は灰色の空ばかり瞳に焼き付けようとしているかのよう
だった。

 なぜここが最初になったのか、鮎には理由らしいものはなかったと言っていい。

 片言にせよ、言葉がわかるところ。
 女一人でも安全なところ。
 航空券が格安店で入手できた。
 それぐらいの理由。

 そして、彼がいないところ。
 彼がいるのは中南米。アメリカならともかく、ヨーロッパなら出会うことなどないだろうと。



 出発の前夜。
 水上が鮎の部屋を訪ねてきた。

 空にしてコンセントも抜いた冷蔵庫。
 利用停止にした携帯電話。
 弦を外したギター。
 そして買ったばかりのディパックとまっさらなパスポート。

「こっちのことは片付いたわ」
 そう言うマネージャーには、疲労と圧迫が隠せないほどに濃い陰が落ちていた。
「ご迷惑ばかりかけて、本当にすいません」
 こうとしか言えない自分がもどかしい。
 それでも、水上は無理なく微笑む。
「あなたの選んだことを手伝うのが仕事よ。気にしないの」
「水上さん、あたしのせいで、処分されたりしないんですか?」
「監督不行き届きって、怒られたわよ。でも、あなたがはっきり自分の意志だって言ってくれたから、
それで済んだわ」
「・・・・・すいません。本当に」
「いいのよ」

 尋ねずにいられないことがあった。
 水上にしか尋ねられないことが。
「・・・・・あたしの選んだこと、間違ってるでしょうか」

 自問すると、いつも寒気を覚える。

「ここに、このままとてもいられないんです。でも音楽だってやめたくない。ずっとやっていたい。
一人になるのは怖いけど、一人にならないと後悔しない答が出せそうもなくて。

どうしてこんなことになったのか、本当はまだなにもわからないんです。

彼があたしから離れることになった理由も、あたしが彼を失ってしまった理由も。

叶ったと思った夢は、みんな幻で、なにも残らなくて、なにもかもばらばらにしてしまうだけで。

だから、もう一度確かめたいんです。あたしのこころを」


「その答えはきっと、ここにあるのよ」

「え?」

「あなたの心の中に、ちゃんとある。今は取り出し方がわからないだけでね。
だから、あなたはいろんなことを感じてくるといいわ。やりかけたことなんて、そのままで。
戻るところがなくなったら、また新しいところを見つければいいだけのことなんだから」

 彼女が鮎の肩に手を乗せた。
 血の繋がった姉のように、温もりだけではない気持ちが伝わってくる。

「体には気をつけるのよ。無茶をするために一人になるわけじゃないんでしょ。甘い言葉に誘われ
ないようにね」




 こうして旅立った川原鮎。

 彼女にとって、ロンドンはあまりにも忙しすぎた。
 安ホテルを数日でチェックアウトして、大英博物館もバッキンガム宮殿も訪れないまま、駅から
パリ行きの二等車に乗り込んだ。

 アビー・ロードのことが、少しだけ頭をよぎった。
 あの有名なレコード・ジャケット。
 ビートルズの伝説と足跡。

 絶対に行ってはいけない場所だった。
 また、なにものかに頼ることになってしまうから。

 音楽のことを忘れるための旅ではない。
 音楽を続けていくための旅でもない。
 これは、川原鮎が川原鮎を探す旅。
 彼と彼女が共に愛した軌跡を追いかけてはいけなかった。


 日本人ばかりが目立つパリも長居する気になれなかった。
 成田空港でも機内でも、鮎は「歌手の川原さんですか?」と目聡い視線にさらされていた。
「違います」
「誰ですって?」
 逃げたわけではない。
 正直に答えただけだ。
 そこにいた彼女は、世間の人が知っている川原鮎ではないから。そして歌手でもなかったから。

 何度か同じ問いかけをされ、嫌気がさした彼女はすぐにパリ近郊の田園都市へと向かった。
大都会にいては、出費もばかにならない。

 ガイドブックを片手に、世界史の授業で習ったような気がする謂れのある遺跡や建物を巡った。
 目的地なんてない。
 列車に乗り込み、気が向いた駅名があれば重い荷物を担いでホームに降りた。朝に考えるのは
その日の夜どこに泊まるかだけ。ユースホステルのある街に、夜までに行くことだけが彼女の
ルールだった。

 いつしか国境を何本も越えていた。道を尋ねる時の返事も、フランス語からドイツ語になった。
鮎は英語の単語と、ポケット会話集を読んだり見せたりして意志疎通を図っていた。

 そしていろいろなことがあった。
 日記のページが足りないぐらいに。

 道に迷うことも。
 思いがけずに見つけた風景も。
 気になって買ったキーホルダーも。
 すり減ってゆき雨の染みで彩られた靴も。
 次第に使い込まれ新品だった時の輝きを失う鞄も。
 見つけたいものが見つからないまま、経験だけが積み重なっていた。

 渡欧して1ヶ月ほどして、鮎はプダペストのペンションに落ち着くことにした。
 正確には、落ち着いてしまったと言える。

 ドナウ川を遡行する船に、ドイツから乗り込んだ。
 どこで降りてもいと思って。
 桟橋に立った所が、ハンガリーの首都だったのだ。
 幸い、ウィザはブダペスト港ですぐに取れた。

 ろくな予備知識もない国。
 ハンガリーといっても、すぐに思い付くのものはなかった。

 標識などに書いてある文字が英語でもドイツ語でもないことに戸惑った。大使館に足を運び、日本
語になっているパンフレットを貰って初めて、その言語がマジャール語であることを知った。

 大使館員にユースホステルの場所を尋ねたが、大半が夏だけの営業だと言われた。廉価で泊ま
れる所を尋ねると、あるペンションを紹介してくれた。電話で空き部屋があると確認してくれた大使館
員に礼を言い、市内から路面電車で30分ほども揺られると、広大なハンガリーの平原が眺望
できた。
そしてドアを叩いたのが、老夫婦の経営するペンション「ケーペシュボルト」だった。

 どこか民宿のようなおおらかさが、そこにはあった。マスターというか、宿のご主人がクラウス・
シュトライさん。厨房などを切り盛りするのが奥さんのエヴァさん。後から聞いたところによると、
クラウスさんは社会主義時代に高校でドイツ語の教師をしていたという。引退後、自宅を改造して
ペンションを営むことにしたらしい。

 客用に3部屋があり、鮎が入った時には商用らしいドイツ語を話す白人男性とイギリスからの
学生2人組がいた。朝食の時に居間風の一室で全員が揃うのだが、東洋人の鮎に誰もが興味津々
のようだった。女の一人旅というだけで珍しいのだろう。旅の目的やこれまでに渉猟した地名など、
いろいろ聞いてきた。
 鮎の英語力で、目的を説明することは難しい。だから、ただ旅がしたかったと答えた。そして
ロンドンからここまでの道のりを話した。学生の一人がドイツ語ができるらしく、翻訳してくれた。

 その彼らも、2日と経たずにどこかへ去っていった。
 そしてまた別の人がやってくる。
 鮎はと言えば、朝食を終えると部屋を出て、路面電車に乗ってブダペスト市内へ出向いていた。
観光ルートの中心らしい王宮や深い由緒があるという教会で一日過ごしてみたり、小さなノートと
ペンを買いドナウ川に架かる橋を試みにスケッチしたりしていた。

 ここに至るまで、5日以上滞在したところはない。
 なのに、この街を訪れてすぐに1週間が過ぎた。

 旧東側は西欧と物価の違いがあるため、所持金を気にしなくていいところが理由かもしれない。
動き続けることに飽きがきたのかもしれない。積み重なった疲労が、安息の地を求めたのかも
しれない。

 日本円だと15円ほどで乗れる市電を使い、気ままに歩き、そして止まった。
 丸1日、市内を一望できる砦跡に座っていても、退屈ではなかった。
 去来する記憶の断片は途切れないから。

 1000kmも離れていて、保っていられた恋愛。
 どうして念願叶って側に入れるようになって、終わってしまったのか。
 半年ばかりの間に何があったのか、客観的になんてなれないけれど、感情に揺さぶられずに
考えることはできた。

 少し、わかってきたことがある。


 弱虫な自分から脱皮したくて歌手を目指した。
 彼と巡り逢えて、支えられて、踏み出せた。

 彼との触れ合いで自分の音楽が変わっていって、自分も変われたような気がしてた。
 もういじめられた過去を癒すために歌手になるんじゃない。
 私の想いを伝えたい、私そのものを表現したいからギターを弾くんだと。

 なのに私は、自分を裏切った。

 デビューという煌きに惹かれる蛾のように、彼と育んできた夢を打ち捨てて、ただCDを作ること
だけを考えた。チャンスを逃したくないからオリジナルの歌詞を諦めて、沢井さんの整えた歌を
受け入れた。

 沢井さんは私の望みを叶えただけ。
 そう。あの人は見抜いていた。
 あの時の私の本音。薄っぺらな功名心と焦りを。

 遅れてデビューできなくなってもいい。
 売れなくて音楽業界からすごすごと姿を消すことになってもいい。
 だからもっと時間と情熱をかけたいと、思えなかった。
 まずデビューして認められたかった。

 それが彼をも欺くことだと気付かずに。

 二人で描いていた未来像。
 言葉とビートとメロディで、川原鮎の証を立てること。
 私という個性を等身大で音符に投影して、ありのままの私を聴いてもらう。
 いびつな私も歪んだ私もいじけた私もあって、でも愛されている川原鮎がいるんだよと歌う。
 それだけでいいはずだった。
 売れなくたって、私にしか歌えない歌を出せればいいはずだった。

 なのに私は安易にガラスの靴を履いてしまった。
 飾って自分を綺麗に見せても虚しいだけなのに。
 魔法で輝いたシンデレラは王子と結ばれたけれど、貧しいままの彼女をずっと愛していた人が
いたらどうだろう。
 美々しいドレスを身に纏った彼女を見初めた王子より、継ぎ当てだらけの服しか着ていない彼女に
想いを寄せた彼の方がよく彼女を理解していたのではないか?
 華麗にダンスを披露する姿に恋した王子より、継母たちに虐められる彼女を救いたいと願った
彼の方が真実の彼女を慈しんでいたのではないか?
 シンデレラがお城へ迎えられる時、どれほど彼は心を痛めて彼女を見送るだろうか。

 物語のシンデレラには、そんな人はいなかったことになっている。
 でも私には冴木邦彦という人がいた。

 一緒に育んできた夢の苗木。
 くすんだ色の葉と古びた植木鉢。
 私が別のきらびやかな花に見とれてしまっても、彼は詰ることも責めることもなかった。
 黙々と雑草を除き、水を遣り、話しかけていた。
 元々は私の夢。私の苗木。
 私が育てなければ意味がないのに、もうこんなものはいらないんだと投げ出すこともなく育てて
いた彼。
 節操もなく私が別の新しい鉢を手にしても、彼は古い鉢を大切に世話をしていた。ついに私の心が
移ってしまうと、彼は古い鉢を手に旅立った。彼一人では咲かせることのできない蕾だと知って
いながら。
 いつか枯れてしまうとわかっているから、最後の瞬間まで寒さからも乾きからも守ろうとして。

 彼だって新しい鉢を選ぶことができた。
 私が彼を裏切っていたのだから、宮本さんへ心を向けられても恨む資格なんてなかった。
 でも彼はそうしなくて・・・・・


 それほどまでに深く愛されていたことを、
 孤独になって初めてわかった。







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