第9章 運河をゆくゴンドラからの風景


 寝不足のままアルバイトに出勤した鮎は、レコーディング作業が始まったことを伝えた。採用
面接の時から、この時はシフトを配慮してくれるよう頼んであった。店長は快く応じ、先輩も同僚も
「頑張って、いいのを作れよ。絶対買うから」と応援してくれた。発売されたら一流アーティスト並の
枚数を発注して、特製POPも作って宣伝してくれると。
 いささか面映ゆいことになりそうだが、売れ残らないようにいいものを届けられるようにしたい。
はっきりとした期限はわからないため、無期休職ということになった。

 邦彦にも、すぐに電話で知らせた。
 昭和記念公園で演奏した曲だと教えると、いっそう満足したように喜んでくれた。
「だから、これからはなかなか会えないと思うんだ」
「わかってる。一番大事な時期なんだろ。
俺のことは構わないから、しっかりな」
「うん。ありがと」

 それからは、ほぼ毎日スタジオへ通うことになった。歌と平行してギターも練習しなくてはなら
ない。本職のギタリストほどの技術がまだない彼女には、ステージで観客を楽しませる演奏は
できても、CDとなって繰り返し聴かれても音のずれや乱れがない演奏は、なかなか自在にとは
いかない。

 世の中には、ろくに演奏もできないままCDをリリースし、ステージでは演奏する「フリ」を巧みに
こなす自称ミュージシャンもいる。歌の方も、スタジオで部分部分を限界まで音域を高めて録音し、
機械的に繋ぎ合わせて売り出した結果、本人でさえ通して歌おうとすると再現不可能などという
こともある。こういう場合、「口パク」をするかライブ活動をしないかのどちらかになる。

 そんなことは、どうしてもしたくない。
 いやしくもミュージシャン、そしてアーティストがそんなことをするのは、盗作のような犯罪に近い
悪徳としか彼女には思えない。
 今回のシングルの作成に当たり、ギタリストを入れてギターを任せるという案も出たのだ。だが
歌に集中できるからというディレクターからの打診を、鮎ははっきりと断った。
沢井が、「今度のはそう難しくないから、彼女に任せよう」と鮎を支持したことで、その件は沙汰止み
となった。

 ディレクターとは人員や機材の管理が主な仕事。CDを一枚作成するには各楽器のサポートミュー
ジシャンからレコード(録音)・ミキシング(編集)・マスタリング(仕上げ)といった音に関わる専門
スタッフに加え、ジャケットのデザイナー、写真家など数多くの人間が携わる。これらを予算の範囲で
やり繰りするわけだが、時にはプロデューサー並に音楽に影響を与えることもある。
プロデューサーはしたいことを決めるわけだが、ディレクターはできることとできないことを決める
わけだ。

 さらにはCDを販売するレコード会社からも担当者が派遣され、制作過程を見守りつつ販売戦略を
練る。どういった曲が作製されているかを掴み、どのメディアを通して宣伝するべきか、どうやって
売り込むべきかを考えるのだ。


 CDの制作作業というものは、一般に思われているほど芸術的な趣がない。
 かつて、ビートルズはデビュー・アルバムの録音を1日て済ませた。
 持ち歌をスタジオで順番に演奏し、録音しただけのこと。”Twist And Shout”が最後になったのは
単に、これを歌うと喉が枯れて、次の歌が歌えなくなるというだけの理由。
 演奏者と歌手が揃って、演奏に合わせて歌う。
 俗に言う、一発録りである。誰かが少しでも失敗すればやり直しになる。

 現在では、歌もそれぞれの楽器も別々に録音して後から音を重ねるのが一般的。演奏も何テイク
も録音した中から、上手にできた部分だけを繋いで仕上げてしまう。この作業は「ダビング」と言う。

 だから、録音用だからといって最初から最後まで完璧に演奏しきれなくてはならないということは
ない。さらにコンピューターによる音響加工技術の進化で、後からいくらでも修正できるのだ。

 こういった現実が、年間9000タイトルを越えるCDの粗製乱造体質を産んだともミュージシャンの
技量低下を招いたとも言われるが、より容易にミュージシャンがデビューできるようになったという
プラス効果もある。技術的にはまだ未熟でも、若い才能が伸ばされやすい環境になったことは悪い
とばかりは即断できない。

 鮎本人は、機械に頼るようなことはしたくないのが本音である。
 父がよく言ったものだ。
「ロボットの握った寿司なんざ寿司じゃねぇ。俺なら足で握ったって旨いのが出せらぁ」
 実際に試したことはないんだろうが、父なら目をつぶってても機械より速く、形の整った、美味しい
寿司を出せるはず。そんな職人の血が、彼女にも受け継がれているのだろうか。リスナーには
ありのままの音色を届けたい。だからこそ、自分の演奏にこだわりたかった。

 曲の決定から2日。「リズム録り」と呼ばれる作業が終了した。
 これは沢井が鮎のデモテープを元にコンピューターでアレンジした曲を、鮎自らの演奏で録音する
こと。これで、曲のベースが決まったことになる。

 寸暇を惜しんで弦を震わせ、ピックを持つ指の感覚が鈍るまでに自宅でもスタジオでも練習を
続けた結果だ。浮かぶアレンジもどんどん試し、いくつかは採用され、仮題「イノセント・シー」は完成
に近づいてきた。ベースとドラムスを担当するスタジオミュージシャンも沢井によって選任され、
セッションに活気が満ちてくる。さらに、鮎も同意の上でピアノの音を入れることになった。

 できることならデビュー曲は自分のアコースティックギターだけで制作したいというのが、かねて
からの願いだったのだが、あまりに地味で夏季のセールスという点でも大きなリスクを伴うと諭され、
沢井によるアレンジを受け入れた。ピアノまで入れると鮎の演奏が埋もれてしまう懸念があったが、
彼女のギターそのものが聴く者に与える印象がまだ弱いという沢井の判断に、難度の高いテク
ニックを披露できていないと彼女自身がテイクを聴いて納得した。

 早速にピアニストに連絡がとられ、沢井もディレクターもよく知る人物に運よくスケジュールの空き
があり、招くことになった。
 その名前を聞いて、鮎は驚いた。

 ピアノ・キーボード奏者、氏家新(うじいえ・あらた)。
 28歳とまだ若いが、数多くのヒット・グループやシンガーとのセッション歴がある。ギターに比べ、
あまりこの方面に知識のない鮎も知っているほどの人物だ。持っているCDにも、彼の名前が
クレジットされているものがいくつかある。
 クラシック調の流れるようなピアノではなく、ジャズの雰囲気を漂わせる躍動感溢れるスタイルが
持ち味だ。

 制作に加わっているドラマーやベーシストは、かつてM&Cエージェンシーでバンドとしてデビュー
して成功を掴めず、個々の演奏技術を評価されてセッションミュージシャンとして会社と再契約した
人である。能力はあっても当然社会的には無名で、その点に鮎は不満など持っていなかった。彼ら
の熟達した演奏を聴くだけで「プロ」という重みを感じることができたからだ。

 しかし、氏家新は雑誌で海外の一流キーボードプレーヤーと対談している記事などが読める
ほどのビッグネーム。感激するよりも、自分の卑小さを思い知らされるようで気後れする方が
先だった。それでも、どう挨拶しようか決める間もなく、出会いは訪れた。

 ギターとボーカルのバランス調整のために、スタジオで歌いながら懸命にギターを弾いている
最中に重たい防音扉が開けられた。
 録音はしていなかったが、滅多に演奏中に入室する人はいない。
 手を止めようかとする鮎をその長身の男性は手振りで「そのまま」と促し、自分は奥のキーボード
に向かった。コンソールルームの沢井を見ると、やはり指で「続けて」のサインを出す。
 どういうことかと訝りつつも、指はコードを追い、戸惑う鮎をよそに、曲は最初のサビにさしかかる。
 ここで精いっぱいの声をビートに乗せる。
 まさにその瞬間、翼を舞い上げる上昇気流を連想させるような滑らかさで、ピアノの旋律が
ギターと、そして鮎の歌と交叉した。
 キーボードに向かい、恐らくは知ったばかりの曲を軽々と弾きこなす彼。
 ピアノに気をとられちゃいけない、と鮎は、意識的に自分の喉と指に集中しようとした。
 それでも、調和しようという優しい音符の意志に最後のフレーズを歌い終える頃には従いたく
なっていた。

「なかなかいいね。君」
「あ、ありがとうございます」
 それは、二人の交わした最初の挨拶ではなかった。
 この途中からのセッションこそ、楽器で交わした挨拶だった。

「これでいけそうだ」
 沢井が握手をする鮎と氏家を防音ガラス越しに見つめながら、強く呟いた。
 そこに水上の姿はなかった。


 この日、レコーディングは格別な進捗を見せた。氏家は初めての曲にも苦労することはないのが
当然だが、鮎もここまでの練習の成果が形をとりはじめたのだろう。

 翌日、レコーディング・エンジニアの出番となった。この仕事は、翻訳が難しい。音を取りまとめる
のが本務。基盤からはみ出さんばかりに取り付けられたスイッチを駆使し、曲のどこでどの楽器を
強調するか、あるいはボーカルを浮き立たせるか、などといった各種の音のいわば改造をする
のだ。もちろん、プロデューサーが満足するように。
 この仕事は機械を使うのだが、今でもかなりアナログ的で、技術者の経験と能力次第でかなりの
違いが出るものだ。

 鮎と氏家は意欲的にセッションに取り組み、驚く間もないほどに息の合った演奏ができるように
なった。しばしば氏家がジョークを飛ばす。リラックスこそがいい演奏に欠かせない要素だと経験で
わかっているからのようだ。鮎がミスしても、指を鳴らして、「さぁ、もう一度だ」と、苛立つどころか
まるでチャンスを得たようにテイクに取り組んでくれる。

 それぞれの演奏が録音され、楽器を扱う部分は予定より早く完了となった。
 次の仕事があるため引き上げるという氏家に、心から感謝して「ありがとうこざいました」と鮎。
「また、どこかで会おう」と言い残して彼はスタジオを出ていった。

 残った時間は、ボーカルのチェック。
 曲をカラオケのように聴きながら、演奏に合うスタイルを模索する。
 沢井からの時には厳しくなるチェックを受け、細かく修正しながら歌い続けた。
 同時にレコーディング・エンジニアがボーカルと調和するように音を操作する。鮎がギターを演奏
しながらでも歌えなくてはならないが、さりとて楽に歌えるようでは平板で、訴えかけるものがなく
なってしまう。

 夜も遅くなった頃、ようやくOKのサインが出た。

 くたくたではあったが、家路をたどる彼女の足は決して重いものではなかった。
 歩くうちに降り続いていた雨は止んでいた。
 傘をたたみ、濃密に湿る夜を照らす街灯を追う。

 あと少しで、デビュー曲ができる。
 リリースされる。
 そうしたら、どうなるんだろう。
 夢が叶ったことになるのかな。
 ううん。まだ。
 たくさんの人に聴いてほしい。

 誰かが言っていた。
 「音楽で革命しよう」と。
 ある人が言っていた。
 「音楽では革命できない」と。

 そんな大それたことは、あたしがしたいことじゃない。
 あたしにも、これだけのことができるんだ。
 そう思えるだけの結果が欲しい。
 あたしの歌で、朝、目覚める人がいてほしい。
 あたしの歌を、他の歌とは違うと感じる人がいてほしい。
 あたしの歌を聴いたと、日記に書き残す人がいてほしい。

 あたしの歌を、必要だと感じてくれる誰かがいてほしい。
 あたしの歌を、必要だと感じてくれる誰かがいてほしい。

 夢の途上に、あたしはいるはず。
 もう迷っている時間なんてない。
 飛べない鳥じゃないんだと、枝から滑空してみせよう。
 きっと、きっとできる。

「えいっ!」
 川原鮎は、アスファルトの水たまりを飛び越した。







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